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人でなしの父王

 王城に到着したのは3日後の夜だった。

 軍隊は部下に任せ、ライアンは一足先にアレクセイと共に王城に向かうことにしたのだ。

 ライアンを竜になったワンに乗せればもっと早く行けると考えたが、そもそも全力で飛ぶ竜は生身の人では耐えられないことを、ライアンに指摘されて初めて気づいた。

 あんな上空では体が凍えるし、空気も薄く風避けがあっても対処は難しいとか。つまりアレクセイがおかしいのだ。

 加えてまともな装備が無い中、ライアンが落下する事故が起きたら取り返しがつかない。

 結局馬を乗り継いで急いで帰ることになり、アレクセイはあえてワンに乗ったまま護衛にあたった。当然未知の生き物を連れた一行を襲う一般人などいない。

 凱旋というには余裕が無く、しかし竜と王子たちが共にやって来るという異常事態に王都は大騒ぎになった。

 城に到着した頃には大臣や使用人、近衛騎士が大勢迎えに来たがライアンは一切を無視して王の元へ向かった。後に続く異国の様相のアレクセイや、人に変身したワンを見て周囲は言葉を失う。


「ライアン殿下、どうなされたのですか。戦いは一体……それにあの竜は」


 かろうじて大臣の1人がライアンの後を追い、必死に事情を聞こうとしている。冷や汗をハンカチで拭い、アレクセイを不安そうに一瞥した。


「説明は後だ。父上は寝室にいるのか」

「王は今お休み中で」

「関係ない。邪魔をするな」


 ライアンに一喝されると大臣は不快さを隠さずに眉をひそめた。相手からすると理解は難しいだろう。ライアンとアレクセイが共にいて、先ほどまで竜だった見慣れない男が同伴している。異様な組み合わせを何も言わず受け入れろという方が無理がある。

 王太子でなければ不審者として扱われ衛兵に囲まれていてもおかしくない。ライアンは歩く速度を保ったまま大臣に質問を重ねる。


「リシャも一緒なのか」

「その、陛下は祈禱師に重要な相談があるようで。しばらく部屋には近づくなと命じられております」

「いつからだ」


 射るような視線を大臣に向ける兄を見て意外な一面に驚きながら、アレクセイは周囲の音を感じ取り耳を澄ませた。近くから声が聞こえる。もう王の寝室の側まで来ていたのだ。


「陛下……!」

(リシャの声?)

「やめて、ください。いやだっ……お許しを……」


 扉の奥から聞こえたのは力の無い悲鳴と抵抗の声。アレクセイは嫌な予感がして思わず体を仰け反らせた。ワンが肩を支えてくれてなかったら目眩を起こしていたかもしれない。

 ライアンは鍵がかけられているのも構わず、扉を蹴破り室内へ侵入した。

 天蓋つきの豪華なベッドの上で、ガウン姿の父がリシャを押し倒していた。一糸纏わぬリシャの身体は、シーツに沈み恐怖で震えていた。


「何者だ」


 興を削がれた父は忌々しげにアレクセイたちを見る。リシャもつられて身を起こし、こちらに視線を向けた。


「ライアン……様」


 想い人に見られたことに気づき、リシャは顔を伏せ涙を流し始めた。

 すすり泣く声が部屋に反響する。


「――」


 ぷつりと、アレクセイの隣で張りつめた糸が切れる音がした。諭そうと声をかける前にライアンは駆け出していた。英雄の血筋に負けないライアンの怒気に、背後にいた大臣は悲鳴をあげる。


「あなたという人はッ‼︎」


 ライアンは額に青筋を浮かべて父に掴み掛かろうとする。父王は驚きながらも、咄嗟にベッドの脇に忍ばせていた剣を鞘から抜いた。

 気づいたリシャは剣を握る腕を引こうとしたが、乱暴に振り払われベッドの支柱に叩きつけられた。


「リシャ!」


 ライアンの表情がさらに険しくなる。

 アレクセイの速さなら2人の間に滑り込んで止められる。父王の鈍った腕で振った剣など、脅威でもなんでもない。ライアンでも素手で止められるだろう。


【アレクセイ】


 すると魂にワンの声が響くのを感じた。


【それも良いけどさ。君が一番したいこと、やっちゃいなよ】


 振り返るとワンはにこやかにアレクセイを見つめていた。

 そうだ。ワンの言う通り、左足の仕返し分くらいはやってしまって良いだろう。

 アレクセイは前を向き、足に力を入れ床を蹴った。

 刃がライアンに迫る寸前、アレクセイは間に入り父の頬を殴り飛ばした。


「がっ!?」


 剣は乾いた音を立てて床を滑っていき、ライアンの手は空を掴む。


「アレクセイ⁉︎」


 ライアンの驚きの声を無視してアレクセイは父に向き合った。


「うっ……うう、あ、あああ」


 痛みに痙攣する父の体はベッドから落ちており、苦しそうに呻いている。奥歯の1本が折れたらしく、床に血と共に転がっていた。

 ライアンもリシャも唖然とするが、ワンだけはニヤリと笑った。


「お、まえ……、何の、つもりだ」

「仕返しです。今までの」


 まさかアレクセイが逆らうと思っていなかったのか、父王の目には驚愕と戸惑いが混じっていた。それも束の間で、すぐに殺意を向けてくる。


「王に逆らうこと、何を意味するか……わかっているのか」

「私の王はライアン兄様です」


 アレクセイは冷静に告げて兄の方を見る。ライアンは我に返るとリシャに駆け寄り、抱き寄せた。


「辛い思いをさせた」


 そう言いライアンは未だに震えるリシャに自分の上着を着せる。リシャは弱々しく視線を下げて目を合わせようとしなかった。


「ライアン様。私の体はすでに……」


 言葉尻は消えて、俯き黙った。もう何も聞かないで欲しいと拒絶している。そんなリシャにライアンは穏やかな声をかける。


「構わない。責任は全て私が取る」

「私は子を産むこともできません。ライアン様にとって重荷にしかなりません」

「それでもお前と共に生きたい」


 リシャはハッと顔を上げてライアンを見る。


「愛しているから」


 飾らない告白にリシャは大粒の涙を流し、ライアンの胸に顔をうずめる。嗚咽を漏らすその肩をライアンは優しく抱きしめ直した。

 最悪の事態を避けられたことに安堵し、アレクセイはワンに笑いかけた。ワンは肩をすくめながら微笑み返してくれた。

 アレクセイは改めて父親を見る。

 初めて父親に手をあげた。拳に感じた感触は驚くほど軽かった。

 そう、いつも圧をかけられ恐怖を感じていた男は想像以上にもろかったのだ。


「……父上はとっくにお心が壊れていたのですね」


 洗脳が解けた目で見る父は、正直痛々しかった。

 顔が病的に痩せほそっていて目は窪み、歯は隙間だらけで黒ずんでいる。スラムの乞食と変わらない風貌だ。華美な布をまとい、それっぽく見せているだけ。

 そして体臭に混じっているのは甘ったるい薬の臭い。これは薬物だ。

 精神病者のために少量を処方して精神を安定させることができると言われているが、基本的に依存性が高く持続効果も摂取するたび短くなっていく。

 そんな状態で正常な判断はできないし、まして政治などできないはずだ。

 だから各地で起きる争いをライアンが直接止めに行くしかなく、大臣たちは王の機嫌を窺いながら国の延命だけを考え問題を引き延ばし、アレクセイは王に命じられるがまま人を葬り続けた。

 最初から狂っていた。それに自分は気づかなかった。フォルティオンの王城も今はくすんでいるように見える。


「これが本当の罰か」


 ただ虚しかった。生まれてから17年間こんな男に人生を縛られていたのかと、暗く濁った感情が心に流れ込んでくる。


「ちっ……下賤な女の腹から生まれた出来損ないは使えん。お前など生まれてきたことが罪だ」


 父はいつものように罵倒するが、今のアレクセイには何も響いてこなかった。


「それってアレクセイに劣等感を抱いているってこと?」


 代わりにワンが答え、倒れる父の側にしゃがんで姿を眺める。その眼差しには悪意も軽蔑も無く、純真さだけが宿っている。


「俺は竜だよ。名前はワン」

「竜……」

「アレクセイのお父さん。君は息子に嫉妬をしている。自分が選ばれなかったことを受け入れられず、息子たちに怒りをぶつけ続けてるんだよね」

「え」


 嫉妬。思わぬ指摘にアレクセイの思考が止まる。

 図星なのか父王は表情を歪め、再びアレクセイを睨みつけた。


「私は……夢の中で見たんだ。青い空と無限の草原が広がる世界で竜がアレに会いに来るところを」


 想定外の答えにアレクセイは困惑で眉間に皺を寄せた。それはアレクセイが見た夢の話だ。父に話したことはないはずだ。父王は屈辱で歯軋りをしながら言葉を続ける。


「アレはそれを当然のように見上げている。私はただその光景を眺めていた。眺めることしかできなかった」

「そうか。人の意識は本当に紛れやすいんだね」


 ふっ、とワンは微笑み軽く息を吐いた。だが目は笑っていない。


「それは【我ら】とアレクセイだけの空間だったはずだ」


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