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変身しないで縺ゅj縺ちゃん  作者: 夜明
第2章 世間
49/99

第47話 結構悪い奴なんだ

 さようなら、と湊先輩達に言った私達は。けれどすぐに家に帰りはしなかった。

 何故ならその途中、街中の手すりにぼうっと腰かけている千紗ちゃんを見つけたからだった。

 離れたところからでは彼女の横顔しか見えない。けれど近付くうちに、その充血した目と、涙の跡に気が付いた。それに気が付くほど距離が近付いたときには、既に彼女の方が私達を睨んでいたのだけれど。


「……あいつらは」

「バイバイしてきた」


 私は千紗ちゃんの真横に腰かけた。その私の隣にチョコも座る。

 辺りはすっかり夜になっていた。行きかう人々の姿が街灯や店の明かりに照らされて、その輪郭はぼんやりと夜に溶けるように揺らいで見えた。


「よく話しかけてこようと思うよな……」


 千紗ちゃんは充血した目で私を見つめ、煙っぽく笑った。その目はちっとも笑っていなかった。酷く忌々しいものを見るように歪んでいる。


「お前はあたし達が怪物に変身していることを知ってたのかよ」

「かいぶつ」


 彼女の言葉を繰り返してゆっくりと瞬きをした。チリチリと頭上から降ってくる白い光がまつ毛の縁に当たって眩しい。

 上に目を向ければ、高いビルの壁に設置された大型のビジョンが見えた。ニュースが流れて、キャスターが今日の出来事を繰り返し伝えている。


「私達はヒーローに変身しているのよ?」

「違うだろっ」


 被せるような勢いで答えた彼女は、苛立ちを露わにした顔で私に牙を剥く。白い犬歯が明かりの中でギラギラと光った。彼女の犬歯は私のものと比べてもずっと鋭くて長い。


「お前はあたし達が変身しているものについて、どこまで気が付いているんだよ」


 大画面のニュースに映っているのはさっきまで私達がいたお店だった。屋上の監視カメラで撮られていたらしい不鮮明な映像がループ再生されていた。

 ピンク、イエロー、ブルーの色をまとった少女達が魔法の光を散らしながら屋上から飛び降りる短い映像、それが繰り返し、繰り返し。キャスターの声がそれに続く。

 本日の夕方出現した■■の行方は現在も捜索中です。近隣の皆様はできる限り建物内に避難し、十分な警戒を行ってください……。

 夕方に出現した■■が……。

 諤ェ迚ゥが…………。


「お前があたしを二人目の魔法少女に誘ったんだ」


 千紗ちゃんが声を震わせた。見開いた目が、水分で潤って艶々と光っていた。赤くなった鼻を啜る音がする。熱い溜息を何度も吐いて、彼女は声を絞り出す。


「お前が最初に変身したんだろ? なら、お前だってとっくに気付いているはずじゃないのか。それとも湊と雫みたいに最初から全部分かってたのか? おい。おいチョコ。お前もだ」

「ひぇ」


 急に話を振られたチョコが飛び上がる。千紗ちゃんの眼光はいつにもまして鋭かった。涙で充血した目に睨まれたチョコのふくよかなお腹がぶるんっと大きく跳ねた。


「お前が勝手に寄越した魔法の力とやらであたし達は変身してるんだ。お前は全部知ってただろ。副作用といい姿といい、どうして何も説明しなかった?」

「むつかしぃ話はわからないよぉ……」

「誤魔化すなっ、このラード百パーセントのゴミ肉野郎が! 飼い主は頭が弱いと思ってりゃ、お前は頭もねえのかよ。二人揃って糖分の取りすぎで脳味噌が緑色に腐ってんじゃねえのか。えぇっ?」


 チョコはひぃんと泣き声を上げて私に縋りついた。私も、チョコにはちゃんと頭があるわ。とその頭をべしべし叩いて慰めてやる。髪の薄い頭皮は汗と脂でぬらぬらと濡れていた。


「ごめんなさい千紗ちゃん。あなたの言っていることが、私にはよく分からないの」

「ほら見ろ。あたしの言った通り。お前はそういう奴だよな!」


 千紗ちゃんが私を怒鳴りつけた。その声は大きく、通り過ぎる人々が私達を一瞥して足早に去っていく。


「まだ魔法少女になれていると思ってるのか? お前だけがいつまでも夢の世界に生きていられるのか? ふざけんなよ。あたしはもう現実が見えちまったんだよ。もう前みたいには戻れねえよ……。それなのに元凶のお前だけが幸せそうに笑ってる。ふざけんな、ふざけんなよ。ふざけるな!」


 彼女は苛立ちを必死に堪えるようにぶるぶると体を震わせた。赤い顔にじわりと汗が滲んでいる。彼女は何度も目尻に浮かぶ涙を拭っていた。


「湊も雫も優しい奴だよ。だからお前のことだって甘やかしてる。でもあたしは、お前を甘やかしたりなんかしない」

「ごめんなさい…………」

「いい加減現実を見ろよ。お前がいつまでも夢ばっかり見てるから、周りの奴らが迷惑してるんだ」

「ごめ…………」

「よく聞けよ。あたし達は魔法少女になんかなれちゃいないんだ。あたし達は怪物に変身してるんだ。分かってるか? 聞こえてるかっ? 化け物、モンスター、怪物、怪物だっ!」

「……………………」

「現実を見ろよ。大人になれよ、なあ……ありす!」


 私は委縮してしまってただ身を縮めることしかできなかった。それでも千紗ちゃんから目が離せない。

 なんだか頭の奥がピリピリと痛かった。脳味噌の細胞までもが強張って委縮しているような奇妙な感覚がする。舌の付け根が苦かった。

 千紗ちゃんの言っていることは私には何も分からない。

 そう。分からない。分からないはずだけれども。

 何故だか私は頭のどこかで、彼女の言っていることを全て理解しているような気がするのだ。


 縺輔>縺励g縺九i蜈ィ驛ィ遏・縺」縺ヲ縺溘h。


「お前があたしを魔法少女になんか誘わなければ、あたしは人間でいられたんだ。こんな気持ち悪い体になることもなかったんだ。あいつだって! まだ。きっと、生きて、たのに……」


 千紗ちゃんの目からボロッと大粒の涙が零れた。彼女は呆けたようにその雫が落ちていくのを見守っていた。それが地面に落ちたのを認めたとき、彼女はぐあっと顔を歪め、堰を切ったように泣き出した。


「うっ。うあ」

「千紗ちゃん?」

「う、う。うーっ」

「泣かないで、千紗ちゃん……」


 彼女は顔を覆って肩を震わせた。引くつく喉から押し殺した泣き声が微かに聞こえてくる。苦しそうに泣く彼女を見ていると、私まで涙が滲んできてしまう。

 涙を拭ってやりたかった。けれど生憎ハンカチもティッシュも持ってない。チョコに視線を送ってみても、困った顔で肩を竦められるだけだった。


「ハンカチ? どうぞ」

「ありがとう!」


 黒沼さんから受け取ったハンカチを千紗ちゃんに差し出す。彼女はそれで乱暴に涙を拭ってから、ふと顔を上げた。私達の後ろに立っていた黒沼さんを見て、ギャアッと大きな悲鳴を上げた。


「はい捕まえた」


 黒沼さんは片方の手で千紗ちゃんの、もう片方の手で私の首根っこを掴む。チョコは捕まる私達を見てあわあわと唇を震わせるだけだった。

 笑顔を浮かべている黒沼さんの顔は乾いた血で汚れていた。あちこちの傷は出血こそ止まっているものの、まだ傷口は柔らかくツヤツヤと照っている。

 頬に触れる彼の服はべたついていた。ワインと香水の混じった香りがぷんと鼻を突く。けれど赤い鼻を啜る千紗ちゃんは、この距離になってから初めてその臭いに気が付いた様子だった。


「どうやってここが分かったんだよ」


 千紗ちゃんは逃げられないことを悟ったらしい。思いきり鼻をかんだハンカチを黒沼さんのポケットに突っ込みながら唇を尖らせれば、彼は柔らかな笑顔で「GPS」と答えた。


「湊くんともみ合いになったときにポケットにぽいっとね」

「最悪。……で? なんで湊じゃなくて、あたし達のところにいるんだ」

「路地裏にいる君達を離れたところから伺っていたんだけどね。急に君達がどこかに行ってしまうし、様子もおかしかったから心配になってしまって」

「わざとらしい芝居を打たなくていい。本題があるならさっさと言ったらどうだ」

「じゃあ遠慮なく。怪物とか魔法少女って何?」


 千紗ちゃんはギッと強張った笑顔を浮かべ、短く溜息を吐いた。


「魔法少女、怪物、魔法の力、変身……。何を言ってるんだかさっぱり、と言いたいところだけれど。なんとなく予想がついてきた気がするよ。だけどこの予想はあまりにもイカレてる。現実に起こってはならない現象だ」


 黒沼さんはトントンと千紗ちゃんの肩を指で叩いて、低い笑い声で喉を震わせた。


「それでも俺はどうしても、この考えの正否を確かめたいのさ。だから君達に確認を取りに来た。喧嘩をしているところ申し訳ないけれど、どうか俺に、君達のことを教えてくれないか?」

「…………いいよもう」


 どうでもいい、と千紗ちゃんは大きな溜息を吐いた。全てを諦めた顔で彼女は黒沼さんに向き直る。

 彼女からはもう、黒沼さんに対する闘志が見えなかった。ぐったりと体から力を抜いて空を仰ぐ。


「何度逃げたって無駄なんだろ。うんざりだ。だったらもういっそ、残らず全部教えてやるよ……」

「教えちゃうのぉ?」

「あ? なんだよチョコ」

「だって、せっかく逃げたのに……」

「状況が違うんだ。逃げんのももう疲れたんだよ。めんどくせえ。そうだ、お前が説明しろよ」


 急に命令されたチョコはあんぐりと口と目を大きく開けた。私達の視線を受けて、もうそれが決定されたことを悟ったのか、しゅんと肩を落として眉根を寄せる。

 チョコはつぶらな瞳にきゅっと力を入れて、真剣な顔で私達を見つめた。


「そもそも……。これは、一人の女の子の願い事から始まったことなんだよ」


 その言葉からチョコの説明は始まった。

 だけど結局私達は、その後に続く言葉を聞くことができなかったのだ。


「――――お取込み中失礼」

「ぎゃぷ」


 背後から伸びた杖がチョコの顔にめり込んだ。私達は弾かれるように振り返る。いつの間にか、私達の後ろにはマスターが立っていた。

 黒いベストに身を包んだ彼は、静かな目で私達を見つめていた。けれどよく見ればその服は少し乱れ、土で汚れている。

 マスターは杖を引っ込めると、黒沼さんの肩を優しく一度だけ叩いた。ただそれだけだ。それなのに彼の腕からふっと力が抜け、私と千紗ちゃんの拘束がほどける。黒沼さんは驚いたように自分の両腕を見つめてから、マスターを強く睨んだ。

 なんだいなんだい、と声をあげているのはチョコだけだった。赤くなった顔を擦りながら頬をリスみたいに膨らませている。


「急に人の顔を叩くだなんて、故郷の星でもマナー違反だぞ!」

「故郷の星……?」


 黒沼さんが怪訝な顔をした。けれどマスターは構わず静かな言葉を吐いた。


「君達に早急に伝えることがある」

「ねえマスター。湊先輩達は?」


 ここにいるのはマスターだけだ。さっきまで一緒にいたであろう湊先輩と雫ちゃんの姿がない。

 マスターは私の問いかけに目を細めた。杖を掴む指先がパキリと間接を鳴らす。


「彼らは誘拐された」


 はぁ。とのんびりした声で千紗ちゃんが呟いた。彼女は頭痛を堪えるみたいに頭を振り、くるるっと喉から鳴き声のような音を鳴らす。


「あんだって?」

「彼らは誘拐された」


 マスターは同じ言葉を同じイントネーションで繰り返す。つまりは淡々と、落ち着いた声で。

 誘拐だって? と裏返った声をあげたのは黒沼さんだった。彼と千紗ちゃんは思わずといった様子で顔を合わせ、困惑した顔をする。


「いや。いやいや待てよ。えっ? 誘拐? 何急に。ははっ」


 この一瞬で何が起こったんだよ、と千紗ちゃんは半ば笑うような声でマスターに尋ねた。混乱しているのだろう。私も同じだった。だって二人と別れたのはついさっきのことだ。喧嘩をして別れたばかり。言い過ぎたことに悩んでいるとか、もう家に帰ったとか、そういうことなら分かるけれど。誘拐という言葉はあまりにも寝耳に水だった。

 黒沼さんは素早く携帯を取り出し、その画面を見て顔をしかめた。湊先輩につけたというGPSの反応がそこに表示されているはずだったらしい。けれど今、そこには何の反応も映っていない。彼はマスターに真剣な顔で質問を投げた。


「本当に誘拐されたのか? 嘘じゃなく?」

「誓って」

「この子達と別れた一瞬の間に? 誰が。何の目的で。どうして」

「おいっ、そう耳元で喚くなよ。うるさいな」

「子供は黙っていてくれ」


 耳を押さえていた千紗ちゃんはムッとした顔で黒沼さんを睨んだ。

 けれど一触即発の空気が膨らむ前に、マスターが咳払いをして杖をくるりと回す。


「いいや。きっと彼女達魔法少女の力は、彼らを救うのに役に立つ」


 魔法少女、という言葉を聞いた私と千紗ちゃんは顔を見合わせた。けれど早速立ち上がって彼らの元に向かおうとする私の横で、千紗ちゃんは手すりに座って俯いたままだった。


「二人を助けに行かないの?」

「警察に任せりゃいい話だろ」

「それだと時間がかかっちゃう。もし、その間に二人が死んじゃったら?」

「知るかよ」


 彼女は吐き捨てるように言った。けれど微かに震えている喉が、それが本心から言った言葉ではないと証明していた。


「あたしはもう変身したくないって言ったはずだ……」


 千紗ちゃんの両手足は震えている。気丈に振舞おうとしている唇は青ざめて、膝がカタカタと貧乏ゆすりを繰り返していた。


「お前はあいつらを助けに行くのか?」

「勿論」

「なんで?」

「魔法少女だからに決まってるじゃない」

「……お前は自分が何に変身してるのか本当に分かってんのかよ」


 彼女は意地の悪い笑みを浮かべて言った。私は微笑んで、大きく頷く。


「当然分かってるわ!」

「そうかい」


 千紗ちゃんは溜息を吐き、諦めた顔で肩を竦めた。私はまた頷いて答えを告げる。

 私達は変身している。ずっと夢見ていた存在へ変身を遂げている。

 それはとっても可愛くて、強くて、素敵で、かっこいい……、


「怪物でしょう?」

「…………えっ?」


 千紗ちゃんが目を丸くした。チョコが同じ声をあげて私を見つめている。

 私は頭上のニュースにもう一度視線を向けた。話題は移り変わり、現在楽土町で起こっている事件がいくつも流れていく。ドラッグによる逮捕者の増加、ヤクザ同士のトラブル、宗教団体の起こす事件。

 ありすちゃん、と肩を掴まれた。黒沼さんが真剣な顔で私を見下ろしている。パチパチと瞬きをする私に彼は言う。


「これは大人に任せるべき問題だ。君達子供が手を出せる問題じゃない」

「子供?」

「詳しい事情は後で聞く。ここは一時休戦をして、君達は……」

「いいえ。違うのよ、黒沼さん」

「なんだって?」

「二人はきっと私達にしか助けられないわ」


 私はぴしゃりと言い切った。目を丸くする黒沼さんに、続けて言葉を吐き出す。


「あなたから見れば私達はただの子供でしかない。でも違うのよ。違うんですよ、黒沼さん。私達には力があるのよ。信じられないかもしません。でも今だけはどうか私達のことを信じてください。何もしないでちょうだい黒沼さん。お願いよ。私達のことを、信じて見守ってくれませんか」


 黒沼さんは呆けた顔で私を見つめて、パチパチと瞬きをした。ああうん、と曖昧な肯定の返事をして、小首を傾げながらも私から手を離す。

 そんな喋り方だったっけ、と千紗ちゃんが言った。私は黙って微笑んだ。

 年上に対して敬語を使うのは、当然のことでしょう。


 遘√□縺」縺ヲ蟶ク隴倥′繧上°繧九b縺ョ。


「マスター。湊先輩達に何が起こったの? 説明してちょうだい。二人を助けに行くなら、何があったのか詳しく知る必要があるから」


 いつもよりも頭の中が澄んでいる気がした。今自分が何をなすべきかがよく分かる。

 待てよ、と千紗ちゃんが言った。彼女は泣きそうな顔をして、ぐしゃりと乱暴に髪を掻きむしる。


「本当に行く気かよ。お前、また変身するのかよ」

「だって二人を助けにいかないと」

「…………分かってんだろ! 自分が何に変身してるのか、分かってるって言ったろ! あたしもお前も、化け物なんだよ! それなのにあいつらを助けるためにまた変身するって言うのかっ?」

「何が問題なの?」


 千紗ちゃんは顔を歪めて泣きそうな表情のまま固まった。私はただ眉間にしわをよせ、彼女の言葉に緩慢に首を傾げる。


「人を助けることと、見た目に、何の関係があって?」


 千紗ちゃんは唖然と口を開いて私を見つめていた。私は真正面から彼女を見据えた。

 一瞬か、数秒か。どれだけの間か分からない沈黙が私達の間に流れる。千紗ちゃんはその間身じろぎもせず、両眼だけをくるくると回していた。けれどその内側の感情が目まぐるしく動いていることはその目の動きで分かる。


「……ああ、もう。…………ああ。…………あーっ! 畜生。クソッたれ!」


 突然千紗ちゃんは大声をあげた。乱暴に撫でた髪がぶわっと舞い上がる。濃い金色がキラキラと夜の光に散った。


「なんだよ。これじゃまるで、あたしの方がガキみたいじゃないか。お前にだけは、ガキ扱いされたくないんだよっ」

「……一緒に行ってくれるの?」

「あたし達は魔法少女なんだろ!」


 彼女は怒鳴るように言った。まだ納得はできていない顔だった。それでも彼女の目にはもう涙は滲んでいなかった。


「…………そう。そうよ。私達、鬲疲ウ募ー大・ウなの」


 私と千紗ちゃんは揃ってマスターに目を向けた。黒沼さんとチョコは、そんな私達を静かに見つめていた。

 マスターが目を細める。彼の付けている黒いマスクの下で、口らしき部分が、ずるりと蠢いたような気がした。


「では話そうか」


 そうして彼は、数刻前にあった出来事を語る。




***




 どうしていいか分からず、僕は路地裏にしゃがんだまま途方に暮れていた。


 こうして喧嘩別れしている場合じゃないんだ。黒沼さんから逃げ続けなければいけないのに。

 千紗ちゃんはどこに行ったんだ? ありすちゃんは? まさか本当に帰ってしまったのだろうか。早く探しに行かないと。でも、見つけたところで、喧嘩したまま彼女達を連れていけるっていうのか。

 そもそも僕達はどこに行けばいいって言うんだよ……。


「……大人の人に相談してみようよ」


 雫ちゃんの言葉に僕は、大人の人? とぼんやりした声をあげた。

 彼女は僕の真横にしゃがんでいた。膝が泥で汚れているのに、それに構った様子も見せず、真剣な眼差しで頷いた。


「わたし達だけじゃもうどうにもできないよ。でも誰か大人の人に協力してもらえば、今よりずっと状況は改善されるんじゃないかな」

「大人って……例えば?」


 チラリと僕は近くに立つマスターを見上げた。彼は僕を見下ろしたまま、黙って杖で地面をコツリと叩き、それきり瞼を閉じた。

 チョコやマスターは選択外だ。外見こそ大人であれ、二人は宇宙人。宇宙の技術や知識が地球にどんな影響を与えるか分からない以上、協力者として考えてはならないだろう。


 じゃあ他に誰が? 父さんや母さん? いいや、家族はまずこんな事件に巻き込みたくない。黒沼さんは既に二人に手を出しているのだろうか。……いや、それだったら脅迫なりなんなり連絡が来るはずだ。まだ二人を利用しようという段階ではないのだろう。だったらこのまま、安全圏にいてもらう方がいい。

 親戚も駄目だ、信じてもらえない。仲のいい従兄弟のお兄ちゃんは信じてくれるかもしれないけれど同じく巻き込みたくない。じゃあ担任の先生? 駄目だ。市役所にでも行ってみるか? いいや。じゃあ誰に? 誰が? こんなおかしな話を信じてくれて、かつ信用できる大人なんて、誰がいる?


「あの人は? 出版社の……」

「そうだ……た、鷹さん」


 ホークス編集プロダクション新人の鷹めぐみ。彼女は信頼できる大人の一人だ。

 僕は彼女の顔を思い浮かべると同時に携帯を取り出した。時刻は夜九時を回っている。夜分に申し訳ないが、まだ起きているはずだ。

 勿論巻き込みたくないことは一緒だが、仕事柄横の繋がりも広いだろう。何かと協力してもらえるかもしれない。


「急にすみません鷹さん。お話したいことがあって……」

『湊くん? ごっめん、今忙しくて! 手短にお願い!』


 数コールの後電話が繋がった。だが向こうから聞こえてくるのは忙しそうに駆け回る人の声やコピー機の稼働音だった。自宅にいるとはどうにも考えにくい音である。


「あっ、すみません。まだお仕事中でした?」

『いやー残業残業! 終電見送りかなこれは。ほら、この間見せた雑誌あったでしょ? あれが売れ行きよかったからって、急遽次回は怪物特集を組むことになってさ』

「かいぶつとくしゅう」

『怪物の生態から始まってこれまでに出現した場所の規則性を調べて、被害に遭った人のインタビューを載せて…………自衛隊の特殊部隊とは……政府の動きとは……』

「鷹さん……あの、鷹さん」

『金になるよぉ! って編集長が張り切っちゃって! 湊くんも怪物を見かけたらすぐ連絡してよ。カメラ持って向かうからさ』

「あ、はい」

『まあ一市民としては早く駆除されてほしいってのが本音だけどね。今度目の前に現れたら、私がとっ捕まえてやろうかな』

「くじょ……」

『今日の午後にも現れたんだって。知ってる? 今から現場を撮りに向かう予定なんだ。もし鉢合わせたときのために武器の一つでも持っていこうかな……。あ、そうそうところで、何の用だった?』

「すみません。やっぱり何でもないです。お疲れ様です」


 僕は電話を切った。隣で様子を伺っていた雫ちゃんがどうだったのかと期待を込めた目で僕を見上げている。


「信頼できなくなっちゃった」

「信頼できなくなっちゃったの……」


 僕達は肩を落とした。今の鷹さんに相談することはできない。怪物を引き連れて助けを求めに行ったら、数日後には『怪物の死骸の上でカメラを構えている血まみれの鷹さん』の写真が雑誌の表紙を飾るかもしれない。

 どうするか、と前髪を指でもてあそびながら僕は唸る。大人の知り合いなんてそうそういるものでもない。いるのは黒沼さんと、鷹さんと、それから……、


「あ」


 ふとその人の顔を思い浮かべた瞬間。重くよどんでいた頭の中に、ミントに似た爽やかな風が吹き抜けた。




「それで、俺に話って?」


 それから数十分後、公園に場所を変えた僕達の前に現れた澤田さんは、にこやかにそう言った。

 僕が呼び出したのは澤田さんだった。彼は僕達にとって『信頼できる大人』の一人だった。だって彼はおまわりさんなのだろう。それに水族館の騒動の際、僕達のことを必死に助けてくれた。これ以上ないくらい頼りになる存在だ。


 けれど僕と雫ちゃんはお互いの顔を見合わせて、もじもじと戸惑いの表情を浮かべるばかりだった。ぬいぐるみ姿に戻っていたマスターを膝に置いてそっと抱きしめる。呼んだはいいものの何からどう話せばいいのか分からなかったのだ。


「言いにくいこと? 無理に言わなくてもいいんだよ?」

「い、いや言います。言うんですけど…………」

「ゆっくりでいいよ」


 呼び出した上にもたついているというのに、澤田さんは優しく微笑んでくれた。

 先に切り出したのは雫ちゃんだった。彼女は意を決した様子で澤田さんに身を乗り出し、大きな声で言う。


「わたし達、やっ、ヤクザさんに殺されるかもしれないんです!」


 予想外の言葉だったのだろう。澤田さんがその目を丸くする。それでも彼はすぐに表情を引き締めると、雫ちゃんの言葉に真摯に耳を傾けた。

 雫ちゃんは喋る。ヤクザの男に話しかけられて必死に逃げたこと、まだその男は自分達を狙っていること、別行動を取っているありすちゃんと千紗ちゃんが危ないかもしれないこと。

 改めて聞けば当事者の僕だって、あんまりにも馬鹿々々しい話だと思ってしまう。そんな突拍子もない話なのに、澤田さんは真剣な顔で彼女の話を聞いてくれた。


「それは、大変だったね。……一つだけ聞いていいかい?」

「は、はい」

「どうしてヤクザに狙われてるんだ?」


 僕と雫ちゃんの肩が跳ねた。確かに、それを言わなければ先には進めない。

 雫ちゃんは顔を真っ白にして固まってしまった。震える指が助けを求めて僕の裾をつまむ。僕は代わりに澤田さんに身を乗り出して、ごくりと唾を飲みこんだ。


「澤田さんは僕達の味方ですか?」

「うん」


 即答だった。澄んだ瞳がまっすぐに僕を見つめている。


「ど、どんな話でも聞いてくれますか」

「うん」

「馬鹿にしない?」

「勿論」

「……僕達のことを守ってくれますか」

「当たり前だろ」


 彼は力強く頷いた。僕は深く息を吸い込んで顔を上げる。まっすぐに澤田さんの目を見つめて言った。


「ありすちゃん達には不思議な力があるんです」

「力?」

「その、星の力と言いますか。魔法の力といいますか」

「魔法の…………」

「彼女達は。ま……まっ……魔法少女なんです!」


 公園に僕の言葉が響いて、スッと暗闇の中に消えていった。冷えた沈黙が続く。一秒が一分に感じるほどだった。耳が熱い。

 流石に、街を脅かしている怪物の正体が彼女達なのだとは言えなかった。だけど魔法少女と言うのもそれはそれで同じようなレベルだと、言いながら思っていた。


 普段から何の躊躇もなく自分は魔法少女なのだと言い切るありすちゃんの姿を思い出す。彼女の強靭なメンタルが今はただただ羨ましい。

 澤田さんの顔が見れなかった。顔の熱はだんだん全身に回って、背中が汗でびっしょりと濡れていくのが分かった。

 彼は静かに息を吐く。それは……、と低い声で唸るように言った。


「ヤクザが彼女達の魔法の力を狙っているってことだろう? まずいな。早く二人を見つけないと、捕まって解剖されてしまうかもしれない」

「えっ」

「え?」


 僕と雫ちゃんは思わず澤田さんの顔を見つめた。ぱちくりと目を丸くしている彼に、信じてくれるんですかと声を震わせる。

 眉に力を込めた彼は、頼もしい表情を浮かべて、当たり前だろうっと笑った。


「君達のことを信じると言ったじゃないか」


 彼がそう言った瞬間、僕は慌てて頭を下げた。

 顔を見られたくなかったからだ。目に滲んだ涙を見られたくなかった。

 ありがとうございます、と震える声で言った。雫ちゃんも隣で同じように頭を下げる。彼女の声は完全に涙に濡れていた。

 彼は僕達のことを何一つ疑っていなかった。魔法少女だなんておかしな話を聞いて、戸惑うこともなくすんなりその存在を受け入れてくれた。

 それがどんなに嬉しかったか。

 どんなに救われたか。


「ありがとうございます……」


 僕はもう一度、震える声で礼を述べた。拭いきれなかった涙が一粒だけぽとりと膝に落ちた。

 この人を頼ってよかった…………。


「それじゃあ、急いで二人を探しに行こう。どこにいるか分かる?」

「そ、それが連絡しても返事が返ってこなくて。見当も……」

「じゃあ街中をしらみつぶしだ。あっちに車を止めてあるから」


 僕達は公園から少し離れた所にある駐車場に向かった。黒塗りの高そうな車が止まっている。後部座席に雫ちゃんが乗りこみ、僕は助手席に座った。

 シートは柔らかかった。黒い車はうちのファミリーカーとは乗り心地が全然違う。窓ガラスに顔をくっつけるようにしてありすちゃん達を探しながらも、僕は思わず弾んだ声で澤田さんに話しかけてしまう。


「かっこいい車ですね」

「だろ? よかったら君に譲ってあげようか。もうすぐ十八だろう?」

「い、いやっ。絶対高いじゃないですか。お金ないから無理ですよ」

「大丈夫、事故車だから。タダ同然にしてあげる」

「別の意味で嫌だ……」

「トランクに人入れたこともあるし、車内で人を撃ち殺したこともある。その助手席にもね。昨日、死体乗せたばっかなの」

「わーっ」

「乗せたてほやほや」


 腰を浮かせる僕を見てあはは、と澤田さんは笑って車を止めた。駅から少し外れた、林の脇を通る道路の途中だった。

 千紗ちゃんならともかくありすちゃんならどこからでもひょっこり出てきそうだ、と僕はまじまじ林を観察していた。

 と、突然後部座席からバチンッと音がして「きゅっ」と短い悲鳴が聞こえた。僕は音に驚き、咄嗟に振り返る。そして、椅子に倒れてぐったりと動かない雫ちゃんの姿を見た。


「おー。凄い。本当に気絶するレベルの威力が出るんだな」

「…………?」

「このスタンガン高かったんだよ。でもこの威力なら納得だ。君も持っておくといい。車よりは安いぜ」


 運転席から後部座席に伸ばしていた手を引っ込めて澤田さんは笑った。その手にはスタンガンが握られている。

 僕はぽかんと口を開けて澤田さんを見ていた。街灯の青い光が彼の笑顔を冷たく照らしている。青い街灯は犯罪を抑制する効果があるんだっけ、とそんなことがぼんやりと頭に浮かんだ。


「え。あの。えっ。澤田さん?」

「さてと」


 彼はスタンガンのスイッチを入れた。キューッと小さな機械音のようなものが鳴った後、バチバチと盛大な音を立てて青白い電流が走る。

 僕は衝動的に車から飛び出そうとした。ロックを解除してドアを開けて、けれど数センチも開かぬうちに首の後ろをナイフで貫かれたような痛みが駆け抜ける。


「あっ!」


 それがスタンガンの痛みだと、一拍遅れて気が付いた。けれどもう遅かった。視界が一気に回転し、平衡感覚を失った僕はドアに頭をぶつけるように倒れる。手から力が抜けて、隙間からぬいぐるみ姿のマスターがぼてっと外に落ちた。

 回らない頭の中で、ドアが閉まる音と、車が走り出す音だけが聞こえた。


「信用してくれてありがとう」


 青い光が車の中に差し込んでは通り過ぎていく。どんどん薄くなっていく意識の中で、澤田さんの爽やかな笑い声が聞こえた。


「でも残念! 俺は結構、悪い奴なんだ」


 爽やかな彼の言葉を最後に。僕の意識は、完全に暗闇へ落ちた。

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