ティンカーベルの彫刻施されたドアー
親孝行がカメレオンジェイル
新横浜ラポールで中学のバスケ部仲間と高校の頃、バスケをする。バスケしている時だけ、家庭の不和の事や体の病気や世の中の中で!(嫌な事全て)プレイしてると忘れる事が出来た、、、、、、
俺はさ。なろうではバスケットボールを書くのは、井上雄彦がカメレオンジェイル!書いて不発で得意技!のバスケットボールを出そう、と思ってスラムダンクを描いたのは、俺も得意技はバスケットボールだけだ。
バスケットボールライター。バスケを通して人間を書く。バスケを通して社会を書く。
親父は俺にバスケの選手で金を稼いで欲しかった。だから少なくてもなろうでバスケ書いて、なろうバスケ選手に成るのが親孝行にせめて成る気がするんだ。
中学のバスケ部のキャプテンの広理が唯ダウナーな俺を見かねて小学校のミニバスの子供達の指導を一緒にやらねェか?って誘う。バスケをしていれば、バスケを続けていれば俺の人生良い方向へ行くんだ。
結局、俺はバスケを通じてしか親孝行が出来ない。歌舞伎で知らねェババアにフリーライター?って聞かれる。予言だった。僕はスポーツライターです。それ以上でも以下でも無い。
障害者になってまでもバスケは忘れんな。偏見は で埋め合わせろ!
井上雄彦のリアルの野宮はそうやって自分と闘ってた。
メディテーション(瞑想)を続けている。バスケの代わりにやってんだよね。つまらないって言っちゃあ、つまらない。
とにかくメディテーションを研究して、それが通所先の作業場、大江健三郎の長男の光さんが行ってたような烏山福祉作業場みたいな、そこより小さな作業場に通うのと同じ価値が瞑想まぁ座禅にはあるらしくて、、、、、、
僕は相変わらずヨガをやっているから作業場なんかでは、他のメンバーがヨガをやりだして。ヨガサークルみてェーになってて。それがまた凄ェー善行みたいでサ。僕の徳が上がってしまって。
人と人の勝負って、どちらが良い事をしたか、どちらが善行をしたか、それによって付随した徳のあり様の綱引きなんだなァ。それは基本的にはベーシックには親孝行のしたかで決まってくる。
天理教系の中堅の規模の宗教の本部に僕の叔父さんがいてさ、教務部長にまで行ったが、今は役職を退いたが、90年代の頃は、その叔父さんの、教団内では独走だった、、、、、、
そうゆう親戚を見てきて、その叔父さんの長男の僕の従兄弟は、やはり教団ではハイティーンの代表みたいな徳を持っていて、僕はそうゆうのも見てきて、って言うか天理教系を観察してきた。
それから色々あってアイドルとか芸能人とかに囲まれてしまって、その中での僕の立ち位置、その頃の存在意義は女の子の方はアイドルで、僕は宗教界のサラブレッドと言う事だったと思う。
だから今の僕の宗教は既成の宗教の信者でも無ければ教師でも無くて、禅宗をベースにした全くオリジナルなヨガ道場の主催者、強いては教祖だと思う。
オリジナルな宗教だから、その規模は自ずから小さくなる。毎日の座禅してるメンバーと職員を換算すると1日4人位。それだけでも凄い天徳で僕の徳に帰ってくるらしい。徳があったのはアイドルとか芸能人だったなァ。普段の彼らのテレビでは見せない顔や体は達観していた。
だけどアイドルグループのエースの一体努力とは?そんなに難しい仕事をやっている訳では無い。仕事はテレビでミニスカートでキメているだけだ。
東浩紀を読んでいる。東との出会いは30年遡る。90年代の時に太田出版の雑誌、クイックジャパンに、見たことも無いような文章が掲載されていて、思想界のオザケンと紹介されていた、、、、、、デビュー作「存在論的郵便的」が出た時だ。
僕はその本は買わなかったし、クイックジャパンだけで東の事は忘れて、僕は人生が狂ってダウナーな状態に陥っていたし、入院して、2回も長期入院したりして、色々あって、東日本大震災が起きた時に退院して、そこから一応ゼロからメディテーションをやりだし、
なろうを利用するために父さんにスマホを買って貰い、なろう作家の、ヤマダヒフミを知って、彼が思想的な文章をUPしてい、僕は思想書なんて初めてだったし、本は小説しか読んだ事が無かった。
そうするとスマホの電子書籍ブックライブで、プロの文芸評論家、何となく名前を覚えていた吉本隆明や江藤淳とかを読んで、
そーゆー流れで、やはりそら覚えの、東浩紀を読んでみよう存在論的郵便的を読もうとしたがブックライブには無かったから、「動物化するポストモダン」を買った。東クイックジャパンから30年経ってた、、、、、、
東浩紀が東日本大震災の前後辺りから、ゲンロンと言うカルト集団を始めて、その出版社を継続させてきたって事が調べると分かってきた。
普通、哲学者は大学の先生をやりながら論文を書く、アカデミズムな形が一般的なのに、(つまり、ヤマダヒフミが書いてるようにシステムの中で哲学をやるしか無いのに)東のケースは、システムを作ってしまった。そういう会社だからオリジナルなヤツだから会社の規模はさして大きく無い。実際、規模だけじゃ無く内部経営も相当ガタガタだったらしい。
哲学者だけじゃ無いぞ。一人で中華料理屋を切り盛りしてるのもあるんだ。ラーメン屋だけど、俺は週1回のペースでそのラーメン屋のリピーターだ。金をラーメン屋で落としている。俺は、ぼっち、だから1人でもラーメン屋って入れるじゃん。だから通っている。そのラーメン屋はお爺さんが店主だったが、癌で亡くなってしまった。息子が店継いでいる。
そこのラーメン屋には光があった。そこのラーメン屋には勇気があった。
そこの店主のように僕も頑張りたい。僕の場合、仕事と座禅だけど。誰もがメディテーションは意味が無いって馬鹿にしてた。努力している事が徳につながるのが良いんだよね。実際そーなるまで9年かかった!
高校生の不良、ヤンキーの進路は様々だ。スナックのバーテン、パン屋のアルバイト、土建屋、トラックのドライバー、友達のたこ焼き屋台を継ぐヤツ、そいつ20社面接で不採用の結果、友達に仕事を頼まれる、神様がやってみろって言ってるんだよね。
駅前のラーメン屋が2軒も潰れた。
安もラーメン屋だった。少年院出たらそうゆう事をした。親友の行助は詩を書いている。安はトラックに跳ねられ、行助は破傷風で死んだ。
天理教系の教祖は、僕に、下衆Tの事やりながら作業場に行け、と言った。多分、僕は有名になるだろう、今の通ってる作業場は潰れなければ良いが、、、、、、大江光さんは作業場通いながら作曲していたっけ。この前、1、2年前テレビで、今は作業場に通っていなくて作曲もしていない。家でレコードをCDを聴いている。
大江健三郎さんは、形式的には、老衰で亡くなったが、義兄の伊丹十三や、仕事の盟友の江藤淳にしても共に自殺したが、大江は、息子が脳に障害を持って産まれてきた事自体、どんなに綺麗事を言ったって、自殺と同じ位のペシミスティックな事じゃないだろうか?
逆に伊丹と江藤の自殺は、子供が障害者と同じ位、救いが無く、恐怖と絶望しか無いような悲惨、メディアで報道されているよりも想像以上に悲惨な事なんだろう。
癌で苦しんで死ぬ奴もいる。刑務所に送られる俳優もいる。金は億単位の損失で、出所してもキャッシュカードを作れない、アパートが見つから無い。射殺される総理大臣もいる。
潰れるギター製造会社、それは同時にミュージシャン志望の人が減少している事を意味している。総理大臣になれば悪口を言われ、能登半島地震では虫けらのように人が死に、死刑になる宗教の教祖もいる。いるにはいるが、それはイエス・キリストと同じ形かは議論の余地はあるだろう。
天理教の教祖も自殺した。日本の自殺率は高い。アメリカのハードロックのあるヴォーカリストはカートの自殺で、自殺する奴は皆エゴイストだってコメントして、外国は戦争していて、職場で孤立してしまう奴は入院したりして、
日本の同調圧力は、集団主義じゃ無く、自分のポジション取りの自己中心的な個人主義って学者が言って、(どうやら日本の均質化はファシストだって事がハッキリして)
徳とは何だろー?漫画うしおととら、の潮のお父さんの碧月時雨は、小さな鉢に沢山の水を注いでも人の徳は急には伸びるものでは無いからなァって言ってた。唯、グループでは1番徳のある人がリーダーなんだって聞いた事がある。
過去を振り返ってみるとクラスメイトとか徳を積んでた奴もいたなァ。そうゆう奴は大抵信仰なんかしない奴ら。努力するだけの僕の兄弟もいた。大抵目を悪くして。井上雄彦のバスケ漫画のキャラクターは宗教なんてしない。
でもまー。誰でも、すぐには伸びない徳!バスケやる事は徳にはならない。1からゼロから徳を上げる準備をする事が人間の人生上これ程大仕事とは思わなかった。人を助ける事はやっぱり信仰だよな。
何の力も加えず自然に人を助ける事、それが9年くらかかるって事。ビリな奴が偉くなる。一番下の人が一番上になるって言う現象。凄い悪人が凄い善人になるって事。
人は、(基本的に)あまり働かないよなァ。グループホームや作業場なんかの小さな社会を僕は見てきても、働かないって言うのが我々凡夫だらけの人間の心だよなァ。
そして真面目に仕事するって言う人の長所は、欲が無いって人の長所と同等の価値である!
社会の人は、皆実際、働いているとばかり僕は思っていたが実際は、その認識は違っていたらしい哉。仕事しねェーで怠けるのが人間、落語的人間らしい哉。もっと言っちゃうと僕がどうしても欲の心を改良出来ないのと同じように、どうしても仕事を真面目にする事が人間様は出来ないらしい。アイドル見てもそう。彼女ら別に難しい仕事している訳じゃない。簡単な仕事だ。
(世の中の人が)あまり仕事しない働かないのなら、みんな欠点だらけって事になるぞ。徳が無く馬鹿みたいに真面目に仕事するだけが取り柄の変わった人もいるが、、、、、、信仰も仕事も真面目にやるのが一番良い。信仰するフリをする仕事するフリをする、本腰入れない人も沢山いるんだろう。
中学の時、バスケ部の練習試合で大道中学の田臥と対戦した時もあったが、
田臥勇太は、バスケ界の手塚治虫みたいな人だからね。寒くなってきたなァ。もう冬である。女に嫌われた。女の子に嫌われちゃうよ、か。
同時に俺は二枚目キャラじゃ無かった。三枚目だった。唯の面白い人。アメリカならともかく日本ではとにかく、キャラを演じるだけだ。もはや友達って概念は存在しない。
自己とは、パーソナリティとは、そんなモノは無いんだ。90年代位から本当の友達、とか親愛な対人関係、とかが唯キャラを演じるだけって人間関係にシフトしてしまった、、、、、、
だけど僕はそれは悪い事では無いんじゃないかなァって思うんだけど。組織内でも権謀術数のパワーゲームは良かれ悪しかれ、唯のキャラ作り。
だけど、そのJAPANの状況を、論客のヤマダヒフミは狂っているって指摘している。このまま、この状況のまま国が続く筈が無く潰れる可能性があるって言ってる。戦争とかに日本が巻き込まれる可能性だってあるし。経済的没落とか。その時に、バスケの田臥勇太の価値も今とは変わるらしい。
たかが僕の通ってる作業場小さな職場がこのまま潰れずに有る事が出来るんだろうか?東浩紀みたいに真実を求めて(ゲンロン)って作ったってボロボロになるだけだ。本当に何が正しいのか分からない時代。そうゆう教育も受けてないし。教育も悪い。
ぶっちゃけ真実に生きるなんて弱者思考なんだよね。皆やってるし!それでも僕は弱者ヨガサークルをライフワークにする生き方しか出来なくて、、、、、、あとアルバイトは無理だからメール便ポスティングとかチラシのポスティングとかするだけなんだ!
現実生きるの辛いからね。弱者集団に身を寄せるしか無いんだ。信仰も仕事も。
村上春樹のデビュー作だったかなァ。こうゆう一節があった筈だ。
運の強い奴もいれば運の弱い奴もいる。何かを手に入れた奴は失う事を恐れているし、何も持って無い奴は一生得る事が無いって恐れている。だから皆努力すべきなんだ。
村上春樹はそう言ってる。
天理教に言わせてみると運が良いとは徳があるって言うのが正確らしい。世の中の人は運が良いって言ってるけど。
俺は次男なんだけど、性格はお父さんに似ている。長男がやってる音楽は実際俺がやるべきだった。逆転している。
俺が日本の皆一緒の事をやるって言うのがどうしても出来なかったのはお父さんのせいだ。
俺が幼少の頃から天理教が身近にありやがって。もう疲れた。多重人格みたいだ。そろそろ死にたいナ。
寝たきりみたいになりそうだ。上手く寝れないし。アメリカに活動拠点を移したいなァ。あまり日本人では無いなァ。そうゆう外人みたいなパーソナリティは兄貴がやるべきだったのに、、、、、、
本当の僕はもう何処にも無い。部屋にいても活動とゆう活動は出来ないし。活動は独居じゃ出来ない。
俺は学者みたいだし。父さんも学者肌。アメリカに行くとアメリカのアパートにいると本当の自分になれてアトピーも治った。日本では作業場しか行く所が無い。僕は障害者だし。外出も苦手。
現実を見ると死にたくなった。今日はヨガやってるメンバーは1人だけだった。タバコもまた増えてきた。コーヒーも飲んでしまった。もう目茶苦茶。
心良くなった気がしたら現実が見えてきて、過酷な現実が見えて世界心道教は天理教だし、俺は兄貴と性格が逆転してる。俺は誰だか分からない。乖離性人格障害みたいだったのが現実に僕が置かれている現状!
千葉雅也がヘビースモーカーでマルボロメンソールを吸いたくなる気持ちが分かった。東浩紀は哲学界の田臥勇太だし、千葉雅也は哲学界の河村勇輝だ。今の所、哲学界では千葉雅也の独走である。
東浩紀のゲンロン株式会社は、オザケンのフリッパーズギターだし。多分。(こいつ小説家か?悲しいけど僕は小説家では無いんだろう。)
僕の肩書は小説家では無く、小説家になりたかったけどなれなかった奴って肩書で、悲しいから宗教の力を借りて作業場の工員でありヨガサークルの教祖また主催者って一応そうゆう肩書を天理教の教祖に与えられて生きてる、、、、、、
作業場の工員とヨガサークルの教祖で一体、有名になれるんだろうか?そして広く世界を見てみれば作業場の施設長と横浜マリノスのサポーターって活動をしている人もいれば、作業場の職員やりながらGlayの追っかけやってる人もいる。
映画館通いの活動している職員もいる。僕の父さんがそうだった信託銀行の仕事しながら映画館通いの活動家だった、、、、、、
また反面、毎日家に引きこもって活動ゼロのメンバーもいる。
欲と断片的に言うのでも無い、高慢と言うのでも無い、何か心の改良が出来た気がする。振り返ってみると9年かかってた。
グループホームには創価学会のメンバーが沢山いるが、糖尿病や、アトピーや、虚弱体質だ。それを見てきて自分を助けられない人が他人なんて助けられるのかなァ?って思った。
それで気がついたら僕は心の改良が出来て、考えてみると人を助けるのと自分が助かるのは、ほぼ同時だったなァって気付く、、、、、、
人を助けて我が身助かるんだ!僕がやっているのはTさんだけど天理教の神様に手伝って貰う、、、、、、
流石は天理教の神様だよなァ。創価学会には負けたく無いからね。
9年間の座禅で一回たりとも自分を変えられ無かった。それで初めて自分を変えられた。アメリカにいたようにアトピーが消えている。
Tさんと言っていいか神様って言っていいか分からんけど、ありがとうございますって感じだ。だからこれからも人を助けたいしさ。
苦しくなったから、苦しくなってきたから、天理教のむほん払い思い出して、それを唱えると苦しさが和らいで、まぁ天理教の教義は置いといても神様には素朴な親切で、天理教とは違った僕独自の信仰、悟りの度合いとかを天理教ゴッドに手伝って貰う!
親の親切に似ていた!天理教の神様が僕を手伝うの。僕が、真剣に、9年間座禅の、努力を続けていたから、(天理教の神様が可哀想に思ってくれたんだなァ)
そして日本でも世界でもTさんの事やってるの僕1人だ。
9年。
メディテーション9年。2回目の入院期間の、2倍以上だ。気がついたら天理教の神様に最終兵器彼女、手伝って貰いながら、心の改良が出来た。
それは欲か高慢かは分からない。それでいて欲とか高慢であるような、そうゆうのを失くせた様な気がした。
そうやって改良すると、体や、女や、身の周りの事が変わって行く。静かに自分が変わると相手も努力して変わろうとする。何を喋った訳では無い。心の改良程、有り難いものは無いって思ったね。
心の改良はとても難しい。時間もかかる。人も助けなくちゃいけない。神様にも手伝って貰わないと出来ない。エフォート、ひたすら。神様が可哀想に想う位。だから余程エフォートを継続、工夫、研究しないと神様程の存在は可哀想とは想われない、、、、、、
と考えて行くと、北野武のムービーのキッズリターンの、まぁちゃんとシンジの一つの事、ヤクザとかボクシングをやって挫折して止めてしまって、その気持ちは分かるけど、人は、人はさ、諦めちゃうんだなァって思った、、、、、、
そんなの俺だって、何年メディテやっても何も変わらねェんだぜ、苦しくなるだけでさァ!苦しみ抜いた9年間だった。それでも俺は苦しくても1日1日ずつ365日毎日メディテーションをして行って。
して行きながら、たまに映画キッズリターンを例にして、まぁちゃんやシンジみたいにならないようにして僕は諦めねェぞって自分に言い聞かせながら一つの事をやりながら生きてきただけだ、、、、、、
僕は、これから先、どんな型になるか分からねども多分、有名になるだろう。達磨大師の9年壁面座禅と同じ事をして、達磨大師も悟るまでに9年かかった。禅宗の開祖になった訳だけど、
俺も宗教でも作るのかなァ。てゆーか既にそーゆーの作っている。ヨガ教室。これから僕はやはり作業所行きながらヨガをやるだけなのかなァ?