16枚目
「……それは、駄目だよ」
誰かの寿命を奪うなど、絶対にしてはいけないことだ。
葛藤する気持ちに蓋をして、結鶴は喉から絞り出すような返事をした。
「結鶴があげるのはいいのに、貰うのはだめなの?」
そう問いかけるあんは、とても不思議そうな顔をしている。
真っ直ぐな言葉は、良し悪しに関わらず心を貫きやすい。
あげるのはよくて、貰うのはだめ。
結鶴の脳裏に、ましろと恵子の姿が浮かんだ。
「相手の同意がなければ、盗むのと何も変わらないから。貰うのと奪うのは違うんだよ」
結鶴を生かすために、寿命を与えてくれたましろ。
自らが生きるために、結鶴の寿命を奪った恵子。
大切な誰かのために命を繋ぐことと、自分が生きるために誰かの命を断ち切ることは──全くの別物だ。
「行かなきゃ……」
涙に濡れた顔で、結鶴が階段の先を見上げた。
決意の込もった眼差しに、あんは結鶴から一歩距離を置くと、にこりと笑いかけている。
「頑張ってね結鶴! もし死んじゃっても、その時はあんがいるからね!」
「ありがとう、あんちゃん」
やや物騒な慰め方だが、結鶴には心強く感じられた。
階段を上る結鶴の足取りは、しっかりしたものになっている。
最後の瞬間まで、足掻き続けよう。
次に泣く時があるとすれば、それは寿命を取り戻した時だ。
そんな決意を胸に、結鶴は日の当たる場所へと戻っていった。
◆ ◆ ◇ ◇
家に帰った結鶴は、しなびた大根のような顔でため息をついていた。
やっぱり駄目かもしれない……。
なんて弱音を吐きそうになるくらいには、手がかり一つ得られなかったのだ。
もうすぐ夜明けだ。
目の下に濃いくまを作っている結鶴の手には、1日と記載されたチケットが乗っている。
「……いったい、どうしたら……」
独り呟く結鶴の耳に、電話の着信音が聞こえてきた。
画面を見てみると、圭吾からのようだ。
「もしも──」
「結鶴! おふくろの意識が戻った!」
通話ボタンを押すと同時に、大音量の声が飛び出してくる。
あまりのボリュームに、結鶴は思わず耳からスマホを離していた。
しかし、段々と状況を理解できたようで、結鶴の表情が一気に明るさを増していく。
「本当ですか!? よ……良かったぁ……」
安堵から出そうになる涙を、すんでのところで堪える。
次に泣くのは、寿命を取り戻した時と決めたのだ。
ここで泣くわけにはいかない。
「おふくろがまた会いたがってたよ。それと、ICUでのことを話したら、礼を伝えてくれって。……本当にありがとな、結鶴」
「い、いえ……」
震える結鶴の声に、圭吾が笑みを溢している。
スマホ越しに届いた笑い声は、結鶴の心に明かりを灯してくれた。
「ああそれと、おふくろから結鶴に伝言を預かっててよ」
「伝言ですか?」
首を傾げる結鶴に、圭吾はゆっくりと言葉を口にしていく。
「幸野、だそうだ」
「……え?」
「けいこって名前のやつを探してただろ? 正確には、その母親かもしれねぇ人の苗字だけど。おふくろがどうしても伝えてくれって、メッセージを送ってきたんだよ」
朱里に急かされたのだろう。
圭吾は、「毎回こんな時間になっちまって悪いな」と謝っている。
「……朱里さんに、お礼を伝えておいてください」
「分かった。夜勤明けに寄るつもりだったし、ちゃんと伝えとく」
カーテンの隙間から、朝日が昇っていくのが見える。
立ち上がった結鶴は、服を着替えるためクローゼットを開いた。
「すみません、圭吾さん。これから行くところができたので、また連絡します」
「おう。いつでもかけてこい。おふくろも待ってるしな」
「……はい。ありがとうございます」
通話の切れた画面を閉じ、結鶴は深呼吸をした。
ひとまず、藤野宮病院に行き、情報を集めなければ。
病院内のカフェスペースは朝から開いているため、着く頃には誰かいるかもしれない。
先走りそうになる思考を落ち着かせ、結鶴はもう一度深く息を吐いた。
◆ ◇ ◇ ◇
「幸野、ねぇ」
「あなた知ってる? ここの患者さんなんですって」
「同年代の患者なら割と知ってるけれど……幸野なんて人いたかしら」
珈琲の匂いが漂う中、結鶴はおしゃべりを楽しむ中年女性の二人組に声をかけていた。
「もしかして……」
「些細なことでもいいんです。どうか教えてください……!」
うろ覚えだからと言い淀んでいた女性は、結鶴の勢いに押され、それならと口を開いている。
「重度の障害がある患者は、別病棟に入院することになってるんだけど……確かそこに、幸野って名前の患者がいた気がするの」
「あら、詳しいのね」
「私のリハビリの先生が、向こうとの兼任なのよ」
別病棟は、二階部分を全てリハビリ専用として設計されている建物だ。
結鶴も何度か覗きに行ってみたが、それらしい人は見かけなかった。
「あの、ありがとうございました」
「いいのよ。幸野さんについては、理学療法士の細谷って男性に聞けばいいわ。筒井の紹介でと言えば、教えてくれるはずよ」
深く頭を下げ去っていく結鶴を見て、相方の女性が筒井に視線を向けている。
「随分と親切ね。あんなに教えちゃっていいの?」
「私、昔から人を見る目はあるのよ。それに……私の娘と同い年くらいの子が、あんな顔をするんですもの。力になってあげたいじゃない」
「……そうね」
クラシックの流れる空間で、筒井は娘の姿を思い浮かべ、目尻の皺を緩ませていた。




