Life ticket
結鶴には、大好きな家族がいる。
母を早くに亡くし、男手一つで育てられた結鶴にとって、彼女は姉であり妹であり、何者にも変え難い親友のような存在だった。
「ましろー。ご飯だよー」
んにゃ、と可愛らしい鳴き声を上げて、タワーの上から猫が降ってくる。
真っ白な毛色をした猫は、挨拶代わりだと言うように、結鶴の足に体を擦り寄せた。
真っ白だから、ましろ。
見たままではあるものの、幼い結鶴が一生懸命考えて付けた名前だ。
ましろにご飯を用意し、結鶴も朝食のパンを齧る。
少し焼きすぎたパンは、ほんのり苦い味がした。
家のチャイムが鳴った音に、結鶴は慌てて玄関へと走った。
ドアを開けた先には、キャップを外し、爽やかな笑顔を浮かべた青年が立っている。
背後には大きなトラックが止まっており、青年は「じゃあ始めますね」と口にすると、手早い動作で家の中から荷物を運び始めた。
今日、結鶴とましろはこの家を離れる。
結鶴の父は優しい人で、仕事で疲れた時でも、決して結鶴の世話をかかさなかった。
しかし一週間前、突然倒れた父が目を覚ますことはなく。
結鶴を残して、この世を去ってしまった。
いつだって精一杯向き合おうとしてくれた父を、結鶴は心の底から大切に思っていた。
寂しい時もあったが、随分と持ち直した方だ。
ましろの存在が、崩れそうな結鶴を支えてくれたから──。
アパートから運び出されていく荷物は、そのまま祖母の家へと運ばれる。
結鶴はましろを連れて、祖母の元に向かうつもりだった。
電車に乗るため、ましろには専用のリュックに入ってもらう。
空っぽになった部屋を眺めながら、結鶴は心の中でお別れと感謝を告げた。
◇ ◇ ◇ ◇
電車にはそこそこ人がいた。
本数が少ないため、一本逃しただけでも大惨事になる。
管理人が遅れてきた時は冷やりとしたが、無事に鍵を渡し、電車にも乗ることができた。
膝に乗せたリュックの隙間から、ましろが丸まっているのが見える。
ましろと出会ったのは、結鶴が小学生の頃だ。
道端で鳴いていた子猫を拾って、父に飼わせて欲しいとお願いした。
初めは悩んでいた父だが、結鶴が寂しくないようにと、最終的には管理人と交渉までしてくれたのを覚えている。
ましろが家族になってからは、笑顔の増えた結鶴に父も嬉しそうな様子を見せていた。
電車に揺られながら、懐かしい過去に思いを馳せる。
トンネルを抜け山間部を走る電車の窓からは、緑が燦々と輝いていた。
眩しい日差しに結鶴が目を細めていた時、不意に──電車が大きく傾いた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ここは……?」
目を開けると、そこは駅のホームだった。
周りには、同じ電車に乗っていた人たちが戸惑った様子で立っている。
「……ましろ。ましろはどこ!?」
手に持っていたリュックがないことに気づき、結鶴は辺りを見回した。
ましろを探そうと立ち上がった結鶴に、誰かの声がかけられる。
「あの……もしかして、この猫を探してたりしますか?」
「ましろ!」
制服を着た少女が腕に抱いている猫は、間違いなく結鶴の家族だった。
「ありがとうございます。えっと、何かお礼を……」
「お礼なんていりません。近くで不安そうにしていたのを見かけたんです。この猫、ましろって名前なんですね」
「そうなんです。真っ白で綺麗だから……。あ、私は結鶴って言います!」
「私は恵子です」
慌てて名乗った結鶴に、少女も名乗り返してくれる。
恵子と名乗った少女は、結鶴と同じくらいの歳に見えた。
「恵子さんは高校生ですか?」
「高二です。結鶴さんは?」
「私は高一です」
ましろを腕に抱いた事で、幾分か余裕も生まれてきた。
結鶴より一つ先輩だが、同年代の人間が近くにいてくれるのはありがたいことだ。
「ところで、ここが何処か知ってますか?」
「いいえ、全く。先ほどまで、電車に乗っていたことは覚えているのですが……」
どうやら、互いに状況が把握できていないらしい。
困惑する結鶴と恵子の頭上で、突然「わああぁ〜!」と間の抜けた叫び声が聞こえた。
声は徐々に大きさを増し、結鶴たちの近くまで迫ってくる。
二人が上を向くよりも早く、結鶴の隣でドスンッという音が響いた。
「あいったたた……」
「だっ、大丈夫ですか!?」
不思議な格好の青年だ。
白い外装と、駅員のような帽子を被っている。
心配そうに声をかける結鶴を見て、青年はにこりと笑みを浮かべた。
「急いでたもので、つい。驚かせてしまいましたね」
服を払い立ち上がった青年は、芸能人かと疑うほど整った容姿をしている。
「こほん。みなさーん! これよりチケットの配付を始めます。僕の前に一列で並んでください」
周囲を見回した青年の手に、拡張機のようなものが現れた。
困惑する結鶴をよそに、ホームにいた人たちは次々と青年の前に並んでいく。
「ふむふむ。貴方はこれを持って、奥の扉にお進みください。貴女はあちらで少々お待ちを」
いつの間にか、青年の背後に大きな扉が建っていた。
青年は何かを手渡すと、扉の方に行くよう指示を出したり、かと思えば、そのまま駅のホームに待機するよう話したりしている。
「貴女方もどうぞ、こちらへ」
「あの、これは何をしているんでしょうか? あなたはいったい……」
「ああ、僕はただの案内役ですよ。そう呼んでいただいて構いません」
青年は自らを案内役だと名乗ると、結鶴の問いかけに対して答えてくれる。
「これはライフチケットと言って、残りの寿命が記載されたものです。あの扉は、生者のみなさんが現世へ戻るための扉──とでも言えばいいのでしょうか」
「……残りの寿命? 生者って……」
「この場所は、あの世とこの世の境に位置しています。皆さんは現世で事故に遭い、仮死状態なんですよ」
突拍子もない話に、結鶴の頭は混乱していた。
隣で俯く恵子の手が、小刻みに震えている。
「でもここ、駅ですよね?」
「境に決まった形はないんです。霊体が混乱しないよう、死亡した場所や、馴染みのある場所に変わる仕組みになっています」
「へえ……。というか私、死んだんですか!?」
今までの話を聞いていたのかと疑いたくなる発言に、案内役が呆れた表情を浮かべる。
「貴女、勉強苦手そうですね」
「ゔっ」
遠回しな口撃に、結鶴が胸を押さえた。
「ひとまず、チケットをどうぞ。数字が1以上の方は現世へ戻れますので、奥の扉に進んでください」
「じゃあ、0の人はどうなるんですか?」
「あの世逝きですよ」
ひゅっと、空気の抜ける音がした。
喉が引き攣った時のような音は、結鶴から出たものではない。
「恵子さん、大丈夫ですか……?」
無言ではあったものの、恵子が小さく頷くのが見えた。
心配そうに見つめる結鶴だが、案内役から急かされたことで前へと進み出る。
「貴女のはこれですね。それと、その子にはこれを」
結鶴とましろにそれぞれチケットが渡される。
「いち、じゅう……数字がある!」
喜ぶ結鶴だったが、ましろのチケットを覗くなり不安そうな顔に変わった。
「あれ? ましろのチケット、数字が載ってない」
「チケットの寿命は、持ち主だけが確認できるんですよ。とは言え、生き返ったら忘れるので、あまり意味はないんですけどね」
「それじゃあ……」
結鶴の疑問に答えるように、ましろが鳴き声を上げた。
その声を聞くなり、結鶴の表情が明るくなる。
「ましろもあったんだね! 良かったぁ」
すりすりと頬を当てながら、結鶴が安堵の息を漏らす。
「では、貴女方は奥の扉へ進んでください。チケットがあれば、自動で通れるようになっています」
案内役が微笑み、奥の扉を示してくる。
恵子のことを気にしながらも、結鶴はましろを連れて扉の方へと歩き始めた。
徐々に離れていく結鶴の背後では、恵子がチケットを受け取っている。
「0の方は纏めて案内しますので、あちらで待機をお願いします」
「……そんな……嘘ですよね……?」
恵子の震える声に、結鶴の足が止まりかける。
しかし、どうにもならない状況に、結鶴は振り返りかけた自分を制し、再び扉へと歩いていった。
「まだ若いので、相当な罪を犯していない限り、あの世でも悪いようにはなりませんよ」
案内役の言葉に、恵子はゆっくりと背を向けた。
けれど次の瞬間、勢いよく踵を返した恵子は、案内役の横を擦り抜け、結鶴に向かって全速力で駆けていく。
身体が吹っ飛ぶような衝撃に、結鶴はその場で尻餅をついた。
ひらりと落ちてきたチケットを拾うも、何故か数字は載っていない。
「あの、恵子さんこれ……!」
顔を上げた結鶴が目にしたのは、扉を通っていく恵子の姿だった。