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5回目:望まぬ刺殺

「ワン!」

「アレクセイ!」


 アレクセイは走っているワンの襟を掴み、一気に引き上げ後ろに乗せる。ワンは振り落とされないよう必死にアレクセイの腰にしがみついた。


「このまま逃げるぞ」

「逃げ切れるのかい」

「やるしかない」


 進み続けると森は深くなり木々が多くなる。沈みかけの日の光はほとんど入ってこず、かろうじて見える視界を頼りに馬を走らせた。


「アレクセイ、あれ」


 ワンが指差した方向に火の玉が現れる。火の玉は次々と現れ、こちらに近づいているようだ。


「灯りだ。騎士達が集まっているんだ!」


 耳に空を切る音が届く。次に突き刺さる鈍い音が響き、馬が悲鳴をあげ走る勢いのまま倒れた。


「っ!」


 アレクセイは体を捩りワンを抱えながら地面へと身を落とす。自分の背を下に叩きつけられ、ワンの体重を加えた衝撃に一瞬息が詰まった。


「痛……っ」

「アレクセイ!」


 運悪く落ちた際に脇腹を木の根に刺したらしい。飛び出た根から体を引くと、ドロリと血が流れ出た。

 さらに空を切る音が聞こえる。短剣を抜き音の方向へ振り下ろすと、硬い感触と共に折れる音が鳴った。矢だ。先ほどは馬を射られたのだ。


「ワン、走るぞ」

「だが傷が」


 流血を無視してワンの腕を握り走る。

 次々と放たれる矢を剣で切り落としたり、急所を避けて受け止めたりしながらひたすら走った。

 失血量が多く、握る手の感覚も鈍っていく。幸いワンには1本も刺さっておらず、傷もない。呼吸を乱しながらついてきている。


「こっちに逃げたぞ!」

「仇をとれ!」


 とうとう敵の声が聞こえるほど近づいてきた。もう逃げるのは不可能だ。

 このままだとどうなる? おそらく追いつかれたらその場で殺されるだろう。

 ワンも、自分も、ここで終わる。


(あれ)


 だがワンを殺せばやり直せる。

 ワンを殺せば全て無かったことにできる。


「あっ!」


 一瞬気を抜いたため、根に足を取られ転ぶ。掴まれていたワンも体勢を崩し、さらに脇は崖だったようで2人そろってそのまま滑落した。

 どのくらいの高さなのだろう。目を開けると崖下の地面に倒れており、ワンも隣でうめき声を漏らしている。足を折ったのか立ち上がれないようだ。


 自分のせいで苦しい目に遭わせた。

 自分の安易な考えで巻き込んでしまった。


 だがワンを殺せばやり直せる。やり直さなければならない。


「そうだ、そうすれば……」


 アレクセイはどうにか上半身を起こし、血が通わない手で最後に残ったナイフを腰ベルトから抜き取りワンに向ける。ワンも痛む足に汗だくになりながら体を起こした。


「アレクセイ」

「お前を殺せば解決するんだ」


 これは不可抗力だ。仕方のないことだ。このままでは両方の国を巻き込み大勢の命が脅かされる。

 だからアレクセイがワンを討って、戻らなければならない。

 これは使命だ。

 ワンはナイフを見て、アレクセイの震える手を見て、最後にアレクセイの顔を見つめる。


「君の話だと俺を殺せばやり直せるんだろう」


 アレクセイは一瞬呼吸が止まる。

 ワンの顔には何度も見た優しい笑みが作られていた。泥や擦り傷で汚れた顔は痛々しく、額から血が流れていた。

 それでもワンは微笑んでいる。この状況を作り出したアレクセイに対して。


「なら良いよ。この時間が失われるのは惜しいけど」


 寂しげな声色はあくまでも優しく、自分を殺そうとする相手を慰めているようだった。


「な、んで……」


 そうだ、ワンはいつもアレクセイに笑顔を見せていた。毒を盛られたと知った時も最後までアレクセイのことを案じていた。

 未だに手が震えて切先が揺れている。指先の感覚が無くて、肘から先が痺れているようだった。

 傷のせいか、それとも。


「……殺したくない」


 10年前を最後に言わなくなった言葉。言ってはいけないと戒めた一言。


「殺したくないんだ」


 視界が滲み、涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。一度あふれた言葉は止まってくれない。


「俺は、ずっと……誰も殺したくなかった! 殺したくない。ワンを殺すのだって嫌だ! 嫌なんだ! だけど俺がやらないと、俺が……俺が」


 ナイフの切先を下ろしたい。下ろせない。

 殺したくない。殺さないといけない。

 初めて人を殺した日もそうだった。嫌だった。自分の手で相手の人生を切り取ることがどれだけ残酷で、悍ましいことなのかわかっていた。


「嫌だ……嫌だ。もう繰り返すのは嫌だ。俺は何のために、生きて……」


 だけど自分が生きるにはそうしなければならなかった。父親から存在価値を見出されるにはこの生き方しか無かった。

 拒絶して自死を選ぶ勇気もない。アレクセイは自分が卑怯で臆病であることを誰よりもわかっていた。だからこの生き地獄から逃れられない。

 これは罰だ。血で染まった道を無意味に生き続けるアレクセイへの罰なのだ。


「そうか。君を悲しませるのは王様なんだね」


 ワンは目を細めると、柔らかな手つきでアレクセイの腕を掴む。


「尚更ここで終わりにしてはいけない」

「え」


 掴まれた腕が相手の方へ引き寄せられる。抱きしめられると同時にグリップ越しに肉を裂く感触が伝わってきた。アレクセイが持っているナイフがワンの胸を突き刺している。


「どうして」


 ワンは口から血が噴き出し、苦しそうに咳き込んだ。それでも穏やかな表情が崩れることはない。瞳は慈愛に満ちていて、アレクセイを見つめ続けている。


「君は、君のために生きて」


 ワンの体は力を失い、アレクセイにもたれる。自分の鼓動がうるさすぎて周囲の音が何も聞こえない。ただ遠くから大勢の騎士が怒りの表情で近づいてくるのが見えた。


「ワン」


 相手は答えない。流れ出る血が黒いマントに吸収されていく。


「俺は、もう……独りは」


 駆けつけた騎士の1人が剣を振り上げ、アレクセイの頭めがけて下ろす。やけにゆっくり見える刃が目の前に迫ると、触れる寸前で消えた。


 違う、戻った。あの塔の前に。

 体の痛みも怠さも無い。傷だらけだった体は元通りになっており、破れて泥だらけになっていた服も綺麗なままだ。

 しばらく呆然として座り込む。先ほどまでの光景が幻だったようだ。


「ワンは」


 そうだ、戻ったのだからワンはあの塔にいるはずだ。

 塔から連れ出したことも、市場でサンドイッチを食べたことも、乗り合い馬車で身を寄せ過ごしたことも全部無かったことになっている。


 騎士と戦い、追い詰められて、ワンを殺したことも。


 震え続ける手で外壁を掴む。あまりにも力が入らず、足をかけたところで手を滑らせ背中から土の上へと落ちた。

 鈍い衝撃が全身を周り、草の青臭さが鼻腔を埋める。


「はあ、はあ、はあ」


 おかしい、呼吸が上手くできない。渦巻く思考が夜闇に引きずられていくようだ。

 でもワンの姿を見たい。焦る心をどうにか抑えつつ、アレクセイはもつれる手足を動かして壁を登った。


 窓を開けて中に入ると、そこには変わらない姿のワンがいた。


「こんばんは」


 変わらない声で、変わらない表情で、変わらない姿で。

 アレクセイは覚束ない足取りでワンの前に立つ。


「君、名前は?」


 ワンが生きている。ワンが自分に向かって笑いかけてくれる。

 脳内で目に光を失い死んだ彼の顔が駆け抜けて、アレクセイはその場で膝をついた。


「ううっ……うあっ、ああ。あああっ……」


 嗚咽を漏らすと、次々と涙が溢れ出てきた。拭っても拭っても止まってくれない。


「ごめん、ごめんっ……ごめんなさい……!」


 うずくまり、懺悔の形に体を縮こめる。震え続ける肩を止められず、感情のまま泣いた。


「君は」


 頬に指が触れて、濡らす雫を拭われる。

 やめてくれ、自分にはそんな資格はない。拒絶を意思を示そうと頭を振ると、力強く抱きしめられた。


「大丈夫。大丈夫だよ」

「ひぐっ……うあ、ああ……」


 温かい。力が入らない手で背中に触れると、布越しにワンの熱を感じた。

 生きてる。ワンは今生きているのだ。


「俺がそばにいるから。大丈夫」


 優しい声が耳朶に響き、アレクセイは相手の胸に頭を押しつけ抱きしめ返す。全身でワンを感じたかった。


「美しい人の子、どうか泣き止んでおくれ」

「ワン……俺、俺は。お前を……っ」

「大丈夫だ、俺はここにいるよ。側にいるから」


 もうワンを殺したくない。彼を知ってしまった今、討つことはできない。

 そのままアレクセイはワンの腕の中で泣き続けた。

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