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HAVE A CAT LIFE 〜猫がくれた一年〜  作者: 十三番目


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12枚目


 意識がゆっくりと浮上する。

 目を開けた結鶴は、自分が何かにもたれ掛かっていることに気がついた。


「……あんないやくさん?」


 壁を背に座り込み、案内役の肩に頭を預けていたようだ。

 慌てて起き上がろうとするも、目眩によって阻まれてしまう。


 ふらつく視界に呻く結鶴の手を掴むと、案内役は隣に戻るよう引いてきた。

 大人しく腰を下ろした結鶴は、腕が触れ合う距離に、緊張からスカートの裾を握っている。


「えっと……その……」


 沈黙が気まずく感じるも、何を言えば良いのか分からない。

 言い淀む結鶴に、案内役は正面を向いたまま口を開いた。


「案内役のほとんどは、子供なんです」


「……え?」


 唐突な話に、結鶴から戸惑った声が漏れていく。


「若いうちに死ぬと、案内役に選ばれやすくなります。先ほどの案内役はまだ日も浅いので、精神的にも未熟なんですよ」


 あんが時折見せる幼い言動は、内側も子供だったことによるものらしい。

 案内役は上役と呼ばれていたが、恐らく見た目からは想像もつかない年齢なのだろう。


「どうして子供なんですか?」


「純粋だからでしょうね」


 良くも悪くもと続けた案内役は、淡々と問いかけに答えている。


「人間は長く生きるほど、多くの未練を抱えていきます。死への恐怖が増し、平等ではない世の中を恨み始めるんです」


 朱里や圭吾のような人間でさえ、沢山の葛藤を抱えていた。

 大人は自分の命だけでなく、大切な存在を失うことを同じくらい恐れている。


「日々を懸命に生き、時が来たらあるがままを受け入れる。そんな純粋さを残した子供の方が、案内役には適しているんですよ」


 結鶴に寄り添う案内役も、そんな風に死んでいったのだろうか。

 隣をちらりと見た結鶴だが、すぐに視線を逸らしている。


「だからでしょうか。僕は──貴女が理解できません」


 唐突な発言に、結鶴は思わず目を瞬いた。

 呆気に取られる結鶴だが、案内役は気にした様子もなく話を続けている。


「子供のように無邪気かと思えば、大人のように暗い顔をする。死にたくないと言いながらも、他人のために平気で時間を費やす。挙げ句の果てには、寿命まで譲渡してしまう」


 俯きかける結鶴の額を、案内役の指が弾く。

 咄嗟に手を当てた結鶴だが、前のような痛みはやって来ない。


「本当に馬鹿ですね」


「馬鹿ですみません……」


「ええ、馬鹿です。どうしようもない馬鹿ですが……僕には、そんな貴女が眩しく見えるんです」


 今の会話だけで、何回馬鹿と言われたか分からない。

 複雑そうな顔をする結鶴だが、不意に聞こえた言葉に、自然と口を噤んでいる。


「貴女を理解できないのに、放ってもおけない」


 自分の感情に戸惑う案内役の姿が、迷子の子供のように見えてきて。

 伸ばしかけた手を、結鶴はすんでのところで引っ込めた。


「……あの、案内役さん。実はですね……また、チケットを取られてしまいました……」


 再び流れた沈黙に、結鶴は恐る恐る口を開いた。

 次は馬鹿では済まないかもしれない。

 身構える結鶴の予想に反して、案内役の雰囲気が変わることはなかった。


「あの子供は、もうすぐライフチケットを渡される予定でした。死期の近い人間が、本来見えないものを見てしまうのは、それなりにあることなんですよ」


 結鶴があんを見つけられたように、万里にもチケットが見えてしまった。

 割り切るしかないと思っていても、消えゆく命を知るのは辛くて苦しいものだ。


「明日、チケットを取られた時と同じ場所で待っていてください」


 そう言って立ち上がった案内役は、結鶴の頭にふわりと手を置いた。

 圭吾の時とは違い、かすめる程度の感触。


 結鶴が顔を上げた時には、薄暗い階段下の空間が広がっているだけだった。




 ◆ ◇ ◇ ◇




 案内役に言われた通り、結鶴は翌日も藤野宮病院に来ていた。

 万里と出会った庭園で、抜けるような青空を見上げる。


「おねえさん」


 風に乗って、結鶴の耳に幼い少女の声が届いた。


「万里ちゃん……だったよね」


「うん」


 頷いた少女が、小さな手で何かを差し出してくる。

 水色に輝くチケットは、間違いなく結鶴のチケットだった。


「返してくれるの?」


 目線を合わせるため屈んだ結鶴に、万里はにこりと笑みを浮かべている。


「まりのは、おにいさんがくれたから。だからこっちは、おねえさんにかえすね」


 万里の言うお兄さんとは、案内役のことだろうか。

 チケットが無事に戻ったことで、結鶴は安堵の息をついた。


「万里ちゃんは、どうしてチケットを持っていったの?」


「これがあったら、いたくないせかいにいけるんだ」


「痛くない世界……?」


 万里の身体の中で輝くチケットは、蛍のように儚い光を放っている。

 死期が近いこともあり、身体が痛むのかもしれない。


 結鶴が何処かに座ろうかと促すも、万里は平気だと言うように首を振った。


「ままもぱぱも、まりをみるといたそうなかおをするの。まりがいたいっていうと、もっといたそうになるの」


 万里の細い腕には、注射の痕が数え切れないほど残っている。


「ままはいつも、まりにてんごくのはなしをしてくれるんだよ。そこにはおかしがいっぱいあって、げんきなからだではしりまわれるんだっていってた」


 ──結鶴……お母さんはね、星へ行くんだよ。


 幼い頃、結鶴の父はよく星の話をしてくれた。

 その星に行けば、幸せが山ほど待っているのだと。

 初めは星の話が好きだった結鶴だが、いつしか痛みを堪える父の姿に気づくようになった。


「これがあったら、はやくてんごくにいけるんだよ。あめをくれるおばあちゃんも、やさしいおにいちゃんも、これをもらってからすぐにてんごくへいったの」


「……万里ちゃんは、早く天国に行きたいの?」


 万里の両親は、きっと少しでも長く傍に居てほしいと願ってるはずだ。

 唇を引き結ぶ結鶴を、万里は真っ直ぐな目で見つめている。


「まりはね、ままにもぱぱにもわらっててほしい。まりといると、いつもかなしそうになるから。だからはやくてんごくにいって、まりはもうだいじょうぶだよっておしえてあげるの!」


 案内役は、結鶴が眩しく見えるのだと言っていた。

 あの時は不思議に思っていた結鶴だが、今なら少し分かるような気がする。


「万里ちゃんは……ヒーローなんだね」


「ひーろー?」


「そう。パパとママのヒーロー」


 万里の手を取ると、ほんのり温もりが伝わってくる。

 結鶴の母がヒーローとして星へ旅立ったように、万里もヒーローとして天国へ逝くのだ。


「んー。まり、おひめさまのほうがいい」


「あははっ。そうだね。万里ちゃんは素敵なお姫様だったね」


 万里の言葉に、結鶴は声を上げて笑った。

 そして、目の前の可愛らしいプリンセスに、恭しく手を差し出した。


「途中までお送りします、万里姫様」


 庭園の入口に、看護師の姿が見える。

 万里はちょっと自慢げな顔をすると、結鶴の手に自分の手を乗せた。


「おねえさん」


「何でしょう、万里姫様」


 手を繋いで歩きながら、結鶴は万里の声に耳を傾けている。


「おねえさんのちけっとね、まほうがかかってたんだよ」


「魔法?」


 嬉しそうに頷いた万里は、夜にチケットを抱えて寝たのだと教えてくれた。


「まりがいたいってないてたら、まっしろなねこちゃんがでてきたの。それでね、ゆめのなかでいっぱいあそんでくれたんだよ!」


 結鶴の足が止まる。


 看護師を見つけた万里が、結鶴の手を離した。

 結鶴に向けて会釈をした看護師は、万里の手を握り病院の中へと歩いていく。


 ぽつぽつと落ちた雨が、チケットを濡らしている。


 日差しの降り注ぐ庭園で、結鶴は雨が止むまでずっとチケットを見つめていた。


 

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