再生と行進
クラリスはパンを一口食べた後の高揚感を無理やり抑え込むように、眼鏡を指先で直した。その瞳には、先ほどまでの冷徹な事務官ではなく、確かな意志が宿っている。
「ケンタ様。私は今この瞬間から、ギルドの通常業務を離れ、あなたのサポートに専念させていただきます。ガッレナ様には私から直接念話を飛ばし、許可を取りました」
「えっ、もういいんですか?」
「ええ。現状を打破する『鍵』が目の前にあるのです。手続きなど後回しで構いません」
彼女の決断は早かった。俺たちは彼女の案内に従い、兵糧管理区の奥深くへと足を踏み入れた。
だが、そこに広がっていた光景は、ガッレナが言っていた以上に酷いものだった。巨大な石窯は煤だらけでひび割れ、調理台は錆びつき、床には得体の知れない汚れがこびりついている。
「……これが、王都を守る者たちの糧を作る場所か。これじゃあ、職人が逃げ出すのも良くわかる。」
俺が思わず拳を握りしめると、クラリスが静かに前に出た。
「ケンタ様、少し下がっていてください。……今はこれが必要なようです。『万象回帰の秒針』」
彼女が荒れ果てた巨大な窯にそっと手を触れる。その瞬間、彼女の身体から淡い青白い光が溢れ出した。
キィィィィ……と時を削るような音が響き、視界が歪む。窯のひび割れが吸い込まれるように消え、錆びついていた鉄扉が磨き上げられたような輝きを取り戻していく。数分のうちに、そこにあった全ての機材が、まるでたった今納品されたばかりの新品同様の姿に変わっていた。
「わあ……! ケンタ、見て! ぴかぴかだよ!」
スノウが歓声を上げるが、当のクラリスはひどく青ざめた顔で肩で息をしていた。
「……はぁ、はぁ。……これで、機材だけは整いました」
「クラリスさん、今の力……時間を巻き戻したのか? 凄すぎる。そんな力があるなら、なんで今まで使わなかったんですか?」
俺の問いに、クラリスは自嘲気味に首を振った。
「……この力は、万能ではありません。私が以前に直接触れたことのある無機物にしか作用せず、巻き戻すのにも対象が経た時間の数倍の負荷がかかる。そして何より、実用性に欠けるのです。壊れた剣を一本直すのに数時間を要し、精神を磨り減らす……戦場ではあまりに無力。だから、私はこの力を忌み嫌い、封じてきました。ですが……」
彼女は新しくなった窯を見つめ、少しだけ口角を上げた。
「あなたの『聖域』を創るためなら、使い道もあるというものです」
「……感謝します、クラリスさん。あとは、俺の仕事だ」
俺が最高の材料を並べようとしたその時、背後から慌ただしい足音が響いた。
「お、お待ちください! 私も、私もお手伝いいたします!」
息を切らせて駆け込んできたのは、商業者ギルドの受付嬢、エマだった。彼女はバルトロメウスからの預かりものだという大きな木箱を抱えていた。
「マスターから、ケンタ様の身の回りのお世話と、市場との連携役として派遣されました! エマ、精一杯頑張ります!」
実務に長けたクラリスとエマ。そして護衛スノウ。
最高の布陣が揃った。
「クラリスさんは少し休んでいてください。俺は今から冒険者たちのパンを作りますすから!」
俺は新品の輝きを取り戻した調理台に手を置いた。
『魂の成型』。
指先に意識を集中させ、冷え切った工房に俺の情熱を叩き込む。
「この死にかけた管理区を、王都で一番熱い場所に変えてやる」




