第3話 **「境界線に立つ者」**
味がしない。
湊は、廃教会の片隅で泥のような眠りから覚めた。昨夜、エデンの兵士を蹂躙した高揚感はどこにもない。あるのは、内臓を素手で掻き回されたような不快な残熱と、世界から「色彩」が一段階抜け落ちたような違和感だけだ。
「……起きたの?」
透き通った声に顔を上げると、昨夜助けた少女がそこにいた。
彼女は湊に、不格好に固められた泥だらけの「果実」を差し出した。エデンの清潔な管理下では決して見ることのない、野生の木の実だ。
「これ、毒はないから。食べて」
「いらない。味がしないんだ、今の俺には」
「それでも食べて。生きてるなら、何かを身体に入れないと」
少女――リナと名乗った彼女の瞳には、エデンの住人に共通する『幸福な虚無』がなかった。彼女は湊の隣に座ると、自分の襟元を少しだけ緩めて見せた。
そこには、皮下埋め込み型のマイクロチップではなく、古めかしい「刻印」のような痣があった。
「私は『記録者』。エデンがこの世界を構築するために切り捨てた、過去の『汚れ』を記憶するための器。彼らにとって私は、生かしておかなければならないけれど、決して表に出してはいけないバグなの」
リナが語る「データ」とは、デジタルな数値ではなかった。エデンが「浄化」の名の下に抹殺した何千、何万という人々の、最期の悲鳴と想いの集積体。
エデンはこの『負の記録』をリナ一人に押し付け、彼女を「生贄」にすることで、世界の清浄を保っている。
「私が死ねば、この世界に溜まった汚れが逆流する。だから彼らは私を回収しに来るわ」
その時。
教会のステンドグラスが、内側から爆ぜるように砕け散った。
降り注ぐ破片とともに、眩いばかりの「白」が地下室を照らす。
「――見つけたぞ。深淵の寄生虫、そして迷い子のバグ」
そこに立っていたのは、湊を襲った下級兵とは次元の違う存在だった。
白銀の流線的な装甲。背中には機械的な六枚の翼。そして、湊と同じ「仮面」を持つ戦士。
仮面ライダー・セラフィム。
エデンが誇る最高執行官であり、法を執行する神の代理人だ。
「貴様のような濁った存在が、その少女に触れることは許されない。消去こそが、貴様に与えられた唯一の救済だ」
セラフィムが手にした白銀の細剣が、一瞬で光の束へと変わる。
湊は反射的にベルトを掴んだ。
『ヒャハハハ! 来たぜ小僧、極上の獲物だ! あの輝くメッキを剥ぎ取って、中身を食らってやろうじゃねえか!』
ベルトの口が開き、湊の神経に黒い雷が走る。
だが、湊の指は震えていた。変身すれば、また何かが失われる。人間としての最後の境界線が、さらに薄くなる。
「……黙れ、ベリアル。俺は、こいつを……」
リナが、湊の背中に小さな手を添えた。
冷たい手だった。けれど、その奥に押し込められた何千人もの「生きたい」という記憶が、湊の心臓を叩いた。
「湊、お願い……。私を、ただの『記録』に戻さないで」
湊の眼光が、憎悪を超えた決意で燃え上がる。
彼は懐から、さらに禍々しく光る二枚目のコア――『エンヴィ・コア(羨望の核)』を取り出した。
「神だか何だか知らないが……勝手にエンディングを決めるな。俺が……この物語をブチ壊す!」
「ガチリッ……バキィッ!!」
ベルトが宝石を噛み砕く、絶望の音が再び鳴り響く。
白銀の光と、深淵の闇。二つの「ライダー」が激突し、廃教会が崩壊を始めた。
物語はさらに深く、残酷な真実へと向かいます。




