輪転の終焉
リシャはよろけながらアレクセイの姿を見ようと近づく。その背をライアンが支え、同じように驚愕の表情で弟を見た。
「……竜に選ばれし番は魂を分け、竜は番に新たな姿を与える」
リシャの言葉にライアンは信じがたいと言いたげに口を開く。
「どういう……ことだ」
「アレクセイ様は人の生命を終え、聖竜の伴侶として生まれ変わったのです」
リシャの説明でアレクセイもようやく自分がどうなったのか理解した。
アレクセイはワンと同じ竜になったのだ。
「父上」
怯えた表情で見る父に気づき、アレクセイは落ち着いた声で語りかけた。
「黙れ裏切り者が!」
金切り声をあげて父王は体を引きずり、開かれたままの窓に手をかけた。上半身を持ち上げて窓枠に重みをかけ、ぐらりと体が外へと傾く。思惑を悟りアレクセイは目を細めた。
「父上。そちらはいけません」
「私は……誰の指図も受けない」
風が父の乱れたガウンと髪を揺らし暗闇へと誘う。ライアンも止めようと動くが、父王は血走った目で「邪魔するな」と睨みつけた。
ああ、もう分かりあうことはできないのだ。アレクセイは伸ばしかけた手を降ろした。
そのまま父は窓から身を投げた。
四階に位置するこの部屋の高さから落ちて、助かるわけがない。
一定の時間を置いてライアンとリシャは身を震わせた。おそらく地面に叩きつけられる音が聞こえたのだろう。
だがアレクセイは両耳をワンの手で塞がれたため、届くことは無かった。
「ワン」
「君は優しい子だから」
耳に触れていた手は頬に添えられる。自然と目をワンに向けることになり、アレクセイはワンに向き合った。
「アレクセイ、俺……全部見たよ」
「え?」
「君が繰り返す輪転の中で何をしたか。全ての軸の記憶が俺の中に戻ってきた。一番最初に出会ったことを、サンドイッチを一緒に食べたことを」
竜の輪転が終わったのだ。魂を共にするアレクセイとワンは過ごした出来事も共有する。
「輪転は何だったんだ」
「それも思いだした。1番最初に出会った時、俺が君の魂を中心に起こしたんだ」
ワンの目が鮮やかに輝く。
「二度と君から離れないようにと」
ワンの答えと共にアレクセイの中にも相手の感情が流れ込んできた。孵化してから今までどんな気持ちでアレクセイを待ち続けていたのか。アレクセイと再会した時、どれだけの感動と幸福が彼の心を揺さぶったのか。
やっと全てが繋がって、止まっていた歯車が動き出した気がした。
この世界でやれることは全部終わったのだ。アレクセイの目から涙が溢れると、ワンは眉を下げて笑う。
「君は本当に泣き虫だね」
「だって、幸せだから」
長い間孤独だった。戻るたびに自分だけが記憶が残っていることが寂しくてたまらなかった。でもワンは知ってくれている。
ワンと共にした時間が、母に愛された事実が心を満たしてくれる。もうアレクセイに寂しい部分はひとつも無かった。
「アレクセイ」
ライアンがリシャと支え合いながらアレクセイ達の元に来る。その顔はこれからアレクセイがどうするか、わかりきっているらしい。
「兄上、申し訳ありません。別れの時が来たようです」
「やはり……そうなのか」
悲し気にするライアンに素直に嬉しくなる。本当はもっと色々話をしたかった。兄弟らしいことをしたかった。
「リシャ、兄上をとうか側で支えて欲しい」
アレクセイの眼差しを見て、リシャは不安げな表情を改めて力強く答えた。
「必ず」
この二人ならきっとフォルティオン王国を良い方向へ導いてくれるはずだ。優しくて、忍耐強く、そして支え合う大切さを知っているから。
「黄金の竜よ」
最後にライアンはワンに声をかける。ワンが意外だと言いたげにライアンに視線を向けた。
「俺?」
「アレクセイを……お願いします」
そう言って頭を下げるライアンに、ワンは少しおかしそうに笑う。
「もちろん。アレクセイは俺の大切な人だから」
ワンはアレクセイの手を握った。アレクセイの体に力が流れ込むのを感じた。力は強い流れとなり、ワンに引っ張られるがまま窓の外へと体が飛び出た。全身が熱に覆われてキラキラと眩い輝きを発する。
気づけば窓から見上げる兄王子を見下ろして飛んでいた。自分の姿を確認すると、体が黄金色の鱗に覆われている。隣にいた竜……ワンの目を見ると、そこには同じ竜の姿が映っていた。
自分だ。これが新しいアレクセイの姿なのだ。
【待たせてすまなかった】
【これからはずっと一緒だから】
ワンの答えにうなずき、アレクセイは最後に兄とリシャを一瞥してから翼を羽ばたかせた。ライアンがアレクセイに向かって大きく手を振っているのが見える。
その姿もみるみる小さくなっていく。城が遠ざかり、周囲は青い色に染まっていく。
まるで風の一部になったようだ。ゆらゆらりと尾をなびかせ空を泳ぐワンを真似て、アレクセイも後をついていく。
くるるるる。くるるるる。
ワンが高い声を出す。
くるるるる。くるるるる。
アレクセイもまた真似する。自由な空間はこんなに楽しいのかと驚いた。
そのままワンと一緒に月に向かって飛んで行った。
* * *
アレクセイが竜になった後の話だ。
父王の葬儀に合わせてライアンの戴冠式は慎ましく行われた。父の死因は表向きは事故死となった。
またリシャは王宮祈禱師として、アレクセイが竜に選ばれ使命を果たしたことを国中に公表した。竜が実在することを知らない国民たちは多少混乱したが、それ以上に世界が大きく変わったことで自然と納得したらしい。
各地でその竜を見たという噂が流れたことでより真実味を帯びたようだ。
存在が不確かだった第二王子が、さらに存在が不確かな竜と共に異なる世界へ旅立った。おとぎ話と思われて当然だろう。ライアン自身まだ現実を受け止めきれていない部分がある。
だがきっと長い期間語り継がれるお話になるかもしれないとライアンは確信していた。そのためにも自分が後世に伝えていかねばならない。
「作家に書いてもらうのはどうですか?」
リシャはそう冗談っぽく提案したが、良いかもしれない。
きっとフォルティオンの転換期を示す歴史的な物語になるだろう。
さらにライアンは自分の代で王政を終わらせることにした。偏った一族の圧政は同じ過ちを繰り返すだけだ。これからは実力と素質を兼ね備えた人達で新しい組織を作り上げたい。場合によっては国民の意見を反映して代表を選んでも良い。
だからライアンは子を作らないことを決めた。愛する人と生涯を共にし、国の未来を作り上げる。リシャや信頼できる部下たちに相談して決めたことだ。
末弟の第三王子はまだ政治を理解できる歳ではなく、父が何故亡くなったのか、アレクセイがどんな人物か未だに知らない。
彼の母である大妃は立場の弱さを自覚し、息子の未来を想いライアンに従うことを選んだ。ライアン自身も二人をぞんざいに扱う気はなかった。
そしてアレクセイから託された書状を受けて、ライアンはシルフィリア王国に手紙と使者を送った。すぐに返事はきたのだが、相手国でも色々騒ぎがあったことを知った。
どうやらシルフィリア王国でも王が亡くなったらしい。父のことを思い出しライアンは心を痛めた。
次期王には第一王子エルヴィスが選ばれた。そして戴冠式後に改めて新たな王同士が面会し、正式に恒久の和平を結びたいと申し出があった。
平和への道のりが始まったのだ。
「すごいな」
「はい、どこも豊かですね」
戦争の後処理を終えてライアンはリシャと共にシルフィリア王国を訪問していた。大臣たちの強い勧めでこれでもかというほど護衛がついてきているが、旅路は穏やかだった。
以前と見違えて大地は緑に覆われ始め、森は生き生きとしている。清涼な空気を風が運び、陰鬱としていた人の国は、活気を取り戻したのだ。
人々の表情も明るくなり、新たな時代の幕開けを感じさせる。事実、戴冠式は慎ましく行われたが、国民は想像以上に盛り上がり各地でライアンや竜を讃える声があがったらしい。
シルフィリア王国も同じようで、通りかかった町はどこも賑やかだった。王都はさらに活気があり、今まで対立していたはずのフォルティオン王国の王であるにも関わらず、みながライアン達を歓迎してくれた。
対談する場所はエルヴィスの計らいで、シルフィリア王城の綺麗に整備された温室で行われることになった。暗い室内とは異なり、太陽光が差す空間は新しい時代を歓迎してくれているようだ。
「美しいですね」
「ああ」
リシャにつられてライアンも素直に称賛の声が出た。植物がどこも豊かで、こぼれ落ちそうなほど花や実をつけている。
神殿の中庭と同じ白い花を植えていると説明をされて見ると、話題にするだけあって見事な大輪だった。その美しい花弁は、戦場で純白のマントを纏うアレクセイの姿を思い出させた。
「多忙な中の来訪、心より感謝する」
エルヴィスは元騎士団長というだけあり、勇ましく堂々とした雰囲気を感じさせる。
彼と共に出迎えてくれた国教の大神官ラザールは対照的に穏やかだが、芯の強さを感じさせる強い瞳が印象的だった。側にいる彼の使役犬も主人によく似た雰囲気を漂わせている。
激動の時代にも関わらず落ち着いている2人に、ライアンは自分も見習いしっかりせねばと気を引き締めた。しかし察したリシャに「肩の力を抜いてください。自然体のあなたが1番魅力的です」と諭され苦笑してしまう。
対談は長年対立していたと思えないほど平穏に進めることができた。
まだ課題は多いが、今回は互いに敵意が無いことを確かめるのが目的だ。その意味では問題なく終えることができたと言えるだろう。
「陛下」
「ああ、そうだな」
話の最後にラザールに促されたエルヴィスは、側近に指示して何かを受け取る。
「実はお返ししなければならないものがある」
柔和な笑みで差し出すエルヴィスに、ライアンの後ろに控えていたリシャは手元を見て「あっ」と声を漏らした。
「これは」
「アレクセイ殿下からお預かりしていたものだ。本当は本人に返したかったのだが……」
アシュレイ王家の家紋が刻まれた短剣を手に取り、ライアンは息を呑む。
昔からアレクセイがこの短剣を腰に下げていることは知っていた。これは父から弟に与えられた枷だ。
それを自ら手放し、異国の王子に託した。どれだけの葛藤があったかライアンには計り知れない。
「アレクセイは……ずっと戦い続けていたんだな」
自分はアレクセイのことを何も知らなかった。満足に言葉を交わすこともできず、今生の別れになってしまった。
(俺は、俺だけではアレクセイを幸せにすることができなかった)
ライアンはアレクセイを心から愛していた。同じ紫の目を持ち、乳母の目を盗んで花を愛でては微笑む優しい子。
お菓子を受け取ると、人形のように硬い表情をゆるめて笑いかけてくれる。心が綺麗で、宝石のような子だと思っていた。
そんな弟に、兄である自分は何もしてあげられなかった。
「我々は彼の意思を継いでいかねばならない」
短剣の上で涙をこぼすライアンを見て、エルヴィスは優しく諭す。
「ああ、その通りだ」
ライアンは言葉を噛みしめながらうなずいた。
「シルフィリア王、アレクセイを信じてくれてありがとう。これから共に手を取り合い、人の未来を築いていこう。我らの国だけでなく、人々全てが幸せになれるように」
「貴方の言う通りだ。みなで幸せな世界を作っていこう」
エルヴィスとライアンは互いに手を差し出し握手を交わした。
ラザールやリシャも祝福の笑みを浮かべてその様子を見届けた。
(この美しい世界を守るために)
アレクセイが竜になった後、ライアンは初めて本物の空の青さを知った。灰色がかった靄が一切無くなり、眩しい光が大地を照らしたのだ。
大地が枯れていたのではない、空が死んでいたのだ。そしてアレクセイ達が世界を照らし、太陽の輝きを取り戻した。
夜の月も星も見たことがないほど輝いていた。星があんなに多くの数が広がっているとは知らなかった。
話を終え温室から出たライアンはリシャと共に空を見上げた。視界いっぱいに美しい青色が映る。
広大で、自由で、何ものにも替え難い。
そんな雲ひとつない晴れ晴れとした空に、2つの光が輝いた気がした。
「アレクセイ?」
瞬きをするともう光は見えなくなった。
「何か見えましたか」
「……いや、もう大丈夫だ」
だからアレクセイ、どうか竜の世界でも幸せに。ただそれだけを願う。想い続ければきっと届くと信じて。
暖かな太陽、澄み切った空。そして優しい風が大地を優しく包み込んでいた。




