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うすらい



こちらもクリスマスリクエスト企画より。

「海藤の元カノが現れて摂子に焼かせようとする話」です。


エロなし。







―――俺は一体、この女のどこを好きになったんだ。


確か、過去にもそんな風に思ったことが一度だけあったと、海藤は記憶を掘り起こす。

作り置きされた筑前煮と漬物、あり合わせで作られた豚肉の炒め物を口にかきこんで、物思いにふけった。


(そもそも、なんでこんなこと考えなきゃなんねーんだ)


近頃なんだかうまくいっていない、という風には捉えていた。

過去の経験からしても倦怠期に近いそれだし、そもそも相手の態度がどうも煮え切らない。


(今日だって、顔も見せねぇで行きやがるし)


彼女であるところの、杉田摂子のことだ。

嫌われている、とは思っていない。

だが、どこかで余所余所しさを感じて、それが何故か記憶のどこかに閉まってあった思い出を刺激して気持ちが悪いのだ。


(そうだ、あの辛気くせぇツラだよ)


元々彼女は不幸ヅラなのだが、最近それに輪をかけて負の空気を纏う表情は、過去の女性遍歴のどこかに引っかかるそれだった。

苦々しい気持ちで筍を頬張っていた時、


『ごめんね、久成くん』


あ、と動きを止めて、突如蘇ったその声を辿る。


綺麗な憂い顔が、ふっと思い出された。







・うすらい・







冷蔵庫に用意されていた摂子特製の夕ご飯をペロッと平らげて、海藤はベッドにゴロっと寝転がった。

腹は満たされているのに、どこか虚しい。


(メシだけは美味くなったよな、あいつ)


これほど海藤好みの味をマスターしたにも関わらず、杉田摂子は関係に不安を覚えているらしい。

それが何かなんて海藤の知ったことではないが、数少ない逢瀬の時間を脅かすほどには重大な気がしている。

嫌われているとは、思っていない。

というか、考えたくはない。

そもそも出会いからして嫌われる要素しかなかったはずが、奇跡みたいな確立で結ばれたのだから、そのあたりを問いただしていたらキリが無い。


―――なんでこんな女を好きになったんだか……。


これほど振り回されているというのに、自分の中に「好き」という感情はしっかりと確立されていて、揺らぐことはない。

なんとなく悔しくなった。


(そういや、『あいつ』もそんな女だったっけ?)


過去に一度だけ、そんな女に振り回されたこともあったか、と、さっき食事中に思い出した女を脳裏に浮かべる。

そうやって思い出した彼女の顔はいつだって憂い顔で、もうどんな笑い方をしていたか思い出せない。

ある意味では摂子よりも不幸を背負っていた暗い女だったかもしれない。

我知らず、己の好みはもしやそんな女だったのか、と、不思議な気持ちで過去を振り返ってしまった。







「お、おはよー」

「…………おぉ」


逢瀬の約束をすっぽかされた次の日、どういうわけかそのフケた本人が朝一番にやって来た。

相変わらずどこかオドオドとした、こちらの様子を窺うような態度が気に入らないのと、軽く驚いてしまったのとで、海藤の反応は大分遅れる。

そこでなんとなく気まずい空気に陥り、二人は玄関でしばらく見つめ合った。

日曜日なのでオフである摂子の恰好はもちろんオフのそれで、ファー付きのカジュアルなベージュのコートに、恐らくワンピースか何かを着ているのか、コートから覗く細い脚は黒いタイツに包まれ、チョコレート色のボア付きショートブーツで全体をまとめていた。

ミディアムロングの黒髪は珍しく編みこんでバレッタでまとめていて、これが勝負服でなくてなんなのだという徹底具合だ。


(なんなんだ、この女は……)


浮き立つ気持ちの傍ら、沸々と怒りが湧いてくる。

それほどこちらの好意が欲しいなら、言葉や態度に示せばいいだけのことではないか、と言ってやりたい。


「昨日のこと、怒ってるよね、やっぱり」

「…………」


地雷だろ、というようなことを平気で聞いてくる女に、馬鹿か、と怒鳴りたいのを必死で押し殺す。


「それより、寒いんだけど。早く閉めさせろよ」

「あ、ごめん」


いつも通りの憎まれ口のはずが、不機嫌の常で本気の怒りモードの声色にとって代わった。

それへビクっと反応する摂子の態度にはぁっとため息をつくも、海藤は特にフォローを入れることもなく中へ通した。


「で?会う約束って昨日の夜だったように記憶してんだけど」


いかにも皮肉っぽい言い回しになってしまうのは海藤としてもどうしようもないことだった。

そもそもが堪え性のない性格だし、摂子と付き合ってこちらはどうにも説教癖がついてしまっている。

そして摂子も、そんな海藤の性格に不満を言うような性分でもなかった。

それが、こんな場面では望ましくなかったりもするのだけれど。


「ごめんなさい。あの……急用が入って」

「なに、仕事?」

「う、うん。そうなの、少し見落としてた所があって、課長に呼ばれて……」

「ならメールとか電話とか、連絡ぐらいよこせんだろ」

「ごめん、ホント急だったから」


まごまごと、切れの悪い返答をする摂子の態度は、どうにも怪しいとしか言いようが無い。

かといって上手に嘘をつかれても、それはそれで嫌なものがある。


「ああ、じゃあいいよ。分かった」

「海藤、あのね……」

「分かったって言ってんだろ」


言いかけた摂子の言葉を遮って、海藤は口を荒げた。

相手も大人だ、それ相応の事情があって折り合いがつかなくなる日もあるだろう。

だが摂子の今の態度は必要以上に怯えていて、まるで正当性を主張しているようには思えない。


(分かってる。この女には、『言い返す』っていうスキルが欠如してんだ)


なんでも口に出してしまう海藤とは正反対で、なんでも押し殺してしまう様な女だ。

そもそも反論するという機会がないに等しい。

それでも、付き合って、それなりにお互いの呼吸が合うようになってからは、怒ったり拗ねたり、怒鳴ったり大笑いしたり、感情の起伏が目立つようになってきていた。


それが。


「ほんと、ごめん……」


言うはずだった言葉を飲みこんで代わりの様に謝罪を口にする彼女には、いい加減うんざりしている海藤だった。

そんなセリフが聞きたかったわけではない。


「……もういいって。それより、そのコート脱げば?」

「あ……」


気づけばコートを着たままで痴話げんかをしていて、決まりが悪くなった海藤が気を利かせたのだが、あろうことか摂子はぶんぶんと首を横に振り、思いがけない提案をしてきた。


「あのさ、今日は、外で、で、で、デートしよ」

「は?」

「お、お詫びに奢るから!」


意を決したようにしかめっ面で身を乗り出してきた摂子に、海藤は呆気にとられる他ない。


―――一体、なんだってんだ。


毒気を抜かれて頷けば、摂子はその日初めて口を緩め、笑う。

歯がゆさを覚えながら、海藤もつられて笑ってしまった。







ドームシティという、これまたベタな行き先を聞いてもう一度脱力するも、ここ最近ではお目にかからなかった積極的な態度を見て、「まあいいか」と折れてしまったのは惚れたもん負けの運命か。

それでもどこか元気が無いように思えるのに、何も言ってはこない摂子の態度に少しイラつきながらも、とりあえず様々なアトラクションに挑戦しては楽しんでみせることにした。


「ふわ~、観覧車なんか、久しぶりに乗った~」

「もう二度と乗んなくていいけどな」


ただ高い所を眺めるだけのアトラクションには少しも楽しみが見出せない、加えて狭い空間で二人っきりになりいい雰囲気を演出しようなどという気はこれっぽちもない海藤にとっては苦痛でしかなかった。

摂子の方は存外楽しそうだったが、さすがに午前中いっぱいをアトラクションで潰す気はなかったので、その辺の軽食で休憩を取ることにした。


「何にする?」

「別に。お前に合わせるよ」

「そーゆうのが一番困るなぁ」

「そっちが来たいっつったんだろ」


軽いやり取り、無駄口の応酬。

それはそれで楽しいが、もっと他に話すべきことがある気がして少しだけ上の空になる。

あーだこーだと候補を挙げては情報を振ってくる摂子の話を右から左へ聞き流しながら、あてどもなく人ごみを歩いていた、その時だった。


「久成……くん?」


後ろから聞こえてきた、綺麗なその声は。


『さようなら、久成くん』


昨夜思い出したばかりの憂いを帯びた声が、過去を飛び越えてきたようだった。

まさかと思って振り返れば、懐かしい女性の姿が依然と変わらぬ雰囲気を纏ってそこにあって、海藤は驚かずにおれなかった。

彼女こそ、もう二度とは会うまいと思っていた人だった。


美月みづき……。久しぶり」

「うん。久しぶり……ふふ、久成くんてば、全然変わってないね」

「そっちこそ。幽霊でも見たかと思ったよ」


そんな海藤の感想にふふっと控えめに笑う顔すら以前と変わらない。

付き合っていた当時から、彼女はどこか儚げな存在だった。


「立ち話も何だし、そこのカフェにでも寄らない?」

「ああ……いや、俺、今」


再会の驚きですっかり忘れていたが、今日は連れ合いが居たので断らざるを得ない。


「海藤ー?もう、はぐれたかと思っ……」


良いタイミングで先に行っていた摂子が帰って来たので、「これがいるから」と、摂子の頭をポンポンと撫で、言外に都合の悪さを匂わす。


「ちょっ……海藤、誰?」

「あら……」


すると相手はすぐにこちらの空気を察したらしく、少し目を丸くして摂子を見て、そのあとで「なるほど」と、訳知り顔で笑って見せる。


「それじゃ、しょうがないね。また機会があれば」

「ああ。元気で」

「ええ。そっちも」


相変わらず分別の良い彼女は場の空気を乱すということを知らない。

まるで惜しむ様子も無くあっさりと踵を返した彼女の背中に、海藤はふと未練を覚える。

その感情すら懐かしさを伴うものだった。


「ちょっと、海藤、いつまで頭抑えてんの?あと……あの人、誰?」


比べてこちらの彼女ときたら、去って行った女とはまるで真逆なものだから、海藤の中にちょっとした悪戯心が芽生えてしまった。

彼の悪い癖だ。

それで衝動のまま、去っていく華奢な背中を引き留める。


「美月!」

「え?」

「やっぱ、寄って行かねぇか、ソコ」

「か、海藤!?」


驚いてこちらを見る摂子に挑むような目で見返した海藤はその時、この所どれほど欲求不満に陥っていたのかを自覚した。


(妬かせてやる)


そんな残酷なことをあっさり決行してしまうとはよっぽどのことらしい、客観的に自分の行いを見つめる余裕すらあった。

人間の性分とはそう直ぐに変わらないものである。


「でも、久成くん」


彼女にしては珍しく驚きを表に出した様子で、美月が海藤と摂子を見比べている。

それへ海藤も少し驚きながら、しかし隣の呆気に取られて言葉もない様子の彼女を見るにつけその快感の味はあまりに甘く、言葉を取り消すことなど考えられなかった。











「へ、へぇ、だ、大学の時のお知り合いで……」

「ええ。久成くんとは、ゼミで一緒になることが多くて、それで自然と仲良くなって」


ぎくしゃくとした会話を経て、摂子はどうやら相席した女性が海藤のモトカノらしいことになんとなく気づき始めた様子であった。

それでも怒って立ち去ることが出来ない摂子の性分を、海藤はよく熟知していた。

昨日の仕返し、というわけではない。

そうではないが、時々目線をこちらにやって助けを求めてくる摂子を見ていると、小気味良くなってくるのは確かだ。

それが例え残酷な行為だったとしてもだ。


「でも、驚いちゃったな。久成くん、さっき見た時は変わって無いって思ったけど、話してみるとなんだか、雰囲気が柔らかくなったね」

「そうかぁ?」

「彼女さんもそう思うでしょ?どこがってわけじゃないけど、成長してるなって感じません?」

「あ、はぁ……。いえ、あの、私、まだ付き合って半年くらいで、そんな、変化とかはあんまり……」

「美月、こいつにそんな観察眼ないから共感求めたってムリ。それより、お前の方こそ前よか落ち着いたんじゃね?あん時でさえ年上で通せるくらいだったのにな」

「なーに、それ?私がフケてるって言いたいの?」

「ま、達観に磨きがかかったって言い換えといてやるよ」

「ひどい。ね、彼女さん、久成くんに相当手を焼かされてるんじゃない?」

「……い、いえ。そんなことは」


美月と気の置けない関係だということを見せつけられ、摂子はかなり参っている。

海藤の中でもっと苦しめ、と思う心と、もうこの辺にしておかないと、という心がせめぎ合った。

美月は見てくれがいい上に、誰でも懐に入れてくれるような度量の広さがある。

加えて女らしさは今まで付き合って来た彼女の中でもずば抜けて高く、摂子は気圧されるばかりだろう。

少しだけ同情心が芽生えてきた。

そろそろお開きにするか、そう思った時、摂子が突然「がたっ」とすごい勢いで席を立ち、カゴに入れていたバッグを引っ掴んだ。


「あの、ごめん、ちょっと用事を思い出して……、私、帰ります。あとは二人でゆっくりして下さい」

「おい、摂子!」


海藤の制止も聞かず、摂子は千円札を取り出してテーブルに置くと、早足でカフェを出て行った。

焦る気持ちの傍ら、愁嘆場を見せてしまった申し訳なさが先に立って、海藤は美月に向き直る。

そんな海藤の気持ちを察したのか、美月は可笑しそうにフフっと笑って紅茶に口をつけた。


「悪いな、美月。……久しぶりだってのに」

「あたしは別にいいけど、けっこう驚いちゃったなぁ、あの久成くんが彼女と元カノ同席させるなんてー、って」


そんな配慮の無いやり方はまったく海藤らしくないと、美月はやはり分かっているようだった。

そしてそのらしくない海藤を見せる相手が、おそらく摂子だけである、ということも。


「さっき、久成くんの顔見たとき、少しだけ、ほんの少しだけね。……ヨリ戻せないかなぁ、なんて考えちゃったけど。こんな珍しい久成くん見せつけられちゃったら、ねぇ?」

「何言ってんだよ、フった張本人が」

「そうね。きっと若かったのよね、私も。こんなイイ男になるって分かってたらキープしてたのにな」

「バカ言うなっての。突然『結婚する』とか言い出して退学したかと思ったら、日本から消えてんだぜ?初めてだったよ、あそこまで早く乗り替えられたのは」

「ごめんね、久成くん」


『ごめんね、久成くん』


それは、昨夜思い出と共に蘇ってきた憂い声とはあまりに違う、満たされている声音だ。

それではっきり分かったのは、彼女もやはり変わったということだった。

付き合っていた、というにはあまりにも曖昧な関係だった幼い恋は、彼女からの別れでおしまいになった。

海藤の中で未練を残していた数少ない相手ではあったものの、それはやはり過去でしかない。

美月にとってもそうだろうということは、儚げな雰囲気の中に透かし見える温かそうな色で推し量ることが出来る。

彼女を覆っていた薄氷を溶かした相手は、海藤ではなかった。


「……旦那とは、うまくいってんの」

「お生憎様、順調そのものです」

「ああそう、ごちそうさん」

「ねぇ。久成くんも、少しはヨリを戻したいって思ってくれた?」


そう聞かれて少しだけ答えにつまった海藤は、にっと笑って言った。

その答えが、今の別の道を歩んだ二人にはしっくりとくるはずだ。


「まさか」











「摂子!」


先に帰ったかと思ったその姿は、存外早くに見つかった。

海藤は息を切らして、最寄り駅のベンチに腰掛けている悄然とした摂子の傍に駆け寄った。


「今日、私、海藤と仲直りしようと思って」

「うん」


海藤の登場に別段驚く様子も無く、摂子は語り始めた。

深く顔を俯けているので表情は分からないが、声音で泣いているのが分かって思わず渋面になる。

それでも必ず追ってくると思われている程度には信用を得ているようだった。


「昨日の夜行かなかったのは、本当は仕事のせいじゃないって、……謝ろうと思ってたの」

「謝るくらいなら下手な嘘つくなよ。なんで来なかったんだ」

「言わない。……あんたなんか、嫌いよ」


泣き声で言われてもまったく迫力がない。

そして、海藤のジャケットの裾を掴む手が、摂子の本音を代弁している。


「……悪かったよ。言っとくけどあいつ結婚してっから。変に勘繰るなよ」

「そういうこと言ってるんじゃない」

「じゃあなんだよ!何が不満なんだよ!言わねぇと分かんねぇだろ!」


怒鳴るつもりはなかったのに、あまりに歯がゆくて我慢できなかった。

触れれば溶けそうなのに、しっかりと張っている膜が、摂子をいつでも海藤から引き離してしまう。

そして透けて見えそうな本音は、いつだって固い氷の向こう側にあった。


「言わない。言ったらきっと、あんたが可哀想だから」

「何を言う気だよ」

「…………海藤はさ、幸せすぎて怖い、って思うことない?」

「はぁ?」


ますますワケが分からない。

しかし摂子はいつの間にか立ち直ってしまった様で、涙を拭うとにこっと笑顔を向けてきた。


「ごめん、ワケわかんないよね。時々さ、ほんとに時々、私、海藤と一緒にいるのが怖くなるんだ。今日みたいにはしゃぎまわってる時には全然思い出さないのに、夜……抱き合ってる時……とか、ふいに過去の私が顔を出すの」

「…………」


海藤は、聞かなければ良かったと思った。

妬かせよう、なんて安易な愚行を強いた自分を、今すぐ殴ってやりたくなった。


「あんまり昔と今が違い過ぎるから、少し距離を置きたくなってくる。でもそういう時の気持ちを、海藤にだけは説明したくない……できないから」


―――こういう女だから好きになったんだ。


ようやく思い出す。

摂子はきっと、いつまでも海藤の隣に立って待っていてくれる。

消したいような過去ですら包み込もうとする彼女だ。

過去の自分を、疼く傷に苦しむことを海藤に悟らせたくなくて言葉を飲み込んできたはずだった。

そういう彼女だからこそ、美月のようには諦められないと海藤は思う。


「だから、今日はこれで、全部チャラにしてくれない?ダメ?」


何も言えずにいる海藤に悪戯っぽく笑って言った摂子は、すっと立ちあがると優しく両手をとった。

左右の手をそれぞれぎゅっと握りしめ「今日の夕飯なんにする?」と首を傾げて聞いてくるので、海藤は抱きしめたくてたまらなくなる。


(幸せにしたい)


切実にそう思った。

摂子が手放しで関係を楽しめるようにしてやりたいが、おそらくそうしてやれるのは現在いまの自分ではないのだろう。

こんなに愚かでは、またきっと同じ過ちを繰り返してしまうと、海藤は冷静に自分を見つめる。

時間が必要なのだと、そこでようやく思い知った。

海藤と摂子の間を阻む薄氷うすらいは、きっと努力だけでは溶かすことができない。

再会した美月が時間をおいてその冷たい帳を取り払ったように、自分たちもゆっくりと焦らずに向き合わなければならない。

歯がゆいが、春を待って耐え忍ぶのも摂子の為ならば苦でもないはずだ。

そう思うことができるようになったのも、やはり少なからず時間が影響しているためだろう。


―――こいつだけは、どんなに時間がかかっても諦めたくない


過去に美月がさよならを告げた理由が、今なら海藤にもはっきりと分かる。


「意外と忍耐足りなかったんだな、俺」

「え?なに?……にんにく?」

「……いや。今日は、外で食べるか」


珍しく柔らかな笑みを浮かべた海藤に、摂子はこぼれそうなほど目を見開いて、かっと顔を赤くした。

ようやく滑り込んできた電車も、注視する大勢の人々も、見つめ合った二人はまったく気づかない。

一幅の絵のようにぴたりとはまったその空気からは、微かに春の匂いが立ちのぼっていた。











終わり。








頭では分かってても体が言うこときかない、的な感じで摂子が悩むんだけど海藤には知られたくないのでこじれた二人。

これは今後デフォになります(笑)



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