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変身しないで縺ゅj縺ちゃん  作者: 夜明
第2章 世間
29/99

第27話 少しお話を

 校庭にはパトカーと救急車が止まっていた。あの日。怪物がはじめて出た日と似ている。

 集会が中断し、生徒達はすぐに帰されることとなった。けれど校舎を出て行く生徒達の顔は暗く、夏休みの予定を楽しそうに話す人は誰もいなかった。


 肌を焼く日差しは暑いのに、頭の奥は冷えている。校長先生が喉を刺すシーンが何度も繰り返されて離れない。サクリと喉に刺さるカッターの刃が、赤い絵の具を水に溶かしたような水っぽい血が噴き出す様子が……。

 ああ、そうだ。鷹さんにも話さないと。そう思ったけれど、彼女は既に玄関付近で生徒にインタビューを行っていた。興奮した様子の男子生徒が自殺する直前の校長の様子を語り、鷹さんは真剣な顔でメモを取っている。『鷹の目のように鋭く情報を逃さない』という文句は正しいのかもしれない、と乾いた笑いを零す。


「あ。すまない、君」

「……………………」

「君。伊瀬 湊くん?」

「…………え?」


 汗で湿った前髪がまつ毛に絡んで邪魔だった。それをかきあげ、目の前に立つ二人の男性を見つめる。初老の男性と、まだ若い男性だった。どちらも見覚えはない。

 少し話を聞かせてほしい、と言って彼らは警察手帳を取り出した。ああ、と僕は頷いた。見覚えがないはずだった。


「ちょっと来てくれないかな。そう時間はかからないけれど、この後の予定は?」

「あ、大丈夫です。帰るだけだったんで……」


 彼らは僕を、学校の近くの駐車場に止まっていたパトカーに案内した。あれ? と思ったけれど素直に乗り込む。しばらくすると辿り着いた場所は警察署の前だった。また、あれ? と思いながら警察が大勢通る廊下を歩き……取調室の前で彼らが足を止めたところで、ようやくザッと顔から血の気が引いた。

 ちょっと来てくれって。え、事情聴取?

 内心パニックになっている僕を知ってか知らずか、彼らは取調室の中に僕を促す。机を挟んで向かいに初老の刑事さんが座り、若い刑事さんは横に立つ。自己紹介をされた気がするけれど、緊張で真っ白になった頭には、何も言葉が入ってこなかった。


「や、悪いね。ご足労おかけして。お茶飲む? コーヒーでいいかな」

「…………あのっ!」


 無理矢理絞り出した声は引っくり返って情けなかった。机に置かれた缶コーヒーを握りしめ、じっとりと汗をかいた手の震えを誤魔化す。


「ぼ、僕……別に、校長先生のこと、嫌いとかじゃなくて」

「うん?」

「憎んだりしてません。僕は犯人じゃないです…………」

「……ん? あー、なるほど? はははっ」


 刑事さんはワッと声を上げて笑った。隣の若い刑事さんも、小さく肩を震わせて唇を緩める。

 僕は怯えたまま眉間にしわを寄せ、むず痒い恥ずかしさに内頬を舐めた。


「別に校長先生のことで君を疑っているわけじゃない。なにより、あれは自殺じゃないか」

「だって、事情聴取ってそういうことじゃ……」

「校長先生の件には驚かされたな。だけど、俺達はあの騒ぎが起こる前から、あそこで君を待っていた」

「僕を?」

「別件だよ。俺達は前から君に、一度話を伺おうと思っていた」


 刑事さんが机に置いていたファイルから一枚の写真を取り出した。それを見た瞬間、全身が凍り付いた。

 そこに映っていたのは、商店街を駆け抜ける怪物と。

 その背中にしがみ付く僕の姿だった。


「これは、君だね?」


 ――――バレた!


 返事はできなかった。ぬるついた汗が首筋を伝い、シャツの中へ落ちていく。換気扇の音が鼓膜をカリカリと削り、僕の精神を追い詰めていく。

 監視カメラの映像から切り取られた写真だろう。荒い画質だった。それでも、ブレた怪物の背中に乗っている男子の顔や黒い癖っ毛、何よりその首から下げられたカメラは認識できる程度の画質だった。


「っ。ぅ…………」


 僕はおそるおそる目の前の刑事さんへ視線を向けた。そして直後、彼の顔を見たことを後悔する。

 学校で話しかけてきたときから今まで彼はずっと笑っていた。けれど。今も微笑んでいる彼の両目の奥には、隠し切れない鋭い眼光が光っている。

 重圧に指先が痺れる。喉の奥が痙攣し、上手く息を吸い込めなくなった。


「知らない、です」


 何度も生唾を飲み込み、僕は震える声でそう吐き出した。

 不安と戸惑いを表情に張り付ける。困惑の目で彼らを見つめ、首を横に振る。


「あ、あの日は、友達と商店街に遊びに行っていたんです。そこで運悪く怪物に遭遇しちゃって。逃げようと思ったんですけど、捕まってしまって……」

「…………そうかい。それで、君はどうしたんだ?」

「投げ飛ばされそうになったんです。だから、怪物の背中に必死にしがみ付きました。多分そのときの写真ですよね?」

「伊瀬くん。何か怪物について気が付いたことはないかな。些細なことでもいい。一瞬でも怪物に接触した君なら、俺達の知らないことに気が付いたかもしれない」

「すみません、実はよく覚えていないんです。パニックだったから。その後すぐ振り落とされちゃいましたし」


 嘘じゃない。ただ、その怪物が一緒に遊んでいた友達であると話していないだけだ。

 はじめてチョコやマスターと対面したときの千紗ちゃんを思い出す。研究所に送るんだ、と彼らを捕らえて息巻いていた彼女の姿が、目の前の刑事さん二人に重なっていた。

 もしも。真実がここで警察にバレたらどうなる? ありすちゃん達は無事では済まない。拘束され、世間に正体が報じられ、研究所に送られた後は解剖でもされてしまうかもしれない……。

 僕はへらっと苦笑を浮かべた。机の下に隠した拳が、激しく震えていることを悟られないように。


「ありがとう。お手間を取らせて、申し訳ないね」

「いえ…………」


 案外刑事さん達はすんなりと引き下がった。聞きたいことはどうやらそれだけだったようだ。

 ほっと内心息を吐き、缶コーヒーのプルタブを爪で引っ掻く。酸味の強い味は舌に不快な味を残した。マスターのコーヒーとは雲泥の差だ。僕はちびちび舐めるようにコーヒーを飲んだ。

 家まで送ろう、と刑事さんが若い刑事さんに指示を出すのを慌てて断った。パトカーに乗せられて帰ったら近所の人がなんて思うか。それに、これ以上彼らと同じ空間にいたくない、というのが本音だった。


「遠慮しないで。最近は事件も多いから、危ないんだよ」

「大丈夫です。これでも男子ですし、それにまだ昼間でしょう」

「油断はしちゃいけない。それにあいつらは、昼も夜も関係ないんだから」

「あいつら?」


 妙な言葉に僕は首を傾げた。若い刑事さんはあっ、と気まずそうな顔で頬を掻く。初老の刑事さんが咎めるような視線を向けた。

 何の話だろう。さっきまで話していた内容とはまた別の、ピリピリと痺れるような空気が流れだした。


「ま。いずれは市民に注意喚起をしようとしていた話だしな。今彼に伝えるのも、同じことか……」

「何の話ですか?」

「伊瀬くん。最初に言っておくが、これはまだ確証が得られていない話だ。話半分に聞いてほしい。だが、警戒はしてほしい」


 僕はゴクリと喉を鳴らした。警戒って、何を。

 初老の刑事さんの眼光はさっきと同じように鋭い。僕は居住まいを正し、膝の上に置いた拳に汗を滲ませた。


「君は『黎明の乙女』という言葉を聞いたことがあるかな」

「黎明の乙女?」


 僕は彼の言葉を繰り返し、目をパチクリと瞬かせた。彼の口から突如出てきた意味不明な言葉に首を横に振ろうとして……ふと、浮かんできた記憶に動きを止める。


「…………宗教ですか?」


 思い出したのは、この間マンションに勧誘に来ていた宗教の人だった。

 ろくに話を聞いていなかったけれど、あのとき渡されたパンフレットには確か、宗教団体の名前が書かれていたはずだ。それに勧誘の女性達が口にしていた中に、そんな名前を聞いた気がする。


 あなたも入信してみませんか? 私達の団体、『黎明の乙女』に。


「新興宗教だよ」

「新興宗教って、えっと、新しくできたばっかりの宗教、でしたっけ」

「ああ。その中でも黎明の乙女はまだ誕生して間もない。十数年ってところだ。これまでは目立った活動をしていなかったから知名度も高くはなかった。だがここ最近、活動が活性化していてね」


 刑事さんは一度唇を舐めた。


「この間怪物が出た銀行強盗があっただろう。あの事件を含め、最近楽土町で発生している事件の約六割は、この宗教団体が絡んだ事件だと噂されている」


 僕はギョッと目を剥いた。街で起こる事件の六割。六十パーセント。半分以上。

 それは、とんでもない割合だ。


「絡んでいるって、どういう風に?」

「事件を起こした犯人がその宗教の入信者であった割合が約五割。それ以外の連中も、身内や知人に入信者がいたり、数日前に勧誘を受けた者もいる。はは、捕らえた犯人が『聖母様万歳』と叫び続けているのを目にして、その宗教を疑わないのは難しい話だと思わないかい?」

「それは……また、なんとも…………」


 僕は曖昧な溜息を吐いて首筋を撫でる。何と言えばいいのか分からず困った。


「そもそも黎明の乙女って、どういう宗教なんですか?」

「分からない」

「分からない?」

「調査中なんだ。連中が目立ち始めたのはつい最近の話だからね」

「はぁ」

「理念も目的も、まだ分かっていない。辛うじて分かっているのは……あの団体の創始者が『聖母様』と呼ばれている人物であることだ」


 ギュ、と僕は唇を噛んだ。刑事さんが話している内容に僅かに目を見開く。

 聖母様という名前には聞き覚えがあった。前に僕達が出会った、そしてありすちゃんが殺してしまった、千紗ちゃんの恋人が言っていた人物のことだ。


「……実を言うとね。俺はあの団体と、怪物の間に、何か関係があるんじゃないかと思っている」

「えっ?」

「団体の活動が活性化した時期と、怪物が出現した時期は一致している。もしやあの団体が怪物を生み出したのではないか? なんてことも……ありえない話じゃない」

「……い、いや。関係なんてないんじゃないですか? 偶然ですよ。宗教団体が活性化したのも、怪物が現れたのも」

「今はどれも断定できる情報じゃないさ。そう、何もかもが曖昧なんだ。確固たる証拠がほしい」


 だから、と言って刑事さんは机に肘をついて僕に微笑む。

 なんとなくその笑みが怖くて、僕は無意識に腕をさすった。ぷつぷつとした鳥肌が立っていた。


「黎明の乙女でも、怪物でも。何か知っていることがあったら教えてほしい。どんなに些細なことでも」


 僕は「はい」としっかりした声で返事をした。まっすぐに刑事さんを見つめれば、彼はそこで初めて、本当の笑顔を浮かべて僕に名刺を差し出した。

 渡された名刺に書かれた電話番号を見て僕は、一生この番号に電話をかけることはないだろう、と考えた。




 僕は高校から少し離れた道路でパトカーを下りた。運転席に座る若い刑事さんは家までじゃなくていいの、と聞いてきたけれど笑って首を振る。

 パトカーが去るのを見送ってから、僕は帰り道と違う道を歩く。家に帰るつもりじゃあなかった。そのまましばらく進み路地裏へ入ると、『魔法少女の秘密基地』と書かれたレトロ感漂う看板を見つめ、カフェに入った。

 カランとベルが鳴る。カウンターにいたマスターが顔を上げ、顎を引くように頷く。

 窓際のテーブル席に三人の女の子が座っていた。彼女達は飲み物を飲みながら、氷が溶けるときのようなカロコロとした高い声を鳴らし、話に夢中になっている。


「だからね。校長先生が突然おかしくなってしまったのは、邪悪な魂の囁きが原因だと思うの。魔法少女の魔法には浄化の力だってあるのよ。病院から戻ってきたら、早速魔法を打って治してあげないと」

「そもそも帰ってくるの……? あ、あれ、どう見てもし、し、死……」

「おいうるせえぞ。問題解いてんだよ、邪魔すんな」


 僕は少し苦笑して彼女達の話を聞いていた。ありすちゃんが最初に僕に気が付き、先輩、と明るい声で笑って僕の腕を引っ張る。


「おうセンパイ、ちょうどいいとこに。な、な。この問七の答えって何? 忘れちまってよ」

「ん……。ああ、これはほら。確か補陀落渡海じゃなかったかな」

「あー、そっかそっか。思い出したわ。サンキュ」

「もう夏休みの宿題やってるの?」

「早く終わらせれば、早く遊べんだろ」

「宿題燃やしたりしないんだ。偉いね」

「お前があたしのことどう思っているかよく分かるよ」


 テーブル席には夏休みに出された宿題がぎゅうぎゅうに広がっていた。彼女達はペンを回し、悩んだ顔で問題を解いていく。

 偉いな、と思いながらありすちゃんの宿題を覗き込んでみたけれど、解答欄は子供っぽい落書きで埋まっていた。向かいの雨海さんは頑張って問題を解いているけれど、一問にかける時間が長いうえ半分は間違っていた。ダルそうに問題を進めている千紗ちゃんが一番正解率が高いのが意外だ。

 ぼんやり彼女達を見つめていると、千紗ちゃんがムッとした顔を上げて僕の眉間に消しゴムを投げた。


「あいた」

「さっきから何だよ。言いたいことがあんならハッキリ言いやがれ」


 顔に出ていたのかもしれない。三人の視線が僕に向けられた。

 僕は額をさすって、実は……とさきほどの話を切り出した。「怪物」の部分を「魔法少女」に変えてほんの少しの修正を加えた説明だけれど、内容は十分に伝わる。

 最初は事情聴取されたのか、と驚き、笑っていた彼女達の顔は段々曇っていく。最後に僕は両手を打ち、話を区切った。


「とまあ、そんなわけで……。警察は魔法少女の存在を怪しんでいる。これからは、より周囲の目を警戒して過ごさないといけない。変身するときの場所にはもっと気をつかおう。監視カメラだけじゃなく携帯なんかも気にしないと。そうしなければ、捕まるのも時間の問題だ」

「おまわりさんに捕まっちゃったら、どうなるの?」

「かいぼ……ぅんんっ! えと、怪しい奴だと思われて牢屋行きだ。変身どころじゃなくなる。ありすちゃんも魔法少女を続けられないのは、嫌だろう?」

「まぁ…………」


 ありすちゃんは神妙な顔で頷いた。安心する。一番周りが見えていない彼女だが、こうして納得さえしてくれれば少しは気にしてくれるだろう。

 そのとき。ガリ、と何かが削れる音がして僕はテーブルに目を戻した。そしてギョッとする。

 千紗ちゃんが爪を噛んで僕を睨みつけていた。刑事さんのものとはまた違う鋭い眼光に、ゾッと鳥肌が立つ。


「宗教だ?」


 吐き捨てるように彼女は言った。大きな舌打ちが店に響く。彼女の隣に座る雨海さんが、顔を真っ青にして体を細かく震わせた。


「そいつらとあたし達が何の関係もないことは、お前だって知ってんだろ」

「分かってるよ。君達は別に、人工・・的に作られた魔法少女じゃあない」

「だったら気分悪くなる話すんなよ。うざってえな」

「……何だよその言い方。僕はただ心配してるだけじゃないか。関係ないったって、怪しい宗教団体なんだから。街で囲まれでもしたらどうするんだ」

「だからそれが余計なお世話だっての。あたしはお前よりずっと強いんだ。自分の心配したらどうだよ」

「それは変身したときの話だろ? いつもの君じゃ、大勢に囲まれたら何もできないかもしれないじゃないか」

「手前、あたしが弱いって言いたいのか? ア!?」


 激高した千紗ちゃんがテーブルの上に足を上げ、身を乗り出して僕の胸倉を掴む。ぐっと息を詰まらせながらも僕は目の前の彼女から目を離さなかった。険しく噛み締められた歯の間からグルグルと獣のような唸り声が聞こえる。彼女がテーブルに付いた膝の下で、雨海さんの宿題のプリントがぐしゃぐしゃになっていた。


「せっかくだ。手前が絡まれてもいいように、拳の振り方、教えてやるよ……!」


 彼女はぐっと拳を握り、見せつけるように大きく振りかぶった。雨海さんが悲鳴をあげる。一発くらい殴られたって構うものか、と僕は強く彼女を睨みつけた。

 けれど横から不意に聞こえたコツリという無機質な音が僕達の剣呑とした空気に水を差す。直後、僕の視界はぐるりと回転し、気が付いたときには側頭部が床に叩きつけられていた。


「ギャッ」


 僕と千紗ちゃんの悲鳴が重なる。頭を押さえてジタジタと悶える僕の横で、彼女も同じ格好で目に涙をためていた。


「『秘密基地』ではお静かに」


 マスターの声が降ってきたと思ったら、背中にドスンと衝撃が乗って「ヴッ」と呻いた。視界だけを背中に向ければ、マスターが僕の背に足を組んで座っている姿が見える。投げ出された長い足は千紗ちゃんの背中に置かれていた。彼女は憤慨した様子でその足の下から抜け出そうとしているのに、何故だか立ち上がることさえできていなかった。マスターの肩に乗っていたぬいぐるみ姿のチョコが彼女の背に乗って、楽しそうに体を揺らしても、同様だ。

 マスターはそのまま優雅にコーヒーを飲んでいる。マスクの下からコップの縁を差し込んで、一体どういう飲み方をしているのかは分からないけれど。


「関係ないとは言い切れないかもしれないな?」


 マスターは僕達の目の前に新聞を投げ、右手に持っていた長い棒でトントンといくつかの記事を示していった。僕達を転ばせたステッキだと思ったそれは、奥から取ってきたらしい物干し竿である。


「活性化している団体は何も宗教団体のみにあらず」


「警察庁にて不審な動き。近隣住民からの不安の声相次ぐ」「■■組発砲事件発生か」「総理が不安視する日本の未来とは」。脈絡のないタイトルを必死に目で追っていると、不意にマスターの動きが止まり、ぼそりと低い声が吐き出される。


「「宗教」以外にも「警察」。そして「ヤクザ」。最後は「政府」。大きく分けると、以上四つの団体に近頃不審な動きが出てきている」

「ふ、不審な動き……?」

「単刀直入に言おう」


 マスターは物干し竿でコツリと床を叩いて、言った。


「君達は現在、大勢の人間から狙われている」


 どういうこと、と真っ先に声を上げたのは雨海さんだった。愕然と目を丸くした彼女は青ざめた顔でマスターを見つめていた。


「宗教と警察とヤクザと政府……? なんでそんなにたくさん。どういうこと?狙われてるっ?」

「これらの団体に不審な動きが見られた時期は全て一致している。それは、君達魔法少女が現れた時期とピッタリ重なっているのだ。そして全ての団体の目的はただ一つ。『魔法少女を捕らえること』」

「魔法少女を? な、なんで」

「…………使い道がありすぎんだろ」


 答えたのは千紗ちゃんだ。彼女は苦虫を噛み潰したような顔をして、雨海さんの問いに答える。

 ふむ、とマスターが顎を撫でた。彼が動くと尖った座骨が背中に刺さって痛い。


「魔法少女は人間じゃない。怪物じみたパワーや、地球基準では説明ができないような能力を持っている。そんな生き物を自分達の手にしてみろよ。気に入らねえ連中をぶっ殺せるし、研究もできる、兵器にもペットにでもできる。あたし達は使い道がありすぎるんだよ」

「ほう。さきほどの態度からして頭ごなしに否定するかと思えば、一番理解が速い」

「…………勘違いすんな。宗教が嫌いなだけだ」


 僅かに千紗ちゃんの声が震えていることに気が付いた。僕はハッと目を見開く。

 そうだ。彼女は宗教に陶酔した恋人に酷い目に遭わされ、その恋人までもを亡くしてしまったのだ。そう思うと、宗教という言葉に過敏になってしまうのも理解できる。

 僕は「ごめん」と目の前の彼女に謝った。彼女は一瞬むず痒そうに目を細めると、無言で顔を背けてしまった。


「湊先輩っ」

「ガハッ!」

「あのね。何の話をしているのかしら。難しくてよく分からないわ」

「……あー。あれだ。魔法少女を狙う悪い連中も世の中にゃたくさんいるから、気を付けろって話だ」

「まぁ……。私達、どんどん有名人になっちゃうわね。ドキドキしちゃう」


 よかったね。ついでにどいてくれないかな。と僕は背中に飛び乗ってきたありすちゃんの重さを感じながら思った。

 彼女は話の半分も理解していないに違いない。後でちゃんと詳しい説明をしてあげないと。


「マスターもありすちゃんも楽しそう。ぼくも、そっちに入れてほしいな」

「勿論よ。うふふ、皆でお馬さんごっこね」

「えっ? 待って、ありすちゃ……? ま、待ってやめろ。おい馬鹿チョコ! 人間になるな! 助走をつけるな! とびのっ…………ア゜ッ」



 気絶から目を覚ました僕は、泣きながら僕を介抱する雨海さんの姿と、後ろの席で夏休みの計画についてわいわい話し合っているありすちゃんの姿を見た。

 海に行きたいわ。水着買いてえな。女の子だけで可愛い水着を買いましょう、早速明日はお出かけよ。なんて楽しそうに話しているありすちゃん達をぼんやりと見ていると、僕が起きたことに気が付いた雨海さんはよかったよかったと涙を流して喜んだ。


「伊瀬くん、大丈夫?」

「…………雨海さん。ちょっと」

「え?」


 僕は彼女に顔を近付けた。彼女は両頬を赤く染めて目をパチクリとさせた。カーテンのように下がった彼女の黒髪が、僕の顔をありすちゃん達から隠す。


「君にお願いがある」

「な、なぁに?」

「彼女達の監視をしてくれないか?」


 雨海さんは目を大きく見開いた。照明のせいだろうか、その色は仄かな青色に光って見えた。


「監視っ?」

「そう。ありすちゃんと千紗ちゃんがもし人前で正体がバレるようなことをしそうになったとき、僕一人では対処しきれない」

「で、でもわたしが? そんな。できるかな……」

「君は魔法少女の中で、唯一本当の姿が見えている。それに女の子だ。僕は男だから、君達とずっと行動を共にすることはできない。君に任せたいんだ」


 狙われている、と知ったとき真っ先に危惧したのはそこだった。

 ありすちゃんと千紗ちゃんは自分達の姿がちゃんと見えていない。もし、気付かずに変身して正体がバレることになったらどうする?

 雨海さんは彼女達と同じ性別で、同じ魔法少女の仲間だ。僕よりも彼女達と共に過ごす機会は多いだろう。監視役なら僕やチョコよりも適任だ。

 彼女はしばらく戸惑っていたけれど、決心したような顔でこくこくと頷いた。ほっと息を吐いて彼女の手を握る。


「ありがとう。君がいてくれてよかった」

「ふ、ぅえっ。う、うんっ」


 彼女は少し照れくさそうに笑って、任せて、と言った。

 後ろの席ではちょうど遊びの予定の話し合いが終わったようで、ありすちゃんが僕達を呼ぶ声がした。




「あなた、神様は信じてらっしゃる?」


 帰宅した僕は、マンションに入る手前で、僕は宗教勧誘のおばさんに捕まった。

 玄関に入ろうとしていた直前だった。すみません、とかけられた声に振り向かなければよかったと後悔しても今更遅い。

 優しい笑顔を浮かべたおばさんはニコニコしながら僕にパンフレットを差し出してくる。パンフレットにぐちゃぐちゃと描かれた笑顔の子供達のイラストには見覚えがあった。

 表紙に大きく書かれた『黎明の乙女』という名前に、僕は心の中で舌打ちをした。校長先生の事件といい事情聴取といい宗教勧誘といい、今日はイベントだらけの一日らしい。


「すみません。こういうのはちょっと」

「パンフレットだけでもご覧になって。あなたの悩みを、きっと解決してくださるから」

「こ、このマンション勧誘禁止なんですよ……」


 迂闊だった。気を付けろと言っておいて、僕が真っ先に引っかかるなんて。

 適当に話を切り上げようとしてもタイミングが見つからない。無視してマンションに入っても、おばさんはきっとついてくる。そうしたら、他の住民に迷惑をかけてしまう。


「『黎明の乙女』の活動を知っていらして? 素晴らしい団体なの」

「結構です。すみません、本当に興味なくて」

「例えば私は長いこと、演歌歌手になるのが夢だったのだけれどね」


 ジリジリと壁に追い詰められていく。おばさんは断る僕の手に無理矢理パンフレットを握らせた。

 照り付ける太陽光を浴びて頭がくらくらしてきた。どうにかして、この状況から抜け出さないと……。考えていると、背後でマンションの玄関が開く音がした。


「うるさい」

「わっ」


 突然に。後ろからぬるりと冷たい腕が伸びてきて、僕の首に回された。

 煙たい煙草の香りがする。ふと腕を見下ろせば、くねくねと揺らぐ黒いタトゥーが掘られていることに気が付く。


「朝っぱらから神様の話?」

「…………もう昼過ぎてますって、黒沼さん」


 振り返れば、隣人である黒沼さんは「あそぉ」と間延びした声で言って煙草の煙を吐いた。青白い濃厚な煙が白昼の空気に溶ける。真昼なのに、彼のまとう空気は夜のそれだった。

 隣人だから多少の慣れはあるといえ、彼は迫力のある人だ。勧誘のおばさんは一瞬狼狽えた様子を見せた。

 その一瞬で、黒沼さんはぐいっと僕の腕を引っ張った。ひょろりとした見た目に反してその力は強い。あっ、と思う間も泣く僕はマンションの中へと引きずり込まれた。

 彼に引っ張られるまま廊下を走る。エレベーターを使わず、非常階段をトントンと駆けあがる。四階を一気に上がった僕は、部屋の前でようやく立ち止まることができると、壁に背を付けてぜえぜえと息を荒くした。


「ははは。貧弱」

「ふっ、普通これくらい、息は切れるでしょうが……っ!」


 そういうものかしら、と彼はまた煙草を咥えて紫煙を吐き出した。僕と違って、澄ました顔には汗一つかいていない。

 今日の彼は半袖だった。夏でも長袖でいることが多いからあまり意識していなかったけれど、よく見れば細身であるものの腕や腰には引き締まった筋肉が見えた。思いのほか鍛えている人なのか、と目を丸くする。そういえば彼は、何の仕事をしているんだったっけ。


「気を付けな」


 ぼんやりとそんなことを考えていた僕は、彼の言葉に顔を上げた。

 太陽は眩しいのに、マンションの影に隠れて、その顔は暗く虚ろに見えた。光のないどんよりとした目が、怪しく僕を見下ろしている。

 暑いのに。妙な寒気が僕を襲った。


「最近、変な人が多いんだから……」


 君達は現在、大勢の人間から狙われている。

 宗教、警察、政府。

 …………それから、ヤクザ。


 どうかしたの、と固まる僕に彼は言った。急いで首を振って、簡単に礼をして僕は自分の部屋に逃げるように飛び込む。

 自分の家の匂いに囲まれて、同時に自分の体に残った微かな煙草の気配に気が付く。

 タトゥーに、煙草に、大量のピアス。……いいや。それだけじゃ流石に偏見が過ぎる。見た目で人を判断しちゃいけないんだ。

 …………そういえば黒沼さんは最近越してきた人だったな。いつ越してきたんだっけ。確か数ヵ月前。気が付いたら隣の人が引っ越して、その後すぐ黒沼さんがやってきた。あのときは色々バタバタしていたから、隣人が変わっていることに気が付くのも遅れてしまった。

 なんでバタバタしていたんだっけ? ええと、ああ、そうだ。

 魔法少女に巻き込まれるようになったから。


「……………………まさかね」


 僕は笑い、腕をさすった。

 暑いはずなのに。腕には、鳥肌が立っていた。

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