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8枚目


 翌日、病室を訪れた結鶴を見て、朱里はほっとした表情を浮かべている。


「あの……昨日はすみませんでした」


「いいのよ。結鶴ちゃんが平気なら、それでいいの」


 重ねるように言葉を返す朱里は、結鶴を気遣うと同時に、朱里自身にも言い聞かせているかのようだった。


「あたしのわがままで、色々と無理をさせてしまったようね。結鶴ちゃんが来てくれることが嬉しくて、年甲斐もなく甘えすぎていたみたい」


 甘えすぎていた。

 その言葉に肩を揺らした結鶴は、ゆっくり息を吐き出すと、覚悟を決めた様子で顔を上げた。


「あの……朱里さん。前に話した『けいこ』という名前の人についてなんですけど、何か思い出しましたか?」


 真っ直ぐに合った視線。

 結鶴の問いかけに、朱里の瞳がゆらりと揺れた。


「……ええ。一週間ほど前に」


 目を伏せた朱里が、諦めたような顔で語り始める。


「初めは、すぐに伝えるつもりだったの。でも、結鶴ちゃんと過ごすのが本当に楽しくて……。話したら、もうここには来てくれなくなるかもしれないって思ったら、なかなか言い出せなくなってたの。……最低よね」


 溢れ落ちた言葉が、静寂の空気に沈む。

 朱里は、結鶴がどんな顔をしているのか知るのが怖かった。


 それでも、自らが引き起こしたことの責任は、自らで負わなければならない。

 そう考えた朱里が、顔を上げた時だった。


「私も……朱里さんに甘えてました。朱里さんの傍は心地が良くて、友達のように気さくなのに、たまに……お母さんがいたらこんな感じだったのかなって思えるくらい温かいんです」


 朱里の目から降った雨が、白いシーツを濡らしていく。


「不安にさせてごめんなさい。やらなきゃいけないことを終わらせたら、必ず……また会いにきます。だから──」


「結鶴ちゃんは何も悪くないわ。悪いのは全部あたしよ。あたしはね、自分のためなら結鶴ちゃんさえも利用する……狡くて汚い大人なの」


 結鶴を引き寄せた朱里が、包むように抱きしめてくる。

 耳に届いた鼓動の音に、結鶴の目からも涙が零れていた。


 必ずなんて、どれほど残酷な嘘だろうか。

 それでも、結鶴は諦めたくなかったし、朱里に諦めてほしくなかった。


 母の温もりを知らない結鶴にとって、いつの間にか朱里の存在は、何者にも代え難いものとなっていたから──。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 ひとしきり泣き終わり、結鶴は朱里と恥ずかしそうに笑い合っていた。


「結鶴ちゃんには、情け無いところを見られてばかりね」


「それは、えっと……お互い様です!」


「ふふ、それもそうね」


 先ほどまでの雰囲気は微塵もない。

 楽しそうに笑みを漏らした朱里は、結鶴を見つめると『けいこ』について話し始めた。


「以前、検査待ちをしているあたしの隣に、同年代くらいの人が運ばれてきたの。お互いシングルマザーってこともあって、話も弾んだんだけど……その人が言っていた娘の名前が『けいこ』だったのよ」


「その人はどこにいるんですか?」


 恵子は高校二年生だった。

 つまり、朱里と同年代の母親が生んだ娘であれば、恵子の年齢も十分にあり得るということだ。


「転院前の検査だったから、今は別の病院にいると思うわ。たしか、ふ……ふじ、ふじの……」


藤野宮(ふじのみや)病院?」


「そう! そこよ!」


 結鶴の言葉に、朱里が大きく頷いている。


「名前とかは分かったりしますか?」


「ええ、苗字なら覚えてるわ。こ、……っ」


「朱里さん?」


 途中で途切れた声に、結鶴が不思議そうに朱里を呼んだ。

 突然、胸元を握りしめた朱里が、苦しそうにもがきだした。


「朱里さん!」


 必死に背中をさすり、ナースコールのボタンを押す。

 10秒とたたずやってきた看護師は、朱里の様子を見て血相を変えた。


「緊急です! 先生を呼んでください!」


 苦しむ朱里を見ているしかできない結鶴の前で、駆けつけた医師や看護師が朱里をストレッチャーに移している。


「日比野さん! 聞こえますか!?」


 看護師が声かけをしながら、急いで手術室へと運んでいく。

 朱里の姿が手術室の中に消え、扉が閉まった瞬間、結鶴は膝から崩れ落ちていた。


 絶望で頭が真っ白になる。

 抱きしめられた時は気づかなかったが、朱里の背中に触れたことで()()()()()()()のだ。


 朱里の身体の中にある、ライフチケットの数字が──。


 残り、15時間。

 年単位でも日数でもなく、時間。

 それが意味するところは……。


「結鶴!」


「……けいごさん」


 肩を揺すられ、顔を上げる。

 何時間座っていたのだろうか。

 手術室には、まだ赤いランプが灯っている。


「悪ぃな、こんな遅くまで。おふくろに付いててくれたんだろ?」


 時計を見ると、すでに夜の九時を回っていた。

 長椅子に腰を下ろした圭吾は、結鶴の頭に手を置き、くしゃくしゃと撫でている。


「おふくろなら大丈夫だ。生命力も強ぇし、今まで何度も乗り越えてきたからな」


 結鶴を励まそうとしているのだろう。

 普段通りの態度で話す圭吾だが、声が微かに震えている。

 本当は、不安で仕方がないはずだ。


「とりあえず、今日はもう帰れ。手術が終わったら連絡するからよ」


 家に帰るよう促され、結鶴はふらふらと立ち上がった。

 次なんてもうない。

 朱里と会えるのは、今夜が最後になるのだ。

 夜明けがくれば、朱里の命はそこで終わってしまう。


 心が麻痺しすぎて、もう涙さえ出てこなかった。


「……どうしてだよ。あと一ヶ月、あと一ヶ月なんだぞ……!」


 手術室から遠ざかる結鶴の背後で、圭吾の慟哭(どうこく)が響いていた。




 ◆ ◆ ◆ ◆




 病院の一階は閑散としている。

 正面の出入口は施錠されており、結鶴は裏口から出ようと彷徨っていた。


「ねえ君、ちょっといーい?」


「……なにか」


 不意に声をかけられ、結鶴は背後を振り返った。

 結鶴の視界に、白い外装が映り込む。


「その服……」


 狐のように吊り上がった目と、高い位置で結われたツインテール。

 案内役と同じ服を纏った少女は、結鶴の表情を見てにんまりと笑みを浮かべた。


 

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