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プロローグ

 故郷から出発して1か月。木造の船は修理した跡が醜く目立ち、いつ沈んでもおかしくない。伸びっぱなしの髭は海風で顔に張りついて不快だが、漕げども漕げども何も見えない大海原は些末な感情を全て洗い流してしまう。

 日が沈んでからどれくらい経ったのだろう。空は雲に覆われ星1つ見えず、一面が漆黒に染まっていた。船を漕ぐ音は荒れた波に吸い込まれ消えていく。

 今日は1人死んだ。

 昨日も1人。その前はいつだったか。

 4人いた船員は原因不明の発作で倒れ、残ったのは今年32歳となるラザールだけ。


「これが竜の呪いか」


 竜が住むと言われる大陸がある。そこはまるで天国のような場所で、美しい緑に覆われ、飢えとは無縁の世界だと伝えられている。

 一方で人の国は全てにおいて限られていた。島と呼ぶには大きいが、大陸と呼ぶにはいささか心もとない大地には、両手で数えられる程度の国がある。それだけだ。少ない資源を求めて争い続け、どの国も飢えに苦しむようになった。

 人が住む大地の外に出れば、人間の知識では判断できない死因によって次々と亡くなってしまう。ここは禁忌の区域。人が生きられる世界ではない。

 それでも食料や資源が必要なのだ。枯れかけた土地では命が芽生えどすぐに消えてしまう。

 ラザールは人類の未来のために覚悟を決めて船旅に出たはずだった。もはやどうでも良かった。故郷にいる両親に会いたい。死にたくない。


「どうかお赦し下さい。どうかお恵み下さい。どうか我々人間をお救い下さい」


 漕ぐ手を止めると、体を前に折り曲げて祈りを捧げる。組んだ手に額を何度もこすりつけ繰り返し黒い海に願う。

 ラザールの言葉は飛沫の音に掻き消され、聞き入れるものはいない……はずだった。

 荒れていた波が突如鎮まった。ラザールが顔を上げると、周囲には静寂が広がり、先ほどまで荒れていた波は幻のように消えた。ただ自分の呼吸音が響き、身を刺す冷たさが肌を覆っている。現実だ。


「どうして。何で」


 戸惑っていると、前方から見慣れた形の小舟が流れてきた。船体は腐りかけていて、ラザールの故郷で作っているものと同じ作りの船だった。

破れてボロボロになっている帆の模様から、それが半年前に自分と同じ志で海に飛び出て、二度と戻らなかった従兄の船だとわかった。


「あれは、何だ」


 小さな船の中央に鎮座しているのは黄金に輝く卵だった。

 まばゆい光を放ち黒い空間を照らしている。あまりの光量に目を細めないといけないくらいだ。

 さらにそれは人の頭より二回りは大きい。自分が知る限りこれだけ大きな卵を産む生き物はいないはずだ。


 竜の卵だ。


 恐怖を忘れ、腐った船まで漕ぎ着けると迷わず乗り込み卵を持ち上げた。

 金でできているのかと思ったものの、それほど重くはない。圧倒的な存在感と美しさに息を呑んだ。

 瞬間、再び波が荒れ始め船体を大きく揺らす。古い船は鈍い音を立てて軋んでいた。

 ラザールは急いで漕いできた船に戻り方角を確かめようと辺りを見回した。

すると卵の光で気づかなかったが、いつの間にか厚い雲は消えており、明るい月が男を見下ろしていた。

 竜は自分を運び屋に選んだのだ。この卵を人の国へ。どうして? わからないけど行くしかない。

 ラザールは卵が割れないよう着ていた上着に包んで荷物置きにロープで固定し、再び船を漕ぎ始めた。激しい波が飛沫を起こして水が弾丸のように降り注いでくる。

 もう怖くはない。上着越しに竜の卵が照らす光は温かくて、不思議と安らぎを感じた。

 星を頼りに波に押されながらラザールは故郷へ向かった。


 生まれる。我らの光。

 彼はすべての希望になる。

 でも彼にはあの子が必要だ。

 ほら、あの子も泣いてる。

 行こう、あの子の元へ。

 人の国へ。


 そして3週間後。竜の卵は初めて人の国に降り立つこととなる。


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