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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

アンタが溺愛してくるんかい

作者: きのみや


 知らない部屋の冷たい床に寝かされている自分の状況に気がついたとき、これが異世界転生というやつか、と七花(なのか)は思った。


 いや、自分はべつに死んだわけではないはずだ。


 気づいたらここにいた。つまり正確には転生ではない。なんといったか。そうだ。たしか異世界転移だ。


「──初めまして、サクラナノカさん。わたくしはルナ。あなたをこの世界に召喚した者です」


 高く澄んだ美しい声がして、その方を見た七花は大きく目を見開いた。


 おお、と思わず感嘆の声がこぼれる。そこにいたのは絶世の美少女だった。


 腰まで伸ばした真っ直ぐな銀髪に、宝石のような赤い瞳。触れたら折れてしまいそうなほど華奢な身体に、白を基調とした丈長のドレスがよく映えている。


「ナノカさま。あなたをこの世界にお喚びしたのは、我が国の救世主となっていただくためです。──どうかあなたさまのお力で、我々をお救いください」


 おお、テンプレ展開。


 七花はまるで他人事のように感動した。


 話によるとこの漫画やアニメでも出てきそうな美少女はこの国の聖女と呼ばれる存在で、マナ不足で衰退した祖国を救うため、予言で示された“異世界の救世主”である七花を召喚したらしい。


「ルナさま。この者が本当に我が国の救世主かはまだ判断できません。危険ですのであまり近づかれないようお願いします」

「アルト。わたくしの予言に間違いがあるとでも?」

「! そういうわけではありませんが……」


 聖女の隣に立っていた一人の男が、警戒心を隠しもしない鋭い視線を七花に向けた。


 輝くような金髪に、切れ長の碧眼。すらりとした長身の体を包むのは騎士服だろうか。


 これまた絵に描いたような美青年だ。腰に差した剣らしきものをいまにも抜きそうな、敵対心むき出しの姿勢を見せるのはやめてほしいが。

 

「申し訳ありませんナノカさま。彼がとんだ失礼な態度を。──アルト、自己紹介を」

「……」

「……まったく……」


 むっとした顔で黙り込んでしまった青年の代わりに、やれやれと肩をすくめた聖女が彼についての説明をしてくれた。


 アルトという名のその青年はやはりこの国の騎士で、救世主として喚ばれたナノカの補佐をすることになっているという。


 ──乙女ゲーなら、私はこの人といい感じになるんだろうな……


 突然知らない世界にいたという非現実的な状況にもかかわらず、七花はのんきにそう思った。


 そして実際、その予感は的中した。



 **


 佐倉(さくら)七花(なのか)、十七歳。元の世界では普通の女子高生だった。


 そんな人間がいまや一国の救世主とは。人生とはわからないものである。


 この世界に召喚されてから三十日ほどが経つが、その間七花はとにかく多くのことを経験した。


 世界の常識や、国の情勢。七花が喚ばれた原因であるマナのこと。魔法や剣術。


 まあいろいろと割愛するが、要するに七花は物語の主人公らしきポジションにいるらしかった。


 ゲームか、漫画か、アニメか、小説かはわからないが、異世界系の王道ストーリーをなぞっていることにちがいはない。


 いや、実は主人公ではないかもしれないが。思うだけならタダだろう。


「ナノカ。これは次の任務の資料だ。明日までには目を通しておいてくれ」

「わかった、ありがとう」

「それと……このあとよければ中庭でお茶でもしないか? いい茶菓子をもらったんだが……」


 ほんのりと頬を染め、視線をわずに逸らしながら七花を誘う金髪の美青年。


 七花の補佐兼教育係となった騎士のアルトは、初めて会ったときと比べてずいぶん七花に心を開いてくれるようになった。


 七花が危険な人物でないこと、この国のために尽力するつもりであることを知ったからだろう。


 日に日にやわらかくなっていく彼の態度を見て、これは恋愛関係に発展するのも時間の問題か、と七花は密かに思っていた。


 最初はツンツンしていたイケメンが、さまざまな過程を経てヒロインに惹かれていく。


 まさしく王道。典型的なツンデレヒーロームーブだ。


 最終的にはヒロインを目に入れても痛くないほど可愛がる、溺愛ルートに進むのだろう。もちろんこのまま上手くいけば、だが。


(好感度ゲージみたいなのがあったら、もっとわかりやすいんだけど)


 ぼんやりと、さして生産性のないことを七花は思う。


 前提として、主人公のような立場にいるいまの自分の状況を、七花はたいして喜んでいなかった。


 いや、正確には実感がないと言うべきか。要は夢をみている気分なのだ。


 大変なことも多いが、救世主として皆から必要とされるのは悪くない。不器用ながらも優しいイケメンの騎士に好かれるのもふつうに嬉しい。

 

 それでも、なんというのだろう。現実味がない。


 たとえるなら本当にゲームをプレイしているような感じなのだ。


 クリアのために全力は尽くすし、その過程を楽しくは思う。主人公に自己投影して感情を揺さぶられることもある。


 だが、結局はゲームの世界だ。現実ではない。


 この夢が醒めたら自分はただの高校生で、救世主としての使命も、見目麗しい騎士との関係もすべて花のように散っている。

 その花びらを見て「きれいだなぁ」と思って終了。そんな認識だった。


 ──とはいえ、七花もこれがただのゲームではないことはわかっている。


 この世界で死んだらどうなるのか。


 目が覚めたら元の世界に戻っているという線もなくはないが、ふつうに死んでおしまいという可能性が高いだろう。ゲームというのはあくまで七花の感覚で、おそらくこれは現実の出来事なのだから。


 七花はできれば死にたくなかった。いくら現実味を感じないとはいっても、ゲームオーバーは勘弁である。学べることはすべて学ぼうと、アルトの教育を必死で受けるのもそのためだった。


 ──だから七花は、警戒していた。


「ナノカさま。今日はアルトと二人でお茶をしたと聞きました。もしよければわたくしともご一緒してくださいませんか?」


 きた、と七花は思った。


 ある日の夜のことだ。夕食を終えたあと、宮廷内にある自身の部屋に戻るため廊下を歩いていた七花に、背後から声をかける者がいた。


 振り返ると、銀髪の美少女が七花を見てにこにこと笑っていた。


 七花をこの世界に召喚した張本人、聖女のルナである。


「……これからですか?」

「食後はデザートが欲しくなるものでしょう? 美味しいケーキを用意しましたの。ぜひわたくしの部屋でご一緒に、いかがです?」

「……」

「大丈夫ですよ。夜の間食もふたりいっしょなら怖くありません」


 ふふ、と笑みをこぼすルナはいたずらっ子のようで、昔からの友人のような気安さもあり大変にかわいらしい。


 だが、彼女は危険だという確信が七花にはあった。


 理由は単純。ルナから殺気を感じることが多々あるからだ。


 美しい赤の瞳に冷ややかな光を宿し、七花を睨みつけてくることがある。


 そしてそのタイミングはいつも同じ。七花とアルトがいい雰囲気になったときだ。


 七花は悟った。これが王道の物語なら、主人公の周りにいる人物はその全員が味方というわけではない。


 ルナとアルトは聖女と騎士という上司と部下のような関係性でありながら、幼馴染でもあるという。


 幼い頃から共に育った仲の良い騎士の男が、ぽっと出の得体の知れない女に奪われたら? いい気分はしないだろう。


 そう。ルナはアルトのことが好きで、そのアルトと距離を縮める七花のことを快く思っていない。


 つまり彼女は七花にとってのライバルキャラ。


 ヒロインとヒーローの関係を邪魔しようとする悪役のポジションに、ルナという少女は立っているのだ。


 いや、もしかしたら前提が逆で、ルナが主役で七花が当て馬。本当のヒロインは彼女の方、というオチもあるかもしれないが。それはいまは置いておこう。


 七花はルナに恨みはない。だが、自分がアルトと話すたびにこちらのことを射殺さん勢いで睨みつけてくる彼女の態度には、正直辟易してしまう。


(このタイミングでお茶……しかもこの子の部屋で……)


 怪しいが、不用意に断って相手を刺激するのは避けたい。


「……わかりました。ぜひ」


 緊張しながら頷くと、ルナはふわりと、それこそ花が綻ぶように優しく笑った。


 敵ながら本当にかわいいな、と七花はつい見惚れてしまった。



 **



 ──目が覚めると、ベッドの上で両手を鎖に繋がれていた。


 最悪だ、と七花は思った。


 油断をしていたわけではない。が、さすがは聖女。相手の方が一枚上手だった。


 ルナの誘いに乗って彼女の部屋を訪れた七花だったが、最初はただ穏やかにお茶をしていただけだった。


 それがいつの間にかこのありさまだ。


 お茶や茶菓子に何かを盛られたわけではないだろう。ならば魔法か。ルナが持つ魔法の力はこの国で随一のものであるという。


 そんな彼女が本気を出せば、自分が敵うわけがない。その事実になぜ気がつかなかったのか。


「──お目覚めですか?」


 薄暗い部屋の中。静かな足音を立てて七花に近づいてきたのは、この状態を生み出したのであろう聖女本人だった。


「ふふ、そんなに警戒なさらないで。ひどいことをするつもりはありませんから」

「どの口が……ならどうしてこんな真似を?」

「もうわかっているのでしょう? ──あなたがアルトに近づきすぎるからよ」


 ルナの顔からふっと笑みが消え、氷のような冷たい瞳が七花を突き刺す。


 ぞくり、と背筋が震えた。


 怖かった。いつもの優しい聖女の姿はどこにいったのか。自分のこめかみから汗が流れるのが七花にはわかったが、両手を繋がれているので拭うことさえできやしない。


「あなたをこの世界に喚んだのはわたくしです。おわかりですか? あなたの進退を決める権利は聖女であるわたくしにあるのですよ」

「……だからなに? 私を好きにする権利はあっても、アルトを好きにする権利はあなたにないでしょう」


 虚勢を張って敬語を使わず言い返す七花だったが、やはり声は震えてしまう。


 いまここで彼女に反抗すれば、殺されてしまうかもしれない。


 にもかかわらずこんな態度を取ってしまうのは、主人公として生きなくてはならないという本能がはたらくからか。


(……主人公って、大変なんだな……)


 そんな現実逃避を七花が始めたときだった。

 

「そうですね。でも、アルトをどうこうする権利などわたくしはべつに欲しくありませんし」

「……え?」


 ルナが思いもよらぬ発言をした。先刻とは打って変わった、からりとした声だった。


「まあ、消せるならば消してやりたいとは思いますけれど。あれでも一応幼馴染ですし、いざというときナノカさまの盾になる男の一人や二人はいてもいいですから」

「……ん?」

「けれど仕事以外の時間にまで仲良くされるのは別の話です。アルトはあくまであなたの補佐。業務上の関係でしょう。それをあの男、あなたが自分の運命かもしれないなどと世迷言を……」

「んん?」


 自分が繋がれたベッドの前でふるふると肩を震わせるルナを見て、七花の頭は混乱した。


 彼女はいったい何を言っているのだろう。


「ふざけんなって話ですわ。あなたの──」

「……?」

「ナノカさまの運命は……このわたくし以外にはいないというのに!!」

「!?」


 今度こそ七花は言葉を失った。意味がわからなかった。


 混乱どころの話ではない。初めてこの世界にきたとき以上の衝撃が、七花の全身を支配していた。


「ル、ルナさま……?」

「いつもいつもアルトとばっかりベタベタして! わたくしには何も聞いてくれないくせにアルトには何でも質問するし、わたくしとのお茶は嫌がるくせにアルトの誘いには喜んでついていくし……!」

「え、ええ」

「この前だって魔物に襲われたわたくしをあなたが助けてくださったと思ったら、すぐにアルトが飛んできてあなたを連れ去ってしまうし! せっかくあのままいい雰囲気になれると思ったのに……!」


 たしかにそんなこともあった。


 任務で魔物に狙われたルナを七花が庇い、そこに駆けつけたアルトが怪我した七花を救護班のところまで抱えて連れて行ってくれたのだ。


 あのときもルナに睨まれているとは思っていたが、あれはアルトに心配される七花に彼女が嫉妬したからこその反応だと結論付けていた。


 けれど、まさか。


(逆!? 私を抱っこしたアルトに嫉妬して……!?)


「わたくしはずっと、ずっとあなたとお会いするのを心待ちにしていたのです。幼少期にあなたのことを夢でみたそのときから、ずっと……」


(一目惚れってこと!? それも予言で!?)


「やっとあなたの召喚に成功して、少しずつ距離を縮めて、いずれは深い仲になれたらと思っていたのに。まさかアルトに先を越されるなんて!」


(深い仲ってなに!? てかまだ越されてないよ! アルトとは何もないしいまのところ!)


「だから、もう我慢できないのです!」


 激しい感情を露わにしたルナが、勢いよく七花の身体に覆い被さってくる。

 

 ベッドの上に押し倒される体勢になった七花は、さすがに身の危険を感じた。


 命ではない。貞操の危険である。


「──実力行使に出ることにしました。ナノカさま。どうかわたくしのものになってください」

「!?」

「既成事実ってことです」

「聖女さまが何を仰って!?」


 うっそりと笑ったルナが七花を見下ろす。


 獲物を前にした獣のように舌舐めずりをする妖艶なその仕草は、とても聖女のものとは思えない。


 七花はそこでやっと自分がいる世界が現実であることに気がついた。


 ゲームでも、小説でも、漫画でもない。これは本当に自分に起こっていることなのだと、おかしな聖女に迫られたいまこの瞬間に自覚したのだ。


「──安心してください。うんとやさしくして差し上げますから」


 語尾にハートマークでもついていそうな声色だった。



 そのあとのことはあまりよく憶えていない。憶えていないが、七花の身に起こったその夜のできごとは、紛れもない現実だった。


 ──翌日から七花の左手に嵌められた、聖女の力が込められた魔法の指輪がその証である。




 

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