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HAVE A CAT LIFE 〜猫がくれた一年〜  作者: 十三番目


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19/25

18枚目


 19時を過ぎても、恵子が姿を現すことはなかった。


 面会時間が終わったことで、結鶴ものろのろと立ち上がる。

 不眠がたたり今にも倒れそうな結鶴の手には、23時間と記されたチケットが握られていた。


 どうやって帰宅したのかも分からない。

 ベッドに倒れ込んだ結鶴は、遠のく意識の中、ただ漠然と考えていた。


 これで終わりかもしれないと思うのが怖い。

 こんな風に終わってしまうのは……嫌だ。

 心残りがあるまま死ぬなんて、苦しすぎる。


 ──あの時、死を前にした恵子も……こんな感情だったのだろうか。


 海の底に沈んでいくように、結鶴の意識も深く潜っていく。

 光の届かない深海で目を閉じようとした結鶴は、ふと頬を(こす)られるような感触を覚えた。


 痛いくらいの強さでざりざりと擦られ、溶けかけていた意識が急速に浮上する。

 覚醒していく意識の中、懐かしい感触に──結鶴は大切な家族の名前を呟いていた。


「ましろ……」


 こんなにもすっきりとした目覚めは久しぶりだ。

 ベッドから起き上がった結鶴が、勢いよくカーテンを開く。


 当然のように朝は訪れるけれど、結鶴の朝はもう二度と訪れないかもしれない。

 そんな現状が、結鶴に眩しいほどの生を実感させてくれる。


 身支度をしようと鏡を覗いた結鶴は、あまりの光景に思わず吹き出していた。

 ぼさぼさの髪と、昨日より(わず)かに薄れたくま。

 そして──片方だけ赤くなった頬。


 まだ少しひりつく頬に指を当て、瞼を閉じる。


 目を開けた時、そこにはいつも通りの顔で微笑む結鶴が立っていた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




「おはようございます」


「おはようございます、細谷さん」


 エレベーターの前でばったり会った細谷は、結鶴を見て爽やかな笑みを浮かべている。

 結鶴と一緒に乗り込むも、細谷が何かを聞いてくることはなく、会釈をすると先に四階で降りていった。


 六階の休憩スペースに着くと、結鶴は自販機で緑茶を購入した。

 細谷の話では、恵子は午後の面会時間に来ることが多いようだった。


 電車で会った際、制服を着ていたことを考えても、午前中は学校に行っている可能性が高いだろう。

 休憩スペースはエレベーターと階段の前に位置しているため、誰かが来たら分かるようになっている。


 残り10時間と記載されたチケットをしまい、結鶴は入口が観察できる位置に腰掛けた。




 ◆ ◆ ◆ ◇




 窓の外には夕暮れが広がっている。


 面会時間の終了まで残り一時間だ。

 もしかしたら、今日も来ないのかもしれない。

 そんな不安を押し込め、結鶴は休憩スペースから抜け出た。


 何となく、顔を見ておこうと思った。

 恵子が結鶴の寿命を奪ってまで生きたいと願った理由が、病室の中に全て詰まっているような気がして。


 ベッドの傍で、結鶴は微動だにせず眠り続ける幸野の姿を見ていた。


「……お母さん。今日も来たよ」


 かちゃりと鳴った音と、スライドされたドア。

 セーラー服に身を包んだ恵子が、病室に入ってくる。


 以前とデザインが異なっているのは、転校先の制服を着ているからだろう。

 ベッド脇に立つ結鶴に気がつくと、恵子は信じられないものを見るような顔で戦慄(わなな)いている。


「なんでここに……」


「寿命を返してもらうために。恵子さん……あの時の記憶が残ってるんですよね?」


 震える恵子だが、以前と違い逃げる様子はない。

 結鶴の傍で眠る母親に視線を向けると、恵子は憎々しげに結鶴を睨んでいる。


「……結鶴さんの言う通り、私には記憶が残っています」


 きらきらと光るライフチケットの痕跡は、結鶴が見てきた物の中でも一際輝いている。


「無理やり寿命を奪ったことは謝ります……。でも、もうこのチケットは私の物です……! 返したりなんてしない!」


 胸の辺りを押さえる恵子は、自分の中にライフチケットがあることを認識しているようだ。

 結鶴が母親に何もしないと分かると、恵子はドアの方に向けて徐々に後退していく。


 逃すわけにはいかない。

 恵子の意図に気づいた結鶴が距離を詰めようとした瞬間、踵を返した恵子が病室を飛び出した。


 ──どうしてそこまで。


 以前の結鶴なら、そう考えていただろう。

 けれど、朱里や圭吾、万里のような人たちと出会ったことで、結鶴は誰かのために命を費やすことの必死さを理解していた。


 それでも、取り戻さなければならない。

 ましろがくれた寿命を、無駄になんてしたくない。

 懸命に後を追う結鶴は、病棟を出た恵子が、庭園の方に駆けていくのを目にした。


 庭園の先にあるのは本館だ。

 別棟よりも広く、まだ人もそれなりに残っている。

 このまま逃げ込まれると、面倒なのは分かりきっていた。


 伸ばした手が、恵子の服の裾を掴む。

 バランスを崩した恵子が、土の上に転倒した。

 恵子の中にあるライフチケットを取り出すため、結鶴は身体に直接触れようとしている。


 火事場の馬鹿力とでも言えばいいのか。

 抵抗していた恵子が、ありったけの力で結鶴を突き飛ばした。


 背中を打ち付け咳き込む結鶴を前に、恵子は驚いた様子で目を見開いている。


「あと30分……」


 そう呟いた恵子は、再び本館の方に駆けていった。

 意味深な言葉に、結鶴は自身のチケットを取り出すと、表面に載っている数字を確認した。


 30分と記載された文字を見て、結鶴が呆然とした表情を浮かべる。

 恵子は分かってしまったのだ。

 結鶴に残された時間が、風前の灯にも等しいことを。


 ライフチケットの時間が尽きるまで逃げ延びれば、恵子は本当の意味で寿命を自分のものに出来ると悟ったのかもしれない。


 きらきらと光る黄金の痕跡が、道標のように輝いている。

 服の土を払うと、結鶴も本館の中へと走っていった。


 

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