6枚目
「……おふくろ、心臓が弱いんだよ。今は入院で何とかなってるが、いつ急変してもおかしくない」
「そうだったんですね……。ドナーが見つかって、本当に良かったです」
結鶴の声には、安堵が混じっていた。
朱里を思っての発言に、圭吾は「ありがとな」と微笑んでいる。
「正確に言えば、まだ候補なんだ。植物状態の患者がいて、今は延命措置の最中なんだと。なかなか踏ん切りがつかなかったが、あと数週間待って目覚めなければ、措置を止めるつもりらしい」
「つまり、家族の意思決定待ちなんですね」
「その通りだけど……詳しいんだな」
目覚めない人を待ち続ける辛さも、命を終わらせると決めた時の苦しさも。
結鶴はよく知っていた。
沈黙する結鶴を見て、圭吾も何かを察したらしい。
結鶴の頭に手を乗せ、わしわしと撫でている。
「移植までは一月くらいかかるそうだ。嬢ちゃんさえ良ければ、また会いにきてやってくれ。おふろくも元気が出るだろうしな」
「そうします」
頷く結鶴を優しい目で見つめていた圭吾だが、ふとその顔に陰が落ちた。
遠くに視線を向けた圭吾は、まるで自嘲するような笑みを浮かべている。
「家族は必死に延命措置を続けてるっていうのに、俺はおふくろのために一日でも早く決断してくれって願ってる。……酷い話だよな。救ってやる側が、救われる側に死を望まれるっていうのは……」
理不尽なことは、この世に数えきれないほど存在している。
それでも、僅かな希望を捨てられず、訪れるかも分からないいつかを待ち続けてきたのだろう。
見ず知らずの誰かのために、大切な家族の一部を譲ろうと思える人たち。
感謝こそすれ、死を望むなどあってはならないことだ。
そう思っているのに。
頭では分かっているのに──圭吾の心は、未だ死を望む声で溢れている。
「……そうでしょうか」
ぽつりと聞こえた言葉に、圭吾は驚いた表情で結鶴の方を見た。
「朝になれば目が覚めて、夜が来たら眠る。そんな当たり前のような毎日でも、どこかで誰かが死んでるんです。だけど、みんなそんなこと気にもしない。……他人事だから」
普段の結鶴からは考えられない発言だ。
動揺する圭吾をよそに、結鶴はぽつぽつと続きを口にしていく。
「でも、自分の身近な人が死にそうになった瞬間……みんな慌てて叫ぶんです。誰か助けてって」
どうしてこの子なの?
なんで私がこんな目にあうの?
幼い結鶴が、病院で何度も耳にした叫びだ。
「みんな同じなんです。大切な人のためなら、どんな犠牲を払ってでも助けたいと願ってる。だから……同じ思いで苦しむ人が一人でも減るように、ドナーになってくれた誰かがいるんです」
ベッドで眠る母の隣で、父は声も出さずに泣いていた。
後にも先にも、結鶴が涙を流す父を見たのは……あの時だけだった。
「おかあさんをどこへつれていくの?」
「お母さんはね、実はヒーローだったんだ。今から沢山の人を救いに行くんだよ」
医師や看護師に運ばれていく母を、結鶴は不思議そうに見ていた。
そんな結鶴を抱きしめた父は、母が実はヒーローで、これからお仕事に向かうのだと教えてくれた。
「おわったらもどってくる?」
「……お母さんは、ヒーローとしての功績を認められて、星へ行くことになったんだ」
「ほし?」
「そう。選ばれたヒーローだけが行ける星だよ」
父の話が理解できず首を傾げた結鶴は、ヒーローという単語に、何となく凄そうだと目を輝かせていた。
「もうあえないの?」
「そんなことないさ。お母さんはいつでも、空から結鶴を見守っていてくれるよ」
結鶴を抱えた父の手が震えている。
空っぽになった病室で泣き続ける父を見て、結鶴はどこか痛いのかと心配していた。
小さな手でおでこを撫でながら、父に教わった魔法の言葉を唱える。
「いたいのいたいのとんでけー」
ハッとした表情で結鶴を見た父は、流れる涙を強引に拭った。
そして、結鶴の手を握り、「小さなヒーローの誕生だ」と鼻水だらけの顔で笑いかけてくれた。