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7枚目


 家に帰ってからも、結鶴は病院であったことを思い返していた。


 結鶴の前ではいつも笑顔の朱里が、実は移植が必要なほど重い病を抱えていたなんて。

 ドナーが見つかったと聞いて涙する朱里に、結鶴はどう接したらいいのか分からなくなっていた。


 それでも、これまで朱里が気丈に振る舞ってこれたのは、圭吾の存在があったからだ。

 苦悩する圭吾の姿を目にして、結鶴は思わず口を開いていた。


「まだ嬢ちゃんだと思ってたが、俺の勘違いだったな」


 憑き物が落ちたような顔で結鶴を見た圭吾は、眩しそうに目を細めている。


「……結鶴は立派だよ。俺なんかよりもずっとな」


 真っ直ぐな言葉が、結鶴の心にじわじわと広がっていく。


 結鶴にはもう、恩を返せる両親はいない。

 朱里と圭吾のように軽口を叩き合うことも、傍に寄り添うことも出来ない。


 病室を訪れるたび、結鶴は二人の関係を羨ましく思っていた。

 けれどそれ以上に、二人の温かさは結鶴を癒し、救ってくれていたのだ。


 俺なんかと話す圭吾に、結鶴は大きく首を振った。

 何度も左右に首を振る結鶴を見て、圭吾が小さく吹き出す。


「やっぱり結鶴は凄ぇよ」


 そう言って晴れやかに笑う圭吾は、まるで真夏の太陽のように鮮やかだった。




 ◆ ◇ ◇ ◇




 恵子の捜索は難航していた。

 今は朱里の記憶以外に頼るものもなく、時間だけが刻々と過ぎている。


 手術まであと一ヶ月ほどだ。

 なかなか思い出せない朱里に焦る気持ちはあったが、とにかく無事に手術を終えて欲しい。


 そんな気持ちから、結鶴が恵子の件について聞くことはなかった。

 少しでも不安が和らげばと頻繁に会いにくる結鶴の姿に、朱里は申し訳なさと嬉しさを感じていた。



 その日も、いつも通り家を出た結鶴は、朱里の元に向かおうと病院を訪れていた。

 しかし、病室の近くまで来た結鶴は、突然ぴたりと動きを止めている。


 503号室の前で輝く光は、ライフチケットの所有者が残す痕跡と同じで──。

 信じたくない。

 何かの間違いに決まっている。


 冷や汗で湿る手を伸ばした結鶴は、ゆっくりと扉をスライドさせた。


「あら、結鶴ちゃんいらっしゃい」


「……っ」


 恵子の身体の中に、光源と呼べる物があった。

 弱々しい光ながらも、痕跡より確かな存在感を放っているチケットを目にして、結鶴の視界が暗くなりかける。


「結鶴ちゃん大丈夫? 顔が真っ青よ」


 硬まる結鶴を見て、朱里が心配そうに声をかけている。


「……どうして……」


 こんな顔を見られてはいけない。

 何も答えることができないまま、結鶴はくるりと背を向けた。


「結鶴ちゃん!」


 病院を飛び出し、一心不乱に自転車を漕ぐ。

 朱里も圭吾も、とても喜んでいたのだ。

 手術が成功するか、不安な気持ちはあっただろう。


 けれど、ずっと続いていたトンネルの先に、未来への希望が見えている。

 それがどんなに……素晴らしいことか。



 気づけば、結鶴は自室のベッドで布団を被っていた。

 窓から見える空は真っ暗で、結鶴の真っ赤に腫れた目を隠してくれている。


 いつの間にか眠ってしまっていたのだろう。

 起き上がろうと手をついた結鶴は、ベッドの端に座る人影を目にした。


「あんないやく、さん?」


 まだ覚め切らない脳が、驚きよりも疑問を口にさせる。

 傍から見れば危険な侵入者だが、結鶴にとっては自らの事情を知る唯一の存在だ。


「あの……」


「貴女、馬鹿なんですか?」


 何も言わない案内役に、結鶴が声をかけようとした時だった。

 突然の馬鹿発言に、結鶴の思考が停止する。


「今の状況を理解してますか? もう気付いていると思いますが、ライフチケットに記載される寿命は年単位です。そして、たとえ一年を切っていても、死ぬ三日目になるまで数字が変わることはありません」


「三日前……」


「貴女が考えているほど、時間は残されていないんですよ」


 頭のどこかでは、結鶴も何となく分かっていた。

 それでも、はっきりと認めるのが怖くて濁してきたのだ。

 あと少し、もう少しだけは大丈夫なはずだと。


「で、でも……! 朱里さんは、恵子さんを探す手がかりを持っているかもしれないんです。思い出すまで通う必要が──」


「やはり馬鹿ですね。そうやって流され続けていれば、いつまで経っても手がかりとやらを聞き出すことはできませんよ」


 聞き出す。

 まるで、朱里がすでに恵子のことを思い出しているかのような言い方だ。

 

「どういう……意味ですか」


「これ以上は規則に触れます。他人に情けをかけている暇があるのか、今一度よく考えてみることですね」


 その言葉を最後に、案内役の姿は一瞬で掻き消えてしまった。

 神出鬼没な案内役らしく、去る時も突然だ。


 布団を握りしめた結鶴の心には、情けという言葉が深く突き刺さっている。


 朱里に恵子のことを聞いたのは、初めて会った日の一度だけだ。

 けれど、朱里ならば何も言わずとも教えてくれると思っていた。


 優しさに甘えていたのかもしれない。

 手術を控えているからと言い訳して、結鶴は朱里が話してくれるのをただ待ち続けていた。


 案内役が来てくれなければ、きっと手術が終わるまで踏み出せなかっただろう。

 そうして、朱里という唯一の手がかりさえも失った結鶴が辿るのは、死への一本道だけだ。


 ましろを犠牲に助かっておきながら、いったい何をしているのか。

 ばちりと鳴った音は、結鶴が自分の頬を叩いた音だ。


 明日、もう一度朱里に聞いてみよう。


 静かな決意を胸に、結鶴はしっかりと拳を握った。


 

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