第90話 真実のシャッター音
海の底にいるみたいだった。
酷く冷たく重たい空気が、無言で立ち尽くす私達の背中にジリジリとのしかかっていた。
「…………」
夜明け前。車一台通っていない人気のない道路は、こっくりと濃い青色に染まっている。
青に染まった世界の中で。澤田さんの吐く紫煙だけが、ゆらゆらと溜息のように揺れていた。
「酷い格好だなぁ、魔法少女」
しゃがみ込んだ彼は重たく笑った。
ぼわりと口端から煙を吐き出して、自分を睨み上げるママの額を、銃口で優しく小突いていた。
あんなに可憐だったピンク色のお洋服はすっかり泥とゲロにまみれていた。
擦り切れ汚れ、ズタズタになったスカートを握りしめるママの手は酷く汗ばんでいて、激しい怒りか焦燥か、ぶるぶると白く震えているのだった。
「……銃で私を脅せるとでも?」
ママは己の額を舐める銃口を見て笑った。その通りだ、と私も思う。
魔法少女の体は頑丈だ。銃じゃ死なない。それは澤田さんだって当然知っていることのはずで、彼はふむと肩を竦めるように嘆息する。
「確かに、あなたは銃じゃ殺せない」
「ええ、そうよ」
「だけど」
銃口がママの眼球に添えられた。ひたりと冷たい金属が、分厚いまつ毛をくにゃりと反り返らせるくらい、至近距離に。
ママが息を呑んで体を硬直させる。澤田さんが引き金を引けば、飛び出した弾丸はママの眼球に激突するのだろう。
「『楽に死ねない』のは俺にとっちゃ都合がいいんだ」
「な」
「俺はね。人を壊す方法ならいくらでも知ってるんですよ。奥さん」
澤田さんの声は優しかった。
まるで恋人に語りかけるみたいに柔らかい声だった。
「人間一個ボロボロにするくらい、今まで何度もやってきたんだよ、仕事柄ね」
震えるママの頬を優しく撫でながら、彼はぼうっと低い声で微笑む。
「単純に殺すより、死なない程度に加減するほうがうんと難しい。頑丈な魔法少女ならその心配がない分楽だな。好き放題にできる」
「…………っ」
「ありすちゃん達のおかげで今のあなたは随分弱っている。捕らえて、拷問を行うことくらいはできそうだ。大丈夫、死なないんだろうあなたは。何をしても平気さ……」
ジン、と全身に鳥肌を立ててママは固まっていた。
悪夢みたいに甘ったるい澤田さんの声がドロドロと落ちていく。
私を抱きかかえる涼先輩の腕にも鳥肌が立っていた。隣の部長は背中を冷や汗でぐっしょりと濡らし、澤田さんの声に俯いている。
澤田さんの前髪が風に揺れていた。彼の細い眼差しが見え隠れして、口元の緩い微笑みだけが露わになっていた。
澤田さんは人間だ。
ママがその手に握っているステッキを一振りすれば、彼は簡単に殺されてしまうだろう。この場において絶対的優位に立っているのは、ママなのだ。
だけどそんな力関係などあまりも無意味だった。
澤田さんは少しもママを恐れてはいなかった。闇より重たい威圧感がこもった彼の声に、すっかり圧倒されているのはママの方だった。
彼の甘い声には悪意がこもっていた。
それはママの声とよく似ていた。
ママの悪意を、澤田さんがより深い悪意で飲み込もうとしているのだと、全身に沸き上がる恐怖の中で気が付いた。
「可哀想に。あなたはただ、人気者になりたいだけだったのにな。予想以上に人々はあなたを支持していない。人気者になりたいという夢は、どんどん遠ざかっていくなぁ」
しかしママはその嘲笑じみた言葉にハッと顔を上げた。虹色に汚れた服を握りしめる拳が、ぶるぶると痙攣したように震えていく。
「何がしたいのよ!」
ママは犬歯を剥き出しにして澤田さんに吠えた。
怒りにガチガチと奥歯を鳴らして、汗ばむ頬に張り付いた髪の毛を払う。
「煽ってるつもり? 私をそんな言葉で脅せると思ったら、大間違いよ!」
「うん、分かってる。俺はあなたを脅すためにここに来たわけじゃない」
「なら何のために……」
「取引をしに来たんだ」
澤田さんはパチンと指を鳴らして笑った。
ママはぽかんと口を開けて、調子はずれな澤田さんの言葉に瞬いた。
彼は銃口をママの額からどかし、ゆらりと体を揺らしながら立ち上がる。
「俺と取引をしようじゃないか、魔法少女」
「え?」
「俺の願いを叶えてくれたら、俺はあんたを魔法少女として輝かせてあげる。味方になってやるよ」
「あ、あんた何言ってるんだ!」
涼先輩が怒鳴った。澤田さんはチラと一瞬だけこちらに振り返り、すぐ興味を失ったようにママへと向き直る。
ママはぽかんとした表情のまま澤田さんを見上げていた。彼が何を言っているのか理解できていないようだった。それは私達も同じだった。
「簡単な取引だ。あなたは俺の願いを一つ聞いてくれる。その代わりに、俺はあなたを舞台上に引っ張り上げてやる。スポットライトを浴びせてやるよ。悪い話じゃないだろう?」
「な、そ……。そんなこと、信じられるわけ」
「あなたには個人的な恩義がある。宗教団体黎明の乙女は、青桐組に上等な薬を下ろしてくれていたからな。その礼を返してやりたいと思っただけさ」
「だからって」
「俺にも叶えたい夢があるんだよ聖母様」
聖母様、という言葉にママの顔付きが変わった。
一瞬ママは剣呑な目で俯いた。分厚いまつ毛をバチバチと上下させ、考え込むような仕草で顎に指を添える。
「……………………」
それは一秒にも満たない時間だった。
しかしその僅かな時間の間にママの脳味噌は目まぐるしく回転して、自身にとって一番いい選択肢を選び出した。
ママは怒りに赤く燃えていた瞳を静かに閉じる。
次にパチリと瞼が開いたとき。桃色の瞳は、とろけるように甘ったるい温度で澤田さんを見つめていた。
「……あなたの夢はなぁに?」
それは、鳥肌が立つほど甘ったるく溶け落ちてしまいそうな声だった。
私は思わずハッと息を呑みこんで、ママの声を聞いた。
魔法少女としての声ではなく。母親の声でもなく。それは、聖母様としての声であった。
「ええ、ええ……。なんでも叶えてあげるわ。あなたの夢を。私、夢を叶えてあげるのは得意なの」
バターと砂糖をぐたぐたに煮詰めて薔薇の花びらを散らしたような、火傷しそうに甘く、けれどどこか上品な声だった。決していやらしくはなく、それでいて夢中になってしまいそうな甘美に満ちた声だ。
その声で多くの信者を騙してきたのだろう。
ただの音声でしかないのに、ママの声には抗えぬような魅力があった。
ママはよろりと立ち上がり、澤田さんの胸元にそっと手を這わせる。
妖艶な微笑みは魔法少女の幼さとはアンバランスで、妙に目が引き付けられた。
「お金が欲しいの? それとも地位や権力? それとも私の体かしら? 何だって構わないわ。あなたの夢を、叶えてあげる」
「本当に何だっていいの?」
「ええ、何だって……」
ママの手がするりと澤田さんの首に回される。二人の顔が近付いて、吐息が触れ合うほどの距離になる。
二人の微笑みはよく似ていた。
悪意の世界に浸る者同士のロマンチックな微笑みだった。
「あ」
嫌だ、と私はズキズキ痛む胸を押さえて無言で首を横に振る。熱を持った不快感がぞわりと背中を駆け上がってくる。
澤田さんが何を考えているのか分からない。
彼は本気で私達を裏切って、ママの味方をしようというのか。
そんなの、嫌よ。
「それじゃあ、聖母様」
不安に震える私の前でママは微笑みながら澤田さんに顔を近付けて。
キスをする寸前。澤田さんはニコリと笑ってママに言った。
「土下座しろよ」
「は?」
ママの声が一気に低くなった。
聞き間違いかと顔をしかめたママの前で。澤田さんは変わらぬ笑顔のまま、黙って地面を指差した。度重なる戦闘で道路は抉れ、ボロボロとした瓦礫の欠片があちこちに散らばっている。
「聞こえなかったか? 土下座だよ土下座。あなたのこれまで行ってきた悪行を全部口にして謝ってほしいんだ。……ああそうそう、カメラの前で頼むよ」
「か、カメラ……?」
「俺の友人に雑誌の編集者がいてね。そいつがいいカメラを持ってるんだ。魔法少女の土下座映像を、世間の皆様に見せてやりたいんだよ。それが俺の夢」
「…………」
「ってわけでさ。ほら、一発頼むよ」
ママは呆けた目で澤田さんを見つめていた。
次第にその肩がぶるぶると震えだして。ママは足をもつれさせたように、後ろへよろめく。
手を取って支えてやろうとした澤田さんの頬を、ママは容赦なく爪で引っ掻いた。
「馬鹿にするな!」
ゴウと獣のような咆哮でママは怒鳴った。その顔を怒りで赤く燃やし、ぶるぶると体を震わせる。
澤田さんは頬を押さえてじっと黙っていた。ママの爪は彼の頬肉を大きく抉り、露出した肉からボタボタと血が流れていた。
それなのに彼は痛みに顔をしかめることもなく、ただ微笑んでいた。
「な、何が夢よ。そんなの夢とは呼ばないでしょう!」
「おや、聖母様ともあろうお方が。人の夢を馬鹿にするとは」
「適当なこと言って馬鹿にしてるのはそっちだわっ。何のつもりなの!」
「できないのか? 土下座するだけだよ、簡単だろ?」
「できるわけないでしょ!」
もしも澤田さんが富や権力を夢見ていたならば、ママは聖母様として本当に彼の夢を叶えてくれただろう。チョコの力を借りれば、どんな願いでも叶えることは簡単なはずだ。
だがそんな願いよりも、たった一度の土下座の方が、ママにとっては遥かに難しい。
「カメラの前で謝罪? できると思ってるの!? そんなことをして、私がどうなると思うのよ!」
「そりゃあ当然、民衆はあなたに愛想を尽かして、離れていくんじゃないかな」
「だったら私があなたに協力する意味なんてないじゃない!」
市民達の間で低下しつつある『魔法少女への人気』を上げることがママの目的だ。そのために澤田さんに協力しようというのに。澤田さんの言った願いは、そんなママの目的を真っ向からぶっ壊す願いだった。
これまでにしてきた悪行など山ほどあるだろう。母親の監禁、娘への薬物投与、非道な宗教団体の経営、殺人罪……。
それらをカメラの前で告白して『これからも魔法少女ピンクちゃんを応援してねっ!』などと、どの口が言えるものだろうか。
「私は皆から愛される魔法少女になるの! なんで邪魔するの! そんなに私をいじめて楽しい!?」
「そうだな、楽しいよ」
「なっ……なによ。なんなのよっ。この、クソ野郎っ。人でなし。悪党!」
「当たり前だろうがよ!」
澤田さんは笑ってママの体を蹴飛ばした。
「ゴッ」
ガゴン、と凄まじい音が鳴って、ママの体が地面を転がった。
私達はあんぐりと口を開けて澤田さんを見つめていた。それほど彼の行動には脈絡がなかったのだ。突然飛び出した暴力にママも反応が遅れたのだ。
地面に倒れるママはカッと大きく目を見開いて悶えていた。ジタバタと虫のように暴れるママの前に彼は立ち、ピンク色の前髪を笑顔で引っ張り上げる。
「ギャッ」
「お前は悪党だ。だが俺も悪党なんだよ。当たり前だろ? 俺がお前の味方をすると、本気で思ったのかよ? あぁ!?」
ドスの効いた声に涼先輩と部長が悲鳴をあげた。抱きしめ合う二人の間にぎゅっと挟まれて、私は茫然と澤田さんを見つめていた。
彼が腕を揺らすたびママの前髪からぶちぶちと音がする。必死に逃げようともがいても、空中に浮いた足はぶらんと空気を蹴るだけだ。
「悪党なら悪党らしく、最後まで他人を信用しちゃならないぜ」
澤田さんは手を離して、地面に崩れ落ちるママを見下ろして笑っていた。
心の底から楽しんでいる、獰猛な笑顔だった。
彼は最初からママに協力する気などなかったのだ。
「ッ」
ママはバッと鋭く立ち上がって、魔法のステッキを澤田さんに向けた。
ピンク色の光がその先端にじわじわと集まっていく。密集していく殺意の塊が、澤田さんを狙う。
至近距離から放たれる魔法を澤田さんは避けられないだろう。
「澤田さん!」
「動くな」
思わず飛び出そうとした私を、制したのは当の澤田さんだった。
静かな彼の声はけれど重く、私の足をピタリと地面に縫い付ける。
どうして、と喉を小さく震わせた私の疑問が聞こえたように、澤田さんは声だけをこちらに飛ばした。
「そこにいるんだ。こっちに来るなよ。いいな?」
「…………」
「後は任せたぜ。皆に、真実を伝えるんだ」
それがどういう意味なのか、そのときの私にはよく分かっていなかった。
青い風がびゅうと私達の体に吹き付ける。冷たい風だった。彼の上着がはためいて、その向こうで魔法少女の衣装がゆらゆらと揺れていた。
澤田さんの背中は大きくてたくましかった。その背中に何だか既視感を覚えた。
私を守ってくれたときの黒沼さんの姿と、今の澤田さんの姿が、重なって見えた。
「……俺にも格好つけさせてくれよな」
ぼそりと独り言のように吐かれた澤田さんの小声が。風に乗って、私の耳に届いた。
その言葉に妙な胸騒ぎを覚えて、私はハッと目を見開いた。
だって。その言葉はまるで……。
黒沼さんの、
「それ以上近付いたら、撃つわよ」
「逃げても撃つつもりのくせに」
澤田さんが一歩ママに近付く。
ステッキに溜まっていく魔法の光を無視して歩む彼に、ママはギクリと顔をしかめて、力強くステッキを握りしめる。
また、一歩。
「本当に撃つわよ」
「やれよ」
一歩。
「撃つわよ!」
「やれよ!」
目の前。
澤田さんはガッと魔法のステッキを握りしめた。
その先端を、自分の眉間へ押し付ける。
「やってみろよ!」
澤田さんは吠えた。
それはママの怒声よりもずっと力強く、恐ろしい怒鳴り声だった。
「――――ッ」
ママはゾッと顔を青くしてステッキを引き抜こうとした。だが、あまりにも澤田さんの力は強かった。
魔法少女の全力でしてもビクともしないほど力強く握られたステッキから、澤田さんの手から滲んだ血がボタボタと垂れ落ちる。
まるで自殺志願者のような澤田さんの奇行に、ママは顔を歪めて呻いた。その顔に激しい焦燥が浮かんでいる。
怖いのだ。
澤田さんが何を考えているのか、何も分からないのだ。
ここで魔法を撃っても澤田さんは死なず、自分に攻撃が跳ね返ってくるのではないかと思って、怖いのだ……。
「お前は本物の魔法少女にはなれないよ」
それを見越したように澤田さんは笑った。
焦燥に満ちていたママの表情が、ピシリと凍る。
「何十年努力したって無駄だ。お前の夢は叶いっこない夢だったんだ。どれだけ着飾ろうと、中身は変わらない」
「…………うるさい」
「魔法少女は怪物には勝てねえよ。お前は、自分が道具としてしか見てこなかった娘に負けるんだ」
「うるさい……。うるさい!」
「魔法少女になるための資格なんてお前にははじめからなかったんだ」
「黙れ!」
「いいや黙らない!」
ドン、と澤田さんは力強い一歩でママに近付いた。
ステッキの先端が彼の眉間に食い込む。眩い魔法の光に照らされて、澤田さんの笑顔がギラギラと光っていた。
「さあやれよ魔法少女!」
「ヒッ」
ママの険しい怒りの表情よりも。もっとずっと乱暴で、獰猛で、凶悪な笑顔が私の目に焼き付いた。
「本当の悪党が誰なのか、世界に見せつけてやれ!」
ゴウゴウと魔法の光は大きくなって、もう目もまともに開けていられぬほど強烈な輝きになっていく。その光の中心で、澤田さんとママは瞬き一つせずお互いの顔を睨み合っている。
「さ、」
私の目からボロッと大粒の涙が零れた。
魔法の眩しさと、胸の奥から込み上げる激しい熱に、どうしようもなく苦しくなったのだ。
澤田さん、と私は彼の名前を呼んだ。
けれど苦しさに喘ぐような小声は風に音にも掻き消されてしまう。
「澤田さん」
嫌だ、と私はもう一度彼の名前を呼んだ。
ボロボロと泣きじゃくって、熱い涙を何度も喉奥に飲み込んだ。
火傷するほど熱い空気を吸い込んで。掠れた声で、彼の名前を叫ぶ。
「澤田さん!」
その声が彼に聞こえたかは分からなかった。
けれど、最後に。ママが絶叫して魔法を撃つその寸前に。
澤田さんの力強い言葉が、風に乗って私の耳に届いた。
彼は最後に、笑って言った。
「負けるなよ。怪物《魔法少女》!」
パンッと乾いた音は、風船が破裂する音によく似ていた。
一瞬で世界は静かになった。
あれだけ世界を眩しく照らしていた魔法の光は音もなく掻き消えて。夜明け前の青い静寂の世界が、私達の周囲に戻っていた。
さっきまでの出来事が夢だったのではと思うほど、世界から音が消えていた。
けれど、ママの足元には澤田さんがいた。
彼は地面に転がって、少しも動いていなかった。
眉間に開いた小さな穴から少量の血が流れて。後頭部からはその何倍もの量の血がドバッと溢れて血だまりを作っていた。
薄く開いた両目から光が消えていた。
「は」
澤田さんは死んでいた。
魔法少女に殺されたのだ。
「は、は」
ママは自分の顔に飛んだ少量の返り血を拭った。頬に付いていた血が薄く広がって、むしろその頬には奇妙な血の模様ができた。
ママは青ざめた空を見上げ。スーッと大きく息を吸い込んで、全力の笑い声を響かせた。
「あははははっ!」
あまりに無邪気な笑い方だった。
子供みたいに甲高く、素直な声でママは笑って。何度も笑って。澤田さんの死体を蹴り飛ばしてまた笑った。
「なによ……。なによ、なによっ! ただのこけおどしじゃない! 警戒して損をした。何も成せずに、あっさり死んだじゃない、この男!」
すっかり安堵した顔でママは笑い続ける。それからようやく私達に振り返って、その顔を見て腹を抱えて笑った。
「残念でした、ありすちゃん! あなたのお友達がどれだけ頑張ったって全部無駄なのよ。私には誰も勝てないの!」
「…………」
「私が最強なの。誰にも負けない。私こそ本物なの! 本物の魔法少女!」
部長と涼先輩が凄まじい形相でママを睨みつけていた。
みちみちと拳を握りしめ、血が出るほどに唇を食いしばった二人は、今にも理性を千切ってママに飛びかかっていきそうだった。
私はただ茫然と頭を白く染め、澤田さんの死体を眺めていた。
音のない涙を頬に流してゆるゆると顔を上げ、発狂したように笑い続けるママの姿を見つめて。
それから、
「あ」
ここは街中で。ママの後ろにはビルがたっている。そのビルの陰に見えたものを見て、静かに息を呑んだ。
澤田さんの言葉が頭の中を駆け巡っていく。
彼が私達に伝えてくれたメッセージを、一つ一つ思い出す。
行け、魔法少女。
負けるなよ、魔法少女。
皆に、真実を伝えるんだ。
「……あぁ」
私は『それ』を見て気が付いた。
澤田さんの本当の目的を。彼が不思議なほどママを煽っていた理由を。
怒らせたかったのだ。
怒らせて、自分を殺させたかったのだ。
ただその一瞬のためだけに。
魔法少女に『怪物』ではなく『人間』を殺させるために。
『彼女』が、その映像を撮るために。
「――――楽土町の皆さん、ご覧になりましたか」
その声はビルの陰から聞こえてきた。
ママの笑い声が止まる。ピンク色の視線が、バッと鋭く声の方向に飛ぶ。
その視界いっぱいに映ったことだろう。
まっすぐ自分に向けられている、カメラの丸いレンズを。
「この映像はリアルタイムでお届けしております。あなた達が見ているこの映像は、まさに今、この瞬間に行われた出来事です」
「は…………?」
「あの魔法少女は『人間』を殺しました」
一人の女性がカメラを構えて立っていた。
彼女は顔を真っ赤にして泣きじゃくっていた。けれど何度も涙を拭い、懸命にそのレンズに澤田さんとママの姿を捉えていた。
ママの顔が段々と蒼白に染まっていく。
けれどもう遅すぎた。
私達のような怪物ではなく。澤田さんという人間を殺した瞬間の映像。
それは、誰がどう見たって、魔法少女が悪である証拠だった。
「私はホークス編集プロダクションの鷹めぐみ。皆さんに、真実を伝えます」
鷹さんは力強い声で言った。
魔法少女が悪であるという決定的瞬間を、彼女のカメラが、ハッキリと捉えていた。
「あっ。……あ!」
ママがぶわっと羽を広げて悲鳴をあげた。真っ青になった顔が、鷹さんの姿を捉える。
魔法のステッキを振り上げてママはもう一度魔法を放とうとした。鷹さんはハッとしたように目を見開いて、けれど最後までカメラを構えたまま歯を食いしばる。
カシャリと聞こえた別のシャッター音が、ママの意識を反らした。
「!」
振り向きざまに放たれた魔法が近くの建物の一部を破壊した。
砕ける瓦礫と、もうもうと立ち込める土煙。それが緩やかに晴れたとき、その建物の前に立つ一人の少年の姿が現れる。
細かな瓦礫が降ることも無視して、彼は真剣な表情でカメラを構えていた。
彼は頬に流れる涙を拭うこともせず、無言でシャッターを押していた。
癖のある黒髪が風に揺れていた。
そのときの彼の姿は。かえって私が撮りたくなるほど、様になっていた。
「……僕達の努力は何一つ無駄じゃない」
「な…………」
「これまで行ってきたこと全てが、今こうして、あなたを追い詰めているんだ」
そうだ。
無駄じゃなかった。
これまでの行動には、全て意味があった。
千紗ちゃんと雫ちゃんが、街で暴れる怪物をやっつけてくれたおかげで、街の被害を減らすことができた。
祥子さんがSNSやお父さんの力を使って皆に声を届けてくれたおかげで、市民達の意識が変わりだした。
千紗ちゃんのお母さんが黎明の乙女の信者達を説得してくれたおかげで、聖母様への疑心感が生まれた。
黒沼さんが身を賭して私を守ってくれたおかげで、怒れる暴徒達を正気に戻すことができた。
部長と涼先輩が勇気を出して私を助けてくれたおかげで、ママを追い詰めることができた。
澤田さんが命をかけてママの悪行を暴いてくれたおかげで、決定的な証拠を捉えることができた。
私達一人一人の行動がバトンパスのように回っていって、少しずつ、少しずつ、ママを追い詰めるゴールへと繋がっていく。
そして最後に彼女達へとバトンが渡される。
鷹さんと、湊先輩に。
カメラマンである二人が、偽物の魔法少女へ最後の拳を叩きこむ。
「本物の魔法少女を見せてやろうよ。ありすちゃん」
湊先輩はそう言って、シャッターを押した。




