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第4話 アデライドお母様、夫に現実を突き付ける。

 夜も遅いというのに息を切らして駆けつけた弁護士と諸々の書類を作成していると、肩をいからせ顔を真っ赤にした夫が執務室に怒鳴り込んできた。


 「どういうことだ!」


 正装を解きリラックスした服装に着替えた夫の手には、なぜか火かき棒が握られている。充分武器になり得る鉄の棒に警戒心をあらわにしたのは、もしかしたら怒った夫がやってくるかもしれないと思って背後に控えさせていた騎士達だ。


 ドアを開けるなり火かき棒を振り上げた夫は、アデライドとシャルロットを守るように立った護衛騎士達に睨まれてゆっくりと棒を下ろした。

 最初に荒々しいところを見せて脅そうとしたのだろう。彼の常套手段である。


 以前はそれに恐怖を感じていたが、強い者に気圧されてゆっくりと火かき棒を体の後ろに隠す夫の様子に、今は母娘共々半笑いである。


 「俺達を別邸から追い出そうなど、いったい何を考えている! なんの権限があって使用人まで退去させるんだ!」


 いつもならすぐに「そうね、ごめんなさい」と謝るアデライドが、書類を重ねてテーブルでトントンと角をそろえているのを見て馬鹿にされていると感じたのだろう。夫は激昂した。が、執務室を見回してみても騎士達は言わずもがな、アデライドもシャルロットも意にも介さない。

 夫の怒声にびっくぅっと肩を跳ね上げたのは、アデライドの対面に座る弁護士だけである。


 「フランセル子爵家当主の権限です」


 それが何か? と首を傾げる。


 「当主権限だと?! それは俺が……」


 アデライドは夫の言葉にこれ以上反応するつもりはなかった。

 彼がこの場で何を言っても今までに蓄積された〝いらない理由〟が減るとも思えなかったし、逆に〝夫が必要な理由〟が増えるとも思えなかったからだ。


 アデライドがこの家の最高権力者であることは事実であり、それを理解していないのか忘れてしまったのかはわからないが、「自分のほうが妻より偉い」とわめく夫に今さらそれを丁寧に説明する気も起きなかった。

 そして私情を取り払い、家の存続を考えるべき当主として子爵家のことを考えてみれば、赤字を増やすだけの男を養い続けることを良しとしない。

 それは次期当主である娘のシャルロットも同じのようで、娘も冷めた目で激昂する父親を見ていた。


 「お渡しして」


 アデライドは何かを言い募ろうとした夫を遮って、弁護士を促して夫に何枚かの書類を差し出した。全て離婚に関する書類である。役所と教会に提出する離婚届だ。


 「なんだこれは」


 「速やかにサインなさってね」


 気を利かせた家令が差し出したペンを(はた)き落とした夫は、グシャグシャに丸めた書類をアデライドに向かって投げつけた。

 書類は素早くアデライドの前に立ちはだかった騎士の胸に当たって落ちる。それを拾う家令の無表情な顔を見ながら、アデライドは騎士の背後から夫のほうへと顔をのぞかせた。


 「私は別邸の女性をお客様として招いた記憶はないし、その方をお世話する使用人を雇った記録もないわ」


 そう言うと、夫が初めて余裕を取り戻した顔をしてニヤリと笑った。


 「なんだ今さら嫉妬か、みっともない女だな! まあだが、そこまで思いつめていたなら仕方ない。これからはお前のことを半年に一度くらいは抱いてやっても……」


 「気持ち悪い。おやめになって」


 胃の底から湧き上がる吐き気をこらえながら、アデライドはニヤニヤ笑う夫の顔から視線を外した。

 なぜそうした行為が、妻に対する慰めやプレゼントと同じ価値を持つと思えるのだろうか。離婚直前の妻でなくとも、理解できないと考える妻は多いのではなかろうか。

 その自信はいったいどこから湧いて出てくるのだろう。


 娘を見ると、死んだ魚のような目で天井を見つめていた。気持ちは察して余りある。両親の変な会話を聞かせてしまって申し訳ない。

 扇子で(あお)いで少しでも清涼感を得ようと努めつつ、そういう話ではありませんと顔をしかめて続けた。


 「記憶も記録もない方達が、なぜ我が家に居座っているのか。というお話をしているのです」


 「だからそれは、」


 「当主である私が認めていない人間が我が家の別邸で寝泊まりし、我が家のお金で買い物をして、まるでフランセル子爵家縁の者のように振る舞っている。これは住居の不法占拠と窃盗と詐欺、という立派な犯罪です」


 「何を言っている、あれは俺の招いた客だぞ!」


 「(当主)は許可を出しておりません。別邸のお客様と使用人らしき者達へ、帳簿では()()()()我が家の使用人のための予算からお金を払っているようですが、それも、(当主)は許可をしていないわ」


 机の上に積み上げられた帳簿にポンと手を置き、そうよね? とアデライドが確認を取ったのは執事である。真っ青な顔をした彼に、アデライドは微笑んだ。


 「(当主)に許可を求めず、(当主)の夫の頼みだから、という理由で長年の横領を許していたあなたの処分は、あとで検討するわね?」


 震えながら頭を下げる執事を見て少しだけ冷静になったのか、夫が訝しげな顔をして言った。


 「さっきから窃盗だの横領だのと強い言葉で脅して、何を企んでいる」


 「まあ」


 まるで自分が陰謀渦巻く物語の主人公にでもなったかのような夫の物言いに、アデライドは思わず笑ってしまった。失笑というやつだ。

 逆に娘は物わかりの悪い父親へ、思いきり冷めた視線を送っている。


 家令に視線をやり、彼が夫にもう一度書類とペンを渡すのを見ながらアデライドは続けた。


 「今まであなたと、あなたのお客様達が不正に使ったお金と慰謝料を、それぞれに請求するわ。払えないのならば犯罪者として憲兵に通報します」


 「……ほ、本気か?」


 アデライドの真顔にたじろいで、夫が半歩後ろに下がった。どうにか切り抜けようと辺りを見回すが、当然全員が無表情のまま視線を合わせない。


 微動だにしない彼らの中で一人、弁護士が今まさに書き上げた事業に関する書類を持って立ち上がり、夫にそれを手渡した。

 今までに愛人やギャンブル、男同士の見栄のために使い込んだ家の金を返すように求める書類。それに書かれた金額を見て目をむいた夫が、震える唇で「こんな額は払えない」と呟いた。


 アデライドが子爵家の当主であることも、その主張の正当性も揺るがない。

 ならば請求された金額を払わなければ手が後ろに回る。それに気付いた夫が、家令から再度渡された離婚に関する書類を読んで呆然とした。


 そこには当然、夫有責による離婚に対して慰謝料を請求する旨が書かれている。


 「さきほど〝何を企んでいるのか〟とおっしゃいましたけれど、私はただ、この家の掃除をしているだけですの。今までずいぶんとさぼってしまっていたから、ゴミが多くて」


 アデライドは、ふう……と頬に手を当てて溜め息をつく。


 「夫の愛人? いらないわ。愛人の使用人? それも必要ない。ついでですから教えて差し上げますわね。あなたのご実家を筆頭に、フランセル子爵家の事業でずいぶんと赤字を出してくださったあなたの縁者も、全員解雇する予定ですの」


 口の端だけつり上げて笑うアデライドの表情に覆せない意志の固さを感じ取り、夫はどうにか状況を打開しようともう一度辺りを見回した。そしてアデライドと同様の笑みを浮かべる娘に目を止めて近寄ろうとするが、護衛騎士にそれを阻まれる。

 それでもなんとかシャルロットと目を合わせ、夫は怒鳴った。


 「俺は……俺は、父親だ! 娘には父親が必要だろう!」


 アデライドには今初めて娘がいることに気がついた顔をしたことが許せなかったが、当の娘はあきれ返った顔をして肩をすくめただけだった。


 「家に帰らず愛人と遊びまわっている父親を必要だと思う瞬間って、いつかしら?」


 思いつかないわと首を傾げる娘と同じようにアデライドも首を傾げると、夫はがっくりと項垂れた。

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