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暗殺対象に言い寄られる嫌悪感たるや

「はぁ、はぁ、はぁ」


 アレクセイは全身に冷や汗を掻いて力無く膝をついた。


 また殺した。

 相手の真意はわからない。だが無抵抗の相手をまた葬ったのだ、これほど虚しいことはない。

 繰り返すことに意味があるのか? 出口が見えない状況に心が暗く沈んでいく。


「もう……勘弁してくれ」


 肩を落として手をつくと、触れたのは土と草だった。森が運ぶ風が頬を撫でて通り過ぎていく。

 殺せない。心臓を裂いても頭部を破壊しても。どうして死なないんだ。

 また初めから繰り返すのだろうか。

 理由はわからないが、ワンはアレクセイに好意を抱いている。それは間違いない。そんな相手を何度も殺めるのは心が痛い。


(いつもは一度だけだから)


 言葉を交わすことはほとんどなく、相手の体温も動きも表情も次には無に帰している。暗殺とはそういうものだ。

 だから刃を振るう瞬間、アレクセイは心を鉄の箱に閉じ込める。遺体になった肉塊は人だと思わないよう淡々と処理する。そうやって自分の心を守ってきた。


(繰り返すせいだ。嫌でも考えてしまうから……)


 暗殺者の使命を背負わされてから忘れようとした感覚。これは罪悪感だ。アレクセイはワンに「申し訳ない」と思い始めている。

 暗殺対象に情を抱けば、後で苦しむのは自分だ。それでも湧き上がった感情を抑えることはできなかった。

 ならば帰るか。当然不可能だ。


「殺さなくては。殺さないと……」


 自分に言い聞かせながら再び外壁に手をかけて登りだした。何度も繰り返せば慣れたものだ。アレクセイは崩れにくい箇所を記憶をもとに辿りながら、またあの窓へと向かった。


「こんばんは」


 ワンは変わらない姿、声、態度でアレクセイを迎えた。


「……俺はアレクセイ。お前を殺しに来た暗殺者だ」

「すごく端的な挨拶だね。ふふふっ。俺はワン。竜と言われている」


 ワンは少しも気にしておらず、むしろ楽しそうに声をあげて笑っている。


「アレクセイ。そうか、アレクセイか。うん、君に似合う名だ」


 今回も人の名前を聞いてやけにウットリする。

これにはアレクセイも慣れることができず、反応に困ってしまう。

 時を遡る前にキスされたことを思い出して身震いをする。顔が良いから騙されそうになるが、客観的に考えれば気色悪い男だ。


 コイツを殺さないと。


(……殺せるのか?)


 アレクセイは剣を構える前に口を開いた。 


「お前と取引がしたい」

「そうなんだ。取引なんてしなくても、俺は君の望みを叶えるよ」

「なら死ね」

「それは困る」


 案の定軽い調子で断られる。不機嫌さを隠さないアレクセイにワンは再び声を出して笑う。


「じゃあ、取引の目的は?」


 ワンの問いにアレクセイは少し思案すると、真剣な面持ちで口を開いた。


「お前がこの国の味方として戦争に加担することを止めたい。そもそも竜が人の世界に干渉すること自体おかしい。お前はどう思っている」


 咎めるもワンは不思議そうに首を傾けるだけだった。


「はて。俺はこの国に身を寄せているだけで、戦争に加わる気はない」

「だが生物兵器として運用するという情報が入った」

「捏造された情報に踊らされているのだろう。俺は人の争いに興味はないよ」


 まるで肩透かしを喰らった気分だ。だがこの丸腰の男が兵器として直接戦場に投入できるかと問われれば、当然ノーだ。自分が赴いた方がよっぽど戦果を挙げられるとアレクセイは思う。

 それでもこの男は未知の存在だ。放ってはおけない。


「なら今すぐ故郷に帰れ」

「それもできないなぁ。お世話になった人の了承を得たいし、俺にも俺なりの目的がある」

「お前の目的は何だ」

「今俺の目の前にいる素敵な子と親睦を深めたい」


 相手の軽口にアレクセイは拳を握りしめた。


「戯言を」


 露骨な侮辱には慣れているが、おちょくる言動はそれ以上に腹立たしい。

 自分の美貌や特殊さを自覚しているのか、あえて著しく劣った相手に好意を示して油断させようとしているのだろう。

アレクセイは己のくすんだ草色の髪も見かけ倒しの目の色も、右の目元にあるほくろも全部大嫌いだった。ワンに褒められると嫌味にしか感じない。

 ただでさえ未知の状況に気が立っているのに、この男の態度はやたら神経を逆撫でしてくる。


「君はひねくれ者だね」

「はあ?」

「目で疑ってるのが丸わかり。俺が言ってることは本当だよ。君と一緒にいたい。とりあえず一晩だけでもここにいておくれよ」

「それは」


 また不意打ちで手を出すつもりだろうか。そういう目で見られる経験がないアレクセイは思い返して身をすくめる。

 だが不思議なことに、あの時触れられても嫌悪感がなかった。町娘であればあっという間に魅了されるのだろう、と想像すること自体らしくなく調子が狂う。


「……」

「君も俺の正体が気になるだろう。良い機会じゃないか」


 上手く言いくるめられてぐぅの音も出ない。返答に迷い眉間にシワを寄せるアレクセイに、ワンは勝ち誇りながら微笑んだ。


「さあさあ、立ったままだと俺も落ち着かないし、こっちに座りなよ」


 ワンに促されて壁際に置かれている椅子に近づく。粗末なものかと思ったが、装飾が少ないだけで作りは悪くない。実用性を重視したものだった。


「……」


 ワンの視線に居心地の悪さを感じながらも、アレクセイは渋々腰かけた。するとワンは座っていた自身の椅子を引きずり、アレクセイのすぐ近くまで寄って座りなおす。

 互いの膝がわずかに触れていて、アレクセイは露骨に嫌がり、足の向きを変える。


「離れろ」

「心の距離を縮めるにはまず物理的な距離をってね」

「気色悪い」


 この男は神聖な竜ではなく、酒場のナンパ野郎と同類だと思う。さらに自分に興味を示しているのだからタチが悪い。


(コイツの正体を知るためだ。コイツの殺し方を知るためだ)


 話題を変えようとアレクセイは思っていたことを言葉にする。


「本当に竜なら、竜の姿になれるのか」

「なれるさ。ただ、まだ俺は幼体だから全部は難しい。一部だけ変えることならできる」


 ワンがシャツの袖をまくると、色白の腕が出てくる。淡い光に包まれるとみるみる輝く鱗が浮かび上がり爪は獣のように伸びだした。


「は」


 今のワンの腕は人の腕の原型を留めながらも竜のものにそっくりだ。夢の中で見た輝きを放っている。


「本物、なのか」

「そう言ったじゃないか」


 綺麗だ。国中の画家を集めてもこんなに美しい色を描ける者はいない。金塊とは異なり、生きる力全てを可視化したような力強さを感じる。


「まるでおとぎ話みたいだ」


 感嘆の声を漏らすアレクセイに機嫌がよくなったらしい。ワンは変化させた腕をアレクセイの前に差し出した。


「触ってみる?」

「いいのか」


 贈り物を渡された子どものごとく素直に手を伸ばして鱗に触れた。爬虫類のものと同じかと思ったが、少し違う。硬いけどなめらかで、ガラス細工を連想させるがしっとりしている。触れれば触れるほど不思議で飽きがこない。


「意外と積極的なんだ」


 揶揄う相手の口調に我に返る。散々軽口を叩いて口説いてきた男の腕に、自ら喜んで無遠慮に触ってしまった。アレクセイは頬を赤くするとすぐさま手を離す。

 目的を見失うほど魅力的だった。当然だ、ずっとアレクセイの心を支えだった竜を実際に見ることができたのだ。気づけばワンの腕は元通りになっており、少し惜しかった。


「君の話も聞かせてくれよ」


 相手に踏み込んでしまった手前断ることはできない。喉奥が絞まるのを感じながら、アレクセイは言葉を紡いだ。


「別に俺は……つまらない人間だ。王の血を引いてるが、所詮は侍女との間にできた子どもだ。価値が無くて生かされてるだけ恵まれている」

「ふむ、他には?」

「……それだけ、だが」


 本当にそれ以上話すことは無いと思ったが、ワンは想像より不満気だった。


「君さ、人と話すの下手だろう」

「下手とはなんだ。最低限の情報伝達は問題なくできている」


 意図しない指摘にアレクセイはムキになりながら返す。しかしワンは「いいや下手だ」と撤回する気はないようだ。

 しばらく意地を張る間が流れるが、先に話を変えたのはワンだった。


「そうだ、茶を淹れよう。竜の世界には無いから珍しいんだ。教えを請い、一式用意してもらった」


 立ち上がり、部屋の脇にあるワゴンに乗せられた茶道具を慣れた手つきで扱う。

 あっという間に紅茶が用意され、ティーカップをそのまま手渡された。


「ソーサーは使わないのか」

「え、何?」


 教えてもらったといっても詳しい作法にはさほど興味はないらしい。アレクセイも最低限の作法は身につけているが、普段はそれらしいことをしていない。言及は控えることにした。


「用心深いな。変なものは入ってないよ」


 アレクセイがしばらくカップの中身を眺めていると、ワンが苦笑する。彼は同じ形のカップを手に持ち、自分で注いだ茶を一気に飲み干すと「ほら」と言いたげに微笑みかけてきた。

 促されるままアレクセイも口をつける。爽やかなハーブの香りがした。


「口に合うかい」

「まあ、悪くはない」

「褒め言葉として受け取ろう」


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