表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/20

人と狼の絆

冒険者ギルドの執務室。重苦しい沈黙の中に、ちょうど別の街から戻ったばかりのガッレナが立っていた。クラリスから事の顛末を聞いた彼女は、その強面を苦渋に歪め、拳を強く握りしめている。

「……話は聞いた。坊や、まずは謝らせてくれ。あの食パンを、一部の受付スタッフが独断で持ち出し、現場の判断を誤らせた。これはギルド側の完全な落ち度だ。本当に申し訳ない」

 ガッレナが深く頭を下げ、商業者ギルドのバルトロメウスもまた、沈痛な面持ちで口を開いた。

「ケンタ殿、本当に申し訳ない。事態を重く受け止め、関係者には厳重な処分を下す。だから、どうか……今回のことで契約を白紙にするのは考え直してはいただけないだろうか」

 二人の誠実さは、新スキル**『万物真実の食覚ウィズダム・ビジョン』**で見なくとも伝わってきた。だが、一度崩れた信頼の土台は、言葉だけで修復できるほど軽くはない。

「……いえ。謝罪は受け取りますが、結論は変わりません。俺がパンを託したのは、お二人を信頼していたからです。ですが、組織として管理できないということが証明された以上、これ以上ここでパンを焼くことはできません」

 俺の冷徹な言葉に、ガッレナが足元の頑丈な黒鉄の箱を引き寄せた。

「……ならば、せめてこれを受け取ってくれ。わたしが冒険者生活の30年をかけて手に入れた、世界で最も貴重な素材……『銀河小麦』だ。契約を台無しにした、せめてもの詫びだと思ってな」

 箱が開かれ、銀色の粒子を纏った眩い輝きが漏れ出す。スキルを通じて見えるその情報の異常さは、まさに神話級。あらゆる呪いを浄化し、能力を永続させるという、この世界の理を書き換えかねない至宝だった。だが、俺はその箱に触れることすらしなかった。

「……それは受け取れません」

「なっ……! 坊や、これの価値がわからねえのか? これさえあれば、お前は神に等しいパンを……!」

「価値はわかります。ですが、これを受け取れば、俺とギルドの関係は『貸し借り』として続いてしまう。俺は、本当の意味でこの関係を終わらせたいんです。誠意を形にしたいのなら、その貴重な素材は、自分たちの手で守り抜いた冒険者のために使ってください」

 ガッレナは目を見開いたまま固まり、差し出した手を空中で震わせた。俺の決意が「謝礼」や「素材」で揺らぐものではないと、その場にいた全員が悟った瞬間だった。

「……行こうか、スノウ」

「わかった、もう荷物はまとめてあるよ」

 俺とスノウは、言葉を失ったままのマスターたちに背を向け、一歩も振り返ることなくギルドを後にした。

 兵糧管理区の工房に戻り、必要最低限の道具だけをカバンに詰め込む。王都の門へ向かう道中、スノウがポツリと聞いた。

「本当にいいの? ケンタ。あんなにすごい小麦粉、もらわなくて」

「いいんだ。それに俺が元いた世界では、一度できた『貸し借り』の関係っていうのは、いつまで経っても切り離せない呪いみたいになるんだ。それがもう嫌なんだよ」

 スノウは立ち止まり、俺の顔をじっと見つめた。

「ねえ、ケンタ。ケンタは元いた世界で何があったの? しんどいところで生活していたのは聞いたよ。けど、なんでそんなに、人との関係をすぐに諦められるの?」

 俺は少し迷い、遠く沈んでいく夕日を眺めながら口を開いた。

「俺が働いていたところでは、全員が自分のことしか考えていなかった。それが当たり前だと思っていたんだ。そんな中、一人だけ信じられる仲間ができた。どんなにしんどくても、そいつといれば気が紛れたんだ。……けど、ある日そいつは、自分のミスを全部俺になすりつけてきた。……小さいことかもしれない。けど、あんなに信頼していたのに、裏切られた瞬間、全部がバカらしくなってな。だからあれ以来、人は信頼しないって決めたんだ」

 俺は自嘲気味に笑った。

「この世界に来て、何かが変わると思って自分から関わったのに、結局このザマだよ。笑えるだろ」

 その時、温かな感触が俺の身体を包んだ。スノウが、俺を強く抱きしめていた。

「大丈夫だよ。ケンタにはわたしがいる。スノウを救ってくれたケンタは、すっごく優しい人。だから、もし世界中が敵になっても、スノウはずっとケンタの味方だよ」

 スノウの小さな体から伝わる熱が、凍りついていた俺の心をゆっくりと溶かしていく。

 ……そうか。俺には、この子がいた。

「……ありがとう、スノウ。そうだな、俺にはお前がいる」

 俺はスノウの頭を撫で、王都の巨大な門を見上げた。

 信頼に裏切られ、居場所を失ったレベル1のパン職人。だが、隣には自分を全肯定してくれる最強の相棒がいる。

「よし。次は、もっと自由な場所でパンを焼こう。スノウが誇れるような、最高のパンをさ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ