第十三章 アメリカ
古の森に銃声が響く。
もう弾が尽きそうだ。
それほどの回数、ドレイクは殺した。
「ブルァアアアアア!」
ライオンの毛皮はすでに穴だらけ、尻尾の蛇は片手で数えられるまでに減っている。それでも少年は立ち上がる。フェンリルの少女からドレイクを引きはがし、しかしホタルの元へは行かせまいと、グンダルクの奥地へといざない、大地を鳴らす。
幻獣キマイラは〝混沌を司る王〟だ。その性格は穏やかでもあり、どう猛でもあると言われている。
この少年はどうやら、後者の性質を強く引き継いだようだ。
「ガゥア!」
咆哮とともに、ライオンの前足が叩きつけられる。ドレイクがかわすと、地面に巨大なすり鉢状の穴が開く。周囲の木々が全て、根を張るよりどころを失い、こちらに向かって倒れてくる。
太古から生き続けてきた巨大な樹木を、キマイラの少年はヴァルブレイカーの一太刀で叩き切る。刀身の長さよりも木の幹の直径の方がはるかに長いのだが、スパスパと、大根のように切り刻んでいく。当然だとも。伝家の宝刀だ。マイラーズ家の専用武器だ。それくらいの切れ味を見せてもらわなければ、偽物かどうか疑うところ。
ドレイクはショットガンの引き金を引き、自分の二の腕ほどもある小枝たちを吹き飛ばした。
飛び散る葉と木くずの中を、キマイラの少年が怒れる猛牛のように突き進んでくる。木の破片が腕や太ももに突き刺さろうとお構いなしだ。ヴァルブレイカーの切っ先をこちらに向け、どうやらあれは、刺し違えてでも止めるつもりなのだろう。
ドレイクは体の中に意識を沈めた。胸の奥底を流れている蒼い色の激流に手をひたした。
力を引き出そうと試みたが、うまくいかない。すくってもすくっても、力が指の間をすり抜けていく。ここ数日、どうも酷使しすぎている。薬の効力がだいぶん薄まってきた。ウラオー博士に追加を頼まなければ。
力を使いたいドレイクと、それに抵抗して逃げ出そうとする蒼い色の激流。ギリギリのやりとりの中、どうにか三回分、我がものにできた。
蒼い視界、クリアな聴覚、キマイラの動きが、ほとんど止まっているように見える。直立歩行するライオンのようなその顔の、砂色の毛一本一本の動きまでわかる。やつの右足が、地面に今何センチ沈み込んでいるのか、大きく蹴り出した左足がどれくらいの高さで空気を薙いでいるのか、それすらも感じる。ヴァルブレイカーは今、ドレイクの前髪を三本切り裂いたところだ。その刃体の側面を、ポリスマンで殴りつける。やつが体制を崩す。前につんのめっていく。いいぞ、こちらはあと二発撃てる。
空いた左手で、キマイラの右頬をぶん殴る。よろけたところで、ヴァルブレイカーごと左手を撃ち抜く。キマイラは左手が再起不能なほど穴だらけになり、武器を持っていられなくなる。するとどうだ、たいしたやつだ。
自分で舌を噛み切って自害した!
白目をむき、一瞬、頭があらぬ方向に倒れる。バランスを失ったやじろべえのように、体がぐらりと傾く。尻の蛇がまた一匹消える。左手に空いている穴の、周りの細胞が、鞭うたれた馬のように加速するのが見える。無数に開いていた傷口が一斉に塞がり、宙に浮いていた左足が突然意思をもって動き出す。地面をしっかりと踏み抜くと、キマイラはそこに全体重をかけ、治ったばかりの左手を握りこむ。
ドレイクはほくそ笑む。まだ白目を向いたままなのに、自分に向かって左の拳を放つ姿に打ち震える。ガッツのあるやつは嫌いじゃない。ポリスマンの銃口を左手で持ち上げ、キマイラの攻撃をいなす。やつの左手は、グンダルクの森に新たなクレーターを作る。
ポリスマンの銃把をすぐさま捻り返し、キマイラの頬をぶつ。もう一度ぶつ。大きくよろけたところで、胸のど真ん中に散弾を撃ち込んでやる。
この間わずか七秒。キマイラの少年が最初に切り飛ばした木々がようやく地に落ち、二度目のクレーターで傾いた木々が、続々と倒れてきた。
何十度目かの死を迎え、同じく倒れ始めたキマイラに、ドレイクは突撃する。このままでは小さなアパートほどある大木に押しつぶされてしまう。空気のわずかな揺らぎを鋭敏に感じながら、木々の倒れてこない場所を見定め、森番を押し倒す。馬乗りになり、蛇を犠牲にして治り始めた胸元に、ポリスマンの銃口を突きつける。
ポンプで肺の空気を抜きだされたような音を立て、森番は復活する。星空をまぶしたような瞳が、痛々しいほど血走った状態で帰ってくる。しかしもう立ち上がれないようだ。抵抗せず、自らの運命を受け入れている。
「へっ……思い出したぜ」
地に落ちる大木たちが引き起こす、微細な地震に身を委ねながら、疲れ切った表情で森番は笑う。
「昔……ここを抜け出したスカポンタンが、いたって話……」
「たくさんいたさ、そんなもの」
ドレイクは吐き捨てるように言い、ポリスマンに弾を装填していく。一発一発、憎しみを込めるように。
「その度にフェニアスが殺した。お前たちの、偉大な王様が」
森番はほんのわずかに、首を左右に振る。後悔と諦めの笑みを浮かべ、ドレイクではなく、その先の天を見上げる。
「いや……例外があった……たった一人……チクショー、フェニアス様を、呼ぶんじゃなかったぜ……」
「おしゃべりならけっこう、ウラオー・ホタルはどこにいる」
ポリスマンに体重を預け、ドレイクは脅す。森番の視線が帰ってくる。血の貯まった鼻の穴から、ぶっと笑みをこぼし、つぶやく。
「……見えないのか?それとも、見えなくなったのか、哀れな男だ」
ドレイクは躊躇なく引き金を引いた。森番はまた白目をむいて絶命した。
神経を逆なでされたというレベルではない。自分の中にある確固たる信念を、大切にたいせつに磨き上げた宝石のような心を、鋭く尖らせた針金でかきむしられた気分だ。しかもこんな、生まれて十年と少々しかたっていないような若造に。
残っていた最後の蛇が、灰になって消える。ドレイクはイライラを押さえながら、もう一度ポリスマンを突きつける。
「わかるように言ってくれないか。ジェネレーションギャップってやつだ。こう見えても、今年で百五十でね」
「二ヒヒ……ホタルならいる」
森番は目をキラキラさせながら、至上の喜びを打ち明けるように笑う。
「どこに」
ドレイクは鼻にしわを寄せる。
「いつだっている」
森番は頷いて笑う。
「はあ」
もうダメだ。諦めて、ドレイクは引き金に指をかける。
死を目の当たりにしても、森番は笑うことをやめない。彼の中にある何かが、まるで永久機関のように、勇気と希望を与え続けているようだった。
それは幻獣キマイラか、それとも、ドレイクが昔持っていた、諦めた、何かなのか。
あぁ、だからオレは腹を立てているのか。
ドレイクは妙に納得した。
そして、次に森番が何と言うかも理解した。聞きたくなかった。速やかに引き金を引き、森番を永遠に屠るつもりだった。
しかし、ショットガンを放つことは敵わなかった。
「俺は、愛しているからな――」
森番は自信満々にそう言うと、満面の笑みで目をつぶった。
〝愛〟という言葉が、ドレイクの胸を百年ぶりにざわつかせた。
その一瞬が命取りだった。
カッツーンと甲高い音がなる。自分の腕が痺れていることに、その時ドレイクは初めて気が付く。蹴り飛ばされたポリスマンが、倒れていた木の幹に跳ね返ったのが見える。
再び立ち上がったのだ、フェンリルの少女が。
「ちっ」
邪魔をされたこと、聞きたくもない言葉を浴びせられたこと、そのどちらに腹を立てているのか自分でもよくわからなくなりながら、ドレイクは立ち上がった。
踊り子のような衣装に身を包んだ少女が、ぎゅっと顔を引き絞って、小さな握り拳を、両肩の前で作っている。
ドレイクが息を吸って、吐く間に、彼女はフェンリルの権能を一気に引き出した。下半身だけでなく、両腕までまっ白な毛でおおわれ、手足の指先に、黒曜石を切り出したような黒い爪が現れる。ノーモーションで、ドレイクでも追いきれない速度で動き出す。気付いた時には、ドレイクは左の二の腕に五本の切り傷を負っている。
森番は少女の到来を敏感に感じ取ったようだ。なんとか立ち上がろうと、懸命にもがき始めた。
「くそっ!リー!」
がたがた言っているが、立ち上がれないでいる。瀕死のキマイラは後回しだ。ドレイクは森番を足蹴にして、少女を捕まえようと試みる。
方向変換のために減速したところに飛びついたが、フェンリルの少女はエメラルドの残像を残して消える。ドレイクの右手は空を切る。
「ぐっ……!」
背中に、巨大な鉄球でもぶつかったかのような衝撃が走る。ドレイクは膝をつく。
速さは重さ。
ドレイクの腰丈ほどしかない少女が、これほどまでに強い一撃を放てる理由がそれだ。おまけに今は、ナイフより鋭い爪のおまけつきだ。
ドレイクは何度も蹴られ、何度も切り傷を負う。コートの裾がびろびろに引き裂かれ、ミリタリーブーツにも大きな傷跡がつく。腕や脚から鮮血が噴き出し、自らの体にまとわりつく鉄の香りに顔をしかめる。
一度逃走に失敗したからだろう、今度はこちらを殺す気だ。
その判断は正しいがしかし、問題は実力差だ。
「もう一度だけ言う!」
ドレイクは片膝をつき、体の中の激流に手を浸す。エメラルドの光がビカッ!と瞬いたと思った一瞬後、右頬をばっさりと裂かれる。
痛みに顔を歪めながら立ち上がる。頬から滝のように流れてきた血が、顎を伝い、首筋を伝い、シャツを生暖かく湿らせ、胸元まで入って来る。気持ちが悪い。胸糞悪い。だがそれも僅か数秒のことだ。
「オレは子供相手でも容赦しない!そして!ここはアメリカじゃない!」
頬の傷が瞬間接着剤でくっつけたようにぴっちりと治る。体中の傷がふさがり、血の噴水が止まる。フェンリルの少女が走りながら、エメラルドの瞳を見開いている。それをしり目に、ドレイクは自分の口の中に手を突っ込む。
おぞましい硬質物が、食道の内側をごりごりと削りながら登って来る。唾液と胃液と吐き気と共に、体内に隠していたものをひねり出す。
それは折りたたまれた武器である。メリケンサックのような形状の蒼い持ち手と、先端についた鋭利な刃、その全てが、ドレイクの胃液にコーティングされてぬらぬらと光っている。液体を振り払うように構えると、刃物がジャキン!と音を立て、三つに分かれる。持ち手の縁に沿って回転し、本来あるべき場所に戻る。二本が、手の甲から伸びた爪のような位置に、もう一本はドレイクの腕を守るように斜め下に。
これはさながら、龍のかぎ爪のような武器だ。雇い主にも見せたことが無い、ドレイクのとっておきだ。銃弾よりも速く走る敵を仕留めるには、もはや直接刃を突き立てる以外に手段はない!
「逃げるんだ!リイィィィィ!」
森番が声を限りに叫んでいる。しかしフェンリルの少女は止まらない。
彼女が何を思っていたのか、ドレイクにはわからない。わかるのはその思いの強さのみ。
ドレイクは見ていた。
蒼い視界の中で。
流星よりも、稲妻よりも、光よりも早く、一筋の線となって走る彼女を。
落ちていた木々の残骸が、ソニックブームで巻きあがり、ぐしゃぐしゃにつぶれるのを。
フェンリルと盟約した一人の戦士が、ドレイクの息の根を止めるため、喉元めがけて、爪の一撃を振りかざして突っ込んでくるのを。
とった――――――。
その瞬間、その位置しかありえないとわかった。全てを追いきれたわけではない。だが、速いだけではドレイクの感覚をすり抜けられない。
エメラルドを認識したという、脳の電気信号より速くやってきたフェンリルを、ドレイクはボール遊びでもするかのようにたやすく捉えた。
月が落ちてきたような衝撃が、左腕を襲う。肩の骨が砕けそうになる。間違いなくヒビは入った。それもすぐ治る。
もうもうと立ち込める土埃が晴れると、喉笛を掴まれた少女が、声なき嗚咽とともに、足をバタつかせている。彼女の爪が二の腕に突き立てられたが、もはや傷跡すらつかない。
ドレイクは別の生き物になった。
左手に力をこめ、彼女が空気を補給する術を断つ。
森番がもがいている。
全身にむち打ち、立ち上がろうとしている。
動かぬ足に、伸びない膝に、上がらない腰に、苛立ちと祈りをぶちまけながらもがいている。その姿を一目見て、ドレイクは右手のかぎ爪を握りなおす。
フェンリルの少女は狼のような牙をむき出しにして、声なきうなりを上げている。頭も目も、体に不釣り合いなほど大きい。まだ幼い証拠だ。小さな手と足を一生懸命に動かして、どうにか逃れようとしている。可愛そうに、心臓も小さいだろう。きちんと狙わなければ。
「やめろーっ!ドレイクうぅぅぅ!」
もちろんだとも。
頭の中で森番に、ドレイクは答えた。
やめるはずなどない。そして外すことも。
エメラルドの瞳をじっと見つめる。
喜べ、両親の元へ行けるぞ。
龍のかぎ爪をもって、オーサム・ドレイクは少女の心臓を一突きにした。




