Last ticket
「案内役さん……」
出会った時と同じ。
白い外装と駅員のような帽子。
整った容貌に温かみはなく、白い手袋のはめられた手が恵子の方へと伸ばされた。
「……わざわざ迎えにでも来たんですか」
「今回は異例の事態が多かったので、直々に連れてくるよう指示が出ているんです」
手首を掴んだ案内役に、恵子は諦めた様子で笑みを漏らしている。
背後に現れた扉は、あの世へ向かうためのものなのだろう。
淡々とした態度の案内役が、恵子の腕を引く。
大人しく扉へ向かおうとした恵子は、反対側の手が握られる感覚に足を止めた。
「待ってください」
「結鶴さん、何して……」
動揺した恵子が結鶴を見るも、結鶴の視線は案内役の方に向けられている。
「案内役さん。私まだ、恵子さんからチケットを返してもらってません」
「……は?」
意味が分からない。
恵子から取り出されたチケットは、間違いなく結鶴の中にある。
混乱のあまり結鶴を凝視する恵子だったが、次いで聞こえた言葉に息を呑んでいた。
「書き換えてないんです。私の中にしまっているだけで、チケットの所有権はまだ、恵子さんのままになっているはずです」
結鶴は金のチケットを手にしたが、青いチケットと交換することはなかった。
もし恵子がチケットの所有権を失っていれば、その時点で命が尽きていたはずだ。
しかし、恵子は今も生きている。
青いチケットが消滅する寸前に交換した可能性も考えたが、それでは二人とも生きている理由の説明がつかない。
「ならチケットを渡してください。僕が書き換えます」
案内役が差し出した手に、結鶴はチケットを置こうとしている。
けれど、途中で方向転換したチケットは、何故か恵子の前で動きを止めた。
「あげます」
聞き間違いかと思い、恵子が視線を上げる。
「恵子さんに、あげます」
繰り返された言葉に、恵子は信じられないものを見るような目で結鶴を見つめた。
「最初は取り戻すつもりでした。でも、考えが変わったんです」
朱里や圭吾、万里や老人との出会いを経て、結鶴は何度も考えるようになった。
取り戻した先の、未来を。
「幸野さんと会って分かったんです。この人は……恵子さんを必要としてるって」
何年も眠り続けていた結鶴の母は、安らかな顔をしていた。
父や結鶴が傍にいても、まるでそこには居ないかのように。
でも、病室で恵子と会った時、結鶴は幸野の指が微かに動くのを目にした。
「じゃあ、どうしてあんなこと……」
恵子に渡すと決めていたなら、あれほど必死に追ってくることもなかったはずだ。
最後の瞬間まで、結鶴は恵子からチケットを取り返そうと闘っていた。
「ましろがくれた時間だから」
恵子の代わりに死ななければならないと言われた時、結鶴は死にたくないと思った。
「私が寿命を取り戻すために、ましろは時間を繋げてくれた。だからどうしても、自分の元に戻す必要があったんです」
結鶴自身が納得するために。
そして、奪われたのではなく──与えたのだと言えるように。
「これでやっと、譲ってあげられる」
恵子の目から、ぽたぽたと雫が落ちていく。
結鶴よりも優れた人間だと思っていた自分が恥ずかしい。
恥ずかしくて、ちっぽけで。
結鶴という存在が、どうにもならないほど眩しくて。
「……ごめんなさい」
一度口にすると、もう駄目だった。
「結鶴さんごめんなさい……! わたし……私……っ!」
何度繰り返しても足りないごめんなさいが、次から次へと溢れてくる。
小さな子供のように泣きじゃくる恵子を、結鶴はそっと抱きしめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
扉を通った先は、真っ白な空間だった。
雪景色のように白い空間を、結鶴は案内役に手を引かれ進んでいく。
「……馬鹿ですね」
言葉とは裏腹に、握る手からは優しさが伝わってくる。
えへへと頬をかきながら、結鶴が嬉しそうな笑みを浮かべた。
「それ、何だか癖になってきますね」
「……貴女まさか、マゾなんですか?」
引きますと言わんばかりの態度に、結鶴は慌てて手を振った。
その拍子に外れた手を、案内役はじっと見つめている。
「あ、すみません。繋いでないと迷っちゃうんですよね?」
手を差し出す結鶴に目を細めた案内役は、「本当に馬鹿ですね」と呟いている。
「ここから先は必要ありません。他の迎えが来ているので、迷うこともないでしょう」
「他の迎え……?」
案内役の視線を辿り、結鶴の目が大きな扉に向けられる。
その右下で揺れる白を映した瞬間、結鶴は脇目も振らずに駆け出していた。
「ましろ!」
伸ばした手が、ふわふわの毛に埋もれる。
抱き上げた結鶴のひたいに、ましろが頭を擦り付けた。
眩しそうに微笑む案内役の前で、結鶴とましろの姿は──開いた扉の向こうへと消えていった。




