(10)バズりの号砲と、新たな「武器」
冬の朝の、刺すような冷気がカーテンの隙間から忍び込んでいた。
健斗が目を覚ましたのは、アラームの音ではない。
枕元で、まるで心臓の鼓動のように絶え間なく鳴り響く、スマートフォンのバイブレーションだった。
「……ん、なんだよ、もう……」
昨夜の徹夜明けの重い頭を揺らし、健斗はスマートフォンを手に取った。
液晶の強い光に目を細めると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
ロック画面を埋め尽くしていたのは、YouTubeからの通知の嵐だった。
『あなたの動画が100,000回再生を突破しました!』
『「20**年2月18日_商人ギルド」に新しいコメントが届きました』
『チャンネル登録者が新しく追加されました(現在:3,240人)』
「……は?」
一気に血の気が引いた。
慌ててアプリを開くと、昨夜「非公開」にしたはずの、あの十数秒の動画が再生数10万回を超えて回り続けている。
「掲示板から来ました。これマジでCGなんですか?」
「背景の空気感が異次元すぎる。投稿者何者?」
「映画のリーク映像だろこれ。今のうちに保存しとけ」
コメント欄には疑い、称賛、そして「続きが見たい」という熱狂が秒単位で増えていた。
健斗はパニックになり、指が震えてスマートフォンの操作もおぼつかない。
「まずい、消さないと……」
慌てて通知設定をすべてオフにし、動画の設定画面を開く。
公開設定を「非公開」に戻そうと、画面上のボタンに指をかけた——
が、その指が、あと数ミリのところで止まった。
かつて社畜として身を粉にし、月数十万を稼ぐのにもがき苦しんでいた自分。
その三年間の貯金を遙かに上回る「価値」が、このわずか十数秒の映像に集まっている。
健斗はベッドの上で、荒くなる呼吸を整えながら、スマートフォンを強く握りしめた。
非公開にするための指を引き戻す。
「……やってやる。これで人生、やり直してやるんだ」
この世界の塩も砂糖も、あちらの世界では価値がない。
けれど、「異世界の光景そのもの」には、この地球の誰もが喉から手が出るほど欲しがる価値がある。
健斗は即座に収益化の条件を調べた。
人生をやり直すための、本当の「商材」を見つけた瞬間だった。
***
健斗は部屋を飛び出し、新宿の巨大な家電量販店へと向かった。
眩いLED照明と電子音の喧騒の中、彼は真っ先にカメラ売り場へと滑り込んだ。
異世界の人々にとって、スマホは「光る不思議な板」だった。
しかし、この世界にある「超小型のアクションカメラ」はどうだろうか。
指先ほどのサイズで、服の一部に溶け込むようなデザイン。
カメラという概念そのものがないあの世界なら、レンズを向けられていても誰も「撮影されている」とは気づかないはずだ。
健斗は、最も目立たず、かつ高画質で記録できる最新のアクションカメラを選んだ。
さらに、異世界では不可能な「電力供給」を補うため、鞄が重くなるのを承知で大容量の予備バッテリーと、数日間の撮影に耐えうる高耐久のmicroSDカードを複数買い揃えた。
これがあれば、商人ギルドの奥深くも、あの尖った耳を持つ美しい女性——フィオラの微笑みも、すべてを「コンテンツ」として切り取れる。
***
アパートに戻った健斗は、手際よくカメラのセットアップを完了させた。
麻のシャツの襟元に、目立たないよう小型カメラを固定する。
予備のバッテリーをリュックの奥に詰め込み、装備を確認し、最後にスマートフォンを手に取る。
メッセージアプリを開くと、昨日送った不穏な言葉を心配した親から、「どうしたの、大丈夫か」という短い、けれど必死なメッセージが届いていた。
健斗は自責の念に小さく息を吐き、自分に言い聞かせるように「大丈夫、心配しないで」と返信を打ち、送信ボタンを押した。
スマートフォンをポケットにねじ込み、今度こそ迷いを断ち切る。
クローゼットの前に立ち、毛布を剥ぎ取った。
そこには変わらず、あの銀色に輝く光の渦が揺らめいている。
「……よし。ロケ、開始だ」
健斗は深く、覚悟を決めた息を吐き出すと、迷いなくその渦の中へと飛び込んだ。
カビ臭い六畳一間の空気が、一瞬にして乾いた石と、嗅ぎ慣れないスパイスの混じった「異世界」の匂いへと塗り替えられていく。
世界で唯一の「異世界配信者」としての、本当の第一歩が始まった。




