【08】 ラバック砦へ
夢を見るようにうっとりと潤むシンシアの瞳。騎士との恋愛結婚を密かな野望としているシンシアにとっては『聖女と騎士の誓い』は憧れなのだろう。
だからといって、聖女全員がそれを望んでいるとは限らないけどね。
「聖女にとって……はちょっと言い過ぎかも」
苦笑しながら訂正する。
そういう聖女もいる、というだけのこと。
シンシアは小さく舌を出して肩をすくめた。
「騎士様が跪いて誓いを乞うなんて……確かに絵物語みたいよね。でも誓い合った聖女と騎士様は、そのあと数年間は結婚することが難しくなるのよ? そのこともリンツァとサラにはちゃんと教えておいてあげてね」
結婚を決めた聖女は職を引退してから家庭に入る。それは決められていることではないし、そうする必要もあるわけではない。それでも慣例のようになってしまっているのは、神殿で執り行なわれる神事や騎士団に同行する旅回りがある聖女職では、家庭との両立は難しいと判断するからだろう。
しかし、誓いを結んだことを周囲に知られると、聖女は引退することが難しくなってしまう。誓いのあとは聖女の神聖力とその騎士の体質がより相性を増す。
するとどうなるか──。
簡単には職を辞めさせてもらえなくなってしまうのだ。聖女の神聖力による加護が強力になった騎士は戦力になる。それが理由。
「はーいはい。周りにバレないように誓い合いなさいって、教えておくわね」
「シンシアったら」
「冗談よ冗談。そんなに眉間を寄せると……シワになっちゃってるわよ」
トントンと、シンシアは自分の眉間を指先で示す。
「うそっ!?」
眉間を両手で押さえながら慌てて手元の鏡を確認する。するとその鏡面の端に、笑いながら「それも冗談よ」と部屋を出て行くシンシアの姿が映った。
もうっ……。気にしてるんだからねっ。
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『蒼の翼』との二回目の同行当日。
北の神殿に迎えに来たのは、今回もクワトロ様だった。
「それでは行ってまいります」
見送りに出てきてくれたミモザ神殿長に出立の挨拶をする。
「女神様の御加護があらんことを。……気をつけるのですよ、ユリアージュ。『蒼の翼』の団長様、どうかよろしくお願いいたします」
クワトロ様はミモザ神殿長に頷くと、やわらかく微笑んだ。
「ではユリアージュ様。まいりましょうか」
前回にはなかったエスコート──差し出された大きな手のひらに、ちょこんと手を載せる。指先からはその固さが伝わってくる。毎日の剣の鍛練を欠かさない騎士様の手のひらは固い。
ミモザ神殿長と一緒に、神殿のホールまで送りに出てくれたシンシアやほかの聖女たちからは、ため息とともに小さな嬌声がもれた。
そんな空気にもクワトロ様はまったく動じない。彼女たちにも如才なく微笑む。三白眼の目尻が甘く下がると、剣を振るう戦闘時の鋭さとは異なる優美な笑顔が浮かぶ。再び聖女たちから上がるのはため息。彼女たちのため息にもしも色がつくとしたなら、間違いなく桃色だよね。
噂の真偽はどうであれ……クワトロ様はやっぱり、女性の扱いには慣れているように思えた。
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馬車は北の神殿から北西へと向かう。
窓を流れてゆく景色からは、だんだんと家屋も田畑もまばらになってゆく。やがてそれらもすっかりと姿を消した平原の中。まっすぐに伸びている街道を馬車は駆しる。
夏のこの季節。トリスタン平原の一面は緑色で覆いつくされてしまう。湿気の少ないからっとした風が吹き渡り、その風に草葉の濃い緑は揺らされて白く裏返る。青い空を背景にして、深い緑色の海に寄せた大小の波は、うねっては引いているようだった。
トリスタン平原の背後には七連峠と呼ばれる山並みが迫っている。標高はそこまで高くはないものの、その名前のとおりの七つの山が重なり合うようにして連なっている。その山並みはまだ遠くの空の下に灰色の影となっていた。
クワトロ様の説明によると、今回の『蒼の翼』の任務は、トリスタン平原のはずれに位置する古戦場の中にある砦跡の視察だった。
古戦場は数百年も昔の戦の跡。砦跡は崖の壁面を削って造られたもので──ラバック砦と呼ばれていた。そこまでのことはミモザ神殿長からも聞いていた。
ラバック砦はもちろん今は使う者などなく廃墟となっている。
暗くなると古の騎士の亡霊や危険な魔獣が出ると噂をされていて、地元の者も用がなければ近づかないような場所だ。
『銀の牙』が近隣の集落の人々から集めた情報によると、ここ最近になってラバック砦には、なにやら人の出入りが目撃されているらしい。
そのために例の商隊が絡んでいないかの確認と、もしものときの近隣の村の安全確保のために『蒼の翼』が派遣されたということだった。
今回は目立たぬように少数精鋭での派遣になる。聖女の同行は西の神殿からひとり、北の神殿からはわたし。聖女も最小人数の同行となっていた。
馬車が目指す『蒼の翼』の待機場所は、そのラバック砦の手前の村だという。
「……わたくしの顔に何かついていますか?」
『蒼の翼』の待機場所に向かう馬車の中。
同行にかんする事前説明を終えたクワトロ様は、なぜだかじいっとわたしを見つめてくる。
前回の火焔龍討伐戦のお迎えでは、クワトロ様は馬車の隣を馬で並走していた。今回は一緒の馬車に乗り込み、おおまかな説明を受けていた。そのあとで、なぜだか必要以上にじっと顔を見られているような気がして……いや、絶対に気のせいじゃないよね。だってずっと見てるもん。視線を上げるたびに青色と緑色が混ざった瞳と目がばちっと合ってしまう。
はっ!? もしかして……!?
思わずさっと両手で眉間を隠す。
「ああ……失礼しました。少し考え事をしていたものですから。……額はどうかされましたか?」
そう言って、クワトロ様はにっこりと微笑んだ。
「いえ、なんでもないです……そうですか」
ほっとしながらさりげなく眉間から手を下ろすけど……。
考え事、ねぇ。クワトロ様って考え事をするときには、人の顔をじっと見つめるクセでもあるのかしら?
ちらりと視線を上げると、またもやクワトロ様と視線が合う。……もうっ、なんだか全然落ち着かない。訊きたいことだってあるのに。
「なにか……ご質問でも?」
そわそわとしたわたしの様子を察したのか、クワトロ様は少しだけ首をかしげた。
「あの、じつは……今回の同行のことなのですが」
「はい」
「クワトロ様が中央神殿に直々に願い出られたと聞きました。これからの聖女職をまっとうするにあたっては、わたくしにとってそのお気遣いはとてもありがたいことです」
ぺこりと頭を下げる。
「そのように感謝をされては……こちらが恐縮してしまいます」
顔を上げてくださいとクワトロ様は微笑んだ。
「あの……ですが……やはりご指名までいただくのは身に余ります」
はっとしたようにクワトロ様の表情が曇る。
「それは……ご迷惑……ということでしょうか?」
「あっ、いえ、そういうことではないのです。……聖女の中には、騎士団に同行する順番を心待ちにしている者もおりますので……わたくしばかりが優遇を受けるということは……」
「ああ! そういうことですか! 迷惑だと仰られたら……どうしたらいいのかと思ってしまいました。よかった……」
そう言うと目尻を下げてほっとしたように胸を撫で下ろした。
「ですから、お気持ちはとても嬉しいのですが……」そう言いかけたわたしの言葉の上から、クワトロ様は穏やかに言葉を重ねた。
「それなら問題はありません。中央神殿に願い出たのは、私が視察や討伐に出向く際にはユリアージュ様を必ず同行させてほしいということですから。私が参加をしない隊には、北の神殿からもユリアージュ様以外の聖女様の同行をお願いしております」
あら……。
そういうことなの……。それなら、シンシアも納得してくれるかしら?
だけど、それって……。
「……なんだかわたくし、クワトロ様専属の聖女みたいですね」
ふふっと笑ってそう言った。
なにも思うところがないからこそ言えた、ほんの軽い冗談だった。
それを聞くとクワトロ様は、一瞬、目を奪われるほどにそれはそれは艶やかに微笑んだ。すっと身を乗り出して腕を伸ばし、さりげなくわたしの手を取った。
「私はそのつもりです」
っ?!
その手を反射的に引っ込めようとしたのに、クワトロ様の両手にしっかりと握り込まれてしまう。痛くはないけど握られた力はわりと強くて、前後左右のどちらにも手を動かすことができない。
「ユリアージュ様には、私の聖女様になっていただきたいのです」
……は!?
いきなりの訳のわからなさに頭の中は真っ白になった。握られた手も離してもらえないことでめちゃくちゃに焦ってしまい、混乱もしていた。
「ご……ご冗談がお上手ですこと」
冷静を装いながらもなんとか言葉を返す。
クワトロ様がどういうつもりでそんなことを言いだしたのか、まったく理解ができていないんですけど!?
「冗談などではありません」
心なしかクワトロ様の頬に赤味がさしたような気がする。
青色と緑色が溶けて混じった真っ直ぐな瞳の中にはわたしが映っている。クワトロ様の両手に包まれたわたしの手には、先ほどよりも、もう少しだけ熱くなった彼の体温が伝わってくる。
……え? これって冗談……じゃないの?
それって、つまり……?
どういうこと!?