第12話 アデライドお母様、辺境伯の理解を得る。
訝しげな顔をして書面に視線を落としたバラデュール辺境伯は、それを読み進めるうちに開いた口が塞がらない、といった驚愕の表情を浮かべた。
「なんだこの不愉快極まりない話は! こんなもの、王家による子爵家乗っ取りではないか!」
「私が逃げ出した訳を、ご理解いただけましたかしら」
「……書類の紙も印も王家の物だ。まさかこんな非常識なことを……と、否定したいが、やつらなら言い出しかねない」
辺境伯は渋い顔をして頷いた。
「身を守るための隠居か……」
バラデュール辺境伯の王家に対するマイナス方向の信頼が心強いやら、王国民として情けないやら。アデライドも辺境伯と同じように渋い顔をしてうなずき返す。
万が一また王家に話を持ち掛けられても、隠居の身ならば子爵家の資金を自由に使えない言い訳にもなる。さらには億万が一、アデライドとオーブリー殿下が結婚することになったとしても、すでに当主の座につくシャルロットを押しのけるには相当な理由が必要になる。
それでもオーブリー殿下とモンテルラン男爵令嬢の子を当主とせよと強制するのならば、アデライドは周囲の貴族たちに〝次はあなたたちの家督が狙われるぞ〟と危機感を煽って戦争を仕掛ける所存である。
「子爵が……いや、フランセル殿が我が家に敵対していないことはよくわかった。娘の件で王家と確執のある我が家であれば、王家におもねって手土産代わりに突き出されることもないはず、と逃げてきただろうことも」
さらにいえば中央貴族たちよりもバラデュール辺境伯領のほうが軍事的に秀でているために、王家の手の者が領土に押し入り無理やりアデライドを連れ出すこともないだろうという計算もある。
王家のために辺境伯領に喧嘩を売るような武に自信のある中央貴族はいないし、やらかしてしまった王家がこの状況下でバラデュール辺境伯領に兵を差し向けたなら、少しも待たずに開戦である。
「だが当家の庇護が必要だというのなら、当然対価が必要になるな」
「国防に睨みを利かせるバラデュール辺境伯閣下のために、鉄や飼い葉などの軍需物資をご用意いたしております」
「ああ、半年後にモンテルランを攻め落とすつもりだったから、それは助かるな」
今、さらっとモンテルラン男爵終了のお知らせを聞いた気がする。
引きつる口元を扇子で隠し、アデライドはゆっくりとうなずいた。
「……ぜひともお役立てください」
冷静に考えて、バラデュール辺境伯家に対してやらかしたのは何も王家だけではない。殿下の浮気相手の生家、モンテルラン男爵家が今まで無事であったほうがおかしいのだ。
てっきり獅子はネズミ程度の小物にかまう必要はない、という考えなのかと思っていたが、違ったらしい。
「フランセル殿はこれから我が領で何をしたいとか、目的はあるのか? 逃げて終わりというわけではないだろう?」
王家がアデライドにしたことはあまりに非常識で感情を無視したものだったが、腐っても王家である。報復を考えなかったわけではないが、金を持つだけの子爵家風情が敵うわけもない。できることといえば、辺境伯が行ったような経済封鎖をするくらいがせいぜいだ。
ただ王都そのものではなく、王族とその周辺に侍る王家派の貴族に対してそれは行うが。
とはいえアデライドの個人的な復讐心のせいで、バラデュール辺境伯に迷惑をかけるわけにはいかない。
「逆にお聞きしたいのですが、何かしてはいけないことや立ち入ってはならない場所など、閣下の派閥に属していない私がこの地で特に注意しなければならないことはありますか? フランセルとはいっても私自身は隠居の身ですし、さほど力はなく、目障りになることもないとは思いますが……」
バラデュール辺境伯領に逃げ込んで何をしたいのかというと、まず第一にフランセル子爵家の安全を守りたい。第二に仕事をしつつ、適度にまったり生活したい。その二点である。
そのために必要なら、今手元にある資産の大部分をバラデュール辺境伯に渡してもいい。王都で回収した貸金とともに、資産の大半は護衛付きでシャルロットのところへ送ってしまったので、大した額は払えないが。なにせ隠居なので。
「隠居……隠居、なあ……」
辺境伯は視線を上にし、悩ましげな顔でざりざりと顎の無精ひげを撫でながら言った。
「では、フランセル殿には我が家の食客として雇われていただこうか」