第17話: 「おはよう」と言わない君の、冷たい指先
三日間。
この部屋の時間は、あの日から止まったままだ。
豪奢な天蓋付きのベッド。その中央で横たわるリリアーナは、まるでお伽話の眠り姫のように静かだった。
蜂蜜色の髪は輝きを失い、あれほど私を熱く焦がした頬は、今や北国の雪よりも白く、冷たい。
「……リリアーナ。……また、私を置いていくのか」
掠れた声が、自分のものではないように響く。
私は彼女の細い指先を握りしめた。
……冷たい。
かつて、私の凍てついた心を溶かしてくれたあの体温が、どこにも見当たらない。
私が彼女に触れるたび、私の内側に潜む「氷の呪い」が、彼女の「太陽の魔力」を吸い取っていく。
彼女が私を温めようとすればするほど、彼女の命の灯火は削り取られていたのだ。
「……私のせいだ。……私が、君を欲しがったばかりに……」
視界が歪む。
これまで、誰に対しても、神に対してさえも膝を屈したことのなかった私が。
今、ただ一人の少女の枕元で、自責の念に押し潰されようとしていた。
コン、コン、と控えめなノックの音がした。
「……閣下。……アーサー・グレイスが、城門の前まで戻ってきております」
ブリギッテの声だ。
彼女の声もまた、沈痛な響きを帯びている。
「……奴は、何と言っている」
「『今すぐ彼女を聖域へ渡せ。教団の秘術を用いれば、彼女の魔力は安定し、命は助かる。ただし――』」
ブリギッテが言葉を濁した。
その先を、私はすでに理解していた。
「……『氷の公爵との縁をすべて断ち切り、彼女の記憶から貴方の存在を消し去る必要がある』……そうだな?」
「…………。はい。閣下の魔力と共鳴したままでは、彼女の『熱』は二度と戻らないとのことです」
部屋を支配する冷気が、一層激しさを増す。
パキパキと音を立てて、壁や床に氷の華が咲き乱れる。
私の怒りか。それとも、彼女を失うことへの、魂の悲鳴か。
――忘れる?
リリアーナが、私を。
あの初夜の、指先が触れ合った瞬間の驚きを。
朝食のスープに涙した、あの愛おしい横顔を。
馬車の中で、私に「愛」という名前を教えてくれた、あの柔らかな唇を。
「……そんなことが、許されると思うか」
私はリリアーナの額に、自分の額を押し当てた。
冷たい。
けれど、微かに、本当に微かに、彼女の心臓の音が聞こえる。
それは、「生きて」と、私に訴えかけているようだった。
「……私は、傲慢だった。……君を私のものにしたいと、世界から隠してしまいたいと願った。……だが、君がいない世界で、私だけが生き永らえて何になる」
愛している。
死ぬほどに、狂おしいほどに。
だからこそ――彼女から、私を奪わなければならない。
私は立ち上がり、虚空を見つめた。
灰青色の瞳に宿ったのは、決絶の光。
「……ブリギッテ。……門を開けろ」
「……閣下!? 本当に、よろしいのですか!?」
「……リリアーナを、光の下へ返す。……彼女が生きて、笑っていられるのなら、そこに私がいなくても構わない」
それは、私の人生で最大の、そして唯一の「敗北」だった。
リリアーナを抱き上げ、一歩一歩、冷え切った廊下を歩んでいく。
腕の中の彼女は、あまりに軽かった。
(……さよならだ、リリアーナ)
私は彼女の耳元で、一度だけ、誰にも聞こえない声で囁いた。
それは、あの日彼女に告げた嘘と同じ言葉。
けれど、その意味は、世界で一番残酷な真実へと変わっていた。
「……愛している。……だから、君を離す」
城門が開く。
眩いばかりの、黄金の光が差し込んでくる。
その光の向こう側へ、私は自分の命そのものを、手放そうとしていた。
ジークフリート様が選んだのは、あまりにも悲しい「愛の証明」でした。
自分の存在を消してでも、彼女を生かす。
独占欲に狂っていた彼が辿り着いた、究極の自己犠牲に、胸が締め付けられます。
「閣下、そんなの悲しすぎる! 記憶を消すなんて嫌!」
「リリアーナ、お願い、今すぐ目覚めて閣下を引き止めて……!」
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皆様の切なる願いが、奇跡を呼ぶ鍵となります。
次回、第18話「氷の王の懺悔、神を呪う嘆き」
ついにアーサーの手へ渡されるリリアーナ。
しかし、その瞬間に――「太陽」が、最後の大爆発を起こします。
霧島 結衣でした。




