第53話 思い続けた三年間
ファミレスの照明でさえ、彼女の頭上に輝けば、それは眩いスポットライトに変わる。
放課後の、学校近くのファミレス。家族連れや学校帰りの生徒で賑わっているその場所に、僕と祥子さんは向かい合って座っていた。
彼女はメニューを真剣な顔で見つめている。細い指先を唇に沿えて悩む仕草さえ妙に色っぽく、横の通路を通る男性客がしきりに彼女の姿をちらちらと眺めていった。
「チョコムースとチーズケーキ、どっちがいいと思う?」
「チョコレートにしたら? 僕がチーズケーキを頼むから。一口あげるよ」
「わ、本当? 嬉しい」
運ばれてきたチョコレートムースを祥子さんは幸せそうに頬張った。
柔らかそうな頬が桃色に色づいていく。ケーキ一つでこの笑顔を見れるのなら安いくらいだ、と僕はチーズケーキを大きめに切って彼女の皿に乗せた。
嬉しそうな彼女を見ながら紅茶を飲む。温かな温度で喉を潤し、それで、と僕は本題を切り出した。
「……本当に祥子さんなんですよね?」
「恋人の顔を忘れちゃった?」
祥子さんはカップを持って微笑んだ。湯気がふわりと彼女の顔を包む。
彼女はテーブルに身を乗り出して僕の顔を覗き込んだ。大きな二つの目がバチッとこちらを見つめるものだから、耳が熱くなって思わず視線を反らしそうになってしまう。
「私は華白祥子。正真正銘、中学生時代に湊くんとお付き合いをしていた彼女本人」
そうでしょう? と彼女は白い肌を光らせて微笑んだ。僕は少し笑って、けれど頷くことはできなかった。
だって。僕の記憶にある祥子さんと、今目の前にいる祥子さんは、あまりにも違っていたからだ。
中学生時代、僕は彼女と付き合っていた時期があった。
一つ年上の祥子先輩。友達が所属していた部活の先輩であることをきっかけに僕達は出会った。
当時も写真部に所属していた僕は、部活動の写真撮影を行っていた最中彼女に話しかけられたのだ。写真映りの確認だとか、そういう些細なやりとりだった気がする。けれど彼女は僕の写真を褒めてくれて、そこからなんとなく会話が生まれて。その後も廊下ですれ違うたびに話すようになって、そうして自然とどちらからともなく寄り添って……。
当時から彼女は綺麗な人だった。けれどそこには中学生らしい素朴さも含まれていて、まだあどけない愛らしさが残っていた。
それが今再会してみればどうだろう。彼女はハッと息を飲むほどの美しい人に成長していた。
あどけなさなど微塵も残っていない。モデルだと言われても納得してしまうほどに、洗練された美貌。中学生時代の彼女とはまるで様子が違う彼女を、同一人物なのだと言われてもすぐに納得ができなかった。
「変わったね祥子さん」
「……どんな風に?」
「ええと……前からとても可愛い人だったけど」
「今は?」
「もっと綺麗になった」
ありがと、と彼女は静かに微笑んだ。綺麗だと言われ慣れている人の反応だった。
「また会えるとは思ってなかったよ」
「私も。引っ越し先、新幹線で三時間もかかるなんて思わなかった」
「あのときはろくに挨拶もできなかったから……」
中学生の恋愛は大して長く続かない。僕達も例外ではなかった。僕達の関係は一年もたたないうちに終わったのだ。
とあるデートの日、話が盛り上がって帰りが遅くなってしまったことがあった。彼女を家まで送り届けた僕は、そこで家から飛び出してきた彼女のお父さんにこっぴどく叱られたのだった。
遅いといっても夜九時を回っていなかったけれど、一人娘を持つ親としては心配だったろうなと僕は甘んじてそのお叱りを受けた。
まさかそれが彼女と会えた最後の日になるとは思っていなかったけれど。
彼女が引っ越したことを知ったのはその一週間後のことだった。寝耳に水の出来事に驚いて家に行ってみても、既にその一軒家はもぬけの殻。彼女に連絡を取ろうとしても送ったメールは宛先不明で返ってくるばかり。電話も通じずじまいだった。
元から計画していた引っ越しを娘に伝えていなかったのだろうか。いくらなんでもそんな酷い話があるもんか。そんなことを考え憤っても、当時まだ十四歳だった僕にはどうすることもできなかった。
どうやら彼女の父親は偉い人らしい、とぼんやりした噂を後日友人から聞いた。弁護士だか医者だかまでは知らないが、難しそうな仕事してる金持ちらしいぜ。だからポンポン引っ越しできるんだなぁ、なんて笑う友人の言葉に傷心中だった僕はほとんど反応できなかったけれど。
理由がどんなものであるにしろ、僕達の恋は自然消滅で終わった。連絡が取れないまま、もう二度と会うこともない。
今日までそう思っていたはずだった。
「パパがね、仕事の都合とか何とかで、急に引っ越しをすることになっちゃって。パパにべったりのママも当然行くでしょ? 私はこっちで一人暮らしするって言ったのに、無理矢理連れて行かれちゃって」
「中学生の一人暮らしは難しいからねぇ」
「そう言っても、もうすぐ高校生になったのに。高校生で一人暮らしをしてる子だって山ほどいるじゃない。……まさか仕事が落ち着いて戻ってくるのに三年もかかるなんて!」
彼女はフォークごとケーキを噛み締めた。唇から覗く白い歯は小粒のパールのようだった。
あの後連絡が取れなかったのは、父親に携帯の制限をかけられたからだと彼女は説明した。僕と連絡が取れないようにどこまでも意地悪をするのだと、憎々しげに空を睨むその目は少し恐ろしいほどである。
厳しい親だとは聞いていたけれど、そこまでとは。それとも僕はそれほどまでに彼女の父親に恨まれていたのだろうか。愛しい娘にできた彼氏のことがそんなに気に食わなかったのか。
こうして会っているところを見られたら殺されてしまうかもしれない、と僕はちらりと窓の外に目を向けた。背筋に少し寒気が走る。
「湊くんにまた会えて嬉しい」
「…………うん。僕も」
だけどまあ、この笑顔が見られるだけで、そんな心配はどこかへ吹っ飛んでしまう。
以前よりもずっと美しくなった彼女の笑顔は、とろけてしまいそうなほどの幸福を胸に抱かせてくれるのだ。
「だけど、学校で抱き着いてくるのは、できればやめてほしいかな」
「えぇー」
「えぇー、じゃないの。恥ずかしいでしょ」
あの後は大変だった。教室に戻った僕はクラス中の男子から詰め寄られ、はりつけの刑に処され、涼からはしきりに祥子さんの連絡先を尋ねられ続け、国光には三度ほど絶交を言い渡された。
というより実は今だって彼らからの質問がひっきりなしに届いているのだ。『あの子の連絡先教えてください』『誰よあの女。アタシよりあの女がいいわけ!?』『お前は仲間だと思ってたのに』『呪』『これからザリガニ釣り行くんだけど来ない?』などなどのメッセージが携帯を光らせている。僕は画面を一瞥してふっと笑うと電源を切った。
「抱き着くのは駄目? 手を握ったりするのも? なんで?」
「なんでって。そういうのはやっても同性の友達か、今の恋人にしかしないようなもんだろ? 僕達はもうそういう関係じゃないんだか……むっ」
不意に口の中にフォークを突っ込まれた。甘いチョコレートの味が舌に広がる。
目を白黒させて祥子さんを見つめれば、彼女は伏し目がちに僕の顔を見上げて微笑んでいた。
「私達はまだ恋人でしょう?」
「えっ」
「別れてくれなんて言われてないもの」
僕はくるりと目を泳がせて過去を探る。
……そりゃ、確かに。僕と彼女の別れは急だった。好きだよと言い合った記憶はあっても、別れましょうと言い合った記憶はない。
だけど僕と彼女が離れて早三年。一切連絡を取り合っていなかったこの時期が恋人の期間だったのかと問われれば、きっと誰もが首を横に振るだろう。
自然消滅。その言葉が特に似合う別れ方を僕達はしたのだ。
「僕達、まだ付き合ってるってこと?」
「湊くんは私のことが嫌いになっちゃった?」
「そんなことはないけどさ」
食い気味に答えた僕に彼女は笑った。
別に彼女のことを嫌いになったわけじゃない。あのときの別れ方だっていまだ後悔しているくらいなのだから。
だけど。だけど今の感情があのとき抱いていた恋愛感情と同じものなのかと言われると、ほんの少し躊躇ってしまう部分がある。好意を抱いていることは確かだ。だけどその気持ちは、本当にあのときと同じ恋愛感情なのだろうか……。
「湊くんのことが今でも好きなの」
まっすぐな瞳が僕を見つめる。僕はその視線に、何も言えずに黙りこくってしまった。
心には様々な感情が渦巻いていた。また祥子さんに会えたことを嬉しく思う僕、恋人という存在にガッツポーズをして喜んでいる僕、彼女の思いの強さに驚いている僕……。けれど中でも一番に抱いているのは、困惑だった。
十四歳の頃の僕と、十七歳の今の僕とでは、状況が大きく変わってしまった。
僕の目の前に魔法少女が現れたあの日から。
僕は今、魔法少女という巨大な問題を抱えている。楽土町を崩壊させかねない宗教団体を、怪物に変身した魔法少女達が倒すためのサポートをしている。その上にありすちゃんの副作用や、全てが終わった後の法的な対処法など、問題は山積みだった。
ただでさえやるべきことが多すぎる。そこに、恋人という存在を詰め込むスペースはない。
「ごめん」
多忙な状況で付き合ったって彼女をないがしろにしてしまう。それは一番失礼なことだ。断ることが、僕にとっても彼女にとっても一番いい結果になる。
「今すごく忙しい時期なんだ。一緒にいる時間もきっとそんなに取れない」
「いいよ、忙しくても。私だって受験生なんだから時間が取れないのは一緒だもん」
「祥子さんは凄く美人さんだから。この先、僕なんかよりずっと素敵な人との出会いがあるはずだ」
「他の人なんてどうでもいい。私が好きなのは、湊くんだけだから」
「…………どうしてそこまで僕のことを?」
僕は怪訝に眉根をしかめる。彼女からの好意を純粋に喜ぶことができなかった。
祥子さんは本当に綺麗になった。こうして向かい合って座っているだけでも緊張で汗が滲んでしまうほど。繊細な甘さの香水が切なく香り、僕は喉をくぅと鳴らした。
シャンパングラスの冷たい輝き。木漏れ日を浴びる宝石。夜露に濡れた月下美人。
彼女はどんな言葉で表したって足りないくらいに美しい。本当にまだ高校生なのかと、僕のたった一つ上なのかと疑ってしまうほどに。
そんな彼女が過去に一度付き合っただけの地味な男に、そこまで執着する意味が分からない。
三年間の空白はまだ十代の僕達にとってあまりに大きい。
「一途な女なの」
プチン、と弾ける音がした。それは彼女がワイシャツのボタンを外した音だった。
胸元のたった一つ。けれど彼女の豊満な胸がシャツを押しのけ、艶めかしい肌色が露出する。彼女はそれに構わず、ぐっと胸を前に突き出した。
ギョッとして慌てて目を反らそうとした僕は、ふと彼女の胸元に光る何かを見つけて視線を止める。彼女の指が、その胸元でキラキラと揺れていた小さなアクセサリーを取り出した。
それはネックレスだった。細いチェーンの先に、黒みがかった紫色のペンダントトップが揺れている。
宝石でないことは輝きを見ればすぐに分かった。品がいい作りではあるものの、おそらくさほど高い値段ではないだろう。
妙な既視感があった。僕はぱちくりとそのネックレスを見つめて、あっと声をあげる。
「お別れする数日前くらいに、湊くんがプレゼントしてくれたやつだよ。肌身離さず持ってるの」
「え、ずっと? プレゼントしたときから? そんなの、中学生のお小遣いで買える程度のものなのに……」
「値段なんてどうだっていい。あなたがくれたものなら、何だって」
彼女はそう言って微笑んだ。胸元に揺れるネックレスを見て、僕の顔がじわじわと熱く火照っていく。
「あ、ありがと……」
口を手で押さえてくぐもった礼を言う。口がにやけるのをどうにも堪えきれなかった。それに気が付いているのかどうかは知らないけれど、祥子さんはニコニコと笑って僕を見つめている。
純粋に嬉しかったのだ。僕がプレゼントしたネックレスを、捨てずに持ってくれていることが、たまらなく。
「あ……パパからだ」
不意に祥子さんが携帯を見て表情を曇らせた。そろそろ帰ってきなさいだって、という言葉に顔を上げて時計を見る。まだ喫茶店に入って一時間ほどしかたっていないが、空は薄っすらと暗くなりはじめていた。九月に入ってから日が沈むのが早い。
「ごめんなさい、今日はもう帰るね。またお話しよ」
「……お父さんやっぱりまだ厳しいの?」
「中学生の頃よりはまだ緩くなったけどね。最近色々と忙しいから、ピリピリしてて」
お仕事の手伝いとかもしなくちゃ、と彼女は肩を竦めた。書類の整理やお茶出しくらいならできるんだから、と朗らかに笑う。
席を立とうとした彼女はふと足を止めてくるりと振り向いた。ふわっと揺れた髪が僕の頬をくすぐる。
「ねえ湊くん。今週の日曜日空いてる?」
「日曜?」
「久々にデートしようよ」
忙しいって言ってたそばから悪いけど、と彼女は僕に顔を近付けて言った。
デート、と僕は言葉を繰り返す。デート、と彼女も可愛らしい声で繰り返して頷く。
「駄目?」
それはおおよそ断られるとは微塵も考えていない声音だった。イエス以外は返事として認めない、と言わんばかりの口調である。
週末はやりたいことがあった。文化祭用の写真撮影に出かけたかったのだ。海にでも出かけて風景画を撮れるだけ撮りたい。朝から晩までカメラを手に一人であちこちを歩き回る予定を組んでいた。
「いいよ、分かった」
だけど僕はそう言った。祥子さんはパッと顔を輝かせて、嬉しそうに笑った。
ああ、やっぱり綺麗だなぁ。とその笑顔を見ながら僕は思う。
だけどその気持ちが恋心なのか何なのか、やっぱりなんだかよく分からなかったのだ。
「湊。お隣さんにお野菜持ってってくれない?」
「おばあちゃんまた送ってくれたの?」
「秋になったからって今回もたくさん。黒沼さんの所、よろしくね」
「はーい、行ってきます」
家に帰って早々、奥から出てきた母さんが僕に袋を渡してきた。受け取った袋にはみずみずしい野菜がずっしりと詰まっている。
脱ぎかけていた靴を履き直し、僕はお隣さんである黒沼さんの部屋へと向かった。徒歩十秒もかからないお隣さん。僕は最近、こうして彼のところにおすそ分けを持っていくことが多かった。
あの工場で起こった騒動の後。ボロボロになって帰った僕は当然、血相を変えた父さんと母さんに詰め寄られた。上手く説明ができず戸惑う僕に対し更にヒートアップしていく両親を宥めてくれたのは黒沼さんである。
彼は近隣の不良達の喧嘩に僕が巻き込まれたのだと両親に説明した。最初は訝しげだった両親も黒沼さんが警察手帳を見せた瞬間から態度を変えた。その上黒沼さんの喋りはあまりにも流暢で、それが作り話とは到底思えなかった。僕でさえ、本当は喧嘩に巻き込まれたんだったろうかと思わず考えてしまうほどに。
黒沼さんが警察であること、そして僕を助けてくれたことを知った両親はくるっと黒沼さんに対する見方を変えたのだ。僕も最初は同じ反応だったとはいえ、あまりにもあっさり手の平を返す両親の姿には少し笑ってしまった。
「黒沼さんこんにちはー。湊です」
チャイムを押してからしばらく。チェーンと鍵を外す音がして、扉が開く。
そこから覗いたのは、予想もしていなかった澤田さんの顔だった。
「ギャッ!」
ギャッて。と澤田さんが飛び上がった僕を見て、目尻にしわを寄せて笑う。彼の後ろからひょこりと黒沼さんが顔を覗かせた。
「あ、お野菜? ありがとぉ。湊くんのところの野菜おいしくて助かるんだよね」
「な、ど、どうして、澤田さんが…………」
「大人の作戦会議中」
澤田さんがさっぱりとした声で答えた。魔法少女の今後についての会議だろう。
ありすちゃん達がいない状況でこそできる会議もあるものだ。実際大人組だけで魔法少女のことを話し合っているときもいくらかあるのだろう。
特に澤田さんと黒沼さんはヤクザと警察という特異な立場。一対一で話し合いを行った方が都合がいいときもある……。しかしよりによって黒沼さんの部屋で話し合いをするなんて。
本当にお隣なんだ、と興味深そうに僕の部屋の方をチラ見する澤田さんの視線に、体が跳ねる。
「安心して。もう君の家族を襲いにいったりしないよ」
こんなに安心できない安心してくれがあってたまるか。
一時的に仲間になったとはいえあの夜彼が僕にした仕打ちを忘れたわけじゃないのだ。完全に治りきっていない傷口がズキズキと疼く。
「そうだ湊。今週末あいてるか?」
不意に黒沼さんが言った。首を傾げる僕に、日曜日さ、と彼は腕組みをして続ける。
「情報交換も兼ねてまた集会を開こうかと。ありすちゃん達にも声をかけようと思ってるんだけど。どう?」
「あ、すみません。日曜日は先約があって」
僕は首を横に振った。祥子さんとの約束があったからだ。
情報交換だけだとしたら、後で話を聞いておくだけでもいいだろう。近頃様子がおかしいありすちゃんのことが心配ではあるが、先約を袖にすることはできない。
友達と遊び? と澤田さんがさらりとした声で尋ねる。僕は頷いた。
「数駅先だっけ? 新しいショッピングモールができたとこ。やっぱ最近の学生さんってそういう所に遊びに行くもんなの」
「そ……うですね。最近クラスの友達と行ったんですけど、広くてよかったですよ。映画館とかプラネタリウムもあって、ゲームセンターで一日中騒いじゃって……」
「いいねえゲーム。大人になってからとんと行かなくなったからなぁ。今度行ってみようかな。面白そうなゲーム見つけたら教えてくれよ」
「いいですけど。でもゲームセンターよりは、映画館に行くかも」
「『星空の殺し屋』って映画がよかったぞ。アクションシーンに金をかけてる」
「へぇ……。アクション映画が好きそうだったら、それ見てみます」
「何を見るか決まってるの?」
「俳優さんがSNSでオススメして話題になったやつがあるじゃないですか。ほら、あの百年間の恋心がどうの、ってやつ」
「ふぅん。友達と恋愛映画を見に行くんだ」
僕ははたと口を閉ざした。澤田さんの爽やかな笑みが、少しばかり歪んでいることに気が付く。その後ろで話を聞いていた黒沼さんが目をキラキラと輝かせているのを見て、僕は己の失言を悟った。
「彼女? 彼女なのか? ん?」
「ありすちゃん? それとも千紗ちゃんか雫ちゃん?」
「いや。えと、その、三人じゃなくて」
「うそっ。誰誰っ? クラスの子?」
「一個先輩なんですけど……」
「キャアッ。やだ、年上のレディー!」
「先輩と後輩のめくるめくラブロマンス!」
「何なんですかその反応」
二人はクラスの女子みたいな顔ではしゃいだ。写真を見せろ見せろとうるさい彼らに耐え兼ね、さっきファミレスで撮った写真を見せる。SNSに写真を上げるのが趣味だという祥子さんに撮影をせがまれたものだ。祥子さんを見た二人は一層きゃあきゃあ高い声ではしゃぎだす。
どうにも僕の些細な恋愛話が楽しくて仕方がないみたいだ。まあ確かにこの二人は、純粋な恋愛話には逆に縁がなさそうだから、物珍しいのかもしれない。
「中学生のときに付き合っていた人なんです。昔はよく映画を見に行くこともあって。それで」
しかしその笑みは、僕が彼女との経緯を語るうちに険しいものへと変わっていく。語り終わったとき、二人が一転して剣呑な顔をしていることに首を傾げた。
「なあ湊くん」
「はい?」
「…………美人局って知ってる?」
「失礼な!」
まあそう怒るなよ、と澤田さんが僕の肩に腕を回す。心配なんだ、と続けて吐かれた言葉に唇を尖らせる。けれど実際澤田さんの顔に浮かんでいるのは純粋な心配の色だった。
「中学生のときにお付き合いしていたものの三年間音信不通。だけどこの度再会し、彼女はまだ君のことが好きで…………いやいや、ないないない。そんなに空いたらとっくに別れたことになってるし、気持ちだって冷めてるに決まってるだろ」
「そ、そうかもしれないですけど」
「昔の恋人が話しかけてくるなんて目当ては金か体のどっちかしかないんだよ」
自身の体験談だろうか。澤田さんは妙に遠い目で空を見上げ、溜息を吐く。
僕はムッと唇を尖らせたままその横顔を見つめていたけれど、彼を否定も肯定もしきることはできなかった。
「別に、構いません。何が目的だとしても。再会できただけで僕は嬉しいんだ」
「……へぇ、意外と腹くくってんじゃないか」
「デートだって一回きりのつもりです。どうせ頻繁に会えやしないんだ。彼女だってすぐ飽きて、僕から離れていくはずだ」
どうだろうか、なんて澤田さんと黒沼さんは互いの視線を合わせて肩を竦めた。何を仲良くなってるんだ。
「まあ、君が決めたことならもう口出しはしないよ。……それにしても宝石みたいな子だなぁ。こんなにいい女なかなかいるもんじゃない。本当に高校生?」
「デートなら気合い入れないと。湊、週末着ていく服はもう買ったのか?」
「え、いつも着てる服じゃ駄目ですか?」
「は? あんな高校生にしか見えない服でデートに行くつもりか?」
高校生だからいいじゃないか、と文句を言おうとする前に、黒沼さんが僕の肩をガッチリと掴む。戸惑う間もなく、反対側から澤田さんも肩を掴んでくる。
二人はそのまま僕を部屋の中に引っ張った。困惑している僕の前で、そっと扉を閉められる。
「いけないなぁ、湊くん……。こんなに綺麗な女とデートをするんだ。こっちもそれなりの格好をしないと失礼ってもんだぜ」
黒沼さんの指がぐっと僕の胸元を突いた。さらりと黒髪が流れ、彼の顔が僕に近付く。ニタリと怪しげな笑みに困惑して顔を背ければ、反対方向には同じ顔をしている澤田さんが僕を見下ろしていた。
「何も格好だけじゃない。態度、話し方、エスコートの仕方。君が身につけなければいけないことはたくさんだ。まさか中学生の頃と同じデートをするつもりか? 女を失望させるなよ」
「黒沼が教えられない部分は俺が教えてやろう。不良に絡まれたときの護身術、彼女を危険から守る方法。紳士的な対処法からバイオレンスな対処法まで、実際に体に叩きこんであげるよ」
「男なら、女の喜ばせ方は必修科目だ。徹底的にやってやろう」
「…………あっ、僕野菜届けに来ただけなんで。失礼します」
部屋を出ようと扉に手を伸ばした。その手はあっけなく澤田さんに捕まった。その横で黒沼さんがニコニコ微笑みながら扉の鍵を閉める。
僕はすっかり青ざめた顔で二人を見上げた。こういうときばかり息がぴったりの彼らは、昔ながらの親友のようにお揃いの笑顔を浮かべている。
「大丈夫。何も怖いことはない」
「ひ…………」
凄まじい威圧感に後ずさる。玄関の段差に引っかかり、その場にドスンと尻餅をつく。
ハッと顔を上げれば、すぐ目の前にニコニコと笑う二人の男の顔がある。
「『大人の男』を教えてやるだけさ」
甘く低い声で彼らはからかうように言った。抵抗する間もなく首根っこを掴まれ、僕は強い力で部屋の奥へと引きずられていく。
ギャーッ! と叫んだところで。返ってくるのは、二人のそっくりな笑い声だけである。




