ソロゲーマー・ヒビキ ~ゲーム大会で新型ハードと女の子をゲットした件~
カメラに向かってピースを決めた姫乃まぐろは、にこりと笑って配信を始めた。
その完璧な笑顔の奥には、陽気な「お姫さま系ゲーマー」の顔とは異なる、ギラついた野心が宿っている。
「はーい、みんなおまたせっ☆」
画面に映るのは、派手な金髪ツインテールの女の子。
高めの位置で結ばれたツインテールには、左右非対称のリボンと星形の飾り。
フリルのついたピンクのパーカーに、チェック柄のスカート。
背景も照明も“盛れる角度”を徹底的に計算された、まさに“画面映え”だけを極めたビジュアルだった。
片手でハートを作りながら、カメラにウインクを送る。
「本日もお姫さま系ゲーマー・姫乃まぐろちゃんの配信、始まりました~!」
その声はやや高めで、通りがよく、テンションは最初からMAX。
キラキラとしたテロップが画面下に流れ、ファンシーな効果音が鳴る。
画面には色鮮やかなキャラクターが並ぶセレクト画面。
『CRASH ARENA VERSUS』――略称《C.A.V.》。
いま一番熱い乱闘系バトルアクションだ。
「今日もランクマやってきまーす。《V.I.R.U.S.》入団目指して、今日も勝ちまくるぞー!」
コメント欄が一斉に流れる。
《まーた言ってる》
《無理だろw》
《いつものフラグ》
《でも、今日のまぐろちゃん、なんか違う?》
「おいコラ、そこっ! まぐろちゃんはやる時はやるんですーっ!
今日こそは、本当の実力を見せてやるんだからね!」
選んだのは、スピード型の猫耳少女キャラ「ネム」。
軽量級だが、コンボ火力が高い。
まぐろの指先は、コントローラーの上で小刻みに震えていた。
画面に映るその表情には、配信者としての笑顔の裏に、勝利への並々ならぬ執念が秘められているのが見て取れる。
「さーて、ランク戦、いきましょっか……って、あれ、マッチングもう終わった?
お、今日の初戦は16人乱闘か! えーっと、お相手は……
まさか、こんなところで……HiBKey……!?」
ほんの一瞬、まぐろの顔から血の気が引いた。
配信画面のコメント欄が、瞬時に興奮の渦に包まれる。
《うおおおおおまじか!?》
《ひびキー降臨!?》
「――って、ちょ、ちょっと待って!? え、都市伝説じゃないの!?
マジで!? ひびキーが、この乱闘にいるってこと!?
嘘でしょ、ヤバい、緊張してきた!」
彼女の胸中には、まさかの相手との遭遇への驚きと、これまでの配信とは違う確かな手応えがあった。
「いや、これって……チャンス、なの!?」
まぐろは、何とか自分を落ち着かせようと、コメント欄に目を走らせた。
視聴者たちもざわめき、《偽物だろ》《名前だけ借りたフォロワーか?》といったコメントが流れる。
まぐろ自身も、まさか本物とマッチングするはずがないと、そう思い込もうとしたが――
配信画面越しに、まぐろの動揺と、それに勝る高揚がはっきりと伝わる。
誰もが恐れるHiBKeyとの遭遇は、彼女にとって最高の機会であり、同時に過酷な試練だった。
試合が始まると同時に、まぐろの顔から配信用の笑顔が完全に消えた。
画面のネムが、軽やかな足取りでステージを駆け抜ける。
乱闘が開始されると、ステージ上のプレイヤーは次々と画面外へ消えていく。
その驚異的なスピードで人数が減っていく中、まぐろは必死に食らいつく。
誰もがHiBKeyのターゲットとなることを避けようと距離を取るが、そのヴォルテの動きは他の追随を許さなかった。
そして、あっという間に乱闘は収束し、最後に残ったのはたった二人。
ネムが跳ねる。
ダッシュ、ジャンプ、空中コンボ――すべてが、まるで先を読まれているかのように見切られる。
逆に、相手のキャラ「ヴォルテ」。重装型のはずなのに、反応が軽やかすぎる。
重い一撃が、空気を震わせる。
わずかな隙を逃さず、的確に差し込んできた。
「うっそ、まじかよ……うそでしょ!?」
まぐろは、脳内が追いつく前に、もう2ストック差をつけられていた。
そんな中――冷静なボイスが、画面内から響く。
『空中起き上がりを読んでの背面スマッシュ! この判断、圧倒的だッ!』
「くっそー、実況まで煽ってくるなんて! そういう仕様なのは分かっててもムカつくんだよね!」
まぐろはボタンを連打しつつ、必死に食らいつこうとする。が、反応が――間に合わない。
『フィニッシュ! 爆裂ヒット! 勝者、HiBKey! ……これが、格の違い!』
まぐろのキャラが場外に吹き飛ばされた瞬間、コメント欄が爆発した。
《またボコられてるw》
《ひびキー最強説》
《ごちそうさまでした☆》
「いやいやいや! 今のはラグが……いや、キャラ差が……あーーもぉおおおお!!」
カチリ、と無線コントローラーのボタン音が響いた。
画面に「WIN」の文字が出た瞬間、天野響は深く息を吐く。
彼の目には、悔しそうに勝者を称える「ネム」が映っていた。
やたらと飛び跳ねてはいたが、操作は素直だった。
あの動きが手癖でなければ、伸びる余地はある。
もっとも、そこまで関わる気もないのだが。
本日何十戦かした内の――彼にとってはただの1戦にすぎない。
彼はそのまま、ゲーム機の電源を落とす。
充電ケーブルを挿し直し、ふう、と息を吐く。
冷蔵庫から麦茶を取り出し、一口飲む。
「……さて」
少し考えた後、テーブルの端に置かれていた小さなチラシに視線を落とす。
『参加賞あり! ローカルバトルフェスタ! 優勝者には新型ゲームハードプレゼント!』
――新型ゲームハード。
人気すぎて抽選も当たらず、ゲーマーとしては喉から手が出るほど欲しい逸品だ。
ここで手に入れるしかないだろう。
響は密かに気合を入れた。
会場は、ショッピングモールのイベントスペースだった。
パーテーションと横断幕で簡易的に囲われたステージに、ゲーム用の大画面モニターが設置されている。
子ども連れや大学生グループ、eスポーツチーム風のジャージを着た集団など――人種のカオス。
響は、首元にぶら下がった参加証を確認しながら、そっと椅子に腰を下ろす。
貸し出されたコントローラーを握り、手に馴染まない感触を確かめつつ、ボタンの反応や画面のラグを素早くチェックする。
開始のアナウンスが鳴る。
会場に、多人数対戦特有のざわめきが満ちる。
1回戦。16人による乱闘形式の対戦だ。
試合が始まる。
響は静かに、ほとんど操作を最小限に留めながら、ステージ中央から距離を取った。
他のプレイヤーたちが入り乱れて攻防を繰り広げる中、彼は冷静に相手の隙を見極める。
焦って我先に攻撃を仕掛けてくる者、あるいは響に意識を向けた者を、最小限の動きで的確にカウンターし、確実に場外へと葬っていく。
2回戦。8人対戦。
3回戦。4人対戦。
すべて同じパターンで、響は勝利を重ねていった。
彼は、決して派手に暴れることはない。
常に静かに、丁寧に、そして確実に相手を仕留めていく。
その動きは、まるで目的の新型ゲームハードを、効率よく手に入れるための手順を淡々とこなしているかのようだった。
ファイナルラウンド――特に盛り上がりもなく、あっけなく終わった。
静かなカウンター。
読み合いも駆け引きもなく、相手が暴れたところにただ一撃だけを置く。
「……優勝は、エントリーナンバー37番、HiBKey……くん!」
司会の声が響くと同時に、会場が微妙な空気に包まれる。拍手はあるが、どこかまばらだった。
「え、今のヒビキって……あのHiBKey?」
「まさか。フォロワーだろ」
「でも結構上手かったよな」
観客たちが小声でざわつく中、響は静かに席を立つ。
賞品受け取りの控室へ向かおうとした、そのとき――
「あなたのプレイ、すべて見せてもらったわ。お見事だったわね」
不意に前に立ったのは、黒スーツに身を包んだ女だった。
場違いなほど整った顔立ち。
サングラスをかけていても分かるほどに、目線はまっすぐ彼を射抜いている。
彼女がすっと差し出したのは、黒い一枚の名刺だった。
指に触れた瞬間、わずかにひやりとした感触。
紙ではない。金属とも違う、まるで静電気を帯びた液体が固まったような不気味な質感だった。
表面は光を吸い込むような漆黒。
その中央に、銀箔で――
紅城イヴ(Kojou Eve)
《V.I.R.U.S.》外部接触管理局
書かれていたのは、それだけ。
電話番号もメールアドレスも書かれていない。裏面すら真っ黒だった。
名刺なのに、連絡手段がない。
ハッキリ言って、怪しさしかなかった。
「私たちは、あなたのような人材を探していたの」
「……eスポーツとか、興味ないんで」
響がそっけなく返すと、黒服の女はふふ、と笑った。
そこに、第三者の声が上がる。
「じゃあ、代わりに入れてもらおうかしら――そんな下手くそより、有名配信者の私の方がふさわしいでしょ?」
声とともに、ひときわ派手な私服姿の少女が割り込んできた。
顔を合わせた瞬間、響は一言だけ漏らす。
「……誰?」
「は? 誰って、この超・有名配信者、お姫さま系ゲーマー・姫乃まぐろを知らないの!?」
そう、小バカにする少女に響は首を振る。
「悪いけど、配信とか見てない」
事実を告げるが、まぐろは顔を真っ赤にして怒りをあらわにする。
「あんたこそ誰よ! “ひびキー”騙るなんて、よく恥ずかしくもなく!」
派手な金髪ツインテールにピンクのチェックワンピ。
まぐろは指を突きつけて詰め寄るが、響は面倒くさそうに一歩後ろへ引いた。
「……いや、騙ってないけど」
「黙りなさいっ! 超有名ゲーマーの名前を勝手に使うなんて、炎上狙いでしょ?
《V.I.R.U.S.》に入る気なんて、これっぽっちもないくせに!」
響は返事すらせず、黒服の女――イヴに視線を戻す。
「もう帰っていい? 賞品だけ受け取れればいいし」
響がそっけなく返すと、黒服の少女はふふ、と笑った。
「そうね。じゃあ――まぐろちゃん、貴女が彼に勝てば《V.I.R.U.S.》への入団資格を与えるというのはどうかしら?」
イヴが響を右手で示す。
まぐろは「は?」と目を丸くした。
「逆に、貴方が勝てば、彼女を“好きにしていいわ”。
そのくらいの動機は必要でしょう?」
響に向かって放たれたその言葉に、まぐろが激しく噛みつく。
「は、はあ!? 何言ってんのイヴ!? こいつが勝つとか、ありえないでしょ!!」
……しかし、響はふと顔を上げた。
その目が、ようやく「勝負」を見つめていた。
「……それなら、やってもいいよ」
会場の近くのオフィスビル。
イヴに連れられて通されたのは、まるでテレビスタジオのような、整いすぎた空間だった。
照明は無反射処理、空調は静音、イスはゲーミングチェア、コントローラーは複数種から選べる。
さらに2台の大型モニターが正面に背面を合わせて設置されている。
「……普通に豪華なんだけど」
まぐろがぼそりと呟き、手元のコントローラーを握り直す。
「まあ、勝って当然なんだけどね。あたしが《V.I.R.U.S.》に相応しいって、証明するだけだし!」
口では強く出るものの、その動きには微かな硬さがあった。
響は対面の席に静かに腰を下ろし、貸与された機材を確認している。
モニターには『C.A.V.』のロゴと共に、対戦準備画面が表示されていた。
キャラ選択――「ネム」と「ヴォルテ」。
イヴがモニターの間に立ち、淡々と告げる。
「条件は、一戦一本勝負。ギミックなし、アイテムなし、フラットステージです。
勝った方が望みを叶える資格を得ます。
――よろしいですね?」
響は頷く。まぐろは、小さく鼻を鳴らした。
「では――始めましょう」
画面が暗転し、背景にステージ名「ゼロプレーン」のロゴが浮かび上がる。
開始のカウントと同時に、ネムが軽やかにステージを舞った。
まぐろの指がコントローラーの上で高速で連打される。
目にも止まらぬ素早いダッシュから、怒涛のラッシュ。
浮かせ、叩きつけ、追撃の空中コンボ。
AIの実況が熱を帯びる。
『軽量型のスピードを最大限に生かす猛攻! 姫乃まぐろ、一気にペースを握る!』
「っしゃあ! あたしの本気、見せてやるわ!」
まぐろは勢いそのままに、ヴォルテのガードを崩し、怒涛の攻めで瞬く間に1ストック奪い取る。
観戦AIがさらに盛り立てる。
『この動き、まさに狩人! 獲物を追い詰める猫耳の牙――!』
だが、その直後だった。
響の操るヴォルテの動きが、それまでの「受け」から一変した。
まるでまぐろの繰り出す全てのパターンを、既に知っていたかのように。
それまで響が試すように受け流していた反応は、ピクリともブレなくなった。
一撃、一歩、ワンフレーム単位で相手の動きを完璧に読み切り、寸分の狂いもなく急所を刺してくる。
「え……? ちょ、動きが……全然違う……なんで……?」
まぐろの頭に混乱が広がる。焦れば焦るほど、指が空回りしはじめた。
避けたはずの攻撃がことごとく正確に刺さり、焦って繰り出した反撃は、逆に響の読みの起点となる。
特に、まぐろが多用する空中からの逃げや、着地時の癖は完全に読まれており、そこに常にヴォルテの重い攻撃が置かれていた。
回避行動はすべて先回りされ、一挙手一投足が、正確無比なヴォルテのカウンターによって潰されていく。
息つく間もなく、まぐろは次々とストックを失っていく。
そして――最後の1発。
逃げ場を失い、ステージ中央で硬直したネムに対し、ヴォルテが静かに、最後のトドメを刺す。
低姿勢から繰り出された、重く、速い下スマッシュ。
爆発的な衝撃が、ネムを捕らえた。
吹き飛ばされたネムが、画面外へ消えた瞬間。
『フィニィィィッシュッ!! 勝者、H・i・B・Keeeeeeeeeeeey!!』
音が消えていた。
勝者コールも、エフェクトも、今やただの背景にすぎなかった。
椅子に座ったまま、姫乃まぐろは呆然とモニターを見つめていた。
体は動く。だけど、指が震えていた。
「……なんで、こんな……勝てないの……」
そんな呟きを、響は耳にしていた。
イヴが一歩、前に出る。
「お見事。これで疑いようはないわ。あなたを、私たちの組織――《V.I.R.U.S.》に正式に招待します」
響はゆっくりと顔を上げた。
「……遠慮しとく。別に、入りたくてやったわけじゃないし」
イヴの目が一瞬だけ細くなったが、口元の笑みは崩れない。
「そう。では、またの機会に」
それだけ言って、彼女は引き下がった。
代わりに、別の背中がふらふらと立ち上がる。まぐろだった。
「ふん……ばっかみたい……。《V.I.R.U.S.》の誘いを断るなんて……」
誰に言うでもなく、空っぽな声で吐き捨て、背を向ける。
その瞬間だった。
肩を、ぐいと掴まれる。
振り返るよりも先に、背後から冷めた声が降ってきた。
「――約束通り。好きにさせてもらう」
「……え?」
まぐろの顔から血の気が引く。
イヴはそんな二人のやり取りを一瞥すると、楽しそうに口元に手を当てた。
「ご心配なく。隣室には、あなた方が休憩できる“ご褒美部屋”を用意してあるわ。
二人きりで、ごゆっくりどうぞ」
その言葉に、まぐろはハッと目を見開いた。
彼女の顔はみるみるうちに真っ赤になり、全身がわなわなと震えだす。
まるで、今になって勝利条件の「好きにしていい」という言葉の真意に気づき、あまりの状況に思考が停止したかのようだった。
――いや、事実そうだった。
「え、マジで!? え、ちょ、なに、今!? マジで言ってる――」
そのまま響は彼女を引き寄せ、扉の向こうへと歩き出す。
まぐろの声は――虚しく途切れた。