第10話: この温もりに、名前をつけるなら
夜会の喧騒は、遠い夢のように消えていった。
ガタゴトと揺れる馬車の中、窓の外を流れるのは白銀の月光に照らされた雪景色。
隣に座るジークフリート様は、深く背もたれに体を預け、目を閉じている。
先ほどまで実家を圧倒的な冷徹さで叩き潰していた「氷の魔王」の面影は、今はどこにもない。
「……旦那様。ありがとうございました。私のために、あんなに……」
私が小さく声をかけると、彼はゆっくりと目を開けた。
灰青色の瞳は、夜の闇の中で、今までになく静かな熱を帯びて私を射抜いた。
「……礼を言われる筋合いはない。君は、私の妻だと言っただろう」
彼は私の手を取り、その指先に、夜会で交わしたよりもずっと深く、長い接吻を落とした。
宝石よりも、どんな贅沢なドレスよりも、彼の唇の熱が私の肌を焦がす。
「……怖かったか。あの一族を、私が再起不能にしたことが」
「いいえ。……悲しくは、ありませんでした。ただ、驚いただけで。……私のような者に、そこまでしてくださるなんて」
「……まだ、そんなことを言うのか」
ジークフリート様は、自嘲気味に口角を上げた。
彼は私の腰を引き寄せ、逃がさないようにその腕の中に閉じ込める。
狭い馬車の中、彼の心地よい冷気と、私の魔力の熱が混ざり合い、白い吐息が幾重にも重なった。
「リリアーナ。……私は、嘘をついていた」
「え……?」
心臓が大きく跳ねる。
彼の胸元に耳を当てると、そこからは、冷静な公爵様からは想像もつかないほど激しい拍動が伝わってきた。
「君を愛することはない。……最初にそう言ったのは、自分を守るためだった」
彼の大きな手が、私の頬を包み込み、親指で愛おしそうになぞる。
「私の魔力は、触れるものすべてを壊し、凍らせる。……愛してしまえば、いつか君のその『熱』さえも、私の冷気で奪い去ってしまうのではないかと……それが、恐ろしかった」
「旦那様……」
「だが、もう限界だ」
ジークフリート様の声が、震えた。
氷の仮面が、今、完全に砕け散る。
彼は私の首筋に顔を埋め、子供が救いを求めるような、切実な響きを漏らした。
「君が他の男に微笑むだけで、私は世界を凍らせたくなった。君が実家に怯える姿を見て、私は自分の魔力さえ呪った。……君がいない朝が来ることが、死ぬことよりも恐ろしい」
彼は顔を上げ、至近距離で私の瞳を覗き込んだ。
そこにあるのは、独占欲を超えた、剥き出しの「愛」だった。
「リリアーナ。……名前をつけてくれ。君なしでは呼吸もままならない、この醜い渇望に」
私は、溢れ出した涙を拭うのも忘れ、微笑んだ。
無能だと捨てられた私が。
温めることしかできないと言われたこの手が。
世界で一番孤独な王様の、凍てついた心を溶かすことができたのだ。
「……それは、きっと『愛』という名前ですわ。ジークフリート様」
私が彼の頬を包み、自分からその唇に触れると。
ジークフリート様は、驚いたように目を見開き、そして――
壊れものを扱うような優しさで、けれど激しく、私を抱き締めた。
「……愛している、リリアーナ。……誰にも、神にさえも君を渡さない」
馬車の外では、凍てつく冬の嵐が吹き荒れている。
けれど、私たちの間には、もう二度と消えることのない、温かな春が訪れていた。
◇◇◇
翌朝。
アイスベルク公爵邸の執務室からは、ブリギッテの絶叫が響き渡った。
「閣下!! 執務中にリリアーナ様を膝に乗せるのはお止めください! 仕事が全く進んでいませんよ!」
「……うるさい。リリアーナが『寒い』と言ったんだ。私が温めなくてどうする」
「私、そんなこと一言も……っ。旦那様、恥ずかしいです!」
赤面するリリアーナをさらに強く抱き締め、ジークフリート様は傲慢に言い放った。
「私の熱は、リリアーナのものだ。……そしてリリアーナの熱は、永久に私のものだ。文句があるか?」
冷酷公爵と呼ばれた男は、
今や、領地中の誰もが当てる当てられるほどの、「激甘な愛妻家」へと変貌を遂げていた。
氷の城に、永遠の陽だまりが灯った物語。
その第一章は、最高の幸福とともに幕を閉じたのである。
第1章『氷の初夜と、溶け出した孤独』、最後までお付き合いいただきありがとうございました!
「君を愛することはない」という言葉が、最後には「誰にも渡さない」という執着に変わるカタルシス。
霧島結衣が贈る「温度差」のロマンス、楽しんでいただけましたでしょうか?
物語は第2章へ。
幸せ絶頂の二人の前に現れる、新たな恋のライバル(?)や、ジークフリート様の呪いの真実……。
さらに甘く、さらに刺激的な展開をご期待ください!
「完結おめでとう!」「第2章も楽しみ!」と思ってくださった方は、
ぜひ【総合評価】や【ブックマーク】で、私の背中を押していただけると幸いです。
皆様の応援が、霧島結衣の執筆の源です。
それでは、また次の物語でお会いしましょう。




