第8話: 銀嶺の夜会への招待状
城のホールが、色鮮やかな絹の海と、宝石の輝きに埋め尽くされていた。
王都から招かれた一流の商商たちが、震えながら極上の品々を並べている。
それもそのはず。
「気に入るものがなければ、この領地から生きて帰れると思うな」
という、ジークフリート様の氷点下を記録する脅し……いえ、熱心な要望があったからだ。
「……旦那様。流石に、これはやりすぎではないでしょうか」
私は、目の前に山積みにされたドレスの数々に、眩暈を覚えた。
一着で、伯爵家の半年分の生活費が賄えそうなほど豪華な刺繍。
実家では、妹のエリーゼが着古した、汚れの落ちないドレスしか与えられなかった私にとって、これはもはや恐怖ですらある。
「……黙って見ていろ。君に相応しいのは、最高の輝きだけだ」
ジークフリート様は、私の隣で腕を組み、冷徹な目利きのように品定めを続けていた。
けれど、その視線が私の細い手首に止まった瞬間、ふっと温度が上がるのを私は知っている。
「これを見ろ、リリアーナ」
彼が指し示したのは、月の雫を固めたような、透き通る青い魔石のネックレスだった。
「氷の涙」と呼ばれる、北方の最果てでしか採れない伝説の宝石。
「綺麗……。でも、これ、私には重すぎます」
「いいや。この石は、持ち主の魔力に反応して温度を変える。……君の、その『太陽』のような熱を宿せば、きっと私を救う光になる」
彼は迷いのない手つきでネックレスを手に取ると、私の背後に回った。
ひんやりとした金属の感触が首筋に触れ、続いて、彼の熱い指先が私の肌を掠める。
「……っ」
びくり、と肩を揺らす私に、彼はわざと耳元で低い声を落とした。
「動くな。……夜会では、これをお守りにしろ。……エルトマンの連中が、君に触れるどころか、視線を向けることさえ躊躇うほど、気高く着飾ってやる」
カチリ、と留め金が閉まる音。
それは、私が正式に「アイスベルク公爵夫人」として、世界に繋ぎ止められた音のようだった。
◇◇◇
(……どうしよう。鏡を見るのが、怖い)
着付けを終えた私は、マリエッタたちの感嘆の声に押されるようにして、全身鏡の前に立った。
そこにいたのは、かつて「無能」と蔑まれ、灰色の服を着て床を磨いていた少女ではなかった。
蜂蜜色の髪は複雑に編み込まれ、星屑のようなダイヤモンドが散りばめられている。
ドレスは、夜空の色を映したような深い紺碧。
歩くたびに、裾の銀糸が雪の結晶のようにきらめき、私の肌の白さを際立たせていた。
「リリアーナ様……っ。信じられません、まるでお伽話のお姫様です!」
マリエッタが涙を拭いながら拍手する。
その時、部屋の扉がゆっくりと開いた。
正装を身に纏ったジークフリート様。
白銀の礼服に黒のマントを翻すその姿は、あまりにも神々しく、息を呑むほどに美しい。
けれど、私を一目見た瞬間、彼の足が止まった。
「…………」
静寂。
彼が纏う冷気が、一瞬でピタリと止まる。
灰青色の瞳が大きく見開かれ、彼は言葉を失ったように私を見つめ続けた。
「……旦那様? あの、やはり、私には不相応でしょうか……?」
不安になって俯こうとした私の顎を、彼の大きな掌が力強く、けれど震える指先で捕らえた。
「……不相応なのは、私の方だ」
その声は、ひどく掠れていた。
彼は逃がさないように私を凝視し、喉を小さく鳴らす。
「……美しすぎて、毒どころではない。……今すぐこの城を閉ざし、君を誰の目にも触れぬ場所に隠してしまいたい」
「えっ……」
「……行きたくないな。……夜会など、どうでもいい。……このまま、ここで君を……っ」
独占欲。
剥き出しの、狂おしいほどの情熱。
彼は私の腰を引き寄せると、壊れものを扱うように、けれど深く、私の首筋に顔を埋めた。
「……覚悟しておけ、リリアーナ。今夜、君に無礼を働く者は一人残らず私が裁く。……そして、夜会が終わったら。……君は、一晩中私の腕から逃げられないと思え」
耳元で囁かれた熱い宣戦布告。
冷酷公爵と呼ばれた男の、最後の手綱が今、音を立てて千切れた。
銀嶺の夜会。
それはリリアーナのデビューであると同時に、
「氷の魔王」が、自らの「唯一」を世界に宣言する、残酷なほどに甘い舞台の始まりだった。
ドレスアップしたリリアーナを見て、公爵様の理性が完全にログアウトしてしまいました。
「美しすぎて隠してしまいたい」という独占欲、まさに溺愛の極致ですわ。
「公爵様、夜会に行く前にリリアーナを食べてしまいそう!」
「エルトマン伯爵家がこの姿を見たら、どんな顔をするか楽しみ!」
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次回、第9話「氷の瞳が射抜く、無礼な過去」
ついに会場入り。そして、あの義母と義妹との再会。
ジークフリート様の「圧倒的な格の違い」による、最高のざまぁが幕を開けます。
霧島 結衣でした。




