鳥籠の祈祷師リシャ
「落ち着いた?」
綺麗なシルクのハンカチで目元を拭かれる。柔らかな生地は肌の上を丁寧に滑り、残っていた雫を吸収した。
「ああ」
「良かった」
ベッドでワンと並んで腰掛けていたアレクセイは、相手に身を預けたまま朝を迎えた。一生分泣いた気がする。少しでも話そうとすると涙が止まらないし、ワンに背中をさすられると水量が増えて余計に酷くなった。
結局、夜明けまでひたすら泣いて慰められて、先ほど事の顛末をかいつまんで話し終えたところだった。
「アレクセイ。俺は君の味方だよ」
ワンの言葉はいつもアレクセイを肯定してくれる。嬉しいけれど、出会ったばかりの相手に向ける好意としては不審なほどに重い。
「どうしてそこまで俺を信じる」
「君の全てを受け入れたいから」
「だからどうして」
引き下がらないアレクセイにワンは視線を少し外へとずらした。
「よく、思い出せない。受肉した際に記憶の容量も制限されてしまって、幼体だから竜の記録も朧げにしかないんだ」
「時が経てば成長するのか」
「いや、時は関係ない。でも君を一目見た時に愛おしい気持ちが強くなったんだ」
ワン曰く、幼体の状態は鍵がかかっている状態なのだという。その鍵を開けなければ成体になれない。その条件もあやふやなのだ。
竜にとって受肉してこの国に来るのはデメリットが多い。だけどワンは目的を果たすために卵の状態でやって来て、人の形に生まれたのだそうだ。
人の知識では理解できない話にアレクセイは唸る。思考を巡らせていると、ある考えに行き着いた。
「リシャなら知っているかもしれない」
リシャは星を読んでアレクセイの身に起きることを当てた。星読みなら竜の生態を知る手がかりを掴めるかもしれない。
この繰り返す世界から抜け出し、人々の争いを止める術が見つかるのではないだろうか。
「ワン、俺は一度国に戻る」
ワンの腕から離れて立ち上がるアレクセイに、ワンは名残惜しそうに見上げた。
「この輪転が俺に何を求めているか正直わからない。だがお前を討つことが正解でないことだけはわかった」
「アレクセイ」
「新たな道を探せと言われている気がするんだ。だから戻って、手がかりを探す」
赤く腫れた目を出来るだけ柔らかく動かして、アレクセイは微笑んだ。恐らくワンには初めて見せるだろう。
ワンは何度か口を開閉させた末に、ポツリと答えた。
「もし助けが必要な時は、魂で俺を呼んで」
「は」
「約束だよ」
真っ直ぐな黄金の瞳に惹かれ、アレクセイは素直に首肯した。
ワンはアレクセイが塔を降りた後も窓からこちらを見つめていた。森に入る時もワンはまだ見ていて、黄金の髪は朝日を反射し太陽のように輝いていた。
やっぱり綺麗だ。離れがたさを感じながらもアレクセイはマントを翻し去った。
そしてアレクセイはほとんどの休憩を断ち、急いで国に戻った。
夜中も睡眠をロクにとらず移動し続けていたため、城に着いた頃には流石にフラついていた。食事も少量の干し肉と水を口にしたくらいだ。瑞々しいリンゴのサンドイッチが恋しくてたまらない。
月が雲に覆われた夜、アレクセイは人気のない中庭を通って王城を見上げた。こちらは来賓室が並ぶ区画だ。アレクセイがいた塔とは外観から異なっており、白い壁面が薄暗い中ぼんやりと浮かんでいる。
リシャはこの時間は私室にいるはずだ。王のお気に入りになってからアレクセイと比較にならないほど豪勢な部屋を与えられたと記憶している。それがまた神経を逆撫でしてきたが、今考えると綺麗な鳥籠に閉じ込められているも同然だと思う。
初めてリシャという男がどういう人間なのか考えた。兄王子が連れてきた人で、兄には慈愛の笑みを向けていた気がする。一目で2人が深い情で結ばれた仲なのだとわかった。その関係性の名はよくわからない。仲間か、友か、それとも。
見張りにバレないようバルコニーに飛び移ると、中にリシャがいることを確認した。豪華な室内の中で、質素な椅子と机を端に寄せて作業をしている。
派手な空間の中で異分子のように浮いた姿は、彼がその状況を望んでいないことを示しているようだった。アレクセイは他に気配が無いことを確かめてから窓をノックした。
「リシャ」
「殿下……⁉︎」
リシャは伏せがちな目を大きく開き、バルコニーの窓に駆け寄った。静かに鍵を開けると迷わずアレクセイを中へと誘導する。
「お戻りになったのですか。それはつまり……」
「竜は生きている。危害は加えていない。今話せるか」
「はい」
まさか直接来るとは思っていなかったのだろう。リシャは緊張で表情を強張らせ、アレクセイの言葉を求めた。
「竜はどのようなお姿でしたか」
アレクセイは少しの間逡巡する。
「金色の髪と目を持つ美しい男だった。だが人の形をしながら人ではない気配を感じさせる」
「なんと」
「リシャ。お前は俺に人の価値観を覆すほどの出来事が起きると言ったな」
リシャは小さく頷く。
「確かに起きた。お前はどこまで知っているんだ」
「何があったのですか」
「竜を討つたびに時を遡る。俺はすでに5回竜を討ち、5回とも時間が戻った。覚えているのは俺だけだ」
にわかには信じ難いのだろう。リシャは緩慢な動きで視線を落とした。
「時を……遡る」
「竜も記憶を持っていないらしい。だが竜が引き起こしていることに間違いはない」
「つまり殿下は時の輪転に囚われたというのですね」
おそらくそうだと肯定する。自分だけが巻き込まれて繰り返している。
「リシャ、正直言うと俺は占いを信じていなかった。竜の存在も半信半疑だった。今ではもう疑う理由はない、俺はこれからどうすれば良いのか占ってくれないか」
「殿下……」
「俺は兄上と同じ気持ちだ」
その言葉にリシャはハッとアレクセイを見る。
きっとリシャも国王に仕えながらも志しは兄王子と同じなのだろう。灰色の瞳に光が宿ったのをアレクセイは見逃さなかった。
「戦争は嫌いだ。竜はきっと俺たちにチャンスを与えてくれているんだと思う」
この言葉は嘘ではない。
暗殺業も父王から国民を守るために必要だと言われたから、最終的に自分を納得させて身を投じた。
多くの命が救われ、穏やかに過ごせる未来が来ると。それが自分の使命だと言い聞かせてきた。生きたいというのはもちろんだが、自分が国のために何かできるという事実は、存在を肯定してもらえた気がするのだ。
誰かの生活を、笑顔を守ることができるのなら。
そして竜の力に巻き込まれた今、アレクセイは新しい可能性に賭けてみたいと思った。
今まで父の言うとおりにしてきたが、今回ばかりは違う。初めての反抗なので正直心細い。だが動かない訳にはいかない。
「では……空を読みましょう」
リシャはバルコニーに出て空を見上げた。懐から金細工の球体を取り出すと、己の視線の先に掲げる。先ほどまで空を覆っていた雲は消えており、夜空がアレクセイ達を出迎えた。
星を読む姿を見るのは初めてだ。リシャは球体を持ったまま空を見上げ、聴きなれない異国の言葉を唱え続けた。一瞬、球体が光ったと思うとリシャは口を閉ざし、灰色の目で星を見つめる。
(あれは)
空に数多の星が光った気がした。通常地上から星は数えるほどしか見えない。だから星を読むと言っても何を見るのだろうと疑問を抱いていた。
もし先ほどのように多くの星が本当にあったとしたら?
穏やかな風が何度か通り過ぎると、リシャはおもむろに口を開いた。
「殿下、確かに輪転を引き起こしているのは竜だと思います」
「今のでわかったのか」
「はい」
信じがたいが相手の声色に迷いはない。室内へと戻るリシャにつられて中に入ると、アレクセイは言葉の続きを促した。
「竜が起こしたことではありますが、核となっているのは殿下……あなた様です」
「なんだと」
振り返ったリシャの目線はアレクセイの心臓の位置に向けられている。
「殿下。あなたの体には何が刻まれているのですか」
そういえばワンと出会ってから何度か心臓に異変があった。大きく動き、血が弾けるほどの強い衝撃。考えてみればおかしい。
アレクセイは性急な手つきでマントを脱ぎ捨てると上着を脱ぎ、さらに下に着ていた服と肌着を剥いて自分の体を確かめた。
「は」
今まで小さなアザがあった箇所に、見たことがない文様が浮かび上がっていた。心臓の位置を囲むように大きな円が描かれ、見慣れない特殊な模様がさらに円を囲っている。中央には文字と思える印がつけられていた。
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三章から更新スピードを毎日に変更することにしました。明日もお時間があればぜひ。




