19枚目
まだ人はいるものの、朝や昼と比べればだいぶ減っている。
病院自体が広いため追うのは一苦労だが、痕跡を辿れば行き先を知るのは難しくない。
あとは、制限時間内に捕まえられるかだ。
「ほら、あの子じゃない……?」
「確かに怪我はしてるけど……」
階段の近くに立つ看護師が、結鶴を見て別の看護師に話しかけている。
痕跡は階段の上に続いているため、結鶴は気にせず看護師の横を通り過ぎようとした。
「あなた、結鶴さんで合ってる?」
唐突に名前を呼ばれ、戸惑った結鶴が看護師の方を振り向く。
やっぱりと言わんばかりの顔した看護師は、結鶴に「行きましょうか」と声をかけてきた。
「行くってどこに……。それより、私いま急いでるんです……! 通してもらえませんか!?」
焦る結鶴をよそに、看護師は結鶴を落ち着かせようとしている。
「あなたが大怪我を負ったから助けて欲しいって、さっきここを通った女の子に頼まれたのよ。見たところ、大した怪我ではなさそうだけど……。念のため、簡単な処置だけでもしておきましょうか」
「本当に大丈夫なんです! ……っ、すみません!」
「あ、ちょっと!」
看護師を押しのけ、結鶴は階段を駆け上がった。
看護師は仕事柄、怪我人を見かけたら放っておけない者も多い。
そんな気質や善意を、恵子は結鶴の足止めに利用したのだ。
痕跡は二階の廊下を経由し、三階まで続いている。
刻々と時間が迫る中、結鶴は三階から四階、そしてまた三階へと戻ってきていた。
嫌な予感がする。
荒い息を整えていた結鶴は、湧き上がってくる感情に胸元を押さえた。
なぜ何度も同じ道を通って逃げているのか。
一見、適当に思えるルートだが、実はかなり計算されているのだとしたら──。
「痕跡を、上塗りしようとしてる……?」
恵子は記憶があるだけでなく、結鶴のライフチケットも視認できていた。
つまり、チケットの痕跡についても把握している可能性が高い。
光を追って二階に下りた結鶴は、最悪な予想が的中してしまったことを悟っていた。
最初の痕跡を辿るように、光の道が重なっている。
上に行ったのか、下に行ったのか。
それとも、何処かに隠れているのか。
完全に見失ったことで、結鶴は絶望のあまり座り込んだ。
ライフチケットには、10分という時間だけがはっきりと浮かんでいる。
最後の最後で……。
溢れ落ちそうになる涙を、結鶴は強引に拭った。
何とか立ち上がり、あてもなく病院を歩いていく。
「おや、娘さん。数日ぶりじゃのう」
「……お爺さん」
いつの間にか、結鶴はガラス張りの空間に来ていた。
昼間は自然光で照らされている空間は、月明かりと小さな電球により、物の輪郭が薄っすらと見える程度だ。
「人生とはままならぬものじゃのう。まだ若い者にも、選択は同じようにやって来てしまうのじゃから」
老人に促され、結鶴はのろのろと隣に腰かけた。
黙って俯く結鶴の姿に、老人は懐かしむような顔をしている。
「かつての儂も、娘さんのように俯いていた時期があった。本来であれば死ぬはずじゃった儂を、生かしてくれた友への負い目が酷くてのう」
「……え?」
動揺から声が漏れた。
顔を上げた結鶴は、老人のチケットに記された寿命を見て、思わず口を開いている。
「お爺さん、寿命が……」
「奇遇じゃのう。儂も朝日を拝む頃にはお陀仏じゃわい」
朗らかに笑う老人のチケットには、9時間という文字が浮かんでいた。
結鶴と半日も違わない寿命に、動揺で唇が震える。
「娘さん、少しだけ昔話を聞いてくれんかね」
老人の言葉に一瞬迷うも、結鶴は小さく頷いた。
どのみち、あと僅かしかない命だ。
せめて誰かの役に立って死ねる方がいい。
「──儂と友人は幼い頃からの仲でのう。社会に出た後も、二人で遠出をしたりしておった。じゃがある日、友人と乗っていたバスが崖から転落した。後から知った話では、落石を避けようとした運転手が、ガードレールに突っ込んだらしい」
老人が語り出した話に、結鶴は何も言わず耳を傾けている。
「目を開けると山の中にいた。周りには他の乗客もいて、みな戸惑った様子で立っている。近くの茂みに友人がいたため、儂らはすぐに合流することができた」
結鶴にも覚えのある話だ。
目覚めた場所が違うのは、生死を彷徨った場所が異なっているからだろう。
「何が起きているか分からない儂らの前に、案内役だと名乗る少女が現れた。そして、各々にチケットを配り始めた。数字が残っているものは現世へ戻り、0の者はあの世へ逝く。そんな突拍子もない話に唖然とする儂の前で、友人がチケットを受け取った。安堵する友人の表情を見て、儂もチケットを受け取ることに決めたんじゃ」
結果は0だった。
そう話す老人の横顔を見つめ、結鶴は静かに目を伏せた。
過去の記憶を語るたび、老人の雰囲気が若返っていくのを感じる。
まるで物語を読み聞かせるように、老人は続きを話し始めた。
「扉を案内される友人と違い、儂はそこで待つように言われた。じゃが、友人が案内役の少女に、せめて見送りがしたいと頼みだしたんじゃ」




