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あなたの口付けが欲しい

 塔に戻りベッドに座った途端、気が緩んだせいで疲労が押し寄せてきた。ふらつく体を横たえると、ワンが掛け布団をかけてくれる。

 これからどうするべきか。アレクセイの顔にかかったオリーブ色の髪をワンが指で払う。仕草を目で追いながらアレクセイは問いかけた。


「ラザール殿は戦争を望んでいないんだろう」

「うん、穏健派の代表って言ってた気がする」


 もし両国で戦いを望まない権力者同士が手を結ぶことができれば、上手く状況を変えることができないだろうか。特にフォルティオンは父を失い、王太子である兄が王位を継ぐことになる。


「兄上と話して和平を結ぶことができれば両国の戦争は回避できるかもしれない」

「ふむ、ラザールも一度フォルティオンの偉い人と話したいって言ってた。繋がりができれば王族も考えを改めるかもしれないと」


 ラザールは大神官でこの国では王族と同じくらい強い影響力を持っている。彼の言葉を聞き流すことはできないだろう。


「ラザール殿に書面を用意してもらい、兄上に会いに行こう」


 そのためにもフォルティオンが今どんな状態か知る必要がある。城が半壊し体勢を立て直すので精一杯のはずだ。今他国に総力戦で攻められたら大きな国といえど侵攻を許してしまう。

 シルフィリア王国だって今フォルティオンが他国に乗っ取られれば困るはずだ。


「色々悩むことはあると思うけど、今はとにかくお眠りよアレクセイ」


 ワンの手がアレクセイの目元を覆う。


「でも」

「回復するのが先。治ったら俺が背中に乗せて君を故郷に届けてあげる」


 確かにワンの背に乗れば半日経たずに到着できそうだ。ここに来た時は気絶していたが、空を切る感覚は覚えている。

 そのためにも今は休もう。だが何か物足りない気がする。眠気で落ちていく意識を漂わせながら、離れるワンの手を見つめた。


「……口付けはしないのか」

「え?」


 無意識に呟いた言葉にワンは気の抜けた返答をする。


「誰が、誰に」

「お前が、俺に。前は口にも頬にもしたくせに」


 アレクセイが熱で寝込んでいた時は何度も頭を撫でてくれたし、少しでも楽になるよう背中をさすって抱きしめてくれた。なのに口付けだけはしてくれなかった。


「……良いの?」


 ワンが上半身を折り曲げてアレクセイに覆いかぶさる。片手はアレクセイの頭の横につき、もう片方の手をアレクセイの頬に添えて、期待を帯びた双眸を真っ直ぐ向けてきた。

 まるでずっと耐えていたような、我慢し難い欲を抑えていたような表情だ。


「あ」


 そうだった。この時間軸のワンには弱った姿しか見せていない。相手からすれば会って早々アレクセイが大泣きして慰める羽目になり、再会したと思えば満身創痍でボロボロ。熱を出して寝込むので看病をしなければならず、少し治ったと思えば突然拒絶してまた泣き出す。口説くどころじゃない。

 ワンはアレクセイの心の隙につけこもうとはせず、真摯に接してくれた。なのに自分は。

 今まで重ねてきた失態にどうしようもないほど羞恥を感じ、アレクセイはワンの手から逃れて掛け布団を頭から被った。


「やっぱり嫌だ」


 疲労で思考が鈍って馬鹿みたいなことを言ってしまった。恥ずかしすぎて小さくなって消えてしまいたい。布団越しにワンのオロオロする声が聞こえてきた。


「待ってくれアレクセイ。俺にもチャンスをおくれよ、後生だ。口付けしたい。何度でもしたいよ」

「ううう〜っ!」


 沸騰しそうな頭では唸ることしかできなくて、布団を被ったままブンブン頭を横に振った。


「アレクセイ」

「忘れろ!」

「嫌だ! 口付けする!」

「馬鹿馬鹿馬鹿!」


 ひっぺがそうとされる掛け布団を必死に押さえながら、アレクセイは体を小さく丸めた。ワンを見れない。自分はいま酷い顔をしているに違いない。

 しばらくして強情さに根負けしたのか、ワンは引っ張る手を止めて布団の上からアレクセイの背中を撫で始める。


「どうしてもダメ? 嫌なのかい」

「自分の情けない部分を晒した」

「どうして。俺は君が甘えてくれて嬉しかったのに」

「うう」


 ワンはいつもそうやってアレクセイを甘やかすので、子ども扱いされてるみたいで気に食わない。だけどワンの優しさがもっと欲しいと思う我儘な気持ちも出てきて、幼子のような思考回路にプライドが捻れる気がした。


「ねえ、1回だけお願い。じゃあおでこにしよう。恥ずかしいならおでこだけ見せて」

「……」

「アレクセイ?」


 切実な願いに恐る恐る布団から顔を覗かせる。灯りに照らされるワンの顔は優しくて、心が強く揺り動かされる。少し息苦しい。

 ワンはアレクセイの前髪を指で掬うと、額にキスを落とした。柔らかい感触と共に軽い音が部屋に響く。


「おやすみ、アレクセイ」


 また熱が上がったのかもしれない。ワンの唇が触れた途端、額から顔へ全身へと熱いものが巡り、気恥ずかしさとは異なる感情が溢れてしまう。

 でも嫌ではない。微睡む心地良さに身を任せて、アレクセイはゆっくりと目を閉じた。


「……」


 また声がする。ワンじゃない、あの声だ。

 でも何も見えない。ひたすら続く闇に包まれている。


「おいで、アレクセイ。みんなが待ってる」


 声の主にアレクセイは問う。


「俺がそっちに行ったら、人々を飢えから救ってくれるか」


 相手は答える。


「祝福が欲しいの?」


 アレクセイも答える。


「欲しい。守りたい人達なんだ」

「良い子」


 声は心からアレクセイを慈しんでいるらしい。温かい音が心に沁みて、理由もわからず切なくなった。


「まだ試練はある」

「試練?」


 竜がいう試練とは何か、アレクセイには皆目検討がつかない。


「大丈夫。あなたが来るのを待ってる」


 そのまま気配は遠くなる。真っ暗な空間ではどこにいるかもわからない。足元が揺れたと思うと、地面が消えて体がゆっくり落ちる。そのまま意識も薄れていった。


「アレクセイ。アレクセイ!」


 肩を揺らされ目を開ける。浅い眠りでも無理やり起こされたためか、耳鳴りがして視界もぼやけている。


「……なに」

「今すぐ逃げないといけない」


 逃げる? 何故。ここにはワンがいて安心できるのに。触れられている肩がほのかに温かくて再び微睡む。


「ここにいてはいけない。ラザールが死んだんだ」

「は」


 冷水を頭から被せられたごとく思考がクリアになる。体を起こすとワンが真剣な眼差しでこちらを見ていた。


「何が起きたんだ」

「シエルからの知らせだ」


 ワンの足元を見るとシエルが怯える表情で側にいた。口にハンカチーフを咥えているらしく、ワンはシエルを撫でてから受け取った。


「ラザールが自分の身に何かあった時に知らせる約束をしていたんだ。これがその知らせだ」


 灰色のハンカチーフを握るワンの手が震えている。


「ラザールが死んだ時は身の安全を優先しろと言われてる」

「本当にラザール殿は亡くなったのか」

「シエルは嘘をつかない」


 確信しているワンの言葉に身体中の温度が奪われるのを感じた。自分と関わった人が次々と死んでいく。


「この城にいるのは危険だ。逃げよう」

「どこにいくんだ。竜の園か」

「ごめん、そこへの行き方はまだわからない。だから遠くへ」


 アレクセイは急いでベッドから降りて靴を履いた。怪我をした足はだいぶ良くなっているが、まだ戦闘は難しい。装備は牢屋に閉じ込められた際に全て奪われているし、この部屋に武器はない。ワンやシエルに任せる訳にもいかないので逃げるならば時間がない。


「あの王子がやったのか」


 昨日ワンに失神させられたエルヴィス。通路での出来事を保護者であるラザールのせいにして復讐をする可能性は十分にある。あの男なら聖龍教が竜を悪用して反旗を翻したなどと言いかねない。

 父と対峙した時のことを思い出す。相手が聞く耳を持つ可能性は限りなく低いだろう。


(俺が塔から出たから)


 また自分の迂闊な行動が最悪の事態を引き起こした。ワンに腕を引かれるも、面白いくらいに膝に力が入らなかった。

 ワンが窓から出られるか確認しようと寄ったところで、部屋の外から慌ただしい音が聞こえてきた。間もなくドアが開かれ、エルヴィスを先頭に大勢の騎士が部屋に押し寄せる。ワンはアレクセイを庇い前に立ち、シエルも低い唸り声をあげる。


「先に弁明だけさせてもらう。私はラザールを殺せと命じていない」


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