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 姑フレヤからアーダの諸々の醜聞を聞かされた後も、エミリは何食わぬ顔でアーダの家に通い続けた。日々アーダと親しく言葉を交わし、時には冗談を言って笑い合い、表面上は仲の良い友人のような関係になっているエミリとアーダ。もちろん、本心ではエミリはアーダを軽蔑し、嫌悪している。



 エミリがアーダの家に通い始めてから約8週間が経った頃、ようやくアーダの怪我が完治した。

 今日はエミリが手伝いに行く約束の最終日だ。

 最後の夕飯を作り終えたエミリに、アーダは深々と頭を下げた。

「エミリさん。2ヶ月近くも毎日来てくれて本当にありがとう。この恩は絶対に忘れないわ。ほら、イーダもエミリさんにお礼を言いなさい」

 アーダに促されたイーダが、寂しげな表情でエミリを見上げる。

「エミリさん、ありがとう。エミリさんのお料理、ホントに美味しかったよ。また、うちに遊びに来てね。絶対、遊びに来てね」

 エミリは胸が詰まった。

 幼いイーダは、姉の酷い行状など何も知らないはずだ。イーダの無垢な瞳を見つめながら、不倫・略奪・二股を繰り返すアーダのような女にだけはならないで――と、エミリは心の中で願った。

「うん。必ず遊びに来るね」

「エミリさん、大好き」

 そう言ってエミリに抱き着くイーダ。

「私も大好きよ。イーダちゃん」

 エミリはしっかりとイーダを抱き締めた。



 そうして、イーダとの別れを惜しんだ後、帰ろうとするエミリに「大通りまで送るわ」と言ってアーダが付いて来た。一緒に行きたいと言うイーダに、家で待つようにと言い聞かせて。

 エミリは嫌な予感がした。

 二人で歩きながら大通りの少し手前にある橋に差し掛かった時、案の定、アーダの態度が豹変した。夕刻とはいえ、まだ明るい時間だ。だが、人通りは無い。

「ねぇ、エミリさん。デニスを私に返してよ」

 突然そう言い放ったアーダは、ついさっきまでの彼女とは全く違う、狂ったオンナの眼をしていた。

⦅なるほど。これが彼女のもう一つの顔なのね⦆

 エミリは妙に納得した。


「アーダさん。何を言ってるの? アナタがデニッさんを裏切ったんでしょう? デニッさんよりも、既婚の上司や5つも年下の後輩の方が良かったんじゃないの?」

「……あなた。まさか、知っていたの?」

 驚いた様子のアーダ。

「お義母さんから、全部聞いているわ。アナタ、散々デニッさんをコケにしたくせに、今更縒りを戻したいって彼に付き纏っているそうじゃない。一体何を考えているの?」

「アハ、アハハハハ」

 突然、腹を抱えて笑い出すアーダ。

「エミリさん。あなたどれだけお人好しなのよ。私とデニスの過去を知っていて、おまけに私が彼を奪い返そうとしていることまで知っていて、私の家に手伝いに来てたの? 呆れた。お人好しを通り越して、頭が足りないんじゃない?」

 2ヶ月近くも毎日アーダの家に通い、助けてあげたエミリにこの言い草である。アーダの人間性がよく分かる。


 エミリは真っ直ぐにアーダの目を見て言った。

「お人好しはアナタの方よ。アーダさん」

「は? 何のこと?」

「自分が奪おうとしている男の妻が作った料理を、毎日、何の疑いも持たずに口にするなんて、ものすごい【お人好し】じゃない?」

「は? え? あなた、一体何を?!」

「ねぇ、アーダさん。デニッさんは私のモノよ(アナタが弄んで捨てたケヴィンだって、私のモノだった!)」

 アーダを睨み付けるエミリ。その瞳には憎悪の炎が燃えている。

「アーダさん。アナタ、散々デニッさんを振り回しておきながら、今更彼に復縁を迫ってるのよね? ねぇ、そんな女に私が毎日毎日毎日料理を作ってあげた理由、知りたくない?(私はケヴィンを愛していたのよ! 子供の頃からずっとずっとずっと!)」

「あ、あなた、一体何をしたの? 料理に何か仕込んだの? まさか、イーダにも!?」

 アーダは自分でそう言いながら最悪の事を想像したのだろう。顔色が真っ青になった。

「さぁ、どうかしらね? うふふ(私の大切なケヴィンを玩具にしたアナタを許さない!)」

 意味ありげに笑みを浮かべるエミリ。


「イーダは関係ないでしょう!? あなた、何を盛ったの!? 白状しなさいよ!!」

 エミリに詰め寄るアーダ。けれど、エミリは怯むことなく冷静に言った。

「安心して。直ちには身体に異変は起きないわ」

 アーダはエミリの言葉に激しく狼狽える。

「『直ちには』って何よ! どういう事? 後から毒が回るって言いたいの? イーダはまだ7歳なのよ!?」

 悲鳴のような声を上げながら、アーダはエミリの胸倉を掴み、ガクガクと揺さぶった。


 アーダは長身の女性騎士で、エミリはやや小柄な普通の主婦だ。腕力も体力も敵うはずがない。いくらアーダの右腕の怪我が、治ったばかりでもだ。そして今、二人が揉み合っているのは人通りの無い橋の上。しかも橋の下を流れる川は昨日の大雨で増水している。濃い茶色をした濁流が、かなりの勢いで流れているのだ。興奮したアーダは、今にもエミリをその川に突き落としそうな勢いである。いや、実際突き落とす気なのだろう。だが、そんな危機的状況にもかかわらず、エミリはケラケラと笑っていた。そして笑いながらアーダに尋ねた。

「ねぇ、今、どんな気持ち? ねぇ、アーダさん。どんな気持ち?(ケヴィンは私の許婚だったのよ!)」

「な、何、笑ってるのよ?!」

「アーダさん。私と心中して頂戴(愛してるわ、ケヴィン。そして同じくらい憎んでる。苦しい! 苦しい! 苦しい! 苦しいぃいっ!)」

「はぁっ!? あなた、狂ってるの!?」

 目を見開くアーダ。

 次の瞬間、エミリは全力でアーダにしがみついた。そしてそのまま放さぬよう、死に物狂いで力を込め、二人一緒に橋から落ちたのである。

 真っ逆さまになりながら、エミリは思った。

⦅火事場の馬鹿力って想像以上に出るんだな……⦆

 ねぇ、ケヴィン。知ってた?



 

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