第6話: 「私だけを見ていろ」公爵様の独占欲
夜の帳が下り、城の静寂が深まると、私の心臓の音だけがうるさく耳に響く。
公爵邸の寝室。
そこは、世界で一番寒く、そして今――世界で一番熱い場所だった。
「……リリアーナ。こっちへ来い」
寝椅子に深く腰掛けたジークフリート様が、私を呼ぶ。
その灰青色の瞳は、月の光を反射して、まるで飢えた獣のように怪しく光っていた。
「はい、旦那様。……あの、お加減はいかがですか?」
私は恐る恐る、彼の膝元へと歩み寄る。
昼間、中庭で見た彼の「怒り」がまだ尾を引いているのではないかと、不安で胸が締め付けられる。
「加減など、いいはずがないだろう。……君が、あんな男に笑いかけていたせいで、私の魔力は一日中荒れ狂っている」
ジークフリート様は、私の手首を掴むと、力任せに自分の方へ引き寄せた。
バランスを崩した私の体は、彼の逞しい胸の中にすっぽりと収まってしまう。
「あ……っ。旦那様、近いです……」
「……黙れ。温めると言ったのは君だ」
低い声が、直接脳を揺らす。
彼は私の首筋に顔を埋め、深く、深く呼吸を繰り返した。
手袋を外した彼の大きな手が、私の腰を抱き寄せ、肌の熱を確かめるように這う。
冷たい。
けれど、昨夜よりもその冷気はどこか「湿り気」を帯びていて、私の体温を吸い尽くそうとするような執着を感じた。
「……君は、なぜあんなに無防備なんだ」
「無防備……? 私はただ、ご挨拶を……」
「あんな若造に、あんな顔を見せるな。……君が笑っていいのは、君の熱を受けていいのは、私だけだ」
彼の指先が、私の顎をすくい上げ、無理やり視線を合わせる。
そこにあるのは、冷徹な公爵の仮面ではない。
独占欲に身を焦がし、余裕をなくした、一人の男の剥き出しの感情だった。
「リリアーナ。……答えるんだ。君は、誰の妻だ」
「それは……。ジークフリート様の、妻です……っ」
「そうだ。……ならば、その瞳には私だけを映していればいい。……他の誰かに、君の光を与えるな」
彼の唇が、私の耳朶をかすめる。
あまりの熱に、思考が真っ白に染まっていく。
――愛していない。
彼はそう言った。
これは契約で、私はただの「暖炉」の代わりなのだと。
それなのに、なぜ彼の心臓は、こんなにも速く、激しく、私の背中で打ち鳴らされているのだろう。
「……閣下、苦しい、です……」
「……苦しいのは私の方だ。君の体温に触れるたび、私の中の『氷』が溶けて、形を失っていく」
彼は私の肩口に額を預け、震える声で吐露した。
「……怖いのだ。君がいない世界に、もう戻れないことが。……君が、私を置いてどこかへ行ってしまうことが」
その言葉に、私の胸がキュッと締め付けられた。
この強大な魔力を持つ方が、こんなにも怯えている。
虐げられてきた私と同じように、彼もまた、失うことを恐れているのだ。
「……どこへも行きません。私は、ここにいます。……旦那様が、私を必要としてくださる限り」
私は勇気を出して、彼の銀青色の髪にそっと指を通した。
氷のように冷たい髪。けれど、その下にある熱は、私だけが知っている。
ジークフリート様は、私の言葉を噛み締めるように、さらに強く私を抱きしめた。
「……離さないぞ。……絶対に、だ」
その夜、彼は本当に私を離さなかった。
寝台へ移っても、彼は私の腕の中に収まり、私の体温を貪るようにして眠りについた。
私は、規則正しい彼の寝息を聞きながら思う。
この氷の城に、永遠に溶けない雪があるように。
私の中に灯ったこの熱も、もう二度と消えることはないのだと。
たとえ彼が、まだそれを「愛」と呼びたくないのだとしても。
◇◇◇
翌朝。
幸福な微睡の中にいた私たちを切り裂くように、一つの報告が届いた。
「……閣下、リリアーナ様。……エルトマン伯爵家より、書簡が届いております」
ブリギッテが差し出したその手紙には、かつて私を地獄へ突き落とした義母の、厚顔無恥な要求が記されていた。
――その瞬間、ジークフリート様の瞳から、すべての「熱」が消え去った。
「私だけを見ていろ」という、あまりにも身勝手で、あまりにも切実なジークフリート様の独占欲。
皆様、彼の不器用な情熱を堪能していただけましたでしょうか?
「公爵様がデレすぎてて最高!」
「リリアーナの優しさが、彼をさらに狂わせる……!」
と感じてくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと幸いです。
次回、第7話「届いた汚濁――実家からの『命令』」
ついに、リリアーナを苦しめてきた過去が牙を剥きます。
しかし今の彼女には、世界で一番恐ろしくて、世界で一番甘い守護者がついているのです。
どうぞ、お見逃しなく。
霧島 結衣でした。




