王国一の美姫に婚約解消を迫られています
ロレーヌ王国の第八王女殿下カレンデュラ・ロレーヌは、王国一の美姫である。「社交界の椿姫」と名高かった第三側妃から生まれ、その血を色濃く受け継いだ王女殿下は、幼いときから周囲を魅了する姫君だった。
第三側妃の王女など本来なら歯牙にもかけない存在であるはずなのに、他の側妃の男御子はもちろん、王妃腹の王太子殿下までカレンデュラにはひときわ甘く、彼女を喜ばせようと必死であった。もちろん、父王においては言うまでもない。
一方の王妃や側妃、女御子たちはカレンデュラやその他の男性陣に対して、一定の距離を取っている。ほうっておけば国を傾かせかねないこの王女の取扱いについて、最初は王妃をはじめ辛抱強く奏上していたけれど、それこそ溺れるほどに愛するカレンデュラに対する批判を、仮にそれが正当なものであっても、決して聞き入れない陛下に、あきらめを覚えたようである。
そうして深い深い「愛」によってすくすくと成長したカレンデュラが十三歳になるころには、彼女を信奉する男だけの近衛騎士が百人余りも彼女に侍り、「カレンデュラ親衛隊」として城の中でも幅をきかせるようになっていった。
こうした王国の状況に一番に心を砕いていたのは王妃であったが、長年の心労が祟ってしまったのであろうか、やがて病に倒れ、政務への参加もおぼつかなくなると、父王はこれ幸いとばかりにカレンデュラのわがままを、まるで神からの祝福であるかのように受け入れていったのである。
もちろん、このような状況を、王妃は病に倒れる前から予想しており、自分に何かあったときには王妃としての権限を、実の娘である第一王女のアレクサンドラに移譲する書面を正式に残していた。
こうして今、王宮では、アレクサンドラの派閥とカレンデュラの派閥がにらみをきかせあっている状況である。
侍女長からの説明を受けたキャサリンは、あまりの生々しい現実に、すっかり胸やけを覚えていた。王国一の美姫カレンデュラとそれに甘い王子たちや陛下、そして、護衛とは名ばかりのカレンデュラにただ侍りたいだけの「親衛隊」たち。仮にも子爵家の貴族令嬢として話は聞いていたものの、そんな道理の通らないことが王国で起こっているなんてと、信憑性のないゴシップの類と同じ認識を持っていたのである。
「あなたは本日からアレクサンドラ様付きの侍女になります。間違っても、椿宮の人間と必要以上にかかわらないように」
椿宮の人間――第三側妃様やカレンデュラ様たちのことを、ここではそのように表現するらしい。キャサリンはごくりと唾を飲み込み、深く頷くことしかできなかった。
キャサリンの頭のなかに、第二王子殿下の第六秘書官になった自身の婚約者マルク・モーリスの顔が浮かぶ。モーリス伯爵家の次男で、キャサリンとは三年前に婚約を結んだ。家督を継ぐことはないが、無事に長男が家督を継いだのちは、モーリス伯爵の持っている子爵位を賜り、マルク・ヴァンス子爵になる予定だ。そのタイミングで、キャサリンとマルクは正式に婚姻することになっている。
キャサリンの気まずそうな表情を見て、侍女長が小さく頷いた。
「そう言えば、あなたの婚約者は第二王子の秘書官でしたね」
「……はい」
眼光鋭い侍女長に見つめられ、キャサリンは怒られている小さい子どものようにしぼんでいく。
「秘書官が、椿宮の人間と関わることはないでしょう。アレクサンドラ殿下は承知のうえであなたを採用しているはずだわ」
「はい、ありがとうございます」
侍女長の言葉に、キャサリンはほっと胸をなでおろす。とはいえ、侍女長の指摘は至極全うであった。カレンデュラ様は高位貴族やその子息、顔が美麗な男性としか言葉を交わさないと聞く。婚約者のキャサリンからすれば、マルクはかっこよくて優しい最高の婚約者だが、一般的に見ればごくごく平凡な貴族子息だ。一緒に夜会に参加しても、マルクもキャサリンも大勢に囲まれるようなことはない。
それに、秘書官になることが決まったマルクは、カレンデュラ様にはまるで興味がないようだった。「なんとなく、こわい」と眉を下げて言っていたことを思い出し、キャサリンは小さくほほ笑む。
「さあ、これから業務の説明に入るわね」
侍女長の言葉に、キャサリンの背筋が伸びた。こうしてキャサリンは、マルクのこともカレンデュラのことも頭のなかから外して、これから始まる侍女業務へと意識を向けたのである。
マルク・モーリスは昼休憩に立ち寄った図書館で、突然のことに困惑の表情を浮かべていた。いつものように趣味の歴史書を読んでいたところ、突然大きな瓶底眼鏡をかけ、腰までの黒髪をゆるく三つ編みにした司書らしき女性に声をかけられたからである。
「あなたもその本が好きなんですか?」
王宮図書館の司書ということは、伯爵令嬢以上であることはわかる。しかしながら、他の貴族との交流がほとんどなく、有名な貴族しか覚えていないマルクにとって、目の前の女性がどの家の令嬢なのか、とんと見当がつかない。
少なくとも自分より身分が上のはずの令嬢に声をかけられ、無視をするわけにもいかず、かと言って適切な返答も浮かばず、ただただ苦笑いをするだけである。
「えっと……」
「王国の歴史がくわしく載っていて興味深いわよね」
どうやら目の前の令嬢は、今マルクが読んでいる「王国建国の書」がお気に入りのようだ。マルクにとっては、たまたま手に取った一冊に過ぎないわけだけれど。
「はあ……この本がお読みになりたいなら、どうぞ」
マルクは本を閉じ、令嬢の目の前に差し出す。彼女は首をかしげて、立ち上がったマルクを見上げた。瓶底眼鏡のせいで、その表情を読み取ることが難しいが、どうやら驚いているらしい。
「あなた、わたくしをご存知ないの?」
「あー……いや、その……」
ずばり痛いところを突かれ、マルクは口ごもる。王太子殿下や第二王子の婚約者の令嬢、王女殿下たちはさすがに把握しているが、それ以外はほとんどわからない。そもそも、年ごろの令嬢と言えば、婚約者のキャサリン以外話すことはないのだ。
「こんな恰好でも、わたくしの黒髪を見れば大体ぴんとくる方が多いのに……。あなた、変わっているわね」
どこの誰だかわからないが、「おもしれー男」認定されてしまったマルクは、不愉快を顔を出すわけにもいかず、ただただ苦笑いを浮かべるだけである。
「お名前をお聞かせくださる?」
少し逡巡して、マルクはしぶしぶ口を開く。
「マルク・モーリスと申します……。モーリス伯爵の次男です」
「まあ、そうなの。王宮ではどちらに所属なさってるの?」
「……第二王子殿下の、第六秘書官です」
「そう、イグナート殿下の」
自分の上司の名を気安く呼ぶ目の前の令嬢に、マルクはますます混乱する。第二王子殿下の御名を誰が見ているともしれない王宮内で直接呼ぶ令嬢なんて――。
「こちらにいらっしゃったのですね!」
マルクの思考を遮るように、およそ図書館に似つかわしくないきりりとした声が響く。白い鎧に椿の紋が入ったその騎士は、一目見て「カレンデュラ親衛隊」だとわかった。
話は変わるが、マルクはこの「カレンデュラ親衛隊」があまり好きではない。先ほど大声で図書館に入ってきたことからわかるとおり、彼らは常に「カレンデュラ第一」で、それ以外のことを見下すか、見ないようにしている。非常識なことも、「カレンデュラのため」なら許されると心の底から信じているのだ。平凡な貴族家の次男として生まれ、慎ましく謙虚であれと両親に教えられ育ったマルクには、「親衛隊」の存在は悪い意味で別世界の生き物たちだった。
そんなどうでもいいことをぼんやり考えていると、いつの間にかその親衛隊がこちらに近づいてくる。
「お探ししましたよ、カレンデュラ王女殿下」
そうして他人の迷惑も考えず膝を折って敬礼する親衛隊を見て、マルクは「え」と間抜けな声が漏れた。
今、この騎士は、何と言ったか。
「あら、もう見つかってしまったわ」
そう言って、瓶底眼鏡の令嬢が楽しそうにくすくす笑う。マルクは令嬢と騎士をゆっくり交互に見た。体温がゆっくり下がっていくのを感じる。
令嬢――カレンデュラは、瓶底眼鏡を外し、いたずらっぽく目を細め、マルクを見つめる。王国一と名高い美姫だけあって、くりくりとした大きな瞳に通った鼻筋、艶やかな唇は、まるで神のつくったマスターピースのように、完璧な比率で彼女の陶器のような肌に配置されていた。
そういえば、第二王子殿下がいつもうわごとのように言っていた。「カレンデュラの豊かな黒髪は、いつまでも撫でていたくなるような、絹のようななめらかさなのだ」と。
「カレンデュラ王女殿下、司書のまねごとなどおやめください」
「うふふ、だって、本が好きなんだもの」
カレンデュラはマルクが差し出したままの歴史書を見つめ、そっとそれを受け取る。王女殿下が手ずから受け取ることの重みを、マルクはまだ気づいていない。
「マルク、ありがとう。あなたって優しいのね。読みかけの本をためらいもなく他人に差し出すなんて」
ただの暇つぶしで読んでいてそんなに思入れない本なのでとか、そもそもなぜ王女殿下がここにとか、頭のなかで言葉がぐるぐるするが、マルクは結局何も言えず、ぼんやりと立ち尽くす。
「貴様ッ!」
ようやくマルクの存在に気づいたらしい騎士が、ものすごい形相でマルクを睨みつけた。
「王女殿下の御前で頭が高いぞ!」
今にも飛びかからんと立ち上がる騎士を、カレンデュラが無言で制す。騎士は王女の行動に、悔しそうに口をつぐみ、マルクを睨みつけた。
「わたくし、あなたが気に入ったわ。あなたがほしい」
カレンデュラのこの爆弾発言で、マルクの日常は大きく変わってしまったのである。
マルクがとんでもないことになっていることなど露も知らないキャサリンは、先輩侍女の後ろにつきながら必死で侍女業務を覚えていた。アレクサンドラには侍女長との顔合わせのあとすぐにあいさつをしたが、「よろしくね」と声かけられたのみでその日は終わった。アレクサンドラは、今や王妃代行として朝な夕な公務が詰まりに詰まっているのだ。本来なら末端侍女に声をかけるなどあり得ないが、礼節を重んじ高潔な王妃の血を受け継いだアレクサンドラは、礼を欠かすようなことは、たとえ侍女相手にも行わない。
そんなアレクサンドラに、キャサリンはすっかり魅了され、「この方が次代の王なら……」と口には出せない思いを抱いていた。もちろん、アレクサンドラ付きの侍女は、誰しもその口に出せない思いを胸に秘めているのだけれど。
会議から戻ったアレクサンドラが、すぐに重要な書類に目を通せるように、先輩侍女と一緒に書類の仕分けを行っていく。ときには、まだ見慣れない外国語の書類もあり、キャサリンは目を白黒させた。書類を仕分けるだけの自分ですら頭が混乱するのに、内容を判断して決裁を行うアレクサンドラはどう考えても同じ人間とは思えない。
そうしてなんとか時間内に書類を仕分け、先輩侍女とほっと息をついたそのとき、アレクサンドラの執務室にあわてた侍女長が入ってきた。
「キャサリン!キャサリン・ウォーカーはどこ!?」
「は、はい!」
ものすごい形相の侍女長に、キャサリンは直立不動で返事をする。名前を呼ばれていない先輩侍女まで、キャサリンの隣に背筋を伸ばして並んだ。
理由は見当もつかないが、何か重大な過失をしてしまったのだろうか。キャサリンは目の前が真っ暗になるのをなんとかこらえ、腰に力を入れた。
「ああ、キャサリン!大変なことになったわ。とにかく今すぐきてちょうだい」
てっきりこれからお叱りが始まるかと思ったのに、侍女長は焦ったようにキャサリンの腕をむんずとつかむ。その力の強さにキャサリンは思わずよろけた。
「あの、侍女長……?」
「話はあと。とにかく今すぐ談話室に向かいます」
「は、い……」
侍女長の指が食い込むほど力強くつかまれ、キャサリンは訳もわからず引っ張られていく。そうして連れていかれた談話室に入って、キャサリンはぽかんと目の前の光景を見つめるしかなかった。
談話室の様子は、ひとことで言えば、混沌に満ちていた。ソファに腰かける婚約者のマルク、マルクを今にも射殺さんばかりに睨みつける「親衛隊」の面々、そしてマルクの前にゆったり腰かけるアレクサンドラは、完璧な淑女の笑みを浮かべているが、背後からは黒いオーラが出ている。
――そして、何よりキャサリンが理解できなかったのは。
「マルクのお膝って快適ね」
なぜかマルクの膝に頭を乗せて楽しそうに笑っているカレンデュラの姿だった。
状況についていけないキャサリンは、侍女長に促され、恐れ多くもアレクサンドラの隣に腰をかけることになった。青白い顔をしたマルクと一瞬目が合うが、お互い無表情のままである。キャサリンが腰かけると、アレクサンドラは小さく手を叩いた。
「カレンデュラ、仮にも王女ともあろう者が、恥を知りなさい」
「いやだわお姉さまったら。マルクはわたくしのものなんだから、いいじゃない」
「モーリス伯爵子息は、あなたのものではないわ。いい加減になさい」
「え~」
アレクサンドラの厳しい指摘に、カレンデュラはしぶしぶ起き上がる。そこでようやく、彼女はキャサリンの姿を目に止めた。
「……どなた?」
感情のこもっていない目で見られ、キャサリンの背中に一筋の汗が伝う。
「マルク・モーリス様の婚約者のキャサリン・ウォーカー子爵令嬢よ」
アレクサンドラの紹介に、カレンデュラはぷっと吹き出す。カレンデュラが笑うと、彼女の周りの騎士も笑った。どう考えても自分を馬鹿にしているその笑いに、キャサリンの心臓がぎゅっとつかまれたように痛む。
「あはは……あー、ごめんなさい。あなたがマルクの婚約者って……ふふふ」
「いい加減になさい!」
この場でカレンデュラを叱責できるのは、第一王女のアレクサンドラだけである。アレクサンドラの声に、カレンデュラも騎士も笑いを止めた。
「本当に、どうしてこんなことになってしまったのかしら。……いいえ、これはすべてわたしくしの、王家の責任ね。巻き込んでごめんなさい、キャサリン」
アレクサンドラに手を握られ、キャサリンは血が出そうなほど下唇を噛みしめていることにようやく気づいた。口のなかに鉄の味がじわりと広がる。ここで涙を流さなかったのは、貴族令嬢としての矜持と言えよう。
「モーリス伯爵子息、あなたにも本当に申し訳が立たないわ」
マルクは青白い顔で何かに耐えるように眉間にしわを寄せ、強く拳を握りこんでいる。アレクサンドラに声をかけられても「いえ」と短く声を出すのみだった。
「カレンデュラ、いくら王女でも、いえ、王家の人間だからこそ、今回のあなたのわがままだけは受け入れることはできません」
アレクサンドラの厳しい言葉に、カレンデュラは唇をとがらせて不満げな声を出す。
「えー……でもわたくし、マルクが気に入ったの。マルクがほしいの!」
「モーリス伯爵子息は貴族よ。その無礼な物言いをおやめなさい。そして彼は、ここにいるわたくしの侍女、キャサリン・ウォーカーの婚約者でもあるわ。ふたりの婚約は、正式な手続きに則って、王家が認めた婚約なのよ」
「そんなの、お父様に頼めば……」
「だめよ。王妃代理として、わたくしが絶対に許しません」
アレクサンドラの手のぬくもりでようやく落ち着きを取り戻したキャサリンは、何も言わずともこの状況を自分なりに整理していた。カレンデュラの言いようから、どうやらカレンデュラはマルクを「気に入って」、「自分のもの」にしたいらしい。「自分のもの」にするということがどういうことかいまいちわかっていないが、現在の自分は、カレンデュラによって婚約者を失う瀬戸際にいるのだと悟った。
――第二王子の第六秘書官で、カレンデュラと関わることなどまずあり得ないマルクがなぜ、という疑問は抜けないが、マルクの表情を見るに、まさに「天災」のようなことが起こったのだろう。
「でも、わたくしはマルクがほしいの!それに、マルクだって、わたくしのそばにいたいでしょう?」
艶やかな声でささやかれ、マルクの肩がわずかに跳ねる。前髪がかかり、彼が一体何を考えているのか、キャサリンには読み取れない。
「あんな平凡な婚約者より、美しいわたくしのそばにいたいでしょう?」
自信たっぷりなカレンデュラの様子に、キャサリンの目頭が熱くなる。それでも絶対に情けない姿は見せまいと、気力で背筋を伸ばす。その様子に、アレクサンドラは感心したように小さく頷いた。
「モーリス伯爵子息、キャサリン、発言を許します」
ようやく発言を許されたマルクは、それはそれは大きなため息をついた。――まるで、これまでの鬱憤を晴らすかのように。
「第一王女殿下に申し上げます。ここから先、第八王女殿下への発言で、私は不敬罪に問われることはあるでしょうか」
マルクの冷たい声に、カレンデュラの表情が固くなる。
「それは、わたくしが公平に判断いたします」
「キャサリンは……」
「キャサリンのことは、わたくしが守ります」
その言葉を聞き、マルクは安堵の息を漏らした。
「マルク……」
思わず婚約者の名を呼ぶと、マルクは困ったようにキャサリンにほほ笑みかける。
「ちょっと、なんなの?マルク、ねえ、わたくしを見て!わたくしはあなたを選ぶと言っているのよ」
カレンデュラの細い腕がマルクの腕をつかむ。その瞬間、マルクはさっとその腕を払った。
「私は、第八王女殿下のものになるつもりはありません」
きっぱりと告げた言葉に、カレンデュラはことりと首をかしげる。マルクの言葉が理解できないとでも言うみたいに。
「そうやって、照れ隠しをしているのもいいけれど、素直になりなさい」
「私はいつでも素直です」
マルクの言葉に、キャサリンの口もとがにやけた。そういえば、夜会でも嘘がつけないからと、マルクはいつも言葉少なで。そんな彼をフォローするのが、キャサリンの勤めでもあった。子爵位を賜るのだからとマルクを叱ると、「ごめん」と眉を下げる顔を見るのが、キャサリンは好きなのだ。
「第八王女殿下が王国一の美姫ということは存じています。――だからって、俺のキャサリンを馬鹿にするな!」
貴族らしからぬ言葉でカレンデュラを怒鳴りつけたマルクに、アレクサンドラは「まあ」と感嘆の声を漏らす。後ろで侍女長が小さく拍手しているのを、キャサリンは聞き洩らさなかった。
「俺は、あんたを心底軽蔑してる。何でもかんでも自分の思い通りになると思ってるところも、それだけじゃない、第八王女の威光をかさに着て威張ってるやつらも。あんたもあんたの周りも、気持ち悪いんだよ」
「マルク……?」
「生理的に受け付けないと申し上げております、第八王女殿下」
最後は慇懃無礼に、マルクは頭を下げた。カレンデュラはわなわなと肩を震わせている。「親衛隊」はマルクに対して剣を抜こうとし、アレクサンドラの護衛に取り押さえられた。
「あなたの気持ちはよくわかったわ、モーリス伯爵子息。そして、今の言葉に不敬罪にあたるものはなかった。敬意を払うべき相手に敬意を払う、当たり前の言動しかなかったとわたくしが判断します」
アレクサンドラの言葉に、マルクは恥ずかしそうに頭を下げる。まっすぐに褒められて、なんと返していいかわからないのだ。
「マルク、あなた、それはカレンデュラ殿下に不敬よ」
すっかりいつもの調子を取り戻したキャサリンが、いつものようにマルクを叱る。
「……ごめん」
そうしていつものように、マルクは眉を下げて婚約者に謝罪するのだった。
こうして、マルクにばっさりと切り捨てられたカレンデュラ一行は、アレクサンドラ付きの騎士に連行され部屋を追い出された。キャサリンはアレクサンドラの前であることを忘れ、マルクの胸に思わず飛びつく。
「もう、もう……本当に驚いて、心臓が止まるかと思ったわ!」
「ごめん、キャサリン。俺も何がなんだか……」
ごほんと咳ばらいをした侍女長に、マルクとキャサリンの背筋が伸びる。恐る恐るアレクサンドラを見ると、彼女は淑女の笑みとは違う、心から楽しそうな笑みを浮かべていた。
「本当に最高だったわ、あなたたち。個人的に褒章を与えたい気分よ!」
「……私は、秘書官をクビになりますよね」
あきらめたように言うマルクに、アレクサンドラは楽しげに笑う。
「カレンデュラなんかに惑わされるようなボンクラの第二王子の秘書官なんて辞めてしまいなさい。わたくしがあなたを雇うわ」
「え、いいんですか!」
うれしそうな声をあげるマルクを見て、キャサリンは思わずマルクの腕をつかんだ。
「まあ、キャサリン、大丈夫よ」
キャサリンの不安を悟ったのか、アレクサンドラが優しくほほ笑む。
「たしかにわたくしはモーリス伯爵子息を気に入ったけれど、わたくしがほしいのは彼の能力だけだから」
ずばり言い当てられたキャサリンの顔が真っ赤になり、その様子を見たマルクも顔を赤くする。ふたりの初々しい様子に、アレクサンドラは自分の直轄領の一部でも与えようかしらと、今まで感じたことのない庇護欲を覚えたのだった。




