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HAVE A CAT LIFE 〜猫がくれた一年〜  作者: 十三番目


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14枚目


 差し込む朝日に目を覚ました結鶴は、のろのろとベッドから起き上がった。

 腫れぼったい瞼を擦り、藤野宮病院に向かうため自転車を漕ぐ。


 ゆっくりはしていられない。

 昨日よりもさらに輝きが弱くなったチケットを見て、結鶴はタイムリミットが迫っているのを感じていた。


 雲の増えた空の下、自転車を止めた結鶴は病院の中で聞き込みを始めた。

 朱里と同年代のシングルマザーで、恵子という娘がいる。


 たったそれだけの情報だが、今は少しでも手がかりが欲しい。

 辺りを見回した結鶴は、緑色に輝く痕跡を目にした。


 光を辿っていくと、ガラス張りの空間に出る。

 庭園の見える開放的な空間は、共有スペースとして使われているようだった。


「あの……すみません。少しお伺いしてもいいですか?」


「おや、可愛らしい娘さんじゃのう」


 ちょうど外を眺めていた老人を発見し、結鶴は緊張した面持ちで声をかけた。

 穏やかな雰囲気の老人は、「よっこいせ」と言いながら隣にスペースを空けている。


「ここに座りなさい。随分と疲れた顔をしておる」


「ありがとうございます」


 結鶴が腰掛けた場所からは、庭園の様子がよく見えた。

 それぞれが自由な時間を過ごす中、老人はゆったりとした動作で、持っていた本を膝に置いている。


「娘さんは、何が聞きたいのかね?」


「恵子という娘がいる女性を探しているんです。この病院に入院していると聞いて、訪ねてきたんですが……」


「その女性の名も知らないわけじゃな」


 結鶴の言いたいことを正確に読み取った老人は、「ふむ」と考えながら手を顎に当てている。


「娘の方は高校生で、黒い髪と目をしてます。女性はたぶん四十代くらいで……シングルマザーだと言ってました」


「この病院では長い方じゃが、儂の知る限りそのような女性と出会ったことはないのう。患者同士でも家族の話をしない者はおるから、確実とは言えんがの」


 入院歴の長い老人でも知らないとなると、捜索は困難を極めそうだ。

 やはり簡単にはいかないらしい。


 お礼を伝えた結鶴が立ち上がろうとした時、不意に老人のチケットに記載された寿命が見えた。


「この数字……」


 思わず漏れた声に、結鶴は慌てて口を塞いだ。

 老人は穏やかな顔のまま、庭園に視線を向けている。


「娘さん。人生はあっという間じゃ。大きな選択に迷う時間も、後悔した道を引き返す余裕もない」


 森を彷彿とさせる響きが、結鶴の鼓膜を揺らす。

 自然と聞き入っていた結鶴は、老人の言葉に共感のようなものを覚えていた。


「……学校では、人生はまだまだ長いと教わります。でも……私はお爺さんの言ってることが、何となく分かるような気がするんです」


「人生が長いと言うのは、運良く長生きできた者が、未知を生きる若者に向けて話す言葉じゃよ」


 諭すと言うより、ただ事実を述べるような声だ。


「未来への希望を絶やさぬことは、生きていく上で大切なことでもある。若者にとっても、儂らのような老いぼれにとってものう。じゃが、一度生死を彷徨うと、人生が長いとは到底思えなくなるものじゃ」


 聞き覚えるのある言葉に、結鶴はハッとした顔で老人を見つめた。


 これまで、ライフチケットの所有者は死の間際──少なくとも、三日前までには渡されるものだと思っていた。

 チケットの数字が変わるのは三日前からであり、朱里のように一日も残っていない場合もある。


 しかし、結鶴が目にした老人のチケットには“1”という数字が記載されていた。

 結鶴と同じ、一年という期間。

 それはつまり──。


「もしかして、記憶が……?」


「はて、何のことかのう」


 たとえチケットを所有していても、記憶は消されているはずだ。

 とぼけているのか、それとも本当に分かっていないのか。


 少なくとも、老人が昔、結鶴と同じように生死を彷徨ったことがあるのだけは確かだった。


「娘さんは綺麗な心を持っておる。美しいものがある場所には、神の慈悲も降るやもしれん」


 目尻の皺が、木の年輪のように重なっている。

 立ち去る結鶴の背に、老人の声がかけられた。


「後悔の少ない道を選ぶのではない。その道もまた、自らの道だったと思えるように選ぶのじゃよ」


 振り返った結鶴が、大きく頭を下げる。


 手がかりを探すため、結鶴は再び病院の中を進んでいった。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 結局、その日の収穫に目ぼしいものはなかった。

 常夜灯のみになった受付の横を通り、止めていた自転車のロックを外す。


 ふと身体に違和感を覚えた結鶴は、ライフチケットを取り出すと、表に載っている数字をまじまじと見つめた。

 瞬間、結鶴の唇が震える。


 闇雲に自転車を漕いだ結鶴は、家に着くなりそのまま自室のベッドへと飛び込んだ。


 何時間そうしていたか分からない。

 ベッドで膝を抱えていた結鶴は、慣れ親しんだ気配に顔を上げた。

 

「案内役さん……」


「早く寝ないと、明日に響きますよ」


 時計を見ると、もうすぐ日付を超えそうだった。

 黙って俯く結鶴を横目に、案内役はベッドの端にそっと腰を下ろしている。


「後悔してますか?」


 朱里に寿命を渡したことを聞いているのだろう。

 首を横に振る結鶴を見て、案内役は「そうですか」と呟いた。


「寿命の譲渡に関しては、あまり規則が定まっていないんです。とは言え、やり方について教えるなど言語道断ですからね。以前の案内役には、僕の方から厳重に注意をしておきます」


「……あんまり、怒らないであげてください」


 目的がどうであれ、あんは自らのためではなく、案内役のためを思って行動していた。

 何より、朱里を救えたのはあんのお陰だ。


「もしあんちゃんが居なかったら、今も後悔ばかりしていたかもしれません」


 案内役の眼差しが細められる。


「全部、私のせいなんです。私が無力なせいで、こんな事になってしまった。それでも……たとえやり直せるとしても、私は何度でも朱里さんを助けると思います」


 ましろが結鶴を救ってくれたように、結鶴も朱里を救いたいと願った。

 決めたのは結鶴なのだ。


 水色に輝くチケットには、3日という文字が浮かんでいる。

 焦る心を落ち着けるように、結鶴は服の裾を力一杯握りしめた。


 

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