3枚目
思わぬ情報は得られたものの、恵子が既に転校していたという事実は、結鶴が振り出しに戻ったことを意味していた。
「これからどうしよう……」
机に突っ伏した結鶴の口から、弱った声が漏れていく。
「もう二ヶ月も経ってるとか……考えたくないよぉ」
見つけた痕跡を手当たり次第に辿る方法も試してみたが、チケットの持ち主は大体が老人だった。
それも、行き着く先は病院や施設ばかり。
「濃い色なんて全然ないし、このままじゃあっという間に寿命の方がなくなっちゃう」
1とだけ刻まれたチケットでは、残りの寿命を正確に把握することはできない。
ぐらぐらと揺れる思考は、結鶴の不安定さを表していた。
「……ましろに会いたい」
「早くも泣き言ですか?」
誰もいないはずの自室で、突如声が響いた。
結鶴にとってその声は、やけに聞き覚えのあるもので──。
「案内役さんんんんん」
「うわ、汚い。触らないでください」
半泣きで抱きつこうとした結鶴を、案内役は華麗に避けている。
そのまま部屋の壁に激突した結鶴は、痛む鼻を押さえふらふらと立ち上がった。
「ひどい……。駅では優しかったのに」
「仕事ですからね」
感動の再会とはいかなかったが、案内役の訪問は、疲労困憊の結鶴にとって天が遣わした救いのように見えた。
「今は仕事じゃないんですか?」
「……ビジネスライクがお望みなら、そのように接しますよ。優秀な僕にとって、外面を取り繕うくらい造作もないことです」
「でも案内役さん、空から落っこちてきましたよね」
さらに言うなら、横をすり抜ける恵子を止められず、結果的に何倍もの手間がかかってしまっている。
「もう一度お見舞いしましょうか?」
「いいですいいです! ごめんなさい!」
速攻で謝罪した結鶴に、案内役は額を弾こうとしていた手を下ろした。
「分かればいいんです」
前回の弾きが相当痛かったらしい。
おでこを庇いながら距離を取った結鶴は、安堵からほっと息を吐いている。
「それで、どうするつもりですか?」
「どうするもこうするも……恵子さんを探そうにも、大まかな居場所さえ分からないんです。案内役さん、何か知ってたりしませんか?」
先ほどまで結鶴が座っていた椅子に腰掛けた案内役は、仕方なくベッドに移動した結鶴を見て片眉を上げた。
「いいえ。そもそも、僕たち案内役は現世に対して不干渉でなければいけません。たとえ知っていても、教えることはできないんですよ」
僅かな希望もない状況に、結鶴の表情が暗く沈んだ。
ましろがくれた時間を無駄にしたくない。
けれど、学生の自分が出来ることなどたかが知れていた。
「じゃあ、案内役さんはどうしてここに?」
「落ち込む貴女の顔を見に、とかですかね」
「おに!」
「案内役です」
しれっと返してくる案内役を睨みつけるも、結鶴の視線などそよ風程度でしかないのだろう。
案内役に対する悔しさはあるが、それ以上に、結鶴は自身に対する不甲斐なさを感じていた。
泣きたくなんてないのに、勝手に涙が浮かんでくる。
「ゔうぅ〜」
「……汚い泣き顔ですね」
椅子から立ち上がった案内役は、結鶴の膝の上に白いハンカチを置いた。
「返さなくて結構です」
驚いた結鶴が顔を上げるも、そこに案内役の姿はなかった。
静まり返った部屋で、結鶴の口がぽかんと開いている。
「……どういうこと?」
混乱で涙も引っ込んでしまった。
綺麗に折り畳まれたハンカチを手に取った結鶴は、布の隙間から花びらが覗いていることに気がついた。
「緑色の、桜?」
桜といえば、普通は淡いピンク色をしている。
通学路に咲いている桜も、どれも同色のものばかりだった。
「この桜……どこかで……」
真剣な表情で花弁を見つめる結鶴の脳裏に、うっすらと記憶が蘇ってくる。
結鶴は以前、この桜を見かけたことがあった。
御衣黄と呼ばれる品種で、桜の中では珍しい部類なのだと、公園で会った老夫婦が教えてくれたのだ。
その公園の名は──。
「光の風公園!」
桜の名所として有名な公園で、近くに大学病院があるため、憩いの場としても知られている。
祖母の家からは、電車で3駅ほどの距離だ。
自転車なら、それほどかからず行けるはず──。
スマホを片手に、階段を駆け下りる。
勉強は苦手な結鶴だが、運動は得意だった。
爆速で自転車を漕ぎ続けた結鶴は、一時間もしないうちに、公園の入口へと到着していた。
満開の桜が、絨毯のように敷き詰められている。
病院が近いため、チケットの所有者もたまに訪れるのだろう。
ベンチや木陰に、うっすらと痕跡が残っていた。
一つ一つ痕跡を確かめるも、めぼしいものは見当たらない。
落ち込みそうになる自分を叱責しながら、結鶴が桜の舞う並木道を抜けた時だった。
視線の先に、キラキラと輝く光が走っている。
今までより明らかに色の濃い光は、どうやら噴水のあるエリアまで続いているようだった。
急く気持ちを押し込めながら、階段を駆け上る。
噴水を挟んだ向こう側に、誰かが立っているのが見えた。
長い黒髪と、見覚えのあるセーラー服。
息を呑む結鶴の前で、噴水から勢いよく水が上がった。