俺のものから手を離せ
「エルヴィス様!」
衛兵の声にさらに血の気が引いた。エルヴィス・ロックウェル。王剣騎士団団長の男。ワンを連れて国境に向かっていた際に追ってきて、不意打ちで殺した男だ。
今回はワンを連れずに戻ったため、何事もなく遠征から戻ってきたのだろう。だがまさか神殿に来ていたとは。聖竜教のお飾り。エルヴィスはそう言ってワンを嫌悪していたはずだ。
「ですが殿下の手を煩わせるわけには……」
(まさか)
もう1つ思いだした。彼の本名はエルヴィス・ロックウェル・サラ・シルフィリア。この国の王子だ。
この国はまだ王太子を決めておらず、王の子達はそれぞれの領地を与えられ各々の手腕を発揮している。ロックウェルはエルヴィスが持つ領地の名前だ。
あの時は追われていたため考える余裕が無かったが、思い返せばアレクセイは他国の王子を討ったことになる。結果論だが過去に戻れて良かったとアレクセイは深く安堵した。
「私も彼に用があるんだ。神殿のことは把握しているし、お客人の護衛にこれほど相応しい相手はいないだろう」
貼り付けた笑みを向けるエルヴィスに、アレクセイは次の危機を感じて身震いした。
当然この男は今もワンたちを嫌っている。神殿を出入りするということは表立って対立しているわけでは無さそうだが、付け入る機会を狙っているのだろう。
「お気持ちは大変ありがたいのですが……恐れ多いですし、その」
早く逃げないと。
「だが君1人で歩かせることはできない」
「では一旦塔に戻って大神官殿を待ちますので」
言い終わる前にエルヴィスに腕を掴まれ力任せに引き寄せられる。熱や怪我で鈍った体は言うことを聞かず、足の痛みもあって相手の思うがままにされてしまう。
「なんと謙虚で慎ましい子だろう。安心しなさい、遠慮をする必要はないから」
「ですから私は……あっ⁉︎」
抵抗もままならずエルヴィスの腕に体が持ち上げられ、あっという間に横抱きにされてしまう。
「そうか足を痛めてるのだな。気づかず失礼した。お詫びに安全に送り届けることを約束しよう」
「エルヴィス殿下、その」
「君たちは持ち場に戻れ」
衛兵たちは圧力に押され何も言い返せないらしい。相手は王子なのだから当然だ。困惑しながらエルヴィスの背中を静かに見送っていた。
「……でも小柄で儚い雰囲気の子だったな」
「話し方に品があったし田舎に隠されて育ったお姫様なんじゃないか」
遠くで勝手なことを話す衛兵たちの言葉が耳に入る。ローブで全身が隠れていたし声が掠れていたとはいえ、性別を間違えられるとはなんと屈辱的なことか。怒りに震えるアレクセイをよそにエルヴィスは歩き続けた。
「最近こちらに来たのか? 食事はとっているか。必要であれば王城の料理人に作らせよう」
「大丈夫です。どうかおろしてください」
「遠慮するな。それとも城下町の大衆料理が好みだろうか。ああ、だが市場のサンドイッチ屋はお勧めしない。ハムもチーズも硬いし果物は青臭くて食えた物ではないからな」
アレクセイが訴えようとエルヴィスは遮るように会話を続ける。はなから聞き入れるつもりはないのだろう。
せめてもの抵抗とエルヴィスの体を手で押し返して離れようとすると、冷たい視線がアレクセイに向けられた。
「何。君を野放しにするほうが危ないと思ったんだ。怪我と熱で鈍っているようだが、君は随分と鍛えているらしいからな」
相手の手がアレクセイの肩を強く握り痛みが走る。
「っ……!」
「聖竜が執着しているという人間はお前だな? 神殿の噂が耳に入り来てみたが興味深い。竜の方は今まで下手に手出しができなくてな」
やはりワンたちの弱みを探りに来たのだ。アレクセイは迂闊に塔から出たことを悔いながらも、逃げる手段はないか思考を巡らせた。
「私はラザールに対してあまり良い感情を抱いていないんだ。ぜひ君の話を色々聞かせて欲しい」
低く耳打ちする声に全身の肌が粟立つ。
ワンが竜になった姿を何人も見ているため分が悪いのだろう。絡みつく視線から逃れられず、身を捩ろうにも抱きかかえられているのでロクな抵抗にならない。
「……っ、目的は何だ」
「シルフィリア王国に勝利と永遠の繁栄を」
「フィルティオンと戦争をするつもりか」
「ああ。あの聖竜とやらが城を壊したお陰であちらは混乱しているそうだ。この機を逃すわけにはいかない」
エルヴィスの歩は速くなるばかりで、通路に入っても人気がないのか誰ともすれ違わない。叫べば誰か来てくれるか。いや、相手が王子という立場に対して自分は素性の知れない人間だ。人が来るだけでは何の意味もなさない。
「竜の力に頼る軟弱者とは違う。我々は人の力だけで立ち上がり乗り越えねばならないのだ。そのためにもあの男が上に立っていてはいけない」
「俺をどこに連れていくつもりだ」
「とりあえず王城に来てもらおう」
「大神官の許可なく連れ出す気か。今すぐ解放しろ!」
強い言葉と視線で抵抗を示すも相手は小馬鹿にするように笑うだけだ。
「なに、協力するのなら私の客人として迎え入れてやる。君には色々利用価値がありそうだからな」
「このっ……!」
やむを得ず振りぬくための拳を握るが、その前にエルヴィスの足が止まる。視線を追って進行方向を見ると、ワンが立っていた。
「お前……あの聖竜か」
薄暗い通路の中、ワンの黄金の瞳は淡い光を発していた。暗い森の中で獲物を狙う狼のようで、無表情で見据えるワンには形容しがたい凄みがある。現にエルヴィスは圧倒されて1歩も動けないらしい。
「その子を解放しろ」
ワンの命令にエルヴィスは冷や汗を搔きながら嘲笑する。
「は……やはりお前のお気に入りだったか」
「2度目は無い。俺のものから手を離せ!」
ワンの咆哮を合図に視界いっぱいに黄金が輝き視界が歪んだ。先ほどと同じ目眩かと思ったが、空間そのものが歪んでいるのだと気づかされた。
輝きが消えた後も脳に響いた刺激は残り、エルヴィスの体から力が抜ける。膝をつくと同時に腕も下がり、アレクセイは受け身をとる形で地面を転がり距離をとった。
「アレクセイ!」
駆け寄ってきたワンの腕が背中に回り、強く抱きしめられる。熱い体温が伝わってきて、心臓の音まで聞こえるようだった。
ああ、自分はあれだけ酷いことを言ったのに、この竜は本気で心配してくれているのだ。
「こちらです」
通路の角からラザールが手招きをする。彼の足元には不安そうな顔をするシエルもいた。先ほどのやり取りを一部始終見ていたのだろう。
「だがこの男は……」
「私の部下に任せます」
ワンに支えられながら立ち上がると、膝立ちのまま失神しているエルヴィスを置いてその場から去った。
ラザールに案内されて中庭へと戻ってくる。先ほどは余裕が無かったが、改めて見ると一面美しい花や緑に囲まれている。アレクセイがいた城とはまるで違い、水が豊かなお陰か立派な庭だった。端の空間にあるベンチにまで連れて行ってもらい、そこに腰を下ろした。
「汚い手が触れた」
ワンは横に座ってアレクセイが着ていたローブを脱がせると、忌々しげに地面に叩きつける。そして自分が羽織っていた上着を脱いでアレクセイに着せた。
「お前な」
ラザールが呆れた様子で捨てられたローブを拾う。元はワンの物だし、ならばラザールが与えた物なのだろう。
「ワン、物は大切にしなさい」
「汚い」
「汚くない!」
勢いのある叱咤にアレクセイは思わず吹き出してしまう。まるで幼子を叱る母親だ。先ほどまでの緊張が抜けてしまい、堰を切ったように笑いがこみあげてくる。
意外に思ったのか2人とも唖然としながらアレクセイを注視していた。それがまたおかしくて、アレクセイはしばらく声を押し殺しながら笑い続けた。




