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哀れな弟と八方塞がりの兄

 窓越しに月を見るといつもより眩しく見えた。満月だ。

 王太子ライアン・ディ・アシュレイは、紫色の目を細め切なげに息を吐いた。3つ年下の弟アレクセイを想ってのことだ。


 今日は2人目の弟に会った。第二王妃の子なので王位継承権を持っている。さらにライアンの母である第一王妃は一昨年に疫病で亡くなっているため、実質彼女が正妃として扱われていた。

 侍女と乳母を連れて中庭で遊んでいた3歳の弟は、こちらに気づくなり満面の笑みで駆け寄ってきた。自分は上手く笑顔を作れたのか、自信はない。

 一部では彼こそ次期国王にと推薦したがっているらしい。つまりライアンは王太子でありながら「死んでも代わりがいる存在」となった。


 ライアンは昔から父王と反りが合わなかった。父はいつも血気盛んで疑り深く、自分の立場を脅かされるのを何よりも嫌っていた。意見が食い違い王位継承権を持つライアンは王にとって邪魔でしかない。

 一方で従順な者は好んで手の内に収める。アレクセイがそうだ。自分以外に依存できないよう塔に閉じ込め、親からの期待という存在意義をぶらつかせて手足のように操る。少しずつ穏やかで優しい子の面影は薄れてしまい、アレクセイの悲しみを帯びた冷たい双眸を見た時は心が痛くなった。


「ライアン様」


 書斎の扉が小さくノックされる。ライアンがすぐドアノブに近づき開くと、祈禱師のリシャが顔に不安の色を浮かべて立っていた。


「リシャ、どうして」

「アレクセイ様が数日前、シルフィリア王国に」

「なんだって。とにかく中へ」


 促すライアンにリシャは周囲を気にしながらそっと室内へと入る。


「長居はできません。本当はもっと早くお伝えしたかったのですが……」

「どうしたんだ」

「陛下はアレクセイ様を利用して……」


 言いかけたところでリシャは口を閉じる。言葉にするのを恐れたのだろう。


「父王はアレクセイを使ってシルフィリア王国と戦争をするつもりか」

「はい、恐らくは。噂にある竜を討てと命じられました」


 なんてことを。ライアンは隠しきれない失望に拳を握りしめた。

 竜の噂はライアンの耳にも届いていた。10年前に当時漁師だった大神官ラザールが、大陸の外から竜の卵を持って帰ってきたのだ。


 その後、竜聖教の熱心な信者だったラザールは、当時の大神官に保護を頼み、見習いとして神殿に仕え始めたそうだ。竜の世話を一任されたことで信者に支持され、今では聖龍教のトップに立っている。

 平民の漁師が大神官になるのは普通あり得ない。それこそ人の常識を覆すほどの要素が必要になる。

 ラザールの経歴は竜の存在を噂と流すにはあまりにも特殊だった。


「盟約はもうすぐ期限を迎える」


 100年前に結ばれた不戦の盟約はもはや意味を為していない。事実国境沿いでは紛争に至らなくとも緊張状態が続き、いつ戦闘を開始しても良いよう領地主が自ら準備を進めている。

 もし竜が本当にいて、アレクセイがそれを討とうとしているならば。竜が死ねばシルフィリア王国の怒りを買い、アレクセイが死ねば王族を殺したことを開戦理由にする。

 本当は今すぐにでもアレクセイを迎えに行きたい。だがライアンには時間が無かった。他の国境沿いで別の国が侵略しようと攻め込んできたからだ。

 戦況はこの数日で悪化し、ライアンが増援を率いて向かわねばならなくなった。シルフィリア王国に構ってる暇などないのに、王はまるでわかっていない。


(私が言っても聞く人ではないが……)


 リシャもライアンの事情をよくわかっている。しかしライアンが後で知り絶望するのも理解していたので伝えてくれたのだろう。

 絶対に生きて戻らねばと決意を固められるから。


「ああ、アレクセイ。どうしてお前ばかり」


 彼を想うたびに心が痛い。顔を手で覆うライアンにリシャは触れようと手を伸ばす。


「リシャ、ダメだ」


 触れる寸前で手が止まる。


「早く戻れ。父王に気づかれるとまずいのだろう」

「それは」


 リシャは泣き出しそうな表情をして、視線を床に落とした。


「……失礼します」


 ライアンは静かにリシャが出ていく姿を見送った。

 父はライアンの大切なものを奪っていく。大切にしたいのに届かない場所へ連れて行かれて、気安く触れることさえ叶わなくなる。


 リシャと初めて出会ったのは地方の領地だ。昨年、行方不明者が続出したという報告を受け、騎士を引き連れてその地を訪れたのだ。そして主犯である奴隷商人を捕まえた際に、鎖で繋がれたリシャを見つけた。

 彼が言うには各国を放浪していた途中で拉致されたらしい。星を見て占う技術と、物腰柔らかで品のある姿から高く売れると判断されたのだ。


 最初は行き場もなく今にも消えてしまいそうなリシャに同情心を抱き側にいさせていた。自分より年上なのに、どこか頼りない不思議な存在。だが共に過ごすたびに心を惹かれ、互いに居心地の良さを感じるようになった。

 ライアンの弱い部分もリシャは優しく受け止めてくれた。言葉を重ねるたび愛おしさが強くなり、交わす視線も徐々に熱を帯びたように思う。


 王城に戻り偶然出会ったアレクセイに紹介した時には、すでにリシャに特別な想いを抱いていた。


「守ると決めたのに……」


 だが星読みの技術を知った父王が、ライアンが紛争地に赴いている間にリシャを国王専属の祈祷師に任命し奪い去ったのだ。最初は抗議をしたし実力行使も考えた。だが王族同士で争っていられるほどフォルティオンに余裕はなかった。


 今はただ、国を守るために消耗しながら戦い続けている。自分の幸せなど二の次だ。

 リシャも父王の側にいれば身の安全が保障されているはずだ。だから……。

 大切な人たちを守りたい。だが王太子としての役目を果たさなければならない。

 もう一度見た月は不愉快なほどに輝いていて、噛み締めた唇からは血が滲んでいた。


これで第2章はお終いです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

評価や感想をいただけると活動の励みになります。


第3章はアレクセイにさらなる試練が待ち構えています。ワンは大暴れします。


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