【09】 それは勘違い
「えっと……あの……?」
どうにもこうにも訳がわからずに混乱しているわたしの顔を見て、首をかしげてふふっと微笑んだクワトロ様。包み込んでいた手の力が緩んだ。その隙にさっと腕を引く。熱い手の中から自由になった指先にはクワトロ様からの熱が伝って火照り、なんだかじんじんと痺れているような気もする。
「本当はのちほどきちんと申し込むつもりでした。ですが……ユリアージュ様からそのようなお言葉をいただいたので、つい……。困らせるつもりはなかったのですが申し訳ない」
「申し訳ない」と仰ってはいるけど、その表情は絶対にそうは思っていないような……。それにきちんと申し込むつもりって……。
「あの……まさかのまさかのまさかとは思いますが……もしかして『聖女と騎士の誓い』のお話でしょうか……?」
「もちろん。その、まさかのまさかです」
それ以外になにがある? と云わんばかりに当たり前のように言いきられる。
いや、だって、あの誓いって……実質の結婚の申し込みですよ!?
「いずれ正式に申し込んだときに……お返事をいただきたいと思います。今は、私の気持ちを知っておいてくだされば……それだけで充分です」
馬車の窓から射し込んだ夏の陽は、濃い金色の髪を透かせてきらきらと目映く反射させている。クワトロ様はあくまでも爽やかに微笑んだ。そのきらきらとした輝きも穏やかな笑顔も、頭の中が真っ白に混乱したままのわたしには眩しすぎた。思わず目を細めてしまう。それでも合わされた瞳はしっかりとわたしを捕らえていて。決して激しくはないその圧を感じると、茫然としながらも……たじろいでしまった。
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途中に何度か休憩をはさみながら、ラバック砦の手前の村の入り口に到着したのは、空の端にうっすらと残っている陽の朱色がもう少しで夜の帳にすべて覆われてしまうころ。
昼間に馬車の窓から眺めていた遠くの七連峠。今は村の背後で大きな黒い影となり、星影をさえぎっている。
馬車から降りるときにクワトロ様は手を差し出してくれた。ちらりと視線を交わせば、薄い唇はゆるやかに口角を上げる。
……うーん。
『聖女と騎士の誓い』を申し込むつもりだなんて言っておいて……どうしてこんなに平然としていられるのかしら? ちょっとは照れ臭いとか気まずいとか思わないものなの? 女性に慣れている人ってそういうもの?
結婚も離縁も経験した身だけど。自慢じゃないけど男性にはいっさいまったくこれっぽっちも慣れていないから……わからない。
馬車の中でもあれからクワトロ様は、まるで何事もなかったように──結婚の申し込み予告なんてしていないように──普段と同じ態度を崩さなかった。それなのに、わたしのほうがもぞもぞと落ち着かないなんて……。
そもそもの話だけど……クワトロ様は『聖女と騎士の誓い』の本当の意味を解っているのかしら? 単純に言葉どおりの『専属聖女』だと考えていたりする? この落ち着いた様子からして、あり得ない話じゃない……ようにも思えてしまう。だって、わたしが聖女職を続けたいことも知っているはずだしね。
それに……もうひとつの可能性も考えられる。
エスターとレイニーのどちらかの神聖力をわたしの神聖力と間違えているのかもしれない、ということ。
前回の火焔龍討伐戦で初めてクワトロ様はわたしの神聖力に触れた。参加した五人の聖女のうち、カペラは以前にクワトロ様と同行をしたことがあると言っていたから……。残るはルミナス様とエスターとレイニーだけど。ルミナス様は中央神殿に所属しているから、クワトロ様との同行はこれまでにも経験しているはず。エスターとレイニーは天幕の中での会話から、クワトロ様との同行は初めてだと推測できる。ということは……エスターとレイニーのどちらかの神聖力とわたしの神聖力とを取り違えているのかもしれない。なきにしもあらず、よね。
そう考えると……すべてがすとんと腑に落ちてしまった。
もし前者であるのなら。クワトロ様の『専属聖女』になること自体には……異論はない。クワトロ様ファンの聖女たちには疎まれてしまうかもしれないけど、結婚を前提としないのだから、いわゆる契約『聖女と騎士の誓い』よね。うん。そんな例外があってもいいように思う。クワトロ様は強力な加護の力を獲るし、わたしは後ろ楯と信用を獲る。
もし後者であるのなら。今回の視察はわたしの神聖力に触れるいい機会となる。勘違いであるならクワトロ様はその間違いに気がつくはず。「申し訳ありません。間違いのようでした」なんて仰って、笑い話になるよね。
……なんだか途端に気持ちも軽くなった。きっとどちらかに違いない。
クワトロ様の差し出した手のひらを取りながら、にっこりと微笑み返した。
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村に入ると村長様と村の顔役の方々に出迎えられて挨拶をした。白い髭をたっぷりとたくわえた村長様は、にこにことした好好爺という印象。
村長様の屋敷のすぐ横の広場は村の集会所になっていた。先に到着していた『蒼の翼』の騎士様たちが天幕を張り、火を織して夜営の準備をしている。
西の神殿の聖女はまだ到着してはいなかった。
夜営用の食事は前回と同じ。途中で摘んだ香草と干し肉のスープと固いパン。泥のようなスープだけど、香草の爽やかさが肉の臭みを消していて旨みだけを引き立てている。見た目よりもはるかに美味しい。遠征のたびにこのスープが食べられるのは役得だ。
スープの入った大きな鍋をかける火の側。その火で灯りをとっていた。敷物の上にクワトロ様と並んで座る。熱々のスープをふぅふぅと冷ましながら口に運んでいると、村の入り口のほうがざわざわと騒がしくなった。
「西の聖女様がお着きになられたようですね。迎えに行ってきます」
「それではわたくしもご挨拶に……」
器を置いたクワトロ様と一緒に立ち上がりかけたときに──猛烈な勢いで突進してきたなにかに、勢いよく押し退けられた。というよりも、どんと、おもいっきり突き飛ばされたと表現したほうが正しい。体勢を大きく崩して前方につんのめり、危うく顔から転びそうになる。それを近くにいた騎士様の腕で支えてもらった。
「大丈夫ですか?! ユリアージュ様」
その騎士様には見覚えがある。確か……前回の討伐戦のときも声をかけてくださったラトル様?
「……ええ。ありがとうございます。お陰さまでなんともありませんわ」
一体なにに弾き飛ばされたのか。そちらに目をやれば……。
「アルフォンソ様! お久しぶりです! 西の神殿のフェリーチェです! とってもお会いしたかったです!」
クワトロ様の腕に自分の両腕を絡めて抱きついて、満面の笑顔でぴょんぴょんと跳ねる小柄な少女が目に入った。
「私は西の神殿からまいりました。聖女フェリーチェ・ロッチと申します」
にこやかな笑顔で旅のローブの裾をつまみ、見事なカテーシーを決めたフェリーチェ。
白くてふっくらとした頬に瑞々しい桃色の唇。くるりんとカールした睫毛は髪色と同じ色のすみれ色の大きな瞳を縁取っている。なんとも可憐な容姿の、華奢で小柄な少女だった。歳はシンシアよりも少し若いかもしれない。
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしは北の神殿のユリアージュ……」
「わあ☆あなたがあの噂に高いユリアージュ様なのですね!? お会いできて光栄です!」
自己紹介を終えないうちに、フェリーチェは口に両手を充てると、とても驚いた様子をみせた。
若干『あの噂』を強調されたような気がしないでもないけど……。気のせいかな? クワトロ様のことがあったから、ちょっと敏感になってしまっているのかもしれない。
「わたくしもフェリーチェ様にお会いできて光栄……」
突然にフェリーチェはがばっと頭を下げた。
「ユリアージュ様! ごめんなさい! だからそんなに睨まないでください!」
……ん?
言葉の途中で再びさえぎられる。それに、なんでいきなり謝罪? 睨む? わたしが? 誰を?
「先ほどはクワトロ様にお会いできることがとても嬉しくって……。はしたないとはわかっていたのですが思わず駆けよってしまいました。そのときに小石に躓いてしまって……。 ユリアージュ様に軽くぶつかってしまいました。本当に反省しています。だからお願いです。どうかどうかそんなに私を睨まないでください。なにとぞお赦しください!」
顔を上げた途端に一気にまくしたてるフェリーチェ。すみれ色の瞳にはうるうると涙が溜まっている。胸の前で握りしめた両手と肩をふるふると震わせていた。
えーと……。
フェリーチェはなにを言っているのかしら?
クワトロ様もラトル様も周囲の騎士様も村長様たちも、わたしとフェリーチェを困惑したように見比べている。
「あの? なにか勘違いをされているようですが……。わたくしはフェリーチェ様に怒ってなどいませんよ?」
「本当に本当にごめんなさい……。申し訳ありませんでした」
またもや殊勝な様子で頭を下げるフェリーチェ。
「ユリアージュ様がお怒りをといてくださって、とってもとっても嬉しいです。次からは本当に気をつけますので、私のことをどうか疎ましく思わないでください……お願いします!」
あれ? あれ? あれ?
だから、最初から怒っていないんだけど……?