【02】 火焔龍討伐戦
龍という種は知能が高いことで知られていた。
伝説のなかでは神にも劣らぬ叡知をもって、人間に知恵を授けた『神龍』の存在も語られている。
龍は通常では、自衛の目的以外に人間を襲うことはほとんどないはずだった。
しかし、赤黒く硬い皮に包まれた目の前の大きな火焔龍は、旅の商隊を襲った。
商隊の生き残りは深い傷を負いながらも、なんとか近くの村まで逃げ延びていた。
明らかに殺意をもって襲ってきたという。龍がそこまで狂うことは珍しい。
その報告が王都に届くや否や『蒼の翼』に火焔龍の討伐命令が下されたのだ。
隣国とは険しい山脈で隔たれている。
この山脈をもって国境としており、峰を越えた向こう側は隣国の領土になる。我が国の威信にかけても、火焔龍に峰を越えての逃亡を許すわけにはいかない。必ずここで討伐せねばならないとの訓示が出されていた。
山脈の麓には、大地を侵食するような深い樹海が広がっている。
その樹海を分け入った先。一部だけ拓けた場所があった。側には川が流れている。山々からの湧き水が寄り集まり、水の道を作って出来たものだ。
川と深い緑色に生い茂った高い樹々を背にして、火焔龍と『蒼の翼』は対峙していた。
世界を震わせるような咆哮を上げながら、身体の色と同じ赤黒い焔を吐き出す火焔龍。その焔は寄せる大きな波となり、火焔龍と剣を構えた騎士様たちの間に壁を造る。
東の神殿と西の神殿から派遣された聖女、エスターとレイニーは、樹木や騎士様たちへの被害が及ばないようにと防御壁を展開している。それでも熱風は騎士様たちを焦がしてゆく。
今回の討伐に同行している後方支援の聖女は全部で五人。東西南北の神殿からひとりずつ、中央の神殿からはひとりの派遣。
聖女の指揮を執るのは中央神殿から派遣されたルミナス様。歳は派遣されたどの聖女よりも若いが、聖女としての経験は長い。ほんの幼いときにご神託を受けて神殿に入ったからだ。
輝く銀色の髪と朝焼けの色に澄んだ瞳をもつルミナス様。この方こそ、民衆の想像通りの聖女様というような美しいお方だった。
聖女としての力も申し分ない。ルミナス様はおひとりで、討伐に挑んでいる騎士様たちすべてに『護りの力』をかけていた。
わたしと南の神殿のカペラは、後列から最前列の騎士様までに『広域治癒』をかけ続けている。それでも騎士様たちは、恐ろしい火焔をまき散らす龍になかなか近づくことができないでいた。
状況は一向に進まない。
『広域治癒』は神聖力の消費が激しい。本来なら持久戦には向かない。だが、わたしとカペラは『広域治癒』に長けている。ぶっちゃけて言うと神聖力の器が大きいのだ。カペラは『広域治癒』なら軽く普通の聖女の二倍、わたしは三倍の時間はかけ続けることができる。
だけど、こうも状況が膠着していると……。
隣のカペラをちらりと見る。少しだけど表情に疲れがみえた。カペラと目が合うと気遣うように微笑まれる。……わたしも同じということだ。
「全員後方に待機! 龍と距離を取れ!」
クワトロ様が指示を出す声が届く。同時にルミナス様に伝令が走った。
肯くルミナス様が顔を上げる。
「わたくしがクワトロ様に『護りの力』を集中させます。貴女がたはわたくしの合図と同時に『防御壁』と『治癒』をクワトロ様にかけ続けてください!」
クワトロ様以外の騎士様たちが後方に退がる。同時に、輝く白銀色の神聖力がクワトロ様の全身を包んだ。
火焔龍は急に退いた騎士様たちを、首を落として訝し気に眺めていた。しかし、すぐに恐ろしい咆哮を上げる。空気がビリビリと震えた。そして大きな地響きを立て、大地を揺らしながら突っ込んできた。
「今です!」
ルミナス様の迷いのない凛とした声が響く。
最大出力の『治癒』の力をクワトロ様に注ぎ込んだ。
ルミナス様の『護りの力』の白銀色、エスターとレイニーの『防御壁』の青色、カペラとわたしの『治癒』の黄色。それぞれの力が混じり合い蒼白銀に輝く。その輝きがクワトロ様の全身を包み込んでいる。
火焔龍は大きな口から赤黒い焔をチロチロと吐きながら、真っすぐにクワトロ様に狙いを定めて向かってくる。
クワトロ様も地面を蹴って火焔龍に駆け出す。そしてそのまま大きく跳躍をすると、まるで翼が生えているかのように空を駆けた。
高く、高く跳ぶ。
火焔龍の遥か頭上まで──。
そして。火焔龍の吐いた焔に曝されながらも、構えた剣を龍の頭部に叩き込んだ。
まるで大気を引き裂くような大きな断末魔の咆哮を上げた火焔龍。その咆哮が途切れると、赤黒い巨体は焔で焼かれた黒い土の上に静かに沈んでいった。
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討伐した火焔龍の亡骸に手を置いたルミナス様は、厳粛に魂送りの儀を行った。
そのあとに野営のためにその場所から少し離れた川岸まで移動をした。今夜はその岸辺で夜を明かす。
王都には明日の早朝に出発することとなった。
天幕を張るのを騎士様たちに手伝ってもらった。騎士様たちの中でも、比較的に軽い怪我の者は夕食や湯の準備をしている。その間に、ルミナス様を除いたわたしたち四人の聖女は、深手を負った騎士様たちに『治癒』をかけて回った。『広域治癒』は一度に大勢の者に作用するが、より丁寧に治すのなら『治癒』のほうが向いている。
ルミナス様はクワトロ様のテントに呼ばれていた。
『治癒』をかけるためと、魂送りの儀で得た火焔龍の情報を伝えるためだ。
夕食に出された野営用の茶色い泥のようなスープは、見た目に反して意外にも味はよい。干し肉を採ってきた香草と一緒に煮込んでいた。香草の爽やかな香りで肉の臭みを消して、旨味だけを引き立たせている。日保ちをするように乾燥させた固いパンをスープに浸して食べた。
夕食後にテントに戻ったカペラ、エスター、レイニーは、クワトロ様がいかにカッコよく勇猛で素敵だったかについて語り合い、盛り上がっていた。
口は挟まずに大人しく聞き役に徹していると、エスターに声をかけられる。
「ユリアージュ様もそう思いませんか?」
確かにひとりで斬り込んでいった姿は勇ましかった。それぞれの神聖力の色が混じり合った輝きを宿した姿は、団の名前そのものの天翔ける蒼の翼のようだった。
だけど……ねぇ?
エスターの問いには答えず曖昧に微笑むと、今度はレイニーが口を開く。
「そういえば。北の神殿にユリアージュ様を迎えに行かれたのはクワトロ様なのですよね?」
「……ええ。そうです」
「いいなあ。羨ましいです。わたし、まだきちんとお話をしたこともないんですよ~」
嫌味を言われただけで、羨ましがられる要素はなにひとつとしてなかった。などとは言える雰囲気ではない。
「実は……わたし、以前の野盗討伐のときにご一緒しているんです。そのときにお話しする機会があったのですが、今日の勇ましいお姿とはまた違った、とても丁寧な物腰の方でしたよ」
カペラが得意げに言った。
「ええ!? 羨ましいですう」
「わたしもお話したいです」
エスターとレイニーの羨ましい攻撃にうふふっと微笑むカペラ。どれだけ丁寧で優雅な雰囲気だったのかと、頬を赤く染めながらふたりに語り聞かせている。
なるほど。そうなんだ。
初見であんな失礼な態度をとられたわたしとは、かなりの扱いの差がある。
だけど、これではっきりとした。やっぱりわたしは、クワトロ様には相当に嫌われているみたいね。
触らぬ神に祟りなし。
クワトロ様には必要以上には近づかないでおこう。
ランプを消して横になりブランケットに包まると、カペラ、エスター、レイニーはすぐに寝息を立て始めた。
神聖力を使ったせいで、かなり疲労していたのだろう。
いつもならわたしもすぐに寝つけるはずが、今日に限ってはなかなか眠れない。
瞼を閉じると、あの火焔龍の咆哮が聞こえてくるような気がする。大気までをも震わせる恐ろしい叫び。だけど……どこかとても悲しくも聞こえて……。
何回も左右に寝返りを打ったあとで、諦めて身体を起こした。
天幕の布を通して、焚き火と篝火の燈が透けていた。
騎士様たちが交代で火の番をしているはずだ。寝付けるように温かい飲み物でももらいにいこう。
眠っている彼女たちを起こしてしまわないように、そっと天幕の外に出ると夜気に震えた。
季節は夏の始まりだった。だけど麓とはいえ、山の夜はまだそれなりに冷える。
隣の天幕のランプも消えている。ルミナス様の専用の天幕だった。中央神殿の聖女様は、地方神殿の聖女たちの上役にあたるので待遇もよい。
焚き火のほうに歩いてゆくと、こちらに背中を向けて丸太に座っている人影が見えた。
ふとした気配でわたしに気がついた影が振り返る。
「……ユリアージュ様?」
その声はクワトロ様のものだった。