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HAVE A CAT LIFE 〜猫がくれた一年〜  作者: 十三番目


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22枚目


 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。


 顔を上げた恵子は、外に出るため階段を上った。

 澄んだ風が髪をくすぐる。

 白んだ空は、もうすぐ夜明けが来ることを表していた。


 昨日は結鶴がいたため、あまり母の様子を見られなかった。

 そんな気持ちから、恵子は庭園を通り抜け、別病棟まで足を運んでいた。


 母がいる六階を見上げ、謝罪を呟く。

 恵子が人殺しになったことを、母はこれからも知らずに生きていくのだ。


 もしまたあの世で出会えたら、結鶴に謝りたい。

 けれど、恵子が行く先は地獄だから、もう二度と結鶴と会うことはないのだろう。


 それでも、恵子は母と生きていく。

 結鶴の人生を奪った罪と、人殺しとしての業を背負って、これからも生き続けていくのだ。


「捕まえた」


 真後ろで声が聞こえた直後、恵子の身体は草むらの上に倒れていた。

 うつ伏せに押さえられ、抵抗することも出来ない。


「……どうして……、だって寿命は……!」


「結構ぎりぎりだったよ。でも、恵子さんなら絶対ここに来ると思ってたから」


 至近距離のため、恵子にも結鶴の寿命が見える。

 13分。

 チケットに記された時間は、病室で再開した時よりも短かいものだった。


「そのチケットと私のチケットを……入れ替えるつもりなんですか」


 これは詰みだ。

 悔しさが込み上げるも、今の恵子には打つ手がない。


「んー。このチケットは大切なものだから、入れ替えるつもりはないかな」


「は?」


 結鶴が何を考えているのか理解できない。

 眉を(ひそ)める恵子に、結鶴はふわりと微笑んでいる。


「このチケットには、大切な人たちの時間が籠ってるんだ。だから、入れ替えたりはしないよ」


「……どういうつもりですか。このまま入れ替えなければ、死ぬのは結鶴さんの方ですよ。まさか、やっぱり取り返すのは止めたとか言うんじゃ──」


「そんなこと言わないよ」


 恵子の身体から、金色のチケットが取り出されていく。

 きらきらと輝く痕跡は、結鶴の持つチケットの何倍も強い光を放っていた。


「これは返してもらう。でも、今持ってるチケットを恵子さんに渡すわけにもいかない」


「なに、言って……」


 どちらも渡すつもりはない。

 そんな結鶴の言葉に、恵子は呆然と結鶴を見上げた。


「だから、このチケットの寿命が終わるまで、このまま待つことにしたんだ。残り7分……何を話そうか」


 押さえていた拘束が外れる。

 結鶴が背中から退いたことで、恵子も起き上がることができた。


 金のチケットは、既に結鶴の身体の中だ。

 恵子にチケットを取り出す手段はない。

 拘束する必要がなくなったため、自由にしたのだろう。


 自業自得だ。

 そんなことは分かっているのに、恵子は溢れ出す感情を抑えきれずにいた。

 

「……結鶴さんが羨ましい。無条件で愛されて、色んな人から好かれて……。私からチケットを取り返せたのだって、周りの助けがあったからでしょ」


 結鶴と恵子なら、恵子の方が圧倒的に優秀だった。

 公園で会ったことも、病院まで来られたことも。

 そもそも結鶴だけの力では、恵子に辿り着くことすら出来なかっただろう。


「クソみたいな父親に虐げられることもない。純粋で、真っ直ぐで、幸せそうな結鶴さんが妬ましかった。私は、お母さんを助けなきゃいけないのに……。傍にいて、ずっと支えるって誓ったのに……! チケットを見て猫と能天気に笑ってる貴女が、心底憎かった!」


 ダムが決壊するように、堰き止めていた思いが濁流のように溢れてくる。

 結鶴は何も言わなかった。

 ただじっと、恵子の言葉に耳を傾けている。


 怒りでも悲しみでもない。

 ありのままの気持ちを受け止めようと立っている結鶴の姿を見た瞬間、恵子の目から涙が零れていた。


「……私は、結鶴さんを犠牲にしてでもお母さんを救いたかった。たとえ人殺しになってでも、絶対に生き残ってやるって決めたの……! だって、お母さんには私しかいない! 私しか……いなかったのに……」


 激流が次第に弱まっていくように、恵子の声も啜り泣きに変わっていく。

 泣き声しか聞こえなくなった庭園で、それまで黙っていた結鶴が口を開いた。


「恵子さん。私の名前ね、結鶴って言うの。神子戸(みこと) 結鶴」


 そんなことは知っている。

 心の中で毒付きかけた恵子の思考が、ぴたりと停止した。


「苗字と合わせると、なかなか凄い名前でしょ」


 苦笑した結鶴は、記憶を辿るように目を伏せている。

 

「私のお母さんは、私を生んだ時の出血が原因で植物状態になっちゃったんだ。だから、私はお母さんと話したこともなければ、笑った顔を見たこともない。でも、不幸ではなかったよ。お父さんがいてくれたから」


 父は結鶴を全力で可愛がってくれた。

 愛してくれた。

 その気持ちを疑ったことは、微塵もない。


「それでも、結鶴って呼ばれるたびにお母さんのことを思い出した。私のせいでお母さんは死んだ。本当は私が死んだ方が良かったのかもって……お父さんもそう思ってるから、結鶴って名前にしたんだろうって疑って……お父さんを傷つけた時もあった」


 幸せな子。

 恵子から見た結鶴は、まさにそんな存在だった。

 周りから愛され、大切にされ、辛いことなどほとんどない。


 そんな人間だと、思っていたのに。


「お父さんがいなくなって、最後の家族だったましろとも離れて……恵子さんのことを恨まなかったかって言われたら、正直けっこう恨んでたと思う。だけど、恵子さんを追う内に色んな人と出会って……助けたり、助けられたりしてるうちに気づいたんだ」


 結鶴と恵子の視線が、真っ直ぐに合う。


「お母さんは、私のせいで犠牲になったんじゃない。救うために、繋いでくれたんだって」


 誰かのために、命を燃やした人たちがいる。

 命は時間だ。

 削って燃やして接続して、そうしてまた誰かに繋いでいく。


「お父さんもお母さんもましろも、その後に出会った人たちもみんな……大切な誰かのために時間を繋いでた」


 奪うのではなく、与える。

 結鶴という名前は、ヒーローだった母が繋いでくれた──命のバトンだったのだ。


「ずっと、お母さんは私のせいで死んだんだって思ってた。でも……そうじゃなかった。そうじゃ、なかったんだ……」


 朝日が昇る。

 0になったチケットが砂のように崩れ、光の粒へと変わっていく。


 涙に濡れる結鶴の視界に、見知った人影が映った。


 

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