ラークンスの思惑
「グギャアアア!」
ファントムカイラインは咆哮と共に突進する。その様は、もはや獣のそれだ。少し前までは理性を感じられたのに、今の様は檻から解き放たれた猛獣を想起させた。
「あのジュース、一体どんな効果が」
明らかに、摩訶不思議なジュースの影響というのは察せられる。それに、奴の最後の一言が気にかかる。
今の俺は、てめぇを倒す戦闘マシーン。おそらく、そう言いたかったのだろう。そして、この手の敵がやりうる手口を考えた場合、導き出せる答えは多くない。
「こざかしいわね、組織の犬にされたってこと」
嫌悪すべき相手が更に嫌悪すべき存在になった。それだけでも腹立たしいのに、現状が更にむかっ腹を立てた。
敵の猛攻を回避するのに精いっぱいで、一向に攻撃に転じられないのだ。敵の攻撃がすさまじすぎるということもある。とはいえ、ドラグラスのような幹部級であれば、このくらい普通にやってのける。そして、それに対応できる自信もある。なぜに、苦心する必要性があるか。
(マジで、なんで、あんなモチーフの怪物なのよ)
敵の風貌に悪態をついたところで、内心に宿る恐怖心が消え去るわけはない。
唯一の突破口は、魔法を絡めてきた強化前と比べ、ひたすら物理で攻め立てる脳筋戦法に変わったことか。だが、圧倒的な力は、小手先の絡め手よりも数倍脅威となり得る。反撃に転じようにも、防御するのに精いっぱいだ。
加えて、自衛隊に促されて退避する途中のギャラリーの声も耳に障った。
「魔法少女のくせに、その程度かよ」
「そろそろ本気を出してくれるんだろうな」
アスタリウスがこれ見よがしに舌打ちすると、しかめ面をされた。好き勝手に言ってくれる。善戦した上に勝利するのがお望みなのだろう。だが、そんなご都合にわざわざ乗ってやる義理がどこにある。かといって、圧勝したら、それはそれで文句を言うのだろう。とかく、てめえらは面倒くさいんだよ。
悔しくも、悪態を突く余裕さえ残されていなかった。そして、遂には大鎌の一撃により、ビルへと叩きつけられる。どうにか、強制変身解除は免れたが、物理的な痛みで酩酊するなど、変身を果たしてから初めての経験だった。
単純に力負けしたことも悔しい。しかし、それ以上に、明らかに正気を失っている相手に劣勢を強いられていることが納得いかなかった。
現場に到着したドラグラスは、眼前で繰り広げられている光景をにわかには信じられなかった。暴れている怪物には既視感がある。確か、ファントムカイラインだったろうか。本部で幾度か目にしたことがある。次期幹部の有力候補と称されていた、優秀な存在だったはずだ。
そいつが、化け物のような。否、化け物そのものの風貌で魔法少女を襲撃している。理性を失うほど強大な力を得る魔法など聞いたことが無い。
「ドラグラス様。あやつはどうしたのでしょう」
バイパラスもまた異変に気付き、心配そうに声をかける。ドラグラスは「分からん」と短く返すことしかできなかった。
ふと、地面に不可思議な模様が描かれた空き缶が転がっているのが目についた。人間社会で流通しているエナジードリンクの類だろうか。それにしては色合いが禍々しい。
気になったドラグラスは、手早く缶を回収する。僅かに残留していた液体が滴り落ちる。そこから独特の刺激臭が漂ってきた。
思わず顔をしかめたが、同時に本能的にとある物質の気配を感じ取った。
「ネガジー、だと」
たった一滴なのに、500ぐらいのネガニウムを変換したぐらいの濃度がある。ネガジーは空腹を満たすだけでなく、魔法を使うのに必要な魔力を補給する役割もある。ただ、短期間に大量摂取すると、肉体に悪影響をもたらすと聞いたことがある。
それ以前に、ネガジーが混入している清涼飲料水など、人間社会で流通しているわけがない。こんな不可思議な代物を生み出せると言えば、該当する輩は一人しか思い浮かばなかった。
ドラグラスはカイライン本部に通信を入れる。しばらくして、通話が繋がった。
「ドラグラスか。お主から通信してくるとは珍しいのう」
「ラークンス。あれはどういうことだ」
「あれでは分からぬのう」
「惚けるな。ファントムカイラインに何をした」
怒気をはらんだ声音にも、飄々とした態度は崩さない。それどころか、歓喜さえ含んでいた。
「実験は成功というわけじゃな。なあに、心配する必要はない。そちらが一向にアスタリウスを倒せんから、わしが力添えしてやったんじゃよ」
「詳しく聞かせてもらいましょうか」
ラークンスとの通話はバイパラスにも聞こえるようにオープンにしてある。だからこそ、彼女の声音も冷ややかだった。
「ファントムカイラインじゃったな。あやつに渡したのはネガビタン。ほれ、ドラグラスよ。そなたにも渡そうとしたじゃろ」
「もしかして、あの珍妙な飲み物か」
かすかに記憶がある。人間の学校に潜入するために道具を調達しに訪れた際、去り際に勧められたのだ。明らかに胡散臭い代物だったが、ドラグラスの想像を超えた力を発揮しているとでも言うのか。
「ネガビタンには高濃度のネガジーが含まれておる。わしらカイラインは、ネガジーを短期間に大量摂取すると、一気に魔力を引き上げることができる。まあ、反動があるから、実際にやる阿呆はおらんじゃろな。ほれ、人間が暴飲暴食するのと同じようなものじゃ」
「その理屈は知っている。まさか、あの缶の中身は」
「察しの通りじゃ。もちろん、ただネガジーを詰め込んだだけでは能が無い。飲み心地を追求したうえ、より魔力を向上できるように成分をいじってある。ただ、実証実験が追いついていないのが難点じゃの。程よい実験体がなかなか見つからずに苦労したわい」
「実験体って、あんた」
バイパラスが拳を震わせる。ドラグラスもいきりたって、一方的に通話を切るところだが、寸前で堪えて問いを投げかける。
「それで、効力を消す方法はあるのだろうな」
「あるわけないじゃろ」
馬鹿なことを言っているとばかりのあっけらかんな物言い。開いた口が塞がらないを実体験することになるとは予想外だった。
「むしろ、どうして効果を消す必要があるのじゃ。どうやら、我を忘れて戦闘マシーンになっておるようじゃが、それがお主らの本望じゃろ」
「勝手なことをぬかすな! 誰が戦闘マシーンなどに」
「勘違いをしておるようじゃの。嘆かわしいばかりじゃ」
怒気さえかきけす、冷淡な嘆きだった。人を食ったようなというより、骨の髄までしゃぶりつくす猛獣が潜伏していた。
「お主らは自由に行動できておる。そう思い込んではいないか。それは大きな間違いじゃ。お主らはクーグッツ様の糧となるネガニウムを集めるための傀儡に過ぎん。その役目を果たせぬというのなら、それならそれで構わぬ。不必要な苗木は剪定するだけじゃ」
その言葉を叩きつけられ、ドラグラスは力なく腕を垂れ下げた。それはラークンスの意思ではないだろう。奴の裏。逃れられぬ支配者、クーグッツの思惑。
「クーグッツ様も難儀なことをしてくれたものじゃの。意思なき操り人形よりも、自律思考できた方がネガニウム収集に効率がいいと考えたようじゃが。確かに、その説は間違ってなかったが、こういうことが起きるから、わしは賛同しかねたのじゃ」
「この俺が、操り人形に過ぎないと、言いたいのか」
「むしろ、なぜ違うと思うたのじゃ。そうそう、ファントムカイラインの話じゃったな。じゃから、あやつを元に戻す方法なぞ無いぞ。強いて言うなら、あやつを抹殺することじゃな。肉体が滅んでしまえば、さすがに命令は遂行できんじゃろ」
「魔法少女にやられるのを見殺しにしろと言いますの」
「わしの力を使っても、人間のガキに勝てぬようでは、それまでということじゃ。そんな荷物など、わしらの組織には不必要。ならば、わしの次なる研究のデータになってもらったほうが、数倍も有益じゃ」
「ラークンス、貴様」
「怒りをぶつける相手を間違えておるのう。それに、こんなところで油を売っておる場合ではないじゃろ。ファントムカイラインは、もはや本能のままに暴れ回る殺戮マシーン。そうなっては、ネガニウムの回収さえままならぬじゃろ。ほれ、ドラグラスよ。さっさとファントムカイラインの代わりに回収してくるのじゃ」
それだけ言い残し、一方的に通話が中断させられた。テレパシーで通話できて良かったと、この時ほど思ったことは無い。人間のように文明の利器でしか遠隔通話できないのであれば、その機器は粉々になっていたところだった。




