愛は怖いので拒絶する
「は」
ワンは想像してなかったのか、気の抜けた声が漏れ出た。
「乳母は主人の悪事に加担していた。俺の側にいたのは王城の情報を盗むためだったんだ。正体を嗅ぎつけられたから故郷に帰ると嘘を」
父王はそれを悟っていて、始末させるためにアレクセイを行かせた。そしてアレクセイが使えなければそのまま見殺しにするつもりだった。
「2人目を殺した時の気持ちはよく覚えてる。乳母を殺した時、俺は思った。俺を愛してくれる人なんてこの世のどこにもいないんだと」
ワンの手を掴んだままアレクセイは窓を見つめる。以前より欠けた月の明かりは弱く、蝋燭の灯りはどこか頼りない。
「ワン、俺は虚しいだけの人間だ」
「……君は深く傷ついているんだ」
ワンはあくまでもアレクセイを否定しない。何があっても、殺そうとしても。
どうしてそこまで親身になれる。少しだけ心臓に痛みが走った気がして、そうかとアレクセイは腑に落ちた。
「お前は自分が生きるために俺の魂が必要なんだよな」
「うん……そうだね。俺が生きるにはアレクセイの魂が必要だ」
数秒の沈黙の後にアレクセイはさらに問う。
「なら俺を利用するために、こうして優しくしてくれるんだろう」
そうだ、アレクセイは恐れているのだ。今与えられている温もりが偽りかもしれないと。我欲からくる甘い嘘なのかもしれないと。
アレクセイの言葉にワンは虚を突かれて静止すると、みるみる表情を怒りに染め上げた。
初めて見る激情だ。熱で侵食された頭が冷えていくのを感じワンから離れようとするが、逆に勢いのまま押し倒され、ベッドが大きく軋んだ。
見上げれば天井と険しい表情のワンが視界に映る。
「人の子アレクセイ。【我ら】を愚弄したのか」
その口調はいつもと違う。竜としての言葉だ。
そして気づいた。アレクセイは今ワンの気持ちだけでなく、竜の在り方そのものを否定したのだと。
父や乳母と同じように浅い欲望でアレクセイを利用したと決めつけて、ワンの誇りを傷つけたのだ。
「竜は番を必要とする生き物だ。我らには思念はあるけど魂がない。だから生まれる時に魂有りし生命を人生の伴侶に選ぶんだ」
だから何だ。結局アレクセイを良いように使いたいだけじゃないか。心の底から理不尽さに対する怒りが湧いてきて止められない。
「俺は伴侶になると認めていない。お前が勝手に決めたことだ。俺は望んでいない」
「そうだとしても利用するために君を選んだ訳じゃない。君と共に生きるために……」
「うるさい! お前は父上と同じだ‼︎ 自分の利益のために俺を囲ってるだけだろう!」
「違うッ‼︎」
アレクセイの頭の両脇に置かれた手が力強くシーツを掴む。軋む音に混じってシーツの裂ける音が響いた。
ワンは無力に見えて全くそんなこと無いのだ。アレクセイが呼び起こした今、彼は人類全てが恐れる本物の竜となった。
ワンがハッと我に返る。気づけばアレクセイの頬には涙が伝っていた。
感情がごちゃ混ぜになってこんがらがっている。何を言いたいのか、何を伝えたかったのかもうわからない。
「俺は……お前が怖い」
心の中で反芻していた言葉が漏れる。ワンは表情を強張らせ傷ついた色を浮かべた。
ワンはこうやって親身に世話をしてくれて、優しくしてくれる。牢屋ではワンを求めて恋しいと思った。
だけどアレクセイを時の輪転に閉じ込めて、圧倒的な力で屈服させているのはワンの他ならない。ワンの力が遥かに強いから、アレクセイは父王の束縛から逃れることができた。ならこれからは黄金の竜に束縛されて生き続けることになるのか。
愛されるのは怖い。優しくされるのは怖い。
このまま自分の意思を貫けず、されるがままの人生に希望など見出せなかった。足が癒えてこの熱が下がっても、アレクセイの目の前には暗い未来ばかり突きつけられる。全てが怖くて怖くてたまらない。
「もう疲れたんだ」
「アレクセイ」
「俺の魂が欲しいなら俺を殺して勝手に奪ってくれよ」
アレクセイは両腕で目元を覆った。
今の自分に存在意義を見出せない。
結局他者の思惑に操られて、良いように利用されるだけ。
これまでの人生で無闇に人の命を奪っておいて、どうして自分は無駄に生き延びているのだろう?
父が死んだ。城も半壊してまともに機能しないだろう。
リシャもどうなったかわからない。出征している兄も城の話を聞いて取り乱しているだろう。
……全部自分のせいだ。
「アレクセイ」
「触るな」
手の気配に拒絶の意志を示す。
「お前に触れられると自分が自分で無くなりそうだ」
ワンはしばらく黙っていると、ゆっくりとベッドから降りる音がした。そのまま足音を立てて扉の開閉音が鳴る。
腕を下ろして周囲を見ると、ワンはいなくなっていた。耳が痛くなるほど静かな空間に、心を抉られる感覚がした。
ワンを傷つけてしまった。自分はワンを拒絶したかったのか?
「違う、違うんだ」
慌てて身を起こすも未だに目眩がして空間が歪む。
ワンの優しさを踏みにじってしまった。そうしたかった訳じゃない。どうして。
こんなに感情が溢れる経験は無く、形にできない想いに呼吸が速まる。ただワンが離れて行ってしまったことがどうしようもないほどに心細く、自分の発言が間違っていたのだと恥じた。
「ワン。待ってくれ」
声は返ってこない。
嫌だ。このまま1人になるのは嫌だ。
まだ熱は下がっていないが、居ても立ってもいられず椅子にかけられていたローブを手に取った。寝巻きの上に焦茶色のローブをまとってフードを被り、恐る恐る塔の階段を下った。
そういえば窓以外から塔を行き来したことが無い。神殿に通じる地下通路があると聞いていたが、通るのは初めてだ。薄暗い空間をしばらく進むと光が差し、階段を上ると神殿の中庭に出た。
「あれ、君は……」
出入口には丁度見張りの衛兵が2人いて、アレクセイを探るように見た。
引くことはできず、アレクセイはローブの裾を握りしめ口を開く。
「あの……ワンが通ったと思うんだが」
「聖竜様のことだろうか。確かに先ほど通った。あなたは大神官殿が言っていた客人だな」
「まあ……」
「悪いが許可無く通ることは許されていない。早く戻りなさい」
衛兵の視線はアレクセイの頭からつま先まで滑らかに移動する。
正体を測りかねているのだろう。しかも紫の目だ。一触即発状態の国の人間だと察するのは容易い。
「私は……その。大神官殿の親族です。昔フォルティオンから逃亡してきた貴族の血が入っているため、殺されそうになったところを保護されたのです。みなさんには不快なものとして映るかと思いますが……」
意味深に目元に触れるアレクセイに衛兵達は動揺しだす。
「そ、そうか……それは大変だったな」
自分も口先だけの嘘なら随分上手くなってしまったものだ。
「聖竜様が大神官殿に用があり向かったのですが、お伝えし忘れたことがあり慌てて後を追っているのです。通していただけますか」
「うーん……だがその大神官様のご命令だからなあ。君も顔色が良くない」
「ですが」
「なら私が案内しよう。ラザール殿を先ほど見かけたからな」
会話に割って入ったのは若い男の声だった。だが聞き覚えがある。
背筋が凍るのを感じながらアレクセイは声の方へ向いた。




