俺だけの運命の人
【我々】は魂もタンパク質の塊である肉体も持たない集合思念体だ。その中から個として生まれるのは珍しい。分裂したからといって魂が無ければ保てずまた集合体に戻ってしまう。
俺はそこにすら戻ることができない弱い思念体だった。分裂したまま己が崩れてしまえば無になってしまう。何も無かったことになる。
分裂した個体は集合体に戻る前に魂と繋がることで、形を得て個を手に入れることができる。
俺が生き残るには魂を得るしかない。だが果てしない空間を埋める魂達はどれも俺の番ではなかった。
あれでもない、これでもない。どの時間軸や場所の魂だろうと違うのだと拒絶反応を起こした。
【消えたくない。消えたくない】
初めて生まれた感情は恐怖だ。自己が失われる感覚はこの先も忘れられない。
消失の恐怖に押し潰されそうになった時、彼は突然現れた。
「どうしたの」
初めて聞く声と共に、温もりがある何かに持ち上げられる。寂しくて叫びそうだった心が驚きで縮こまったが、不思議と嫌じゃない。
「泣いてるの?」
集合思念体の中には様々な知識が詰まっている。そこから得た情報が、相手が人の子であると知らせた。
魂と思念体しかないこの空間に、人が姿そのままで紛れ込むことはたまにある。大概は死を迎え肉体を失い、意識だけが残った残留思念というものだ。少し経てば消える。
だけどこの子は通常と異なり、まだ体や魂と繋がっている。死の淵を彷徨いこの無限の空間に入り込んでしまったのだ。
色彩のないこの空間では彼の姿はあまりにも美しかった。幼い顔に温かみのあるオリーブ色の髪、夜空を思わせるアメジストの瞳。魂を持つ彼の輝きは希望の光そのものだ。
【君は、誰】
「僕はアレクセイ。君は?」
アレクセイの目に映る自分の姿は醜かった。石炭のように黒く、情報がない本体は常に変形し形容しがたい。温度もなければ個を示す情報もなかった。
【わからない。俺はこのまま消えてしまうから】
「どうして」
【俺は、俺じゃない。俺を示すものが何もない。何もなければいずれ無かったことになる】
説明するだけで悲しくなった。自分を包む手はこんなに優しくて温かいのに、自分には何もない。アレクセイは理解が難しいのか困り顔で首を横に傾けた。
そうだ。君に共感できるとは思っていない。どうせ興味を失って俺を捨てるんだ。
「じゃあ君に名前をあげる」
【名前?】
意外な答えに思考が止まった。
「君はワンだ」
自分の中心が大きく跳ねる感覚がした。まるで心臓が生まれたようだった。
【ワン?】
「そうだよ。ワン、唯一無二の1。そして始まりの1」
アレクセイは優しく微笑んで、俺を乗せた手を自らの胸に押しつけた。彼の鼓動が伝わってきて、自分を抱きしめてくれてるんだってわかる。
「僕ね、誰かが泣いてる気がしてここに来たの。そしたら君を見つけたんだ。君は今ここにいる。僕と今話している君は世界で1人だけだ。そして名前もある。だから大丈夫だよ」
【アレクセイ】
知識で生きてる人が温かいことは知っていた。でもこんなに安心して幸せな気持ちになるとは思ってなくて、それも今は俺だけに与えられていることが信じられなかった。
彼みたいに手足があれば抱きしめ返せるのに、なんてもどかしいのだろう!
触れたい。君に触れたい。だから……。
【君と共に生きたいと。望んでも良い?】
陳腐な告白だ。俺もアレクセイみたいに形があればもっと良い言葉を選べただろうか。馬鹿みたいな問いに、アレクセイは慈しむ笑みで答える。
「いいよ。僕があげられるものはワンに全部あげる」
【君が欲しいよ、アレクセイ。君が良いんだ】
「いいよ」
そう言ってアレクセイは手のひらに乗る俺に口付けをしてくれた。自分の中心が跳ねて熱を持ち始める。
脈打つ感覚に俺はアレクセイの魂と繋がったのだと悟った。与えられるだけだった温もりが自分の中にも生まれたんだとわかり、言葉にし難い感動が全身を駆け巡った。
こんなに優しくて美しい人の子が、俺という個を選んで生かしてくれた。なんて幸せなんだろう。俺は【我々】の中で1番恵まれているに違いない。
欲しい。アレクセイの全部が欲しい。俺だけのものにして、もらった幸せと同じ分だけ愛を注ぎたい。
「あれ。意識がぼんやりしてきた」
アレクセイは眠そうに目を細めながら呟く。
彼は人の世界で生きる子だ。ずっとここにはいられない。
【君は人の世界に戻らないと】
「でも、ワンとまた会える?」
【きっと魂が導いてくれる。俺も君の世界に生まれるよ。だから、絶対に会おうね】
アレクセイが微笑むと、彼の体は霧のように消えてしまった。手のひらから離れて浮いた自分の体は、まぶしい光を発していた。
黄金の光。アレクセイの魂の輝き。
「綺麗だ」
──生まれる。我らの光。
アレクセイがいる世界に行こう。肉体を得れば記憶も能力も制限されてしまう。でも彼がいる世界で彼の温もりを感じたい。
「今すぐ君に会いたい」
──彼はすべての希望になる。
数百年ぶりに生まれる竜に全ての存在が喜んだ。思念の集合体も、さらにその奥の時空にいる竜たちも。
黄金の光はさらに強くなって、自分の体が上へと引っ張られた。
──でも彼にはあの子が必要だ。
そう、俺にはアレクセイが必要だ。
──ほら、あの子も泣いてる。
アレクセイも俺を必要としているかもしれない。いや、必要とされたい。
──行こう、あの子の元へ。
人の国へ。
彼の世界に行くのなら肉体は彼と同じ人の形が良い。頭に手足、髪の毛、爪、内臓、血、骨、心。あの小さな体を守るために雄の方が良い。あとはアレクセイがくれた黄金の色彩を宿してわかるようにしなければ。
さあ、行こう。アレクセイがいる世界へ。
記憶がほとんど無いワンを孵化させて育てたのはラザールだった。彼は卵の殻から人間の赤子が出てきたから驚いたと、ワンに何度も話すことになる。
ただワンは人間と同じではないため成長速度が異常に早いらしく、5年経てば18歳ほどの見た目になり、それからは変化が起きなくなった。
孵化して立ち上がれるようになった頃、ラザールはワンがどうして人の国に来たのかたずねてきた。
「……あれ?」
しかし人の形を模した肉体は保存できる情報量があまりにも少ない。ワンは誰に会いたいのか、それがどんな名前なのかすら覚えていなかったのだ。果てには自分の名前すら答えられない。
「誰か、大切な人を待っている。俺の、魂の番」
ラザールに伝えられたのはそれだけだ。ラザールが竜と呼ぶワン達の種族を概念だけ語り、やんわりとした目的を話し、それで終わった。
それからの日々は空虚だった。あるはずの記憶が無く、偽りの肉体に閉じ込められたまま本来の姿である黄金の生物に変身することすらできない。
会いたい人がいるはずなのに、どうやって探せばいいのかわからない。このまま塔の中にいても運命の人が来てくれるかわからない。
朝起きて椅子に座ってそのまま夕暮れを迎えると、重い扉が歪な音を立てて少しずつ開いていく。向こう側から四足動物が現れ、人懐っこい様子でワンに近づいた。ラザールはこの生き物をシエルと呼んでいた。
常にラザールに寄り添い、主人の言うことを素直に聞く彼女はラザールの故郷から連れてきた個体の孫なのだという。ワンが生まれた5年後に誕生したので今は3歳のはずだ。
「ねえ君。俺には名前があった気がするんだけど知ってる?」
「わんっ」
「わん?」
ワン。驚くほどにその音が心に染み込んだ。
「そうだ、ワンだ。そんな気がする。それが1番良いって思う。俺はワンだ。ねえ、もう一度呼んでくれる?」
「わふっ」
「ふふ……うん、ワンだ。俺はワンだよ」
シエルを撫でると嬉しそうに尻尾を振る。ワンも嬉しくなってさらに毛を掻き回した。
名前を取り戻したワンは不思議と不安が無くなっていた。そうだ、自分には名前があって個があるのだ。だから運命の人にきっと会える。
「会いたいな」
受肉してから夢でよく見る人がいる。自分は黄金の生き物になって悠々と空を泳いでいるのだが、その下の草原にいつも1人の少年が立っているのだ。
泣き腫らした目を輝かせて見上げる紫色の双眸は、心を締め付けられるほど愛おしい。きっと彼が自分の運命の人なのだと思った。
でも夢は夢だ。体が思うように動かなくて少年のもとに行けない。目が覚めればぼんやりとしかその姿を思い出せない。
「会いたい、会いたいよ」
だけどあの鮮やかな目の色だけが脳裏に焼きついて、たまらないほど幸せな気持ちになった。現実で見たらきっと自分の語彙力では表現できないほど美しいのだろうと、ワンの喜びを膨らませた。
「ああ、なんて素敵なんだろう」
俺だけの運命の人。
君が望むなら俺の全てをあげよう。君と共に生き続けよう。
俺を救ってくれた君に、俺という個を与えてくれた君に、会いたい。
読んでいただきありがとうございました。
今回はワン視点のお話でした。自分に命をくれた相手だから、命を捧げることも本能的に抵抗が無いようです。
次章ではラザール目線から開始します。




