勇者パーティの追放劇
笑っていただければ幸いです。
いつもなら男たちの酔声が響く冒険者ギルドに併設された食堂兼酒場は、今夜は通夜のような啜り泣きが静かに木霊していた。
酒と料理が並んだテーブルの中に一つだけ、何も乗っていない席がある。
そこに陣取っているのは世界中で知らぬ者のない、勇者パーティ『糸車』だった。
茶色の髪に茶色の瞳、どこにでもいる純朴そうな顔をした少年こそ『勇者』のスキルを持つカーリーだ。
その隣、青みがかった黒髪に蒼い瞳の少女が『賢者』のスィーラ。カーリーとは同郷の幼馴染である。
スィーラとは反対側の隣でカーリーを慰めている老人こそ『大魔導師』プリッツ。聖王国の王宮魔導師団の長でもある。
スィーラを慰めているピンク色の髪に金の瞳を持つ美女はルーマン・ド・ブルボン。聖王国の王女であり『聖女』のスキルを持っていた。
ボロボロに泣くカーリーとスィーラに、どうしたらいいのかわからないとおろおろしている、やたら体格の良い黒髪黒瞳の少年は、二人と同郷で幼馴染のナン。彼は『聖騎士』だ。
「やだよぉ……っ、ナン、行っちゃやだぁ……」
「カーリー、仕方があるまい。もはやこうするより他に手はないんじゃ」
カーリーは勇者のくせに、昔から泣き虫だった。争いが嫌いで故郷のハジメーノ村では一度も喧嘩に勝てたことがない。悪ガキに虐められているカーリーを助けるのは、いつもナンの役目だった。
「ナンがいてこそ『糸車』だもんっ。ナンじゃなくて、あたしが出ていく」
「スィーラ、あなたの気持ちもわかるわ。でもね……」
「ルー姉にはわかんないよ!あたしたちにはナンが必要なの!!」
スィーラが泣きながら叫んだ。
ルーマンとプリッツがパーティに入ってくれるまで、ナンにどれほど助けられたことか。村一番の力持ち。やさしく頼りがいのあるナンがいてくれたから、厳しい旅にも耐えられた。彼はカーリーとスィーラの支えだった。
「やっぱり納得できません。どうしてもと言うなら俺を追放してください……っ」
ぐいっと涙を拭ったカーリーがプリッツに訴えた。
プリッツは悲痛に顔を歪め、ただ俯くしかない。長く生きていても、互いに信頼しあう若者たちを引き裂く正当な理由など思いつくはずがなかった。
話を聞いていた荒くれ揃いの冒険者たちももらい泣きしている。
――勇者パーティのメンバー追放。
これは過去、何度も起きた伝説ともいえるイベントだった。
行き詰ったパーティ、あるいは魔王まであと一歩のところまできて、満場一致でパーティに貢献していない者を追放する。
追放された者は、その後隠れスキルに目覚めたり、スキルが思いがけないランクアップをしたりと、勇者をも超える力を得るのだ。
もちろん全員がそうではない。足手まといと判断されたからこそ追放されたわけで、名誉挽回しようと無謀な戦いを挑んで死んだ者のほうが多かった。
それでもイチかバチかにかけて、わざとパーティメンバーの足を引っ張って追放されたり、強くなれと唆して追放したりという騒ぎが後を絶たなかった。
「カーリー、スィーラ。ありがとうな、オレのために考えてくれて」
「そんなこと言うなよぉっ」
「ナン、あたしたちにはナンが必要なの! 行っちゃだめだよ!」
そして今、彼ら『糸車』は魔王攻略に行き詰っていた。
ナンを追放しようという理由はここにある。
彼らはそれぞれ神器と呼ばれる特別な装備を入手していた。
カーリーは聖剣グランティン。
スィーラは賢者の石。
ルーマンはアスクレピオスの杖。
プリッツは光のローブ。
しかし、聖騎士ナンの神器は一向に見つからなかった。
現在ナンが装備しているのはオリハルコンの盾と鎧だ。これも伝説級のものではあるのだが、魔王相手には弱かった。実際魔王の攻撃に耐え切れず、撤退を余儀なくされたのだ。
「いや、これ以上はオレには無理だ……。聖鎧が見つからない以上、魔王とは戦えない」
「だから、探せば……」
聖鎧は魔王退治には必ず出てくる神器だ。勇者が装備するか、聖騎士が装備するかはその時のパーティによるが、どこかにあるのはわかっている。
だが、見つからなかった。
ナンは探そうと言うカーリーに力なく首を振った。
ハジメーノ村からここまで一直線に来たわけではない。聖剣や賢者の石を求め、人助けをしつつ世界中巡ったのだ。旅の途中で立ち寄った聖王国ではルーマンとプリッツが参戦して、彼らは徐々に強くなっていった。
村を出てから五年。十三歳の気弱な少年は立派な勇者になった。気力体力が充実している今こそ魔王を倒す時だ。
聖鎧が見つかるまで何年かかるかを考えると、ここでナンを追放したほうがいい。
それに、もしかしたら聖鎧を発見する条件があるのかもしれない。
神器を授かる際に、それぞれ試練が与えられていた。
仲間の力に頼らず、一人で探すこと。それが試練だとしたら、やはりナンはこのままパーティにいるわけにはいかなかった。
「オレは正直デブだし鈍足で、魔法も使えない。お前たちについていくだけでやっとだった」
「違うよ。体が大きいのは筋肉じゃんか。フルアーマーが重すぎて馬に乗れないだけだし」
「それに、これ以上魔法を使えるメンバーが増えたらあたしの出番がなくなっちゃうわ。ナンはそれでいいのよ!」
ナンが自分を否定しても、カーリーとスィーラがすぐさま言い返してくる。
二人はナンが大好きなのだ。
ケンカをしてもすぐに仲直りしてしまう。本気で嫌われるのは耐えられない。だからすぐに謝って、笑って許し合ってきた。
とうとうナンの目に涙が滲んだ。
「ごめ……。ごめんなぁ、二人にこんな決断させて……っ。オレッ、がっ、もっと強かったら……」
「ナン!」
「ナン~!」
幼馴染三人はひとかたまりになって泣いた。
勇者について、最も多くの伝承が残る聖王国の王女ルーマンと、年の功で見守ってきたプリッツは、この三人を離さねばならないことに胸が引き裂かれそうな思いだった。
もしかしたら、という希望に縋って追放を提案したのはこの二人だ。
『糸車』というパーティ名は、全員で一本の糸になる、という決意を込めて付けたものだと言う。
ナンが抜けてしまえば、ほつれた糸は弱くなり、布を織ることも縫い合わせることもできなくなってしまうだろう。
「ああ、神よ。あなたはなんという試練を彼らにお与えになったのですか」
「もう一度国に帰って図書館をしらみつぶしに調べてみるか……?」
ルーマンとプリッツが後悔を口にした。
同じ村で生まれて育ってきた、性格も癖も知り尽くしている三人だからこそ、ここまで来られたのだ。
もう一度ほかに道を、と言いかけた時、ナンが立ち上がった。
「オレは行くよ。そして必ず強くなって戻ってくる!」
「ナン……!」
「『糸車』は三人ではじまったんだ。オレがいなくちゃはじまらないもんな!」
信じてくれ、とナンは笑った。
「ナン……。そうだよ。だから絶対戻ってこいよな!」
「そうよ! あたしたちは全員で、一本の糸なんだからね!」
信じて待っている、とカーリーとスィーラも笑う。
三人は泣き腫らした、それでも笑顔でルーマンとプリッツを呼んだ。
それぞれの右手を差し出す。パーティの結束を誓う、冒険者の儀式である。
「我ら『糸車』はどんな敵にも屈せず」
「仲間を信じ、力を合わせ」
「神の試練すら乗り越えん」
「叡智を力に。たとえ道を分かつとも……」
カーリー、スィーラ、ルーマン、プリッツの右手が重なり、そしてナンが力強くそこに右手を置いた。
「必ずや、一本の糸とならんことを誓う!!」
大きくがっしりとした、頼もしい手だった。
「そうと決まればナン、これ持って行って!」
カーリーが荷物入れの中から即死を防ぐ身代わり人形をナンに押し付けた。
「いいのか? これ高いのに」
「ルー姉がいれば大丈夫だ!」
「あたしはコレ! エリクサー! 十本セットにしといたから怪我したら使ってね!」
エリクサーはあらゆる状態異常と怪我を一瞬で治す秘薬だ。お徳用栄養ドリンクのノリで差し出すものではない。
「教会と宿屋組合には通達してあるから、無理せず休むのよ」
ルーマンは聖女と王女の特権を利用して金が尽きても困らないようにしてあると言った。
「なんじゃ、姫もか。わしも冒険者ギルドに使い魔置いてあるでな、なにかあれば伝言が届くようにしてある。いつでも迎えに行くぞい」
心配性の仲間に、プリッツも人のこと言えない手配を済ませていた。
一人追放されることを決めたナンの男気に感動した冒険者たちも、口々にナンを励まし、肩を叩きながらなけなしの金を渡した。
「みなさん……ありがとうございます!」
そこに、黒いローブをまとった人物がギルドの受付にやって来た。
もらい泣きしていた受付嬢だがそこはプロ、すぐにきりっと表情を改め、話を聞いた。
「勇者様ならあそこにいるわよ」
このクライマックスに依頼か。水を差された気分になったカーリーだが、ナンが抜けた四人でどこまでやれるか試すチャンスだと気分を切り替えた。ナンも安心するだろう。
なにより、困っている人を放っては置けない。
カーリーの気持ちが伝わったのか、緊張ぎみに歩み寄ってきた黒ローブは、ぎゅっと胸の前で手を組んだ。
「……勇者様、なにとぞお力をお貸しください。我が里は魔王十八公が一人、ハイラシャースにより壊滅寸前にまで追い詰められているのです」
「ハイラシャースだって!?」
魔王十八公というのは人間側が付けた総称だ。かつての勇者により、そのうちの三公が倒されている。
ハイラシャースこそ現在人間に攻撃を仕掛けている魔王であり、カーリーたちが一度戦いを挑んだものの撤退を余儀なくされた、因縁の相手だった。
すぐに行こう、と承諾しかけたカーリーを、ルーマンが手で制した。
「待って。……ハイラシャースに侵攻された国があるなんて話聞いたことないわ。魔物軍団も現在膠着状態にまで持ち込めている。あなた、何者?」
声からすると女だが、ローブのフードを取らないままなど人に頼む態度ではない。ルーマンが鋭い目で睨んだ。
「たしかに。ヤツが出たとなれば救援要請がとっくに来ておるじゃろう」
プリッツもルーマンに補足した。たしかにそうだ。
壊滅寸前となれば激戦であったはずである。なのに、この場の誰ひとりとしてそんな話を聞いたことがなかった。
まさか魔王の罠か、と疑惑と殺気が膨れ上がる。
「ルー姉待って! とにかく話を聞いてみようよ。里ってことは、まだ行ったことのないような、遠くから来たのかもしれないじゃないか!」
カーリーがそんな空気に割り込んだ。
「勇者様……」
黒いローブのその人は、意を決したように顔を隠していたフードを取った。
現れた顔を見て、全員が唖然と息を飲む。
「な……」
ルーマンが口を覆ってよろめいた。
金の髪に緑の瞳。人形のように整った美貌の女性だ。
そして――顔の両端から飛び出した、長く尖った耳。
「え……っ。エルフさん?」
ぽかんとなっていたカーリーが全員の心を代弁した。
「はい。わたくしはあなたがたがエルフと呼ぶものです」
エルフは深い森に生息し、人の前に姿を現さない、精霊に近い生物だ。
ほとんど幻と言われており伝説にしか残っていない。おとぎ話の存在だった。
「エルフってほんとにいたんだー……」
素直すぎるカーリーに、エルフはにこりと微笑んだ。
「エルフは人の目に映りません。この『影縫いのローブ』をまとっているからこそ、わたくしはあなたの前にいられるのです」
誇り高いエルフは人間を下等生物と蔑んでいる。しかし中には人間を好み、共に生活したいと望むエルフもおり、影縫いのローブはそんな物好きが作ったものだった。
「我らが女王はかつて勇者と共に旅に出たことがございます。かれこれ五百年は前になりましょうか。その折に里に持ち帰られた『サムソンの聖鎧』を狙って、ハイラシャースが襲撃してきたのです」
「えっ!?」
「はっ!?」
今なんかとんでもない単語が飛び出してきた。
カーリーとナンが同時に声をあげた。
「女王はすでに『聖騎士』を引退しており、次なる勇者に託そうと今まで聖鎧を守ってこられたのです。里が襲撃された際、我々も応戦したのですが力及ばず……。勇者様、なにとぞ我が里を、女王をお救いくださいませ」
彼女はカーリーに心を許したようである。罠かもしれないと思っても、困っている者を放っておけない、カーリーの人の良さが人間不信で有名なエルフの心を溶かしたのだ。
それより重要なのは、聖鎧の在処がわかったことだ。
見つからないはずである。エルフの里なんてどこにあるか誰も知らないし、そもそも見えない。それ以前に、エルフが持っていると考えもしなかった。
なぜならエルフは魔法主義。脳筋ばかりの『聖騎士』とはイメージがかけ離れすぎている。
とにかく、これでナンを追放しなくてすむ。
「もっと早く言ってよ!!」
カーリー、ナン、スィーラ、ルーマン、プリッツが声を揃えて叫んだ。冒険者たちも叫んだ。
――こうして、勇者パーティ『糸車』の追放劇は幕を下ろしたのである。