落語声劇「金玉医者」
落語声劇「金玉医者」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約40分
必要演者数:5名
(0:0:5)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
※:この台本には下ネタが使われています。
「おいなりさん」⇔金玉
表劇と裏劇でうまく使い分けてください。
また、台詞の頭に※がついているところが、金玉で演った場合に
言うセリフです。
●登場人物
甘井羊羹:薬などのさじ加減の甘さを羊羹に例えて付けられた名前。
その名の通り藪医者で、周囲からは敬遠されている。
このままでは路頭に迷うと一念発起する。
権助:羊羹先生宅の飯炊きさん。
芝居の経験があり、その為に先生の無茶ぶりに付き合わされる。
伊勢屋六兵衛:大店・伊勢屋のあるじ。一人娘が気鬱の病を患った為、
八方手を尽くし、あらゆる医者を金に糸目をつけず診て
もらっているが効果が見えず、日々悩んでいる。
久兵衛:伊勢屋の手代。主に忠実。
娘:伊勢屋の娘。気鬱の病が高じて、自室で寝たきりになっている。
妻:伊勢屋の妻。娘の身をことのほか案じている。
留公:伊勢屋に出入りの職人。伊勢屋に甘井羊羹先生の話を持ち込む。
医者:物語冒頭に出てくる医者。とても腕が良さそうには見えない。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
伊勢屋:
甘井・医者:
留公・権助:
久兵衛・語り:
妻・娘:
※枕は誰か適宜に兼ねてください。
枕:落語には医者が登場する噺が多くあります。
ところがそのほとんどが藪医者で、まともなのはほんのわずかという
有様。
紺屋高尾の藪井竹庵、地獄八景亡者戯の山井養仙、泳ぎの医者やこの
噺に登場する、甘井羊羹などがいい例です。
まぁ揃いも揃って「子ゆえの 闇に医者を 呼ぶ医者」
と、川柳でこき下ろされるような者ばかりです。
故・立川談志師匠がこの噺の枕でおっしゃってましたが、
医学が何で遅れたか、人間の身体は何が当たるか分からない。
というのがありました。まことに一面の真理を突いてますな。
人間てのは一人一人違いますから、全ての人間に必ず効く治療法や
薬というのは、なかなかないものです。
折しも伊勢屋という大店では、一人娘が長患いの末に床に伏せったま
まとなっていました。
伊勢屋:先生、どうでしょう。
娘の容態は。
医者:うーん、そうですなぁ…。
伊勢屋:いや、そうですなぁって……、
娘はダメなんですか?
医者;いや、そういうわけではないんです。
痛いとか、かゆいとか、腫れてるのへこんでるの、とかなら
なんとか方法があるんです。
あとは形に出なくても、その、こう、胸の中につかえてるものがね
、片思いとか、夏場にみかんが食べたいとかでしたら、
なんとかならないこともないんです。
つまり、お嬢さんはことによると…
伊勢屋:つまり…ダメなんですか?
医者:いやですから、ダメと言われても困ります。
まぁ…なんですな、ここはひとつ、あきらめずにですな、
気長にみんなで、その…何と言いますか、
愛とかいう言葉がありますが、
そういう心持ちでもって——
伊勢屋:【↑の語尾に被せて】
あぁはい、わかりました、そうですか。
はい、こちら薬、はいはい。
久兵衛、先生をお見送りしなさい。
久兵衛:かしこまりました。
先生、こちらです。
伊勢屋:~~~…。【唸っている】
妻:あなた…どうしましょう。
このままでは娘が…うっ、うぅ…。
伊勢屋:お前が泣くなよ。
私だって泣きたいんだ。
しかし何て医者だ。
医者なら治せというのに、まったくふざけている。
何が気長にだ。
…って、いつまで泣いてんだいお前は。
妻:どこかに良いお医者様はいないものでしょうか…。
もうこれで何人目です。
伊勢屋:良いお医者って、いつもその気持ちで探してるんだよ。
人数なんてもう両の手に余るよお前。
最初に来たのは藪井竹庵だ、大丈夫かなぁと思った。
妻:その次は休医という方でした。
立川休医とおっしゃって。
伊勢屋:あと来たのは…藪塚痛風、竹田笹藪…
藪原検校…、杉田笹野…。
妻:それに藪野破竹、小林筍…。
あとは大藪晴彦という方も来ました。
伊勢屋:あぁ、橘藪蔵というのも来たな。
やれ薮田藪衛門にその弟子の藪助、
しまいに藪野藪藪ってのが来た。
ろくなのがいやしないよ、まったく。
いや、諦めやしないけどね、もう、どうしたらいいんだかね。
語り:頭をかかえる伊勢屋六兵衛とその妻。
それよりもしばらく前、同様に頭をかかえる者が上州の館林におり
ました。
医者で生計を立てている、甘井羊羹先生のお宅。
甘井:…困った…。
患者のかの字も寄り付かない…。
このままでは日干しになってしまうぞ、権助……。
権助:ひと事みたいに言っちゃいけねえと思うんですがねェ。
にしても、先生の日干しですかい?
甘井羊羹先生の日干しなんざ、さしずめ甘干しってとこですなぁ。
甘井:なんだね、柿じゃあるまいし、そんな洒落はいらないんだよ。
まったく…そんなに私の腕が悪いってのかい?
権助:そらぁ、周りの評判がすべてじゃありやせんかい?
まるっきりの藪医者じゃねえですか。
誰でも命は惜しいでさぁ。
甘井:いや、そんなことはない。
私の治療法が患者に合わないだけだ。
権助:えぇぇ…。
甘井:とは言ったものの、自身もやり方を変えなければいかんか。
うーむ………。
【三拍】
そうだ、病は気から、という言葉もある。
陰気を転じて陽気にすれば、自然と病は治るに違いない。
それには笑わせる事が一番だ。
権助:えぇ…そんな簡単にいきますかね…?
甘井:なせばなる。
そうなればまずは笑わせるための趣向や方法を考えなければ。
そうだ、この堅苦しい態度もダメだ。
もっとこう、親しみやすい陽気な構えでいこう。
権助:あぁ、そら賛成だ。
先生はいっつもしかめっつらぁしてるで。
甘井:【ここから陽気に】
ん~ぁはは、そうかいぃ?
そんなにしかめっつらぁ、してたのかぃ?
ンまァ、これなら大丈夫だろぅ、んふぃんふぃんふぃ。
権助:……。
(狂ったかと思ったで…。)
甘井:まぁ~笑う門にはぁ、福が来る。
そこで権助ぇ、頼みがあるんだが。
権助:…悪い予感しかしやせんが、なんですかい?
甘井:明日からぁな、芝居をしてほしいんだぁ。
権助:へっ、芝居でござんすか?
へへへ、先生もお目が高い。
おらぁこれでも村芝居じゃ、あまっこ形やってたんで。
甘井:そうかそうかぁははは。
明日から毎日、表に立って
日本橋の越後屋のものでございますが、先生のご高名を承って
お願いに参りました。
と、近所に聞こえるように大声で言うんだぞぉ。
店の名前は毎日変えてな。
そしたら近所の人も、
こんなに次から次へと羊羹先生を頼ってくるとは、藪医者だと思っ
てたが、実は名医だったのか。
と思うはず。
そうすればきっと、患者が押し寄せてくるに違いない。
権助:先生…そりゃ騙しうちじゃあねえですかい。
甘井:そんなことはないよぉ、なぃなぃ。
権助:【つぶやく】
来るやつは気の毒だぁ…、みんな先生の手で命が縮まっちまう…。
けど、おらもおまんま食わなけりゃなんねぇ…。
甘井:さてぇ、忙しくなるぞぉ。
あーっはぁっはぁっはぁ!!
語り:実にろくでもない考えだが、自分を変えようとするのは見どころあ
り。
とにもかくにも甘井羊羹先生、その日からすっかりいろいろ改めて
新しい自分を売り出しにかかる。
時間は元に戻って伊勢屋では。
伊勢屋:娘はいっこうに良くならない…どうすれば良いのか…。
留公:旦那、ちょいと旦那、顔貸しておくんなせぇ!
伊勢屋:なんだい、留公じゃないか。
大声を出すんじゃないよ。
娘が伏せっているのを知ってるだろ。
今は勘弁してくれ、ダメだよ。
金貸してくれってんだろ。
留公:いやいや、そんなこっちゃあねえです。
ちょいとあの、お嬢さんの事でね。
伊勢屋:え?うちの娘かい?
留公:へい。
伊勢屋:あ、そうかい…わかった、ここでいいよ、なんだい?
留公:実は、上州の館林ってとこをご存じで? 茂林寺のある。
そこにウチのかかあの遠い親類っていうか、本家がありましてね。
そこのまあ、親分って言うか庄屋様みてえなもんですな。
ご当主でとうに六十を越えた、作左衛門てぇじい様がいるんで。
伊勢屋:? なんだいその話は。
いまそれどころじゃないんだよ。
娘の事をだねーー
留公:ぁいえ、そのお嬢様の話につながるんでさぁ。
で、その六十いくつまで元気だったのがね、ある日急に首が回らな
くなっちゃった。
あと腕が曲がらなくなっちゃった、足も曲がっちゃったんですよ。
伊勢屋:なんだいそれ。
足が曲がって、腕が回らなくて、首が回らない?
遠まわしに金を貸せって言うのかい?
留公:そんなこと言ってませんや。
で、その首とか腕とか足が治っちゃったんですよ。
伊勢屋:それは…なんでだい?
留公:いえ、ですからそのね、治した人がいるんですよ。
伊勢屋:いったい誰が?
留公:名前がですね、甘井羊羹とかなんとか言うんで。
頭ぁ丸めてるんだけど坊主じゃない。占い師でもないしね。
医者なんだとか。
で、かかあから聞いたんですがね、
なんかもにょもにょ言いながら、その辺をちょこちょこっと
触ったりするらしいんですよ。
んで二度三度四度も来てるうちにね、治っちゃったんですよ。
回らねえ首が回るようになったし、曲がらねえ腕も曲がるようにな
ったし、曲がってた足もまっすぐになったんで。
別に「アジャラカモクレン、○○○、テケレッツのパー」
とか言ったりもしねえんです。
【○○○は好きな言葉を入れてください】
伊勢屋:それが何だって言うんだい?
留公:ですからね、その医者を連れて来て、お嬢さんを診せようってーー
伊勢屋:【↑の語尾に喰い気味に】
おい、バカなことを言うんじゃないよ。
とんでもない、ダメだよ。
留公:…旦那、
言っちゃ悪いですけど、溺れる者は藁をもつかむって言うじゃあり
やせんか。
お二人が日に日にやつれていくのをあっしは見てられねぇんで。
いや、ほっといて何とかなるならいいんですよ?
とにかく、刺そうの捻ろうのってんなら穏やかじゃねえですけど、
こんなふうに両手を上下にかざして、ほーほーほーほー言いながら
やってるうちに治っちゃってるんですからね。
お助けとか世直しとか言われて評判だっていうんです。
ダメでもともとですからここはひとつ、あっしに任しておくんなせ
ぇ。
伊勢屋:ふーむ……そうかい。
じゃ、ひとつ頼むよ。
留公:そうすか!
じゃ、ひとっ走り行ってきやす!
伊勢屋:ああ待て待て、手代の久兵衛をつけるから。
久兵衛、久兵衛!
久兵衛:お呼びでございますか、旦那様。
伊勢屋:ああ、留公に案内してもらって、上州の館林に住んでいると言う
、甘井羊羹先生を迎えに行っておくれ。
久兵衛:かしこまりました!
伊勢屋:…頼む、今度はハズレじゃないように…。
語り:いっぽう館林の羊羹先生、やり方を変えたためか患者は増えたが、
まだ足りないとばかりに、権助にサル芝居を続けさせていた。
権助:はぁ、いつまで続けりゃええんだ…。
もう適当に言っちまおうか。
「日本橋から参りやしたが、先生が大変な藪だと聞きやして!」
「越後屋ですが、先月の勘定をいただきてえんですが!」
甘井:こぉれこれぇぁはは、権助ぇ、まじめにやっておくれぇ。
手抜きはいけませんぞぉんふぃんふぃんふぃ。
権助:【つぶやく】
陽気なのはいいけど、頭の中も陽気になっちまったんじゃ…?、
甘井:ん~何か言ったかいぃ?
久兵衛:お頼もうします。
わたしどもは八丁堀岡崎町の伊勢屋六兵衛の使いでございます。
甘井:ほぉ!
ほぃほぃほぃ、どうされましたかぁ?
久兵衛:実は主人の一人娘が長患いで床につきまして難儀いたしておりま
す。
甘井:ふんふん、なんとお嬢さんが。
留公:先生にぜひとも診て頂きてえと、こうして参った次第でして!
甘井:!!
はぃはぃいいですぞ~、ちょうどいま手が空きましたから、
このまま参りましょうぅ~んふぃんふぃ。
ぁあぁ~権助ぇ、留守を頼みましたよぉぁあーはぁはぁはぁ!
【二拍】
権助:ぁ~……、娘さんも若い身そらであの世へ行くとは…、
なんまんだぶ、なんまんだぶ…。
語り:これは当たりを引いたと羊羹先生、
権助の心配をよそに一張羅の着物を着込み、迎えの留公・久兵衛と
共にいそいそと伊勢屋を訪れます。
留公:旦那、旦那いますかい!?
伊勢屋:うるさいね、大声を出すんじゃないよ。
久兵衛:旦那様、ただいま戻りました!
伊勢屋:久兵衛も一緒という事は…、
留公:連れて来やしたよ!
伊勢屋:連れて来たって…例のなんとかって先生かい?
留公:そうですよ、甘井羊羹って坊主頭。
伊勢屋:ああ、こないだの。
で、一緒に来てるのかい?
留公:ええ、表で待ってます。
伊勢屋:うちの娘の事、話したのかい?
久兵衛:それはもう。
大丈夫です。治りますかと聞いたら、治ります。
治せますかって聞いたら、治せます、と申してました。
伊勢屋:ふむう…、いや、治してくれるって言うんならそれで構わないん
だけどね。
留公:旦那、くどいようですけどダメでもともとなんですから、
お嬢さんを元気にしてあげましょうよ。
そうじゃありやせんか?
伊勢屋:それはそうだよ。
留公:とにかくね、診てもらいましょうよ。
ぁそうだ、仮にですよ、仮にお嬢さんが治ったらこれ、
医者代ってんですかね、薬礼ってんですかね、
いくら出します?
伊勢屋:いくらって…むこうから治療代を提示されたのかい?
留公:そんなこたぁ言いませんよ。
そういうこと言う人じゃあない。
そちらの気持ち、お布施と同じだって言ってましたよ。
なかなか言えるもんじゃない、えらいですよ。
それで、いくら出します?
伊勢屋:そりゃあね、娘の病気が治って命が助かるって言うんなら、
金で代えられるもんじゃない。
それこそ、百両千両万両…
留公:いや、百、千、万ってずいぶん違いやすよ。
じゃ千両出しやすか? 万両出しやすか?
伊勢屋:そりゃあ、治れば千両は安いよ。
留公:へっへっへっへ…誰でもそう言うんですよ。
ところが治っちゃうと横を向いて出さねえもんだって。
その人も言ってやしたよ。
いや旦那のこと言ってるわけじゃねえんですけどね。
じゃ、こうしやしょう。
百両出してやってもらえやせんか?
で、あっしに二十両くれませんか?
しめて百二十両で。
どうです?
伊勢屋:百二十両か、それでいいのかい?
留公:ええ、むこうに百両とあっしに二十両、
百二十両でいいって話で。
伊勢屋:わかった、百二十両、出そうじゃないか。
留公:いいですね?
後で知らねぇなんてぐずぐずぐずぐず言っちゃいけませんよ?
じゃ、お呼びしますぜ?
さぁさぁ先生、どうぞこちらへ!
【二拍】
甘井:はぃはぃはぃ、はぃはぃはぃ、
ほぃほぃ、ほぃほぃ、ほぃほぃ。ほぃっ。
伊勢屋:【声を落として】
お、おい……大丈夫なのかい?
留公:大丈夫ですって。
ささ、ずっとこちらへどうぞ。
伊勢屋:先生、遠路ご苦労様です。
こちらへきてまずお茶でも。
甘井:いやぁ、ぁあぁいらないいらない、
お茶ぁいらんです、なぁにもいらんです。
それで、だいたいぃうかがってましたけど、どうされましたぁ?
見にゃあ分かりませんけども、まぁ大丈夫じゃないですかなぁ。
んで、どちらどちらぁ、どちらかな?
伊勢屋:あ…娘の部屋へ案内します。
甘井:はぃはぃはぃ。
伊勢屋:…こちらでございます、先生。
甘井:はぃはぃ、あぁこちら?
ぁ~開けますよ~。
お嬢さん、いますか~?
ぃやぃやぃや、はぃはぃ、
【ふすまを開けて近くへ寄りながら】
ぁあ~ぃやぃやぃや、心配はいりませんぞ~。
ぁぁはぁはぁは、起き上がれますかなぁー?
ぁあー元気元気だなぁーぁはぁーぅふぃふぃふぃふぃ。
えーと、二人だけにしてもらえませんかなぁー?
伊勢屋:え…二人きりですか…?
甘井:ぇえぇえいゃいゃ、何もしません。
親の前でも手に手を握り、
色目使うは医者ばかりぃあーはぁーはぁーはぁー!!!
さぁそちらの間へ行ってぁいぁいぁい、
少しの間ですから。
語り:見ちゃいけないと言われると、見たくなるのが人の世の常。
旦那も留公も耳を大きくしてふすまにぴたーっと押し当てます。
ま、押し当てるまでもなく、中から例の高声が漏れ聞こえるわけで
すが。
甘井:【ふすま越しなのを考慮して演技して下さい】
ぃ世の中というのはァ広大無辺ですぞぉ~ぉお~ほぁ~ほぁ~!!
ぉ親というのはァ孝養をつくさにゃいかんのです、
何よりも孝行ですぞぉぉふぉいーふぉい。
兄弟仲良くぅ~ぁぁほぁ~ほぁ~ほぃ~!!
慈しみ、優しさ、愛するという心を忘れんで、
えぇ、人としての道をまっとうせにゃダメですぞぉふぉい。
ぃやぁぁ~平和に平和にぃぃ~ぉお~!
娘:…ふっ、くっ、ふふっ、ふふふふっ…。
語り:なんてやってるそのうちに、何かバカバカしくなったのか、
娘がくすくす笑う声が聞こえます。
そんなのが四半刻、今の二十分くらいもしたかと思うと、
いきなりがらりとふすまが開きました。
甘井:ぁはぁは~、終わりましたぞぉ~。
伊勢屋:ッ先生、娘は、娘はどんなもんです…?
甘井:ぃぃやぁ~診ましたけどねぇ~、大丈夫です、
治りますねぇ~。
伊勢屋:治りますか?
甘井:ぇえぇえぇ治りますねぇ~。
胸叩きましょ、膝叩きましょ、頭叩いてポンっ、
薬も一応出しますけど、まぁ大丈夫ですなぁ~。
五日ほどしたらぁあまた来ます~ぁはぁはぁ~~!!ぺけぺけ。
伊勢屋:は、はぁ、よろしくお願いします…。
【二拍】
えぇぇ…ほ、本当に大丈夫なのかあれ…。
ちょっと…ここがおかしいんじゃないかい…?
留公:いやぁ、でもあんな感じで何回か来てふぉいふぉいやってるうちに
、みんな元気になるらしいんで。
伊勢屋:ううむ…ともあれ、娘の様子を見てみよう。
娘や、入るよ?
娘:あ…おとっつぁん…。
伊勢屋:! こりゃどうしたことだ。
さっきまで青白い顔だったのに、今はほんのり紅が差している。
娘:先生のおかげです…ふふ…。
伊勢屋:そうか、そうかそうか!
何はともあれ快方に向かって良かった!
しかし油断は禁物、今は休んでなさい。
語り:それから五日ごとに羊羹先生の往診があり、そのたびに娘の顔色が
良くなっていく。
最後の五回目ともなると、布団の上に起き直って三味線を弾きだす
くらい良くなり、それに合わせて羊羹先生が謳いだすなんて光景が
見られる。
甘井:かえる、ひとひょこ、ふたひょこ、みひょこひょこ♪
よひょこ、いつひょこ、むひょこおひょこ♪
ななひょこ、やひょこに♪
こんここのひょこ、とっぴょこやっぴょこむっぴょこよっぴょこ
ふたっぴょこ、
ぴょこぴょこぴょこぴょこぴょこぴょこぴょこぴょこー!
娘:蛇が、にょろにょろ、ひとにょろ、みつにょろ♪
いつにょろ、ななにょろ♪
こんここのにょろ、とんにょろやんにょろむんにょろふたにょろ♪
にょろにょろにょろにょろにょろにょろにょろにょろー!
語り:にょろにょろぺけぺけにょろにょろぺけぺけ。
まことににぎやか。
ついこないだまで死にそうな顔して床に伏せっていた娘さん、
羊羹先生と笑いながら、わけのわからない歌に節を付けて楽しそう
にやってる。
甘井:ぃやぁ~いいですぞぉ~ふぉいふぉい。
もうこれで、大丈夫ですなぁぁ~。
【二拍】
ぁあ~治療は終わりましたぞぉ~んふぃんふぃ。
伊勢屋;ぇ…な、治ったんですか…?
甘井:はいぃ~治りましたぞ~。ぺけぺけぺけぺんっ。
心配ないですよぉぅ~万歳。
あ、ちと厠を借りますなァ~。
【二拍】
留公:旦那、治って良かったですな。
伊勢屋:治ったって言うけど…本当に治ったのかね?
留公:布団の上に起きて三味ひいてたじゃないですか。
おかみさんに聞いたら、ご飯二杯と味噌汁をおかわりしたそうで。
元気じゃないですか。
そいつは治ったってんじゃないんですか?
伊勢屋:だけど、どうやってーー
留公:どうだか何だか知らねえですけど、治ったんだからいいじゃないで
すか。
伊勢屋:まぁ…そうだね。
留公:じゃ、お約束通り先生に百両、あっしに二十両、いただきやすぜ?
伊勢屋:あ、あぁ分かってるよ、出すよ。
久兵衛、用意しておいた金子、持ってきておくれ。
久兵衛:かしこまりました。
【二拍】
旦那様、お持ちいたしました。
こちらでございます。
伊勢屋:あぁご苦労さん。
こっちがお前さんの分、これが先生のだ。
留公:へへへ、ありがとうございやす!
ぁ、どうも先生、お疲れさまです!
こちら治療費だそうで。
さ、気詰まるといけねえから、あっしらはこれで!
甘井:ぃやぁ~ではこれで、どぅもぉ~。
語り:かくして娘さんの病気は無事に治った。
治ったんだけど、旦那はなぁんか引っかかる。
あの坊主頭、どうやって治したんだ。
ぺけぺけふぉいふぉいはいいけど…てぇ思うと、だんだんだんだん
腹ん中にたまってくる。
どうにもなんなくなって、ある日、久兵衛に手土産持たせて、
羊羹先生を訪ねて行った。
伊勢屋:久兵衛、先生のお宅はもうすぐかね?
久兵衛:はい旦那様、こちらでございます。
伊勢屋:どれ…、
ごめんくださいまし、ごめんくださいまし。
甘井:はいはぃ!
ぁあはぁ!
伊勢屋:あぁ、いるね、これ…。
…どうも。
甘井:【↑の語尾に喰い気味に】
おやおやおや、なんでしょうなんでしょうなぁあぁやはははぁ。
近所を通りましたんですかぁぁわざわざどうもぉ。
どうぞ、どうぞどうぞどうぞどうぞいらしていらして。
伊勢屋:では、ちょっとお邪魔しまして…
甘井:【↑の語尾に喰い気味に】
はぃはぃどうぞぉ、あぐらでも何でもかいて、こんな汚いところ
なんですから、えぇ。
なに、別にそんな変に綺麗な家なんかなまじ建てたりすると、
患ったりなんかして大変なことになるから大変なことなんです。
ぇえぇまぁあのどうぞどうぞどうぞ。
伊勢屋:…、こちら、大したものではありませんが手土産で…。
甘井:ぃやぁあすいませんねぇぇもう十分にいただいとるんですけどもぉ
ありがとうございます頂戴しますぅ、はぁぁなんでしょぅ?
久兵衛:こちら、十両を包んでございますので、どうぞお納めください。
甘井:ぇ? 十両?
なんででしょうぅ?
伊勢屋:いえ、一つ黙ってこれを納めていただきーー
甘井:ぃやぁはは、黙って納めるというわけにもいかんですょぉ。
何かわけがあるんでしょぅ?
伊勢屋:いえ、そのわけはですね、うちの娘をどうやって治したのか、
というその一点なんですが、よろしかったらお教えいただきたい
んでございます。
これで不足ならもっとーー
甘井:ぁあぁあはははぁ、そういうことですかぁ。
私の処方箋と言うほどのものじゃないんですが、
いいじゃないですかぁ治ったんですから~。
伊勢屋:いえ…このままだと私が患ってしまいそうなので、
お願いします。
甘井:はぁ~、病気になっちゃうんじゃぁ困りますなァぁぺけぺけぺけ。
何も隠すわけじゃないですが、他言せんようにと言っても言わんで
しょうけどねぇ、ま、ここだけの話ですよぉえぇ。
お嬢さんの顔見てね、
何だかわからんけども、何とかなんではないかな、
何とかなんではないかなと、何とかなるためには何とかせにゃなら
んかなと。
伊勢屋:は…はぁ…。
甘井:隣の部屋で聞いてましたでしょ。
世の中というのは広大無辺なもんじゃとか、
親孝行せにゃならんぞとか
正しく生きにゃいかんぞとか
愛だの慈しみだの優しさだの生意気な事をね、お嬢さんの枕元で
立て膝して喋ってたんですなァ。
その時、着物の前もはだけて、あと下帯…ふんどしですな、
あれもちょっと緩めてあるもんですからね、
その…私の「おいなりさん」がね、プラプラプラプラチラチラチラ
チラ見えるんですよ~んふんふ。
正しく生きなきゃいかんとか、慈しみだの愛だのと言ってるとこで
ひょいと見るとその、ね、
「おいなりさん」がプラ~ァン、プラ~ァンしてる。
バカバカしくて思わず笑っちゃいますよねぇへっへっへ。
笑やこっちもんですもうしめたもんだァっはっは!
伊勢屋:え、そのおいなりさんて…え、アレですかぁ!?
※:え、き、きんたまァ!!?
甘井:はいぃ、ぶっちゃけますとォ、きんたーー
※甘井:はいぃ、そうですねぇぇ、きんたまですねええぁっはっはっは!
伊勢屋:【↑の語尾に喰い気味に】
ぁいやいえいえ、それ以上はいけないです!
※伊勢屋:いやその、声が大きいですから!
甘井:ぇっへっへ、しかしまたなんであの「おいなりさん」っての付いて
んですかねぇ?
私あんな無駄なものはないと思っとるんですよォ。
竿の方はいつか役に立ちますけどねぇ、竿が役に立ってる時でも
「おいなりさん」はた~だブーラブラ~って見てるだけですからね
ぇ。
私の友達が言っとりました、来世に何に生まれてきても構わんけど
、「男のおいなりさん」だけには生まれてきたくないってぁっはっ
はっはっは!!!
伊勢屋:ぇ、ぁ、「お、おいなりさん…」。
甘井:そりゃブーラブラ~ってしながら生意気なこと言ってるの見たら
笑いますよ。そうなりゃあとはこっちのもんですよぉ。
ちっぽけな悩みなんかどうでもよくなるんですねぇ、
それが楽しみになるんですねぇぁっはっはっはっは!
治ったんですよ。
伊勢屋:………ど、どうも、ありがとうございました。
またご縁がありましたらうかがいます。
失礼します。
甘井:はぃはぃ~。
【二拍】
伊勢屋:…「おいなりさん」…「おいなりさん」で百両とられちまったよ
…!
しかも今さっきも十両…まるで盗人に追い銭みたいなもんじゃな
いか…!
く、くそっ、なんてことだい…!
…いま帰ったよ!
妻:おかえりさないお前さん…って、どうなさったんです?
伊勢屋:いや…いや大丈夫だよ…。
語り:やがて桜散って葉桜咲いて、
周りが青葉になってそこへがサーッと斜めに降りつく優しい五月雨
、梅雨入りになった頃、伊勢屋の娘の具合がまた悪くなってきた。
妻:お前さん、どうしましょう。
娘がまた具合が悪いというんですよ。
伊勢屋:なに、またかい?
妻:あまり食べませんし、あの先生の所へまた留さんから頼んでもらった
らどうです?
伊勢屋:ぁ、そう、具合悪い、なに、先生に?
【羊羹先生の真似して】
なになにぃ、せんせいなんて呼ばなくたってお前ぇ、ぺけぺけ。
妻:…だ、大丈夫ですかお前さん。
伊勢屋:だぁいじょうぶだいじょうぶ、誰も入ってはいけません。
わしだけがやりますからぁ。
ぁ~これ、娘やー。
娘:ぁ…おとっつぁん…。
伊勢屋:ぁ~心配はいらないよ~。
おとっつぁんがな、すぐに治してやるからねぇぁっはっは!
娘:ぇ…?
伊勢屋:あの先生くらいのことならねぇ、おとっつぁんにだってできるん
だ…ぁらよッ!
娘:!!?!?きゃーーーーーーーーーーーッッ!!!
伊勢屋:え!? あ、あれ?
これ、娘、娘や!
妻:どうしたんです、今の叫び声…って、おまえ、しっかりおし!
目を回してる…お前さん、いったいなにが…!?
伊勢屋:ぁっ、そ、そんなことより医者だ! 羊羹先生を呼ばないと!
わ、わたしが行って来る!!
【三拍・走っている】
はっ、はっ、こ、ここだっ、
【戸を叩きながら】
先生! 先生っ!!
甘井:はいはいはいはい、ぺけぺけ。
伊勢屋:あぁいたいたっ、あの先生、ちょっと来てください!
甘井:ぁ~落ち着いて下さい~、
そんな慌てなきゃならんことは世の中には無いですよぅ。
いったいどうしたんです?
あぁ、もしかしてぇお嬢さんですか。
どうしましたぁ?
伊勢屋:その、また具合が悪くなって、ご飯が食べられなくなりまして。
甘井:はぁはぁはぁ、ぃやぃやいま梅雨時ですよ。
私だってそうなんです、ええ。
四杯いただいてたのが二杯になったりするんです。
世の中そういう仕組みになってて、それが必要なんですなぁ。
梅雨が終わって晴れる頃になりましたらね、いつでもまたご相談に
乗りますから、ご心配なく、なくなくなく~。
伊勢屋:あの、いえ、実は私がその治療をしまして…。
甘井:おろ、治療って何をなさりましたぁ?
伊勢屋:先生に教わりました、あの、「おいなりさん」をブーラブラ~っ
というのを…。
甘井:!ほうほうほうほう、やりましたかぁ!
どうぞどうぞ、できるんでしたらそれに越したことはないですから
なぁ~。
伊勢屋:いや、その、それが、きゃーーーっと目を回してしまいまして。
甘井:目を回した?
それまたどうして?
伊勢屋:実は……その、
「おいなりさん」をいっぺんに全部見せてしまいまして。
甘井:ぇっ、いっぺんに全部見せた??
ぁ~それはいかんです、薬が効きすぎたんです。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
立川談志(七代目)
※用語解説
・金玉医者:幕末の武士で風俗史家の三田村鳶魚によると、
宝暦年間、八丁堀に住んでいた、機転が利いて
流行った医者、高橋玄秀がモデルらしいです。
病状を見極めて心をケアしたとか。
・あまっこ形:芝居で言う女役。
このころは女性が舞台に上がるのは禁じられていた。
・上州、舘林:上野国、現在の群馬県の南東部にあたる。
・アジャラカモクレン、○○○、テケレッツのパー:古典落語・死神に
登場する死神が唱え
る呪文。
○○○の部分は演じ
る師匠によって変わ
る。